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庭の王国への旅  作者: キュノスーラ
庭の王国
17/28

風祭の終わり

「なあ、ばあちゃん。」


 横から、とりなすように、オニユリが言った。


「あたしは、このお客さんたち、大丈夫だと思うよ。だって、このあたしが、自分からお茶屋に招こうと思ったんだから。

 そう、この人たちは、あの頼りない男を軍病院に担ぎ込むのを手伝ってくれたし、川では、溝にはまって流れに飲まれそうになった男の子を、命がけで助けてやったんだよ。いい人たちさ。王国の敵じゃない。だからさ、道を教えてあげたらどうだい?」


 そんな孫娘の言葉を聞いても、老婆は、心を動かしたようには見えなかった。


「なあ。」


 老人と星の娘のほうをちらっと見てから、オニユリは、なおもあきらめずに祖母を説得しようと言葉をついだ。


「この祭りの準備だって手伝ってくれた。飾り付けや何や、いろんなことをさ。

そうだ、それに、あたしのお茶の味だって誉めてくれたよ。あの人のお茶と、同じ香りがするって――」


「あの人?」


 それまで頑固に黙りこくっていた老婆が、ふと口を開いた。


「あの人ってのは、誰のことだい。」


「誰って、」オニユリは、あっさりと言った。「ばあちゃんの師匠だよ。お茶といったら、あの人しかいないだろ。砂漠の魔女!」


「あ、あんたら、」老婆の目がまん丸くなり、老人と星の娘を交互に見た。「あの人に――師匠に会ったのかい! いつ!?」


「いつだったかしら?」


 星の娘が、真剣に首を傾げた。


「よく分からなくなっちゃったわ。この国では、立て続けに、いろんなことが起こるんだもの! でも、ちょっと待って。数えてみるわ。あたしたちは昨日、オニユリさんの小屋に泊まったでしょ。その前の日なんだから――昨日よ! いえ、もう、一昨日かしら? 今、何時なの? もう真夜中を過ぎた? それによるわ!」


「わしらは、ロスコーの森でオニユリさんと出会う前に、あの方のところに行ったのです。」


 老人が続きを引き取って言った。


「この通り、証拠もありますぞ。あの方から頂いた品物です。」


 老人が、青紫色に塗られた金属の小箱をふところから出し、差し出すと、老婆は震える指でそれを取り上げ、蓋を開いた。


「ああ……」


 その瞬間に、老婆のしわだらけの顔が輝き、まるで少女のようになった。


「間違いないよ、あの人が――師匠が作ったものだ。あんたたち、本当に、あの人の家に行ったんだね。あの人は、今も変わらずにきれいだったかい?」


「ええ、腕に金の輪をはめて。それに、お庭もとてもきれいだったわ。」


 その光景を思い出しかたのように、星の娘がうっとりとした声で言った。


「あの人の家で、あたしたち、お茶と果物をごちそうになったの。少し乱暴な感じの人だと思ったけど、最後に呪文を言うとき、すごく声が変わって、立派だったわ。聞いて! あの人はこう言ったの。

『さらば、ふたりの旅人よ、つつがなく行きたまえ! あなたがたの旅路に守りと導きのあらんことを。薔薇の女神のしろしめす美しく豊かな国の、望む限りすべての場所へ、その歩みの至らんことを!』

 ――どう?」


 星の娘はにっこり笑って、大人たちを見た。


「あたし、頭の中で何べんも言って、覚えたのよ。とても立派な言葉遣いだと思って。」


「守りと導き、か。」


 老婆は穏やかな顔で星の娘を見つめた。


「それこそ、この年寄りの仕事だね。――いいだろう! 師匠がそう言ったなら、あんたたちは、望む限りすべての場所へ行けるだろう。あたしが、秘密の湖まで案内してやるよ。」


「やった!」


 星の娘は飛び上がって喜び、老人は深々と頭を下げた。


「ただし、あたしが道を知っているのは、秘密の湖に行き着くところまでだ。そこから先、どうやって薔薇の城へ行くのか、あたしは知らない。ただ、行けることだけは確かだ。そういう言い伝えがあるからね。

