その2・ホームステッド家の令嬢
女の子が目を覚ましたのは、その三十分ぐらい後のことだった。
見つけてすぐに、とりあえず縄と猿ぐつわををほどいてやったが、睡眠薬でも盛られてるのか、叩いてもつねっても起きる気配が無かったんで、そのまま寝かせてやっていた。
長距離の仕事では運搬機の庫内で寝泊まりすることもあるので、ここには仮眠用のベッドも備え付けられている。その上で目を覚ました彼女は、かけてやった毛布の端をもったまま半身を起こして、寝ぼけまなこで周囲を確かめた。
「おはよう、お姫様」
俺が声をかけると、びくりと身を震わせてこちらに顔を向けた。
トラックには盗聴器とGPS発信機も仕掛けられていたが、盗聴器の方には今、フジコが俺の鼻歌をダミーで流してる。発信機にはあまり意味はない。この後港を出て宇宙空間に出るからだ。
俺が預けられた荷物のオマケを見つけた事は、依頼主には気づかれていないだろう。
「……おはよう、ございます」
彼女は警戒するようなか細い声であいさつし、立ち上がろうとして、すこしよろめいた。
俺は慌ててその華奢な身体を支えてやり、ベッドの縁に座るように促した。
「まだ無理はしない方がいい。事情はだいたい、君の相棒からきいてるよ」
「あ……」
言われて、彼女は自分の胸に手をやった。
そこには、ペンダントタイプの携帯ノードがチェーンでぶら下がっている。
「トト!」
〈お嬢さま、おはようございます〉
フジコと同じような、音声インターフェイスのAIがそのノードで常時起動しているらしい。
ペンダントは、俺が彼女をトラックの床下収納から担ぎあげるのとほぼ同時に、口うるさく騒ぎはじめて、フジコの奴とひと悶着やりあった後で、俺におおまかな事情を説明してくれたのだった。
〈ご無事で何よりです〉
ペンダントが少年の声で、心底安堵したように言った。
〈こちらの方はマイケル・J・マクノウィッチさん。シンジケートの罠を見破って、お嬢様を助けてくれた運送業者の方です。とりあえず、信用してもよろしいかと〉
それを聞いて、少女はほっと息をついて表情を緩めた。
「失礼しました。私はリコリス・パトリシア・ホームステッドです。助けてくれて、ありがとうございます、ミスター・マクノウィッチ」
〈むかつくわね。顔だけじゃなくて声までかわいいなんて〉
フジコの声は、今は庫内のスピーカーからこの場の全員に聞こえている状態だったが、かまわず悪態をつく。さっきからずっとこの調子だ。すこぶるご機嫌斜めのようだった。
リコリスはびっくりしたように、またきょろきょろと左右に目をやった。
俺は笑って言った。
「安心しな。今のはこの船の管理AIだ。俺の事はマイクと呼んでくれていいよ」
まあ、見知らぬ男から口で安心しろと言われたところで、すぐに安心できるわけはないんだが、気休めでも言わないよりはマシだろう。さて、本題だ。
「お嬢さん、リコリスさんが、留学先から実家に帰る途中でシンジケートの連中にさらわれて、このトラックに詰め込まれたらしいってのは、そのペンダントのAIくん――」
「トト。彼の名前はトトです」
〈かわいいドロシーちゃんのペットってわけね〉
フジコがまぜっかえすと、
〈犬じゃねえよ! オレがお嬢様を守ってんだ!〉
リコリスのAI――トトがむきになって対抗する。
さっきから――リコリスが目を覚ます前からこんな調子だ。
付き合ってると先に進まねえ。話を戻そう。
「……そのトトくんにさっき教えてもらったんだが、問題は――」
〈ナイト気取りで首からぶら下がってて、ご主人様が危険な目に合っても何もできなかったんだから、番犬としては役立たずよね。犬以下ね〉
〈いちいち突っかかってくるんじゃねえ! マイケルさんがお嬢様の寝顔に見惚れてたからって、ヤキモチの八つ当たりをこっちに持ってくんな!〉
