天空の庭
ごうっと音がして、星の娘の美しい銀色の髪は旗のようになびいた。
強い風が吹いている。
星の娘は、急に明るいところに出たために半分ばかり下ろしていたまぶたをそっと開いた。
そして、見た――
自分が、完璧に青い空の下の、美しい庭園の真ん中に立っているのを。
樹木のたぐいは一本もなく、足元は一面の草と、色とりどりの小さな花々と、強風に耐える丈の低い植物のしげみにおおわれていた。
そして、その中を、砂色の石で敷かれたまっすぐな細い道が、秘密に満ちた図形のように縦横に通っていた。
これほど風が強いにも関わらず、草花はみずみずしく、ひとつの瑕もなかった。
庭園の形は正六角形で、それぞれの辺が三十歩ほどの長さしかながった。
そして、周囲には、同じように空中に浮かぶ小島のような庭たちが点在していた。
「天空の庭……」
そう呟く声が聞こえ、星の娘は振り返った。
そこに老人が立ち、子供のような表情であたりを見回していた。
彼女たちが立っている六角形の庭園は、明るい砂色の石でできた短い橋で、隣の庭園とつながっていた。
そこにも丈の短い植物がしげり、白い石でつくられた大きな噴水があって、絶え間なく水を噴き上げていた。
星の娘と老人は、手すりのない橋を渡っていった。
橋の下には、何もなく、ただ風だけが吹きぬけていた。
いや、気が遠くなりそうなほど下に、一面の、真っ白な板のようなものが見えた。
それは、雲海なのだった。
見回す周囲のぐるりは、すべて青空だった。
ここは、雲よりも遥かに高く、視界をさえぎるものは何一つなく、空の青は、その底に深い深い藍色と、宇宙の黒を感じさせる色合いだった。
強い風は決して途絶えることなく、さまざまな方向から吹き付けて、星の娘の髪と、老人の衣を激しく吹きなびかせた。
その絶え間ない風音の向こうから、何か、音楽がきこえるような気がした。
その音色は、命の海の中できこえていた音よりも、もっと明るく、きらめくような、華やかな音だった。
星の娘は目を閉じ、両腕を広げて、全身で風を受け止め、その音を聴いた。
涙が出てきた。
その音は、あまりにも雄大で優しく、美しく、きっとここの他では決して聴くことができないのだという気がした。
それは、物語の世界がうたっている歌だった。
その歌は決してやむことはなく、聴く者がいようといまいと、永遠に、この風の中で、高らかに響き続けるのだ。
「ひとたび、お別れする時がきましたね。」
女王の声がきこえた。
星の娘と老人が振り返ると、みずみずしい芝生の上に、金の王冠をかぶった女王が立って、微笑んでいた。
「あの子の旅立ちの日にも、私は、この王冠をかぶっていたの。
あの子に伝えてほしいわ。私たちは今も、変わらずにここにいると。」
激しい風に、女王の青い髪は旗のようになびき、その衣は軽やかな羽ばたきの音をたてた。
「ええ、必ず。」
星の娘は、深く膝を曲げて、女王に礼をした。
「あたくしたち、何ひとつ落とさずに、アウローラさんに伝えますわ。あなたのことも、この国の景色のことも、この国の人々のことも――」
「いつでも、帰ってきていいんですよ!」
いつの間にか、女王のうしろに仮面の男が立って、両手をもみしぼり、泣きそうな顔でこちらを見ていた。
「ありがとう。」
老人が言って、深々と頭を下げた。
「必ず、戻ります。地上での、わしらの時が尽きる時には。」
「あら!」
星の娘は叫び、遠くを指さした。
「あれは、何?」
四人は同じ方向を向き、青空の彼方に目を凝らした。
それははじめ、洗われたような青を背景に、ただの黒い点のようにしか見えなかった。
それから、星の娘は、蛇か、龍の子供が空を飛んでいるのではないかといぶかった。
それは何か細長いもので、何もない空中をうねり、くるりくるりと宙返りをしながら、庭園に立つ四人のほうへと近付いてきた――
「風祭の布だわ!」
星の娘は突然飛び上がり、手を打って叫んだ。
「ほら、あの布よ! エレクトラさんたちが、槍につけていらした、色とりどりの! 風祭の終わりに、東風にのせて飛ばした、あの布だわ!」
その布は、いまや端切れの一枚一枚がはためく様が見てとれるほど近くまで来ていた。
そして、その布を手でつかんでいるのは、つむじ風をまとった透明な子供のような、不思議なものだった。
「あれは、大嵐ッ子ですな。」
仮面の男が言った。
「一の女王陛下は、何かの物語からとって、バンダースナッチと呼んでおりましたよ。あの者は気まぐれに大風を吹かせるので、翼の騎士団とは仲が悪いのですがね。ところが、女王陛下が旅立たれる日、あの者は、翼を背負った隊長を助けて、この庭まで吹き上げ――」
「つかまえて、つかまえて!」
星の娘が叫び、全員が子供のように飛び跳ねて布を掴もうとした。
大嵐ッ子は声をたてて笑い、くるくると回って四人をからかった後、星の娘に飛びついて、その手の中に布を押しこんだ。
そして、笑いながら庭園の花々を吹き散らし、吹き抜けて、行ってしまった。
「これは、きっとエレクトラさんの布だわ。」
星の娘は、布をしっかりと握りしめながら、乱れ、もつれた髪を払いのけた。
「そんな気がするの。
あの、大嵐ッ子という子供のこと、ここへ来る途中の、物語の壁に彫ってありましたわ。
今日は、エレクトラさんは来られないから、かわりに、この布をここへ届けてくれたのね。」
「ぜひ、お持ちなさい。この国の思い出に。」
「はい!」
女王のすすめに、星の娘は笑顔で答え、庭園のふちに、まっすぐに立った。
帰るには、どうすればいいか、彼女たちは黒髪の娘から聞いて知っていた。
彼女が旅立ったときと、同じ道――
この庭園から、宙へ飛び出し、空の中の道を通って帰るのだ。
老人が、星の娘のとなりに立った。
遥か下の雲海まで、何もない空中が広がっていたが、足が震えることはなかった。
まるで、夢の中にいるときのような感じだった。
夢の中で、ああ、これは夢だ、と気付いたときのような――
「あたくし、決して、忘れませんわ。」
星の娘はそう言い、息を吸い込んで、地面を蹴った。
老人も同時に飛び出したか、それとも遅れたか、彼女には分からなかった。
青い空の中を、真っ逆さまに落ちていく。
耳元で風がうなり、握りしめた布が、手の中でばたばたと羽ばたきの音を立てた――




