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庭の王国への旅  作者: キュノスーラ
庭の王国
15/28

風祭の踊り

 そうこうするうち、小屋のまわりに、だんだん人が増えてきた。

 まず、ケンタウロスたちがやってきた。

 がらがらと分からない言葉を話しながら集団でやってきた彼らを見て、星の娘は少しぎょっとしていたが、オニユリや騎士たちは少しも動じず、「やあ、どうも。」とか「草原の民よ、久しぶりだな。」とか「ここ、手が届かないんだ。悪いけど背中に乗らせてもらえないかな。」とか、気軽に話しかけた。

 ケンタウロスたちは、頭に草を編んで作った冠をかぶり、これも草を束ねた飾り物を手に手に持って、それをしきりに振り回しながら、仲間どうしで集まってがらがらと歌をうたった。

 次に、〈流れたり流れなかったりする川〉の番人の男の子が来た。

 この前と同じ服を着て、髪もあいかわらずぼさぼさだった。

 星の娘は彼に声をかけようとしたのだが、それよりも早く、


「あっ、兄貴! お早いお帰りだったな。」


 と、オニユリが横から嬉しそうに叫んだ。


「おう。」


 と、愛馬〈稲妻〉のたづなを引いた鎧姿の騎士が、片手を挙げた。

 彼の後ろには、ふだん着姿の人々がぞろぞろと続いていた。

 あの母親と子供たちを送っていった先の村の人々らしい。

 村の人々は、手に手に大きな皿やかごを持ち、その中は料理や果物や、飲み物のびんでいっぱいだった。

 リュートのような弦楽器や、笛や、小さな太鼓を持っている人もいた。


「まさか、こんなに早く東風が来るとは思わなかったぞ。結局、戦友の見舞いにも、まだ行けていない。」


 人々の先頭で、騎士がそう言い、


「これなら、ここに泊まっていったほうが良かったんじゃないか?」


 とオニユリが言った。


「まあな。ほとんど折り返しになってしまった。だが、良かったこともあるぞ。」


 騎士は〈稲妻〉の背を見上げた。

〈稲妻〉の背の鞍には、川で裂け目に落ちた男の子が、くじいた脚にきちんと包帯を巻かれてまたがっていた。


「ちょうど俺が村にいるうちに、魔女からの知らせが来たのでな。この子を乗せてきてやることができた。」


「そうか。でも、その足じゃ踊れないだろ。」


「いいんだ。」


 オニユリの言葉に、男の子が答えた。


「ぼく、みんなが踊るのを見てるだけでもいい。」


「まあ、また来年もあるもんな。」


 オニユリは簡単にそう言うと、「あっ、そろそろ暗くなってきた。」と木々のあいだを見上げた。


「エレクトラ! そろそろ、灯りをつけよう!」


「よし!」


 大勢の人々のあいだから、エレクトラが叫んだ。


「皆、火をともせ!」


 騎士たちがオニユリの小屋のかまどから火を取り、あちこちではしごや台に登って、白い紙風船の中のろうそくに灯りをともしていった。

 薄暗かった林の中に、赤みがかった金色の光があふれた。

 同時に、何ともいえずよい香りが漂い始めた。

 蝋燭に混ぜてあるという香料の香りだ。

 そのとき、まったく突然に音楽が鳴り出した。

 最初の一音は、誰かが爪弾いた絃の音で、そこに、次々と他の楽器が加わり、たちまちひとつのメロディを織りなしていった。

 すると、集まった人々が、いっせいに踊り始めた。

 祭りの開催の宣言も、挨拶もなく、風祭りは、何が風祭りなのかもよく分からないままに、いきなり始まったのだ。


 老人は驚いて、踊る人々を眺めた。

 腕を軽やかに動かしながらくるくる回り、ぴたっと止まっては、独特のリズムで足踏みをする。

 振りつけは単純なものだったので、しばらく見ているあいだに、だいたいの動きは飲み込めた。

 星の娘が、老人のそばで、うずうずと体を動かしはじめた。

 かかとでとんとんと地面を打ち、音楽にあわせてリズムをとっている。


「さあ!」


 オニユリが、服の裾をひるがえしてくるくると回りながら、手を伸ばした。


「踊ろう!」


 星の娘は、待ってましたとばかりに、踊りの渦の中に飛びこんでいった。

 向こうでは、いつのまにか、旅人が踊っている。

 粗末な旅姿に似合わない優雅な身ごなしは、彼の本当の身分を明かしているかのようだ。

 足に包帯を巻いた男の子は、テーブルのそばの椅子に座って、音楽にのって体を揺らしている。

 エレクトラや騎士たちも、すでに踊りの輪の中にいた。

 ケンタウロスたちは、そろって高く跳びあがっては、四つ足で複雑なステップを踏み、音楽の切れ間にあわせて雄叫びのような合いの手を入れた。