〈なんですってぇ?〉
〈お、図星かよ。AIのヒス持ちはデバッグしてもらった方がいいぜ〉
うるせえAIどもだ。話もできやしねえ。
「フジコ、ちょっと黙れ」
「トト、お話を聞きましょう」
俺とリコリスは同時に、自分の相棒AIをたしなめた。
「……話を続けていいか?」
「はい。すみません」
気を取り直して、俺はもう一度、リコリス本人から今回の件について詳しく教えてもらえないかと訊ねた。
リコリスはこくんと頷いて、手元でトトペンダントのぶらさがったチェーンを弄りながら、ゆっくりと、ここに至るまでの経緯を語り始めた。
マイクさんのおっしゃる通り、私が誘拐されたのは留学先から帰省する途中のことでした。
今日が十六日ですか? なら、二日前のことです。
私はバーナード星系宙域にある寄宿舎制の女子高等学校に通っていたのですが、学校も休みではないこんな時期になぜ帰省しなければならなかったかと申しますと、父から急に呼び出されたからです。
父の話の前に、ホームステッド家の話をしなければなりません。
このフロンティア15恒星系の第四惑星トゥームストーンをご存知でしょうか?
百年ほど前に、私の先祖で初代のホームステッド家当主が、開拓の功績により私有を許された小さな星です。「墓石」なんて縁起の悪い名前ですけど、土地はいたって豊かで、地主であるホームステッド家が自由開拓農民の入植を条件付きで認めていますので、この星を拠点に生活している人も多いのです。
この星の土地所有権は、代々私たちホームステッド家の当主が世襲してきました。でも父の代になって、その伝統が危うくなりました。
実は、私が父と呼んでいるダグラス・ホームステッドは、実の父ではありません。血縁上は兄に――異母兄にあたります。
複雑な家庭の事情の話になります。身内のことでお恥ずかしいのですが。
父の先代だったハリソン・K・ホームステッド二世の最初の奥様は、一人娘のアリスを生んだ後に病気でお亡くなりになり、そのアリスの婿養子が父ダグラスです。
ハリソンはその後十年以上も独身でしたが、月日がたち、世話をしていたメイドの一人との間に娘が生まれました。それが私です。
父の妻として、異母姉アリスが存命のうちはなんの問題もないはずでした。けれど、アリスは私が六つの時に、彼女のお母様と同じ病で早世されました。
ここで問題が生じました。
フロンティア15宙域では、ホームステッド家の惑星所有権の世襲更新のためだけに、宙域特別法が制定されています。それによると「現所有権者と二分の一以上のDNA生体認証パスコードが一致すること」が所有権更新者の条件になっているのです。お分かりになりますか?
一週間前まで、この「現所有権者」というのは、私の戸籍上の祖父、血縁上の父であるハリソン二世のことでした。でも彼は、シンジケートに、……暗殺されてしまいました。
……すみません。泣いてしまって。色々と悪い噂もあるハリソンですが、庶子だった私に、とてもお優しくして下さったのです。
すみません……
ありがとうございます。
大丈夫。お話がまだ途中ですもの。
長い話を聞いていただいているのに、却って申し訳ありません。
話の順番が前後しますが、私は異母姉アリスの死後、異母義兄であるダグラスの養女となって、将来の継承権更新のために育てられました。
アリスとダグラスの間には、今年で十一歳になる男の子がいて、将来的には私が彼と結婚する――これは法律的には無理なので事実上という意味で、生前のハリソン以外は誰も望んでいませんでしたが――あるいはより現実的な選択肢として、所有権更新の際にDNAパスコードを彼のものに書き換える予定でした。
DNAの一致が求められるのはあくまでも更新権なので、更新権者がその後全く違うDNAの持ち主に所有権を譲ることについては、特別法は何も規制していません。