 多分、道は、湖の妖精たちが知っているだろう。あの者たちは喋らないから、あたしも、聞いたことはないが。」


「湖までの案内でじゅうぶんです。ありがとう。」


 老人が言うと、老婆は頷き、


「出発は、夜が明けてからだ。小さいお嬢ちゃんもいることだし、夜に森を抜けていくのは危ない。それに、踊りがまだ終わっていないからね! あんたたちが、もと来たところに帰ろうとしているなら、これが、この国で過ごす最後の夜になるかもしれん。それが風祭りの夜だなんて、運がいいよ。

 さあ、踊ろうじゃないか。あたしも行く。疲れ果てて、ぶっ倒れるまで、踊り明かすんだよ!」


 そう叫ぶと、自分が真っ先に踊りの輪の中へ飛び込んでいった。

 かがり火には新たな薪がつぎ足され、炎はいっそう大きく、天を焦がさんばかりに燃え盛っている。


「行こう!」


 オニユリが叫び、右手で老人の腕を、左手で星の娘の腕をとって、祖母の後に続いた。

 それから、時間にしてどれほどのあいだ踊っていたのか、後になっても、誰も確かなことを思い出せなかった。

 音楽は激しくなり、緩やかになり、あるときは軽妙に、またときには荘重な調子でとぎれることなく続いた。

 人々はそのたびに違う踊りを踊ったが、全員がすべての踊りを覚えているわけではなく、中の二、三人が手本となって、あとの者はみな熱心にそれを真似るのだった。

 踊り続けていると、一種の陶酔状態のようになって、眠気も疲れもまったく感じないように思われる瞬間があった。

 だが、休むために分厚く茂ったクローバーのクッションに腰を下ろしたと思うと、次にふっと我に返ったときには、いつのまにか曲が変わり、記憶の脈絡が途切れていることが度々あった。

 覚えのないうちに眠りに落ちて、曲の変わり目や、人々の声が一瞬高まった折に目が覚めるのだ。

 それは老人に限ったことではなく、他の人々もそうだった。

 男も女も、年寄りも若者も子供も、あちこちで木に寄り掛かったり、茂みの上に突っ伏したりして眠っていた。

 手回しのいい者は、マントや、薄手の毛布のようなものまで持ってきており、それにくるまって目を閉じていた。

 老人はそのうち、ひんやりするクローバーの上に座って、夢を見ているのか、それとも目覚めているのか判然としない、不思議な心地にとらわれていった。

 人々の声が絶え間ない川のせせらぎのように聴こえ、飛ぶ火の粉は何百匹もの蝶のように見えた。

 

 エッサマヒーア

 サラッサヒーア

 ラッサマルッサ

 フー


 まだ起きて踊っている人々が呪文のような言葉を歌いながら、輪になって手を繋ぎ、炎に近付いてはまた遠ざかる動きを繰り返している。


 エッサマヒーア

 サラッサヒーア

 ラッサマルッサ

 フー

 

 言葉の意味は分からなかったが、ただこれだけの言葉が何度も何度も繰り返されるので、すぐに耳について離れなくなった。

 老人は、声は出さず、小さく頭を振りながら口だけを動かして歌った。


 エッサマヒーア

 サラッサヒーア

 ラッサマルッサ

 フー

 

 そのうち、とうとうつぎ足す薪もなくなったのか、少しずつかがり火の炎が小さくなり始めた。

 同時に、炎の赤を飲み込むほど真っ黒だった空が、東の方から、わずかに青みを帯びてきた。


 エッサマヒーア

 サラッサヒーア

 ラッサマルッサ

 フー

 

 人々は、すっかり小さくなったかがり火の中の、骨組みのように赤く燃えている薪を、別のまだ燃えていない薪で叩いて崩し、地面の上で宝石のように輝く熾火の山に変えた。

 そこへ、オニユリの祖母が大きな桶を抱えておごそかに進み出た。


 エッサマヒーア

 サラッサヒーア

 ラッサマルッサ

 フー

 

