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庭の王国への旅  作者: キュノスーラ
庭の王国
24/28

大温室

 女王は無言のまま、星の娘を導き、足音が無数に反響する大広間を通り抜け、ぐるぐる回る螺旋階段を上がっていった。

 螺旋階段の手すりには、長い長い神話か伝説の風景が、まるで絵巻物のように彫り付けられていた。

 美しい花や、鳥や、戦いの様子を星の娘は熱心に眺めながらゆっくりと歩を進めていったので、ほとんど疲れたとも思わなかったが、その螺旋階段の高さはちょっとした塔の天辺にのぼることができるほどもあった。

 やがて、螺旋階段は終わり、黒い金属の枠にガラスをはめ込んだ巨大な扉の前で女王が待っていた。

 ガラスは極めて上質な水晶のように完全に透明で、その向こうにあるものがはっきりと見えた。


「ここが、大温室。あの子はここが大好きだった。私もそうよ。一日中だってここにいられるわ。あなたも、きっとここが好きになるでしょう。さあ、入って。」


 女王が手を振ると扉はひとりでに大きく開き、少し湿り気を帯びた、涼やかな空気が流れだしてきた。


「温室というと、もっと蒸し暑いものだと思っていましたわ。」


「そのような部屋もあるわ。睡蓮や、蘭や、椰子の仲間があつまっているの。でも、この空間は、いつでもこの温度に保たれているのよ。」


 ふたりの足元からは灰色の石畳の小路が続いており、その左右には、両側から覆い被さらんばかりに植物が生い茂っていた。

 女王が先に立ち、石畳を踏んで進むと、その隙間から生えているみずみずしいコケや小さなシダのたぐいが衣の裾に触れて、独特のにおいを発した。

 濃密な土と水のにおい、森のにおいだった。

 星の娘は、悪くない、心が落ち着くにおいだと思った。

 上を見上げると、緑の葉が重なった隙間、だいぶ高いところに、温室のガラスの天井がちらちらと光って見えた。

 やがて、石畳の小路は、池とぶつかった。

 右手から流れてきた小川が池をつくり、水の中では、鈍い銀色の小さな魚が群れをなして泳いでいた。

 だが、星の娘は魚たちのことなど、ほとんど見てもいなかった。

 彼女の目は、その先にあるもの、女王が彼女に見せようとしたものに吸いつけられてしまっていた。


「さあ。」


 女王が促し、星の娘のために道を譲った。

 星の娘は、魅入られたようにゆっくりと池の中へ踏み出していった。

 石畳は水辺で途切れていたが、水面とほとんど同じ高さに突き出した円柱形の飛び石があり、そこを踏んでいけるようになっているのだった。

 完璧な円形をした飛び石の上の面には、星々の物語を記した美しいレリーフが施されていたが、星の娘はそれを見もやらず、一歩、一歩と飛び石の上を進んでいった。

 彼女の目の前には、一本の樹が生えていた――

 池の中から、すらりと姿よく幹が伸び上がり、枝ぶりも均整がとれた美しい樹が。

 その樹皮はなめらかで、金と、銀のまじり合ったような何ともいえぬ光沢があった。

 だが何よりも美しいのは、その葉だった。

 無数の葉は、すべて完璧な銀線細工でこしらえあげたような葉脈だけからなっており、空気のわずかな揺らぎにも震えて触れあい、リリ、ララ、とほんのかすかな、星の囁きのような美しい音をたてていた。

 ルビーの花芯と水晶の花弁がそこここでかすかに光を放ち、実はさくらんぼの粒ほどの大きさの真っ赤な宝玉だった。


「これは、あの子が一番気に入っていた樹なの。」


 樹がたてる音の邪魔をしないよう、吐息のような声で、女王が言った。


「地上にはない、世界で一番美しい樹。ここにあるひと株きりよ。でも大丈夫、この樹は何千年も生きるから。」


「では、陛下よりも長生きするのですね。」


 星の娘が驚いて言うと、女王は笑った。


「あら、私だって、何千年も生きるわ。あるいはもっと。あるいは、永遠に。だって、私たちは今、ここにいるでしょう。一度、生まれたものは、無かったことにはならないの。永遠なのよ。」


