エピローグ
目が覚めると、俺はホームステッド家の来客用寝室で、床を舐めるように突っ伏していた。
(俺はいったい、どうしちまったんだ)
困惑する俺の頭の中に直接呼びかけるような、甲高い女の声が聞こえてきた。
〈マイク……マイケル・J・マクノウィッチ……きこえますかー〉
マイケル・J・マクノウィッチ――それは俺の名前だ。もうそろそろ馴染んできてる。
だんだんと意識がはっきりしてきた。
この女の声は――
〈マイケル。聞こえていたら返事を〉
「……俺だ、フジコ」
短い返事を返すと、
〈よかった。目が覚めたみたいね。昨日のことはどこまで覚えてるかしら、マイケル?〉
そう問われて、正直に俺は答えた。
「わからん。記憶が無い。何もかも真っ白だ。今、俺はどういう状況なんだ?」
〈あっきれた。本当にわかんないの?――じゃあ、また手短に説明してあげるね〉
記憶の混濁。頭痛。
これらをすべてを合理的に説明できる、そんな状況といったら――。
〈ゆうべの祝勝会で酔っぱらってつぶれたアンタは、リコリスに世話になってこの部屋に戻って、そのまま倒れちゃったのよ。今頭痛いのは二日酔い〉
やっぱりそうか。
外はまだ暗い。
洗面所を借りて、酔い覚ましに熱いシャワーを浴び、無精ひげを剃り、服を着替え終えると、夕べの祝宴の会場だった屋敷の食堂を覗きにいった。
昨日は夜遅くまで酒盛りが続いていたらしい。らしいってのは、まあ、俺はさっきフジコがいった通り、早い段階でノックアウトされちまったからだ。
食堂のテーブルの上にはまだ酒瓶が転がっていて、食事が盛られた大きな皿がいくつか残っている。
ホームステッド屋敷の主であるダグラス氏は、家族や屋敷の奉公人たちだけじゃなく、近隣の牧場主だとか、町の方にいる連中だとか、とにかく縁のある連中をのきなみ呼んで娘の帰還を祝った。
途中から騎兵隊の連中まで合流して、一晩中どんちゃん騒ぎだったようだ。
その祭りの跡、ってわけだ。
祭りといやあ、シンジケートのアジトからリコリスを連れ戻して、この惑星ホームステッドに戻ってきた時にはもう、宇宙港に到着するなりお祭り騒ぎになっていた。
『よくぞお嬢様を助け出してくれた!』
普段は無愛想な管制官が、入港指示もそこそこに、通信画面の向こうで手を叩いて、泣き笑いの表情で俺に礼を言ってきた。
スピナーで屋敷に向かう間も、沿道には近所の惑星住民が押し寄せてきて、手を振ったり拍手したりで大騒ぎだった。そいつらが道路にあふれ出てこないように、先に入港していた連邦軍の一個中隊と、ホームステッド家の警備員が抑えていたほどだ。
リコリスはその時スピナーの後席で小さく手を振って応えていたが、バックミラー越しに見える彼女の顔は恥じらいで赤く染まっていた。
「……たぶんお父様ですね、こんな大げさな」
「いいんじゃないか? たまには」
俺が意地悪くそういうと、リコリスは俺の背中に抱き着いて、顔をうずめた。
〈あらあら〉
〈お、お嬢様! はしたないですよ!〉
かしましいAI二人がそれぞれに口を挟んだが、お構いなしに、自分の家に着くまで彼女はその恰好のままでいた。
屋敷に着くなり、門番のブライアンが駆け寄ってきて、スピナーから降り立ったリコリスの顔を見るなり泣き崩れた。
「御無事で……ご無事でなにより……」
その先は言葉にならず、こないだの腫れが治り切ってねえ顔をぐしゃぐしゃにして涙を流した。
「おとうさま……」
リコリスの言葉に振り返ると、ダグラス・ホームステッドは、サクラさんとクリスを伴って、玄関先に迎えに出てきていた。
「リッキー、よく無事で戻ったね。おかえり」
「はい……ただいま帰りました。ご迷惑をおかけしてしまい……」
「言いっこなしだよ、リッキー。あの時はああするしかなかった。むしろ、不甲斐なく娘を連れ去られた僕の方が、君に謝らなくては」
「そんな――」
「とにかく、募る話は中に入ってからだ。――マクノウィッチさん、あなたには何とお礼を申し上げてよいやら。……今宵はあなたの勝利のために、ささやかながら祝宴の席を設けました。お疲れかとは思いますが、まずは屋敷でごゆるりとなさってください」
たしかに疲れていたし、腹も減っていたから、その場は気前のいい若旦那の言葉に甘えることにした。
そのあとの顛末は、さっき言った通りだ。
宴席ではダグラスとサクラさんから一生分も「ありがとう」を言われ続け、使用人たちは酔った勢いで「いっそマイクさんをお嬢様の婿に」などと言い出し、居づらくなって抜け出そうとしたところで、途中参加してきたアリッサ大尉率いる騎兵隊と鉢合わせてじゃんじゃか酒をつがれ――そこから記憶が無い。
とにかく二日酔いがつらかったんで、水を飲もうと食堂の奥のキッチンに入ると、