「さあ、さあ、さあ!」


 オニユリが手を差し伸べて叫び、とうとう、老人も腕を振って踊り始めた。

 老いも若きも、男も女も、とにかく音楽にあわせてひたすらに踊って、踊って、踊りまくった。

 疲れたらテーブルのところへ行き、山盛りに用意された食べ物をどれでもつまんで、酒やお茶やジュースを飲み、それからまた踊るのだ。


 集まっている人々の数はますます増え、話し声と歌声と音楽が渾然一体となって周囲のぐるりから押し寄せる。

 その中で踊っていると、不意に、心がすっかり空洞になって、音とリズムと鼓動とがひとつにとけ合ったような感じが訪れた。

 光る影絵のような世界が、ぐるぐると回転している。

 音楽が変わり、踊りが変わった。

 人々は誰でも手近にいた人と手を取り合い、二人組になってぐるぐると回った。

 曲の切れ目で、ぱっと手をはなし、また次の相手と手をつないで踊る。

 見知らぬ相手であっても気にならなかった。

 息が上がり、腕と足がくたびれてきたが、音楽が終わるまではやめようとは思わなかった。

 汗が流れて髪の先から飛んだ。

 人々が振り上げる腕の先で手のひらが光るようだった。

 やがて、少しずつ辺りが暗くなってきた。

 あたりにかぐわしい香りをふりまいていた香料入りの蝋燭は次々と燃え尽き、闇に場所をゆずった。

 すると今度は、盛大なかがり火がひとつ焚かれた。

 潮が引くように音楽が静まり、人々は息を荒らげ服の胸元をつかんでばたつかせながら、テーブルに用意された飲み物に群がった。

 ケンタウロスたちは、馬体から湯気をたて、大きな桶に入った水をがぶがぶと回し飲みしている。

 飲み物を取り、それを一息に飲み干し、おもむろにおかわりを手にした人々は、三々五々、かがり火のまわりに集まってきた。

 老人も喘ぎながらどうにか冷たいお茶を手に入れ、かがり火のそばの、地面の空いている場所に座り込んだ。


「ああ!」


 不意にそんな声がして、誰かがどすんと真横に腰を下ろした。

 老人が驚いて見上げると、それは旅人だった。


「風祭りに加わるのは初めてだが、これほど盛り上がるものだとは。すっかり、息が上がってしまった。」


 旅人の頬には赤みがさし、顎を汗が伝っていた。

 大勢で激しく踊れば誰でもそうなるものだが、彼も物静かなこれまでの態度とは打って変わって、すっかりにこやかに、饒舌になっていた。


「踊っている最中に、あなたのことも何度かお見かけしたが、なかなか堂に入ったものでしたな。」


「なに、見よう見まねで。そういうあなたの踊りも素晴らしいものじゃった。」


「どうも。――ところで、お嬢さんは?」


「ああ。」


 老人はようやく、星の娘のことを思い出した。

 相手が激しく入れかわる踊りの中で、あの銀色の長い髪をちらりちらりと見かけたように思ったが、彼女が今どこにいるのかは分からなかった。


「どこかには、おるでしょう。後で――」


 言いかけたとき、先程までとは違った音楽が鳴り響き、かがり火のまわりに、エレクトラと騎士たちが輪になって立った。

 湧き起こった喝采に礼で応えた彼女たちは、兜はかぶらずに、ぴかぴか光る鎧を身にまとい、それぞれの長大な槍を携えていた。

 音楽が跳ね上がるように高まり、槍の舞が始まった。

 十人をこえる騎士たちが、まるでひとりの人間を合わせ鏡に映したように、完璧にそろった動きで槍を振り回す。

 ところどころに、となりの者が振るった槍の穂先を跳び越えてかわすところもあり、そんな場面では悲鳴のような声と、割れんばかりの拍手があがった。

 互いの動きが少しでもずれれば、腕が飛んだり、耳が落ちたりといった大怪我が起きてもおかしくない危険な舞だ。

 誰もが固唾をのんで、激しく舞う騎士たちの動きを見つめた。

 危険だからこそ美しく、そこに流れる研ぎ澄まされた空気が人々を魅了した。

 やがて、炎をかき立てるように音楽が最高潮に達した瞬間、騎士たちは寸分違わず槍の穂先を天に突き上げ、動きを止めた。

 舞が終わったのだ。

 歓声が爆発し、見ていた者たちは次々と立ち上がって騎士たちに駆け寄り、握手を求めたり、肩を叩いたりした。


「酒――いや、茶を!」


 エレクトラが、滝のように流れる汗をぬぐいながら呻いた。

 まだ半分ほど残っていた茶をとっさに老人が差しだすと、彼女はそれを引っつかみ、息もつかずに飲み干した。


「ああ、美味い! 槍の舞の後に飲む一杯が、この世で一番美味い飲み物だ。我らの舞はどうだったかな?」


「素晴らしいものでした。」