 彼女は桶を傾けて、輝く熾火の上に、ためらいもなく大量の土をひっくり返した。

 灰と煙が舞い上がり、炎が消えた。

 わずかにあたりに散らばり、ちらちらと燃えている炭に、人々はひとつずつ手ですくった土をかぶせ、消していった。


 エッサマヒーア

 サラッサヒーア

 ラッサマルッサ

 フー

 

 この場に集まった――老人たちを除く――全ての人々のあいだには、明らかにある種の了解があると見えて、炎が完全に消えたと同時に、彼ら彼女らは、申し合わせたように同じ行動をとり始めた。

 手に手に、マントや毛布、馬の背にかける飾り布、長い帯などの布製品を持って、東の崖の方へと歩き出す。

 眠っていた者たちは揺り起こされ、はれぼったい目をこすりながら、同じように用意していた、あるいは手近の布製品を取って東に向かい始めた。

 ゆるやかに、風が吹いている。

 東風だ。


 エッサマヒーア

 サラッサヒーア

 ラッサマルッサ

 フー

 

 人々が呟くように、唸るように繰り返し歌うほかは、全てはが無言のうちに行われた。

 ぼんやりと座ってその様子を眺めていた老人の肩を誰かが叩き、振り向くと、オニユリの祖母が立っていた。

 彼女は口元に指を一本立て、頷いてみせると、自分の赤いショールを肩から外し、老人に手渡した。

 そのかたわらにはオニユリと、半分眠ったような顔をした星の娘と、旅人がいた。

 オニユリはびっしりと刺繍をほどこした壁飾りを、星の娘はオニユリから借りたらしい大きな布の袋を、旅人は自分のマントを手にさげていた。

 老人は立ち上がり、オニユリの祖母が指し示すのに続いて、東の崖へと向かった。

 そこには、もう大勢の人々が集まって、黙って崖のふちに立ち、遠く東の山脈の山並みがこの世のものとも思われぬほど美しい青色に染まるのを見つめていた。

 ゆるやかに人々の顔に吹き付けていた東からの風が、少しずつ強まってきた。

 オニユリの祖母が腕を挙げ、山並みの一点を指差した。

 そこはちょうど昨日の朝、翼の騎士たちが姿を現した方角だった。

 その地点から、一条の矢のように黄金の光が射し、それがたちまち四方に放射して溢れだした。

 ごうっ! と息が詰まるほどの風が吹き付け、持っていた布を奪い取りそうになる。

 新しい風と光が、体を通り抜けたような気がした。


 オオオーオオオーオ!

 

 眩い朝日と凄まじい風音の中で、雄叫びが上がった。

 翼の騎士たちが翼をのぞいて完全武装し、並んで立ち、天に向かって槍をさし上げている。

 槍の穂先の下には、色とりどりに染められ、細長く裂かれた布の束がついて、それがまるで生きているように風に踊った。

 

 オオオーオオオーオ!

 

 人々も力いっぱい叫んで、持っている布を、帆のように風に掲げた。

 太陽の光を受けた布がいっぱいに膨らみ、風をはらんで激しい音を立てる。

 

 オオオーオオオーオ!

 

 風に持っていかれそうになりながら、老人も、星の娘も、腹の底から声を張り上げた。

 息を吐き切り、光と風を吸い込むたびに、何もかもが新しく生まれ変わっていくような気がした。

 

 オオオーオオオーオ!

