ニートの酔っ払いにクラスチェンジした元光の天才少女魔術師がいかにして立ち直ったかのお話
昔に書いた作品を発掘して加筆修正を加えたものです。
そのせいか同筆者の他作品に比べて登場キャラクター達の言動や感性が根っ子からところどころで若いというか青い? 感じがします。
今読むとこれはこれで味があって良いかなーという気がしたので修正を加えて公開しています。
「かつて、空をどよもし地を揺るがす大きな戦があった。
異界より進入せしは闇の軍勢、抗すべく集いしは光の七戦士達。
我がこれより語りしは、神々よりの祝福を身に受け賜りし、七人の英雄達の、苦難とそして栄光の物語である――」
軽快な弦楽器の音色。
若い男の張りのある勇壮な歌声。
田舎の村には娯楽が少ない。
だからか、既に何度も繰り返し語られた定番のありふれた歌であっても、酒場に居並ぶ客達は喜んで吟遊詩人が歌うそれに耳を傾けていた。
ただ一人を除いては。
(神々よりの祝福、ねぇ…………)
リースリングは胸中で呟きを洩らした。
少女は酒場の片隅で、鍔の広い三角帽子を目深にかぶり、葡萄酒が注がれた杯へと、気だるげな面差しで薄桃色の唇をつけていた。
歳はまだ若く十七歳だったが、真昼間っから彼女はその日も、もうかなり飲んでいた。
昔と変わらず女としての匂いに乏しい薄い身を、ゆったりと包む漆黒のローブは、随分と酒臭くなっている事だろう。
――私達は本当に神々の祝福を身に受け賜りし者達かい? だったら神様、私の現状なんとかしてくれませんか。
グラスを指先でつまむように掲げ、顔のまえに翳し、酒精に染まったぼんやりとした瞳で見つめる。
紅い葡萄酒が窓から差す陽光を浴びながら揺れている。
伝説によれば神々は聖酒に啓示をあらわし古の聖人を導いたという。
リースリングは光の魔術師、神々の祝福を受けているというなら、彼女も光を透かした彼方に、何かを見出す事が、出来るだろうか。
しかし、彼方にはこれといった物は何も見えなかった。見えたのはカウンターで皿を磨いているマスターのハゲ頭だけだ。ああ、光あれ。いや、無い方が良いのか。乾杯、少女はそんな事を胸中で呟く。酔っ払いである。
この少女、真昼間から完全無欠の酔っ払いと化している駄目人間であるが、これでもちょっと前までは大陸最高峰の天才魔法使いと呼ばれていたのだ。
光の七戦士の最年少、勇者フェリックスの第一の友、光の魔術師リースリング=ハースニルである。
かつて幼い小柄な身ながらに傷ついた人々を背に庇って立ち、高等呪文を高速でそらんじ、光を指先に灯して躍らせ、虚空に陣を描いて強大な呪力を多重に展開させ、群がる闇の者どもを消し飛ばした。
もっとも、そう言っても誰も信じないだろう。
現に、サーガの登場人物が今そこに居るというのに、酒場の客は誰一人として彼女には気付かない。
歌の中のリースリングは優秀なだけでなくとっても可愛い女の子だ。
ああ、私にも、そんな時代はあったのだなぁ……と思う。
五年に及んだ大戦はその終結の果てに、天才少女魔術師をくたびれて酒の匂いが香る酔っ払い女にクラスチェンジさせていた。
輝く栄光の過去と燻ってる現在の対比になんだかちょっぴり切なくなってしまったリースリングは、衝動的に一気に酒盃を呷り、中身を空にすると代金を置いて酒場の外へでた。
盛り上がってる酒場の喧騒が、やけに遠くから聞こえていた。
「だいたいさー、かつてって、たった一年前の事じゃないか」
ひっくと、声を洩らしつつ先ほどの吟遊詩人の歌を批評する。
始まったのは随分前だし、かなり長く続いたものだが、終わったのは一年前にすぎない。
ぶつぶつ呟いて往来を歩きながら、ふらふらと千鳥足。道行く村人の視線が冷たいような気がするが気にしない。今日も太陽は燦々と輝いているのだから!