いずれにしても、それは本来、もう少し先の、私が高校を卒業した後の話になるはずだったのですが。……祖父ハリソンが暗殺されたことで、事態は急を要することになりました。
現時点で、惑星トゥームストーンの所有権を更新できる権利者は私一人です。父は更新手続きのために私を呼び戻さざるを得なくなりました。
そこを狙われたのです。
俺はリコリスの話を注意深く聞きながらも、彼女の顔にずっと見惚れていた。
単に彼女が美人だからってだけが理由じゃない。
その昔俺が惚れてた女に、面影が重なったからだ。
ガキの頃の話だ。思い出したくもないが、結論から言えば、俺のせいで、あの子は命を落とした。
あんな事はもう沢山だ。消えない後悔が、俺の中にはずっとくすぶり続けている。
「つまり、リコリスが狙われたのは、そのトゥームストーンとかいう惑星の所有権の更新を阻止したかったから、ってことか」
「はい。他の理由は思い当たりません」
「フジコ、例の、ミスター・タノウエからメールは?」
〈来てるわよ〉
「荷物の宛先はどこになってる?」
〈X57星系のジャンクヤードね。ゴミ処理場〉
「……大地主のお嬢さんの届け先としちゃ、似つかわしくないな」
〈ポンコツトラックと一緒にプレスされる未来しか見えないわね〉
フジコの予想がおそらく正解だろう。リコリスは青い顔で身震いした。
「リコリスが行方不明になった場合、トゥームストーンの所有権はどうなる?」
「その場合、私の法的死亡が成立し次第、継承権者不在でホームステッド家の惑星所有権は消滅します。保護対象を失った特別法は失効して、この星系の他の惑星と同様、連邦辺境開発法に基づく自由開拓地になります」
「言葉ヅラだけなら、そっちの方が良いようにも聞こえるが……」
「ええ。養父も私もホームステッド家の本流ではありませんから、前時代的な世襲が終わる事に拘りはありません。ただ、祖父ハリソンが色々強引に、住民や耕作権者に圧力をかけていた反動で、アリス姉様が死んだ時に世襲反対運動がおきて、訴訟にもなりました。その時に反対派の住民の一部がシンジケートと手を組んだんです」
「なるほど。今ホームステッド家の惑星所有権が放棄されたら、その反対派って奴らがのしてきて、シンジケートにまるごと持っていかれるかもしれない、って事か」
彼女はうなずいた。
リコリスが狙われた理由は概ね理解した。だが、一つわからない事がある。
「それにしても、何で俺なんだ?」
他にも同業者がいるこの星で、俺が目をつけられた理由がよくわからない。
足がつかないように外部に投げるってのは分かるとして、事の発覚を恐れるなら、もっとマヌケな奴に頼めば気づかれずにリコリスを亡き者にできたかもしれないのに。
首をひねっていると、フジコが冷たく言い放った。
〈マヌケだと思われたからでしょ。飲んだくれてチンピラに身ぐるみ剥がされてるのにグースカ寝てるような〉
……それか。
「身ぐるみ……というのは?」
当惑したような表情でリコリスが訊いてきた。俺はかぶりを振った。
「気にしないでくれ、リコリス。できれば忘れてくれ」
〈いい恰好しようとするんじゃないわよ。コイツったらねえ――〉
と、俺の希望は無視して、フジコの奴は俺が砂漠の真ん中で目覚める羽目になった顛末を面白おかしく彼女にバラしやがった。
〈……というわけよ〉
「まあ――それは、災難でしたわね」
重たい雰囲気だったリコリスが、その話でほんの一瞬、くすりと微笑んでくれた。
なんとも微妙な気分だ。
自分のヘマのおかげで相手が油断して、結果として彼女の命が助かった、という皮肉は、俺にとっちゃ笑えない話なんだが、リコリスがやっと笑顔を見せたことにはホッとしていた。
〈それで、昨日の酒場でアンタを潰した女も、シンジケートと繋がってたみたいだし。リコリスちゃんがさらわれたのが一昨日なら、タイミング的には渡りに船だったんじゃないかしらね〉
