その4・私有惑星トゥームストーン
ELドライブによる時空間転移は、体感では一瞬で終わる。
原理的には、宇宙の真空を作ってるさざ波みたいなもんのレべルまで、俺たちを含む周囲の空間にあるものを全部バラバラにして「情報」に還元したうえで、時間を巻き戻しながら空間座標だけを変更する、ってややこしいことをやってるらしいんだが、俺にはさっぱりだ。専門家の説明を聞いても良くわからない。
ともかく、さっきまでサンミゲルにいた俺たちのマスタングは、今は遠く第四惑星・トゥームストーンにほど近い宙域にまで移動している。
「ELドライブ停止。メインスラスター再点火だ」
〈あいあーい〉
転移直後は、転移前の推進力が意味をなさないため、転移した宇宙機はひたすら惑星の重力に引かれて落ちていく。一刻も早く周回軌道速度まで持っていかなければならなかった。
惑星を一周まわっていくコースで、宇宙港に入る軌道に乗る。足元のスクリーンには、トゥームストーンの惑星表面がミニチュアのように映った。
太陽から遠く離れちゃいるが、広い海と豊かな大地を持つ、一見した限りでも人が住むには良さそうな惑星だ。極冠氷が大きいって以外は、サンミゲルと比べても遜色ないどころか、よっぽど入植適地に見える。原住異星人がいないってのが不思議なくらいだ。
宇宙港はサンミゲルの百分の一くらいの規模しかない、こじんまりとしたものだったが、管制官の対応は親切だった。カーゴを再び切り離したマスタングは、相対速度を合わせて、滑り込むようにトゥームストーン港のエアロックをくぐった。
係官の音声誘導に従って、駐機場に機体を収める。これで人心地もつけるだろうぜ。
マスタングの天井が左右に開き、スピナーを固定していたシャフトが所定の順序で抜けていく。
「降りるぞ」
俺は言いながら、スピナーのシートの後ろを少しあけた。
「はい!」
リコリスが元気よく返事をして、窮屈そうなメンテナンスハッチから出て、俺の背中にしがみついた。
スピナーが床に降りたあとも、しばらくの間、彼女は俺に抱きついたまま、背中に顔を埋めていた。
「着いたぞ。もう大丈夫だ」
俺が声をかけてやると、リコリスは腕をゆっくりほどいて、少しよろめきながらも、自分の足で降り立った。
駐機場をでて、軌道エレベータの降下線車を待つ間に、プラットフォームの売店で飲み物と軽食を買った。
規模こそ小さいが、ちょっとした地方都市の宇宙港と変わらない設備が整っている。
〈それにしても、これが全部そこの小娘ちゃんのもの、ってのは凄いわね〉
この港を含めて、惑星全部が今現在、暫定的ではあるが、このお嬢様の私有財産てことになる。
フジコが慨嘆したくなる気持ちはよくわかる。
〈お嬢様、惑星内通信網にアクセスができるようになりました〉
リコリスのペンダント型ノードに仕込まれた音声インターフェイスAI・トトが、はしゃいだ口調で言った。
〈ご実家に無事を伝えられては?〉
「……そうですね。音声通信を開いてください」
ここは彼女の故郷の星だ。シンジケートの手は今後も彼女に伸びてくるかもしれないが、味方も多くいるはずだった。
サンミゲルで彼女の口から語られた、ややこしいホームステッド家の家系図なんて全部覚えちゃいないが、養父と弟がいるって言ってたな。実の母親も、ひょっとするとまだ同じ家にいるのかも知れない。
「お父様!」
リコリスの音声通信の相手は、彼女の養父らしかった。名前はダグラスって言ってたか。話す声からは緊張が解けた様子がうかがえる。
予想外の「荷物」を無料配送することになっちまったが、それもここまでだ。
〈良かったわね〉
フジコが俺にだけ聞こえるようにそう言った。
「何がだ」
〈ううん、別に〉
……さて、リコリスが電話で話している間に、俺たちは消えるとしよう。