 

 ひときわ激しい風が吹きつけた瞬間に、人々は持っていた布を未練もなく宙に投げ上げた。

 ごうっと風のうねりが起こって、騎士たちの槍や、老人や星の娘の手からも布を奪い取り、そのまま空高くへと一気にのぼり、見えなくなった。


 太陽が山の端から離れ、激しかった風はゆるやかになった。

 今年の風祭りは終わった。

 誰が宣言しなくとも、そのことは、はっきりと分かった。

 人々は目をこすり、あくびをしながらその場を立ち去るか、そうでなければ、その場で地面にうずくまって、腕を枕にひと眠りしはじめた。

 老人は、立ち尽くしたまま、そんな光景をぼんやりと眺めていた。

 いつのまにか、老婆がすぐ側までやってきて、腰のあたりをぽんと叩くまで、自分たちがこれからどこへ行き、何をしようとしているところだったのか、ほとんど忘れかけていた。


「では、行こうかね。」


 老婆は何の躊躇もなく、そう言った。


「今から?」


 老人は思わずそう訊いた。

 ほとんど眠らずに一晩中、踊り明かして、そのまま休みもせずに秘密の湖へ出発するという。

 今、体は重く、疲れ切り、睡眠を切に欲していた。

 もしも今ここで横になったら、固い地面の上であっても、一秒も経たずにぐっすり眠れることは請け合いだった。

 老婆も、皺の多い目の下に、濃いくまをこしらえている。

 だが彼女は言った。


「今からだ。今からのほうがいいんだ。――そう、今から行くのが、一番いい。あの森を、素人が抜けるなら、踊り疲れてぼうっとして、頭が空っぽになっているくらいのほうがいいんだ。そうでなければ、勘付かれてしまうよ。」


「勘付かれる?」


「鎧を着た獣たちにさ。獣たちは、夜に動き回り、朝日が昇る頃には眠る。だが、こっちが怯えれば、それを感じて気がつき、襲ってくるよ。あんたらは、半分眠りながら歩いてるくらいでちょうどいい。」


 老人は、話を聞きながら途中で目を閉じてしまいそうになるほど眠かったが、とにかく頷き、星の娘のほうを見た。

 だが、彼女のほうは、もうとっくに地面に丸くなり、ぐっすり眠り込んでしまっていた。

 肩を掴み、ゆすっても、ちっとも目を覚ます気配がなかった。


「その子は寝かせておおき。」と老婆は言った。「そのほうがいいよ。」


「しかし、彼女を、ここに置いては行けませんぞ!」


 老人は思わず大声を出した。

 一瞬、眠気が飛び、頭がはっきりした。

 老婆は顔をしかめた。


「しいっ、大きな声を出すんじゃない。早とちりするんじゃないよ。誰が、この子を置いていくようにと言ったかね? あんたが、背負っていってやるんだよ!」


「できるなら、あたしが背負っていってやりたいところだけど。」


 側に来ていたオニユリが、ぐっとしゃがみ込んで星の娘を抱き起こし、その身体を老人の背中に寄り掛からせた。


「残念ながら、あたしはまだ、あの森を抜けて湖まで行ったことはない。もっと鍛えて、強くなってからじゃなきゃ、行けないんだ。――でも、あんたたちは大丈夫。ばあちゃんの師匠が、そう言ったんだし、道案内にばあちゃんがついてるんだから、絶対に大丈夫だよ。」


 オニユリはいくぶんか悔しそうだったが、自分は行けないということを充分に理解し、受け入れているようだった。

 オニユリほど実力もあり、気も強い娘がそうわきまえるほど、危険な場所にこれから自分たちは行くのだ。

 だが、不思議と、恐れはなかった。

 魔女の予言があったためということもあるが、何よりも、あまりに眠く、疲れ過ぎていて、頭がほとんど働かないのだ。

 老人は、体をゆすって星の娘をしっかりと背中に背負い上げると、不意に、オニユリと会うのはもうこれが最後かもしれないということに思い至った。


「オニユリさん、いろいろとありがとう。本当に、世話になりました。」


「さよなら。」


 オニユリは老人の目をしっかりと見て、微笑みながら言った。

 旅人をもてなすお茶屋の主である彼女は、出会い、別れることに慣れている。


「またいつか、遊びに来てほしいな。あのお茶をごちそうするよ。」


「ええ、いつか。――いつか、また。」


「では出発しよう。」


 老婆がそう言って、崖に背を向け、淡々と歩き始めた。



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