 星の娘が黙っていると、女王はちょっと樹の幹を撫でて、


「さあ、行きましょう。」


 と樹のとなりをすり抜け、さらに奥へと続いている飛び石を踏んで歩いていった。

 星の娘は進み出て、女王が立っていたところに立ち、美しい樹を真下から見上げた。

 重なりあう枝と葉のあいだから、光が射してきて、まるで美しい音と一緒にきらめきの粒が降ってくるようだった。

 胸がすうっとするような香りがして、それがどうやらこの樹の花か果実の香りであるようだった。

 星の娘は手を伸ばして、樹の幹を撫で、その指先を鼻先に近づけてみた。

 花と果実の香りと近いけれども、少し苦みのある涼しい香りがした。

 この樹は確かに生きている、と星の娘は思った。

 そして、この樹はこれから何千年も先まで、あるいは世の終わりまで、変わらずにここに生えているのだと思うと、荘厳な気持ちになった。

 星の娘はもう一度、軽く樹皮を撫でると、女王のあとを追って奥の飛び石を踏んでいった。

 無数のトウシンソウが辺りに生い茂ったと思うと、すぐに池はおしまいになり、星の娘は緑の芝におおわれた岸辺にたどり着いた。

 辺りには濃い緑のつややかな葉と桃色の花をつけた低木が生いしげり、道はなかったが、重なり合う低木の途切れているところを選んで進んでいくと、急にひらけた場所に出た。

 一面がやわらかな芝生におおわれ、あたりを木立に囲まれた円形の広場だった。

 この大温室の中心にあたる場所に、彼女は来たのだ。


 円形の広場の中央から、想像を絶するほどに巨大な大樹の幹と見えるものがねじれながら天井に向かってそびえ、ドーム型のガラスの天井の頂点を突き抜けて、さらに遥か上まで伸び上がっていた。

 その幹は、大人の男が二十人集まって手をつないだとしても取り囲むことができないのではないかと思われるほど、桁外れの太さを持っていた。

 あまりの威容に、星の娘は最初、それが生きている植物だとはとても信じられず、人工的に建てられた壮大な記念碑か何かに違いないと思ったほどだった。

 その巨木のふもとに、女王が立っていた。

 その姿は、まるで芥子粒のように、小さく見えた。

 女王のとなりには、その身の丈よりも大きな白いモニュメントのようなものがあったが、すぐそばに近付くまで、星の娘には、それが何だか分からなかった。


「彼女は眠っているのよ。」


 星の娘がとなりまでやってくると、女王は優しい声でそう言った。

 白いモニュメントのように見えたものは、大きく波打つふちを持った二枚貝の貝殻で、人がひとりゆうゆうと横になれるくらいの大きさがあった。

 開いたその貝殻の中には、純白の絹の寝床がしつらえてあって、そこに、長く波打つ金色の髪をした美しい乙女が眠っていた。

 薔薇色の飾り房のついた夜着を着た乙女は、その胸がごくゆっくりと上下していることを除けば、ほとんど生きているようには思われなかった。

 その寝顔は静謐で、彼女が夢も見ない深い眠りの中にいることを思わせた。


「薔薇の、女神さま?」


 星の娘は、感動と、畏怖の念とが入り混じったような声で囁いた。


「そう。彼女は、十年に一度、この薔薇の木が花咲くときにだけ目覚めるの。」


 巨木の幹に手を触れながら、女王は言った。

 星の娘は驚いた。


「この、薔薇の木? ――では、今ここに見えている巨大な木が、そうなのですか? 陛下は、このお城全体が、薔薇の木の内側にあるとおっしゃったはずですけれど。」


「この大温室は、城の中で最も高い場所で、ここだけは薔薇の木の外側に築かれたのです。昼間の鳥も行かない空高くで、薔薇の木のぐるりを取り囲む張り出し舞台のようにして築かれているの。そのほうが、ずっと日当たりがいいからと、あの子が言っていたわ。もちろん、薔薇の木はもっと高くまで伸びているのだけれど。」


 女王は、ごつごつした幹を撫でながら言った。


「この薔薇の木は、王国の中心であり、魔法の源。そして彼女の命は、この薔薇の木とひとつであり、この王国とひとつのものなのよ。」


「どうして、この方は眠っていらっしゃるの?」


 乙女の静かな寝顔を見下ろしながら星の娘が訊ねると、女王は微笑した。


「それはきっと、あの子が、眠ることが好きだったからでしょう。あの子は、眠って夢を見ることを楽しんでいたわ。それに、温かい寝床の中にいるときが、一番平穏な気持ちを味わうことができたのね。

 でも、外の世界では、そうはいかない。あの子は、そのことが分かっていたの。外の世界では、ずっと眠っているなんて許されないということが。

 だから、あの子は、彼女に自分の眠りを託したのよ。何者にも破られることのない、長く平穏な眠りを。」


「では、アウローラさんは、本当はずっと眠っていることを望んでいたというのですか?」


「あの子は、平穏を望んでいたの。」


 女王はそう言い、薔薇の女神と呼ばれる乙女の金色の髪をちょっと撫でてから、顔を上げた。


「さあ、そろそろ行きましょうか。ここはとても涼しくて気持ちがいいけれど、あたたかいところでくつろぐのも、素晴らしいことですものね。」


 女王に続いてその場を後にしながら、星の娘は振り返り、巨大な薔薇の木と、そのそばで眠る乙女の姿をもう一度見た。

 澄んだ光の中で、乙女の姿は、とても平穏に見えた。

 涼しい空気はそよとも揺らがず、鳥の羽音や葉ずれの音ひとつせずに、何もかもが清澄で、静かだった。





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