そう思って、最後に彼女にもう一度目をやった。しかし、リコリスの表情は会話が進むにつれて険しいものに変わっていった。
「本当なのですか?……はい。そうですか……わかりました、お話してみます」
リコリスは音声通話を切って、蒼白な顔でこちらを向いた。
「何があった?」
「マイクさん……弟が、シンジケートにさらわれました」
俺が例のホバートラックをカーゴから引っ張り出して、降りる予定の無かったトゥームストーンの地表に降下したのはその後すぐのことだった。俺のスピナーはトラックの荷台に押し込んである。
「私のせい、ですよね」
助手席にはリコリスが、辛そうな表情で下を向いて座っていた。
彼女の手には、港を出るときに渡した売店のサンドウィッチが、口をつけられないままになっている。二日も飯を食ってないというのに、食欲がわかないらしい。
理由はなんとなくわかる。
「私が助かったから、クリスが……弟が」
「親父さんの話じゃ、弟さんが拉致されたのは昨日の夜だってんだろう?」
「……はい」
「じゃあ、リコリス、お前さんが助かろうが助かるまいが、元々シンジケートの奴らはそういう手を打っていたってことになる。次善の策ではあるんだろうが、お前さんのせいって訳じゃない。気に病むなよ」
「でも……!」
「ともかく、今はメシを食え。それから、お前さんの家に帰って、親父さんに詳しい話を聞こう」
〈道案内頼むわよ、小娘ちゃん〉
トラックのキャビン内、ダッシュボードの手前に元々備え付けてあったホルダに、俺の携帯端末が突っ込んである。フジコはそこからリコリスにも聞こえる声で喋ってる。
リコリスはこくんと頷いて、ようやくサンドウィッチを一口かじった。
今わかってることは、昨日の夜、ひと月前に雇ったリコリスの弟の家庭教師が、シンジケートの連中を手引きして屋敷に入れ、寝ていた弟君をかっさらって行ったということだけだ。
自分がヘマをしたわけじゃないが、タッチダウンを決めた後でキッカーがフィールドゴールを外すのをベンチで見てるオフェンスチームみたいな気分だ。
わからないこともある。連中の狙いが世襲反対派と組んでの所有権更新阻止にあるのなら、リコリスに次ぐ第二の標的として弟が狙われるのは当然だが、肝心のリコリスが生きてる状態ではあまり意味がない。冷たい話をすれば、弟が死んだってリコリスが生きてりゃ、所有権は彼女によって更新され、世襲は成立するわけだ。彼女自身が後継者になってもいいし、あるいは養父に継がせることだってできる。
連中の狙いは何だ?
答えが出ないまま、俺はトゥームストーンの田舎道をとばした。
この星にはあまり大きな町は無いらしい。港の近くは農産物の出荷のための業務エリアになっていて、居住区は大陸に広がる農地の合間合間に小規模な村が点在しているだけだ。
高い建物も少なく、大きなお城みたいなホームステッド家の屋敷は、遠くからでもよく見えた。
屋敷に近づいてトラックを寄せると、門の前にいた警備員がこっちに駆け寄ってきた。
「止まれ!」
まあ、御令息が誘拐された直後だから、ピリピリしてるに違いない。見覚えのないトラックが来たら、そりゃ警戒するだろうさ。
「何者だ? 何の用だ?」
「宅配便だよ。受領証にサインを」
「なに?」
「ブライアン、私です」
リコリスが助手席から身を乗り出して顔を見せると、警備員は驚いた表情で背筋を伸ばし、敬礼した。
「お嬢様!」
「ただいま帰りましたと、お父様に伝えて下さい」
そこから少し待たされたが、特に揉め事もなく敷地に入れてもらえた。
ブライアン、と呼ばれた警備員にガンベルトごとネイビーを預け、トラックを降りて、別の警備員の案内で玄関まで行くと、ドアの前で、四十がらみの身なりのいい男が数人のメイドさんと並んで待っていた。