「おはようございます、マイクさん」
と、リコリスが元気な声で挨拶をしてきた。
昨日着ていたひらひらのドレスじゃなくて、動きやすい服装の上から白いエプロンをかけている。
俺は彼女に手ぶりだけで挨拶を返すと、棚からコップを出して水道から水を汲んだ。
「昨日はよくお休みになれましたか?」
「おかげさまでね」
苦笑いしつつそう返し、コップ一杯の真水をぐいっと飲み干すと、気分の悪さが少しはおさまってくる。
「昨夜は部屋まで運んでくれて助かった」
「いえ!――マイクさんが私にしてくれたことに比べたら、お礼には全然足りません」
「俺のは仕事でやったことだよ。荷物を正当な届け先に運んだだけだ」
そう。荷物を無事にこの家へ届け終わったんだから、俺の仕事はここまでだ。
それに、結果的にタダ働きにはならなかった。朝起きたら、賞金首のヴェントゥーノ一味壊滅を手引きをしたって名目で、連邦保安局から賞金が、連邦軍からは功労金が、たんまり俺の口座に支払われていた。
じゃじゃ馬どもの面倒をみながらでも、当面のあいだは生活に困らない額だ。フジコの奴もこれで文句はあるまいよ。
キッチンから食堂に戻ろうとしたとき、リコリスが駆け寄ってきて、俺の袖をつかんだ。
「行ってしまうのですか?」
「…………」
「なんとなく、わかります。このまま誰にも会わずに、去って行ってしまうおつもりなのでしょう」
「その方がいいのさ」
俺はリコリスの方へ向き直って、彼女の手をとり、そっとほどいた。
「連邦軍の手入れがあったことで、シンジケートだってもう当分はリコリスに手を出そうとは思わんだろう」
まあ、実際はそこまで断言できる確証もないが、少なくとも危険は遠のいたはずだ。
「ニ、三日世話になっただけだが、この家の人たちはお前さんを大事にしてくれるし、ちゃんとした生活がある。――俺みたいな厄介の種は、消えちまうに限るのさ」
「私は、あなたに、ずっと傍にいてほしいのに。マイクさん――マイケル・マクノウィッチ」
目に涙をためたまま、リコリスは俺の名を呼んだ。別れを惜しんでくれるのは、ありがたいことだとは思う。
だが、この娘には堅気の暮らしが似合ってる。
「そんな名前、すぐに忘れちまいな。親父さんやおっ母さんを大事にして、まっとうに暮らすんだ」
「忘れません!」
リコリスは強い口調で反駁した。
「開拓星の女は、恩を受けた相手を忘れることなどありません。マイケル・マクノウィッチは、私の命の恩人で――私が……私がはじめて――」
「もう行かなくちゃな」
俺はリコリスの言葉を遮って、踵をかえした。
今度は、彼女は追ってこなかった。
窓の外で、東の空が白み始めているのが見えた。
〈いいの?〉
黙ってそこまでのやり取りを聞いていたフジコが、こいつにしちゃあ珍しく、遠慮がちにそう言ってきた。
俺はそれには答えず、まっすぐ玄関に向かい、上着とガンベルトを着け直し、スピナーに跨る。
そしてそのまま振り返ることなく、ホームステッド家の敷地をあとにした。
トゥームストーンの宇宙港に戻り、出港手続きを終え、マスタングとドッキングしたところで、コンソールの画面新しいメールの着信を示すアラートが出た。
〈仕事の依頼みたい〉
「仕事?」
〈積み荷の受け渡しがあるからカーゴの方に来てほしいそうよ。依頼人はアラン・スミシー〉
「またかよ。そういうのは勘弁だ」
〈そう言わずに行ってあげなさいよ。このタイミングでこの星の通信網を使って来てるメールよ。シンジケートがらみはもう無いでしょ〉
フジコに急かされて、俺は宇宙機から降りると、人間用の出入口からドッキングベイを出て、カーゴを置いてある桟橋の方に向かう。サンミゲルの港に比べて規模は小さいが、構造は似たようなもんだ。
そこには、見知った顔があった。
「マクノウィッチさん、水くさいですよ」
身なりを整え、奉公人たち数人を伴って、ダグラス・ホームステッドがそこにいた。
「お恥ずかしい話ですが、娘にたたき起こされましてね。今朝のことも、あなたのお気持ちも伺いました。僕らに、あなたを止める権利なんてないのは承知の上ですが、でも、せめてお別れぐらいは言わせてください。――この先のあなたの旅路が、幸多きものでありますように」
ダグラスは右手を差し出した。
やれやれ。こういうかしこまったのが嫌だから、こっそり抜け出してきたんだがな。
俺はため息をついてみせてから、その手を握り返した。
「それと、少しばかりのトゥームストーン土産も積み込ませていただきました。さしたるものではありませんが……」
「なるほど、それが『積み荷』ってわけかい」
「届け先はのちほど」
冗談めかした口ぶりでそう言うと、ダグラスは歯を見せてにやりと笑った。