「まあ、面倒なことになる前に、君がいることに気づけてよかったよ」
「はい。色々な幸運が重なったにせよ、見つけてくれたのがマイクさんだったことが一番の幸運だと思います」
〈気づいたのはあたしだけどね〉
〈いちいち自己主張の強い奴だなあ〉
「すまねえな、トト。性根は悪い奴じゃないんだが」
〈気にしちゃいねえよ。ところで、マイクの旦那〉
「なんだ?」
〈今日はこのあと、お客さんが来る予定はあったか?〉
「無いな。フジコ?」
〈ゲートの扉の外に六人いるわね。――全員武装してる〉
招かれざる客――シンジケートが感づいたらしい。トトの奴がいち早く敵の接近に気づいた理由はわからないが、フジコの方でも確認してる以上、間違いないんだろう。
「盗聴器の偽装はやってくれてたんじゃなかったのか?」
〈そこの小娘ちゃんの話が長いのよ。あんたの鼻歌を延々一時間も聞かされてたら、そりゃバレるわ〉
「す、すみません」
〈お嬢様が謝ることじゃないです。そこのバカAIに応用力が欠けてるのが悪い〉
〈なんですって?〉
「そこまでにしとけ。――仕方ない。強行突破して、宇宙機のある桟橋まで疾るぞ」
跨って乗るタイプの俺のスピナーは一人乗りだが、無理すればタンデムで二人乗れないこともない。俺はリコリスに背中から抱きつかれるような格好で愛機に跨った。
「しっかり捕まってろ。銃は撃てるか?」
「撃ったことはあります。父――祖父に言われて、練習で」
「人を撃ったことは?」
リコリスは首を横に振った。
まあ、お嬢育ちがそんな荒っぽいシチュエーションに巻き込まれることなんてのは、まず無いだろうとは思っていた。
「こいつを持ってろ。お守りだ」
俺がポケットからとり出して彼女に預けたのは、レミントン・ダブルデリンジャーを模した小さなブラスターだった。
「二発しか撃てないが、丸腰よりはマシだ。いざって時は、コイツで自分を守れ」
「わ、分かりました」
三つ数えて、フジコがゲートの桟橋側のドアを開放するのと同時に、俺はフルスロットルでスピナーを飛ばした。
桟橋区画の通路ではスピナーは徐行ってのがルールだが、構っちゃいられない。奴らのブラスターから放たれた青白い荷電粒子の光線が、後ろから容赦なく飛んでくる。幸いにして一発も当たらず、通路内壁の金属板に半EPLフィート程の窪みをいくつも穿っていった。
俺は舌打ちして、ホルスターからネイビーを抜き、振り返った。
「リコリス、運転をたのむ」
「え? は、はい!」
急に言われて一瞬当惑したものの、素直に返事をして、リコリスは器用に俺の脇の下から右手を伸ばした。
ハンドルを彼女に譲ると、撃ってくるシンジケートの奴らのうちの一人に狙いを定めて、ブラスターをぶっ放した。
銃口で花火のように、青白い光が紫電を伴って飛び散ったあと、真っ直ぐな光線が一条、狙い過たず敵の心臓の上あたりを貫く。
撃たれた男がのけぞって倒れるのが見えた。
二発目と三発目を続けざまに放って牽制したあと、後ろからの銃撃が弱まった隙に、ハンドルをリコリスから返してもらい、曲がり角に逃げ込んで奴らの射線から逃れる。
「逃げられたでしょうか」
「わからん。待ち伏せがいるかもしれん」
〈いるな。この先に二人〉
トトが言った。
「わかるのか?」
〈ああ。港の管制に潜り込んで監視カメラ映像をチェックしてる〉
「うちのじゃじゃ馬といい勝負じゃねえか」
〈一緒にしないでくれる?〉
そのじゃじゃ馬の方は、インプラント経由で俺に話しかけてきている。
〈最短ルートで「マスタング」のある駐機場までいく場合、十人ぐらいと交戦することになるわね。交戦が少なくて済むルートだと六、七人。こっちだと最短に比べてプラス六分遅い〉
「最短でいこう。時間が惜しい」