「リッキー! ああ、よかった。心配していた」
男はそう言って、大仰に両手を広げた。リコリスは俺の隣から駆け出して、彼とハグを交わした。多分この男がダグラス・ホームステッドなんだろう。
「お父様……ごめんなさい。クリスのこと」
「君が謝るのは変だよ、リッキー。君だけでも無事で、僕は少し救われたんだ」
ダグラスはそう言って、穏やかな表情で俺を見た。
「あなたが、マイケル・マクノウィッチさんですね」
「ああ」
「娘を助けて下さり、ありがとうございます。その件についての謝礼は、既に振り込ませて頂いています。それから、――お聞き及びかとは思いますが、息子の件で少しお話が」
真面目な男のようだ。正直、リコリスの話だけじゃ、彼女の養父がいい奴なのか悪い奴なのか判断できなかったが、会ってみての第一印象はそれほど悪くない。少なくとも、実子を優先してリコリスを疎んじていたり、シンジケートとつるんで誘拐を偽装したりしてるような雰囲気じゃあなかった。
「立ち話もなんでしょう。先ずは、中へどうぞ」
俺はメイドの案内で、立派な応接室に通された。
ホームステッド邸の応接室は、古めかしいヨーロピアン様式で統一されている。広さは俺の実家のリビングくらいはあるだろうか。
横になれば、サンミゲルの安宿のベッドよりよっぽど寝心地がよさそうな、柔らかい革張りのソファーが、分厚い天然木の天板のうえに白いレースのクロスがかけられたテーブルを挟んで二脚づつ並べられていた。
壁際にはレンガ造りの暖炉があり、マントルピースの上には変わった形の小さな抽象彫刻や、歴代ホームステッド家の当主の功績を伝えるトロフィーなどが並んでいる。
その真ん中に、飾り気のない額縁が一つ置かれていた。中身はプリントアウトされた家族写真のようだった。
リコリスとダグラスが戻ってくるまで、俺はこの部屋で座って待つように言われていたんだが、興味がわいたので、立ち上がってその写真に近寄った。
のどかな田園風景の中で、何人かの男女が楽しそうな笑顔を浮かべている集合写真だ。
右下には手書き風の日付が入っている。十二年前の写真らしい。
あごひげを蓄えた彫りの深い精悍な顔立ちの老人が、手前に置かれたデッキチェアの中央に大股で座っている。たぶん、この人物が一週間前に暗殺されたという、前当主のハリソン二世だろう。
彼の両隣には、二人の女性が座っていた。二人は同じくらいの年齢で、二人ともそれぞれどことなくリコリスと似たところがあった。
右隣の方は生まれたばかりの赤ん坊を抱えたドレス姿で、さっき会ったダグラス氏とおぼしき若い男が、彼女の肩に手を添えるようにして隣にいる。
左隣の方の女性はメイド服姿で、膝の上に三歳か四歳くらいの女の子を乗せている。皆が笑ってる中で、その膝の上の女の子だけがむっすりと口を結んだ険しい表情で写っていた。
「その写真、リッキーは大嫌いなんですよ」
背中越しに声をかけられ、少し慌てて振り向くと、年配のメイドさんが紅茶を盆に載せて微笑んでいた。
「お茶をお持ちしました。急に声をかけてしまってごめんなさいね」
「ああ、ありがとう。……あなたは、ひょっとして?」
「はい。リコリス・パトリシアの生母です。メイド長のサクラと申します。――娘を助けて頂き、ありがとうございます」
メイド長は、ティーカップをテーブルの上に置いてから、深々と頭を下げた。
俺が、さっきの写真の中の女の子を指さして見せると、サクラさんは口許に手を当てて、上品に笑った。
「おかしいでしょう? 子供の時から、無愛想な子だったんですよ」
やはりこの子が、幼いころのリコリスか。
「家族仲は良かったようですね」