「……それでは、そろそろ戻ります。お引き留めしてすみません」
「ああ、お子さんたちにもよろしくな」
カーゴのハッチを閉じて、ダグラスたちに背を向けながら手を振ってその場を去る。
あとはいつもの作業だ。
エンジンの交換修理が終わったマスタングに乗り込み、キャビンの天蓋を閉じて気密を確認しつつ、モニターを起動する。
ゆっくりと機体を動かし、出港用エアロックの前で誘導波に乗る。
〈このエアロックを出て加速をはじめたら、またこの港には戻るのには再入港手続きが必要なのよね〉
「そりゃそうだろ。何を当たり前のことを言ってやがる」
床をぶっ壊して強制的に出ていくような場合を除けば、エアロックから出るまでの数十秒間は自分で機体を操作することは無く、ただ誘導に従うだけなので、その時間にフジコが無駄口をたたくのはこれが初めてのことじゃあない。が、そんな教習所の指導AIみたいなことを言いはじめるようじゃ、そろそろネタ切れなのかもしれないな。
なんてことを考えてる間に、マスタングはエアロックに入り、背後のハッチが閉じた。誘導波が切れ、空気が抜かれ、機体が加速カタパルトの電磁波に包まれていく。
〈入港の許可は、港を管理している最高責任者にもらうんだけど、この港の場合は?〉
「言うまでも無いだろ。トゥームストーンは私有惑星だ。暫定的とはいえ、所有者である――」
そこまで言ったとき、ふと嫌な予感がして、メンテナンスハッチの方を振り返って見た。
それと同時に、エアロック前方のハッチが開いて、カタパルトが起動した。
俺の愛機――FDM-051マスタングの白銀の機体は宇宙空間に加速付きで放り出され、惑星トゥームストーンの脱出軌道に乗った。
すぐさまカーゴとドッキングをはたし、機体が安定したところで、メンテナンスハッチが開く。
〈くっくっくっ……〉
フジコの含み笑いが脳髄に響いてくる。俺は頭を抱えた。
「所有者である、私の許可が無いと、もうトゥームストーンの港には入れない、ですよね!」
「ですよね! じゃねえんだよ……」
悪戯が成功した子供のような笑顔を湛えたまま、リコリス・ホームステッドは、その身一つでメンテナンスハッチから出てきた。
「フジコ、ELドライブを起動しろ。今すぐホームステッドの地表に」
〈降りないわよ。ったく、往生際の悪い〉
「フジコさん、ご協力ありがとうございます」
〈礼なら、作戦考えたそっちの駄犬にいいなさい〉
〈犬じゃねえ!〉とトトもきゃんきゃん吠える。
こいつらグルか。……カーゴ桟橋に呼び出されたところで様子がおかしいのに気づくべきだった。
「冗談じゃねえぞ……」
「マイクさん。ご迷惑なのは重々承知ですけど、あなたが行くというのであれば、私はついていくしかありません。――だって、あなたの傍にいたいのですもの」
「理由になってねえ!」
ドタバタしてる間に、機内モニターに映るリコリスの惑星はどんどん遠ざかっていく。
そこで、またメールの着信があった。
フジコが俺の許可も得ず、添付のビデオメールを再生し始める。
ダグラス・ホームステッドのクソ真面目な顔が映った。
『どうやら積み荷は受け取っていただいたようですね。――ではあらためて依頼です。前にもお話した通り、惑星トゥームストーンの所有権の相続手続きには、リコリスのDNAの再スクリーニングが必要で、それは地球でしか行えません。どうか、娘を地球に送り届けてやってください。これは正式な仕事の依頼です』
「…………」
『その後、積み荷をどうするかはあなた次第です。僕のところにまた届けてくれると嬉しいのですが、宇宙の果てにまで持っていきたいのであればご自由に』
画像はそこで切れた。
「今気づいたんだが、あんたの親父さんはとんでもねえ野郎だな」
「そう言っていただけると、父も喜ぶと思います」
はあ、と深くため息を吐いた俺は、
「地球まで、だな?」
と、あらためて訊いた。
リコリスはきょとんとした表情で「はい?」と訊き返した。
おれは彼女に向き直ってもう一度訊く。
「……とりあえず、地球まで送っていきゃあいいんだな?」
その意味を理解したリコリスの表情がぱっと明るくなる。
「!――はい!」
「いいだろう――請け負った以上、きっちり仕事はするさ」
肩をすくめながらそう言ってやると、リコリスは操縦席の後ろから嬉しそうに俺に抱きついてきた。
……そんなわけで、面倒をみないといけないじゃじゃ馬が一頭増えたところから、俺の新しい旅は始まった。
サンミゲルから先、超空間ゲートをいくつも経由しなくちゃならない長旅になるが、退屈だけはしないで済みそうだ。
広い宇宙。
待っているのは大活劇。
向かう先は――とりあえず、「地球」。