「神々よりの祝福を身に受け賜りし七人の英雄達? そんなじょーとーなもんじゃないっての――やぁネコさんこんにちは! 景気はどうだい?」
道の片隅にかわいらしい黒猫を発見したので、びしっ! と片手をあげ挨拶をしてみるリースリング。
黒猫は一瞥もくれる事なくトコトコと歩き去って行った。
完全にシカトである。
まぁ黒猫からしたらこんな酔っ払いの挨拶に答える義理なんてないのだろうが。
「…………」
悲しすぎる。
なんだか無性に泣きたくなったのでリースリングはその場でえぐえぐと泣き出した。
ついでに飲み過ぎたっぽく胃の中身まで吐瀉した。
素敵な臭いが漂ってきて、とても惨め過ぎる。
口元を拭いつつリースリングは呟いた。
「…………何処かで良い木でも探して首くくろうかな」
「ちょっと待て御嬢さん」
不意に声をかけられた。
俯いていた顔をあげると目の前には一人の青年が立っていた。
大体二十歳前半という所だろうか。背中に弓を負い腰に剣を佩いている。きりっとした正義感の強そうな眉が印象的だ。
「なんでしょう素敵な眉毛さん」
そういえばフェリックスもこんな感じの眉毛してたなぁ、なんて思いつつリースリングは聞いた。
すると、すて眉青年は盛大に顔を顰めた。一応褒めたつもりなのだが、御気に召さなかったのだろうか。
「……あんた酔っ払ってるな?」
どうやら呼称ではなくリースリングから酒の匂いがするのが気に入らないらしい。
「いいえ、私はシラフです」
「嘘つけ」
ぴしゃりと青年。
「ったく若いもんが真昼間っから……見ない顔だな、どこん家の餓鬼だ」
君だって十分若いと思います、という言葉は飲み込んで、代わりに、
「しがない旅人ですから」
と答えた。
「旅人か……」
青年は得心したように頷くと、
「ともかく、自殺なんて止めとけ」
「なんでですか、私は最早用済みっぽくて、存在理由が見出せないのですが」
そう述べると青年は処置なし、とでも言った風に盛大に溜息をつき、
「折角平和な時代になったってのにむざむざ自分から死のうとするとは、苦難苦闘の末に必死に勝利をもぎ取ってみせた七戦士様達に申し訳が立たんと思わないのか」
いや、だって、私その一人ですし。
胸中で反論を呟くリースリング。
もっともそれを言うと騒がしい事になるので、口にはださないが。
すると、納得を示さぬリースリングに業を煮やしたか、
「良いからちょっとこい」
青年は日に焼けたたくましい手――毎日太陽の下で労働している手だ――を伸ばして、リースリングの不健康に細く白い手を掴んだ。
青年はぐいぐいとリースリングの手を強引にひっぱって何処かへ連れ去っていこうとする。
「なんで、どこへ」
リースリングは逆らった。だが、鍛えられている男の力に抗しきれずにずるずると引き摺られる。
「良いから、こい」
「君……人攫い?」
最年少とはいえ七人の英雄のうちの一人に数えられ、かつては群がる闇の軍勢を消し飛ばした事もある光の魔術師は目を細めた。
不埒者であるなら、久方ぶりに対人制圧用の魔法の出番かもしれない。
が、
「馬鹿抜かせ、俺はこの村の自警団員だ」
一瞬、意味がよくわからなかった。
少女は酒精に濁り澱んだ頭で眉根を寄せて考える。
「……自警団がなんで人攫いを?」
「人攫いから離れられんのか酔っ払い。有体にいうならお前さんを補導する」
「わお……」
補導というのはされるのは初めてである。リースリングは思わず感嘆の声をあげた。
そこは村の自警団の詰め所なのだろう。
狭っくるしい小屋の狭っくるしい部屋に置かれたテーブルについて、リースリングは帽子を胸に抱いてぼんやりとしていた。
「とりあえずこれ飲め」
先ほどの青年が戻って来て、白湯の入ったコップをリースリングの前に置くと、テーブルを挟んで向かい合うように椅子に腰かけた。
「有難う」
リースリングは礼を述べて白湯を飲んだ。少しすっきりとして、気持ちが良かった。
「んで、とりあえずお前さんの名前と歳は?」
青年はぶっきらに言って羊皮紙と羽根ペンを取り出し、指の上でくるくると回す。
なぜ、一部の男の人達は本能のようにペンを回すのだろう?