「いいえ、とんでもない。アリス様と私は喧嘩してばかりでしたよ。でも、大旦那様への世間の風当たりが強かった時期でしたから、二人とも何とかして、家中の結束を高めようとしていたんです。その想いだけは一緒でした。もちろん、若旦那さまも。それを宣伝するために撮った写真なんですから、みんな愛想笑いですよ。リッキーは、そんな空気を感じて、緊張していたのかもしれません」
サクラさんは、辛そうに声のトーンを落とした。
「そして、それが家族全員が揃って写った唯一の写真になってしまいました」
リコリスの話では、彼女が六歳の時にアリスは病死したはずだった。それにともない、リコリスはダグラスの養女に迎えられたって聞いている。
「リッキーが生まれた時にはね、それはもう大騒ぎだったんですよ。今回みたいなお家騒動の種になるのは目に見えていましたからね。当時のメイド長に大目玉を食らいました。私もアリス様も、大旦那様には何度も申し上げたんです。早いうちに権利を若旦那様にお譲りになるべきだって。でも大旦那様は意固地な方でしたからね。自分の目の黒いうちは若造の好きにはさせんぞ、って。そのくせ、自分の身の安全のことなんて無頓着で、この星の上にいる間は警護もつけていなかったんですよ」
そのせいで、ひとたびシンジケートの暗殺者が入ってきた日には、抵抗するすべもなく殺されちまったというわけか。
「――クリスティアン坊っちゃんは、母親のアリス様のことを、ほとんど知らずにお育ちになりました。リッキーを実の姉のように慕っていて、娘も坊っちゃんを大事に想っているのです。それがまたこんなことに……」
「リコリスは、弟さんが誘拐されたのは自分のせいじゃないか、と気にしていましたよ」
「やはりそうですか。――これから若旦那さまから、大事なお話があります。マクノウィッチさん。どうかホームステッド家の、娘の力になってあげてください。初対面の方に、勝手なことを言って申し訳ないのですけど。この星の所有権のことなんて、もうどうでもいいんです。私もリッキーも、家族を亡くすのはもうたくさんなんです」
メイド長のサクラさんこと、リコリスの母親は、批判めいた口ぶりとは裏腹に、この家と家族のことを心底大事に思っているようだった。
ほどなくして、ダグラスとリコリスも応接間に現れた。
「それでは、娘をよろしく」
サクラさんはまた恭しくお辞儀をすると、背筋をピンと伸ばした姿勢で、彼らと入れ違いに部屋を出た。
俺とダグラス達は、改めて向かい合わせに座った。リコリスは、先ほどまでの動きやすい旅装から、年頃の女の子らしい服装に着替えていた。
「お待たせしました、マクノウィッチさん」
ダグラスは改まってそう言い、「実は、サクラさんがどうしても、直接あなたに礼を言いたいというので、時間を作ってあげたのです」と種明かしをした。
「そうだったのか。おかげで面白い話を聞けましたよ」
俺はリコリスに目を向けながら、不謹慎にならない程度に笑顔を作ってそう言った。リコリスは心配そうに俺の方を見た。
「あの、母が、失礼なことを言いませんでしたか?」
「いや、ただ、リコリスを頼むって言われただけだよ」
「そ――それはどういう意味で――いえ、それは今はいいです。マイクさん、父から大事なお話があります」
先ほどサクラさんもそう言っていた。おそらく、いや十中八九、さらわれたクリスティアンとかいうリコリスの弟の話だろう。
ダグラスは娘に促され、何かを決意するようにうなずいてから、話を切り出した。
「サンミゲルでお会いしてからのあなたの活躍は、娘から先ほど詳しく伺いました。信用できる方のようです、と、トトも言っておりましたよ」
「そりゃどうも」
「あなたを見込んで、一つ頼みがあります。――娘を、地球に連れて行ってほしいのです」