ふとそんな疑問が浮かぶ。かつて天才と呼ばれたリースリングであったが、彼女の学識を以ってしてもイマイチ謎であった。賢者の書物には何故、男の人がペンを回すのかについて、書かれていない。常闇の暗黒は既に払われた世界だったが、世界はいまだに謎に満ちている。
「リースリング=ハースニル、歳は17です」
「リースリング=ハースニル? ……なんかどっかで聞いた名前だな」
青年はそう呟きながらペン先にインクをつけ、カリカリと羊皮紙に書き込みはじめる。
光の七戦士が有名とは言ってもリースリングはサーガ等では勇者の仲間その一的扱いなのでピンと思いあたらないのも不思議な事ではない。
勇者フェリックスならばまた話は違うのだろうが。
まぁそもそもに今のリースリングを見て、その一員だと思えというのは無理がある。
「良くある名前だからー、君の方はなんていうの?」
「俺はヴィゼン=ゴーダ。あんた、職業は?」
「今は自由という名の退廃的海を泳いでいる旅人です」
「ぷーたろか…………」
しょーもねぇ奴だなぁ、とでも言いたそうに呟いて青年――ヴィゼンはそれも羊皮紙に書き込む。
「良いか、リースリング、平和になったとは言っても先の大戦の影響で国の経済が完全に立ち直ったとは言えない。お前みたいな若者が昼間から何もせず酒飲んでふらふらしてて良い状況じゃないんだよ」
「えー……」
「その格好からするにお前さん魔術師なんだろ? 腕前はどの程度なのか知らんが、どんなひよっ子にだって魔術師ならばやれる事はある筈だ」
「あるかな」
「あるだろうよ」
「でもねぇ、なんかやる事はない? って聞いたら貴方はもう休んでて良いのですよ、って言われてさ」
貴方はまだ若いのだから、これからはご自分の為に時間を使ってくださいと、あとは我々の仕事ですと中年の男はリースリングへとそう言った。
「んな馬鹿な、誰だそんな事いったのは。ちょっと前に比べれば大分落ち着いたが、まだまだ猫の手だって借りたい状況だぞ」
「んっとねーランドルフって人。でもさ、酒場には昼間からなのに結構人いたよ?」
「国王陛下みたいな名前だなそいつ……酒場? あぁ、あいつらはな、平和になってそれだけで安心しきってる阿呆どもだ。そんなんだから飢え死にする餓鬼どもが減らねぇんだよ」
「…………飢え死に?」
リースリングは目を見開いた。
「してるの?」
「してるよ。この村でも三人死んだ」
ヴィゼンは苦々しく呟いた。
「そっか…………」
目を伏せる。
「私達はなんの為に戦ったんだろう。闇の王を倒せば素敵な世界になると思ってたのに」
「……そりゃ素敵な世界の為に戦ったんじゃねーの」
ヴィゼンはあっさり言った。
「…………え」
ここの所ながらく抱いていた虚無感の原因――結局、私達はなんの為に戦ったのかという嘆き――を、事もなく、一撃の元に粉砕されて呆気にとられるリースリング。
ヴィゼンはちらりとリースリングを見て言った。
「違うか?」
「…………ううん、違わない」
「惜しむらくは、素敵な世界ってのは闇の王が倒れても、それだけじゃ手に入らないって事だろうよ。それは俺達一人一人が頑張って作っていくものだ。つー訳でお前も頑張れ」
「うん」
リースリングはこくこくと頷いた。
「つーかお前、その歳で大戦に参加してたのか?」
ヴィゼンが驚いたように言う。
「うん、ちょっとね」
「へー、実は俺も参加してたんだ。といってもまぁ義勇軍の一般兵だけどな。勇者様方に比べりゃどれだけ力になれたか解らんが――」
若い男は不意に羽ペンを動かす手を止め、羊皮紙から顔をあげた。
「あんた、そういえばどっかで……」
リースリングはくすりと微笑むと言った。
「剣を」
「え?」
「君の剣を貸してくれない?」
「え、えっと、なんで……」
「いーから、貸して」
「お、おう」
リースリングはヴィゼンから剣を受け取ると、鞘から引き抜き、その刀身を指でなぞった。
呪を唱えればうっすらと輝く光の紋が浮かび上がり、次々に剣に吸い込まれ、また消えてゆく。
「はい」
処置を終えると、リースリングは丁寧に剣を鞘に収めて返した。
「……何を?」
「お礼、護りの魔法を刻み込んどいた。その剣は既に光の剣だ。祈りを込めて振るえば、きっと闇を払うだろう」
言ってリースリングは席から立ち上がった。
呪文を唱えると、足元に魔法陣が現れ光の風が立ち昇ってゆく。
「あんた……まさか」
「ヴィゼン=ゴーダ、リースリング=ハースニルが感謝を伝える。やる事なんて、沢山あるんだね。私は、自分で何も考えてなかったのかもしれない」
笑顔を見せて少女は光の中に消えた。
「ありがとう。あなたに光が、共に、ありますように」
最後にその言葉を残して。
「…………」
ヴィゼンは大口を開けたまま光の残滓を見詰めていた。
彼が我にかえって大騒ぎしたのはコップの中の白湯がすっかり温くなるほど後の事だったという。