 老人は心の底から言った。


「鍛錬の賜物ですな。」


「その通りだ。毎年、この一夜のために、稽古を積み重ねる。無論、訓練のあとに稽古をするというのは、生半可なことではないが、我が部隊の伝統だからな。」


 エレクトラは満足げにそう言い、「ではまた後で。」と、騎士たちとともに一息つきに去っていった。


「素晴らしい戦士たちだ。」


 旅人が腰を下ろしたままで言った。

 その言葉には単なる感動や憧れではなく、ゆくゆくは一国の王となる者としての感慨が込められているようだった。


「彼女らが守るならば、この国の空は安泰だろう。」


「ここは、守るに値する場所ですじゃ。」


 再び始まった音楽に合わせて踊りだす人々を眺めながら、老人は呟いた。


「この、美しく豊かな国を去らねばならぬとは、残念至極! そう、正直に申せば、残念至極ですわい。しかし、あの娘にも申しました通り、わしらは帰らねばなりませぬ。」


「明日には発たれるのか?」


 旅人は、いかにも長年にわたって様々の土地を巡ってきた旅人らしく、淡々とした口調で訊いた。


「そのつもりでおります。しかし、肝心のアストライアくんが、あの調子では――」


 老人はそう呟いてから、今の言い方では旅人にとってまったく理解できないだろうと思い、「つまり、わしらが元いた国に帰るためには、あの娘の能力が必要なのです。」と、言葉を補って続けた。


「まあ、こちら風に言えば、魔法のようなことですじゃ。まったく違う国、まったく違う世界へと、自分や、人を連れてゆくことができる。わしらはその力を『時空跳躍能力』と呼んどりますがの。――しかし、わしの見るところ、今の彼女は、その能力を使える状態にないと思う。」


「なぜ?」


「彼女が、帰りたがってはおらぬからです。」


 めくるめく幻燈のような人々の輪の中に、夢中になって踊る銀色の髪の少女の姿がちらりと見え、また見えなくなった。

 老人は続けた。


「時空跳躍は、非常に強い集中を必要とする。ただひとつ、そこへゆくことだけを心に思い、他には何も考えてはいけない。少しでも余計な考えがはさまれば、集中は破れて、時空のはざまを跳ぶことはできませぬ。」


「失敗すれば、どこか違うところへ行ってしまうのか?」


 旅人はそう訊いた。

 彼が、老人の言ったことを完全に理解できているはずはないのだが、旅人は旅人なりに、老人と娘がおかれた状況を大づかみにつかんで問い掛けているのだった。


「いや、違うところへゆくということは、ありませぬがの。単に、跳べないというだけのこと。しかし、それでは困るのです。あの娘にも申しておりましたように、わしらは、どうあっても、帰らねばならん。」


「なぜ?」


 旅人の問いは率直で、明快だった。

 だからこそ、その問いは老人を困惑させた。


『物語の国は、永遠にとどまることのできる場所ではない。本当にこどもの頃は、永遠にそこにいられると思うが、そうではないのじゃ。

 わしらは、もう、おとななのじゃ、アストライアくん。物語の国は、永遠に在り続けるけれど、わしらは、そこを訪れ、そして、帰っていかなくてはならん――』


 だが、なぜ?

 なぜ、どうしても帰らなくてはならないのか?

 自分がおとなで、残してきた役目や生活があるからか?

 ここにあるのは、現し身の肉体ではなく、その投影にすぎない。生身の肉体を長く置き去りにしていては、命そのものが滅びてしまうからか?

 だが、ここにいることで味わう満ち足りた気持ちと比べれば、そんなことは、大した問題ではないようにさえ思えた。

 それならば、星の娘が言うように、ここに残って、何がいけないというのだろう?

 老人は黙ったまま、自分の来ている茶色のマントの胸元のひだを無意識に手で探った。

 その指先が、不意に何か固いものに当たった。

 老人は、それが何なのかとっさに分からず、ぎょっとしたが、すぐに思いだした。


「それは?」


 旅人が言った。

 老人が懐から取りだしたのは、青紫色に塗られた小さな金属の箱だった。

 蓋を開けると、中には白い砂糖に包まれたボリジの花がいっぱいに詰められていた。

 老人はそのひとつを取り上げ、口に入れた。

 砂糖の甘さと、それだけではない独特の風味が広がった。

 それと同時に、暗い執務室でお茶の入ったカップを傍らに置き、手元のあかりを頼りに物語を書き綴る黒髪の娘の姿が脳裏によみがえった。


『庭の王国! ええ、覚えていますよ。あの素晴らしい国で起きたことは、今でも、はっきりと。

 でも、あの庭は、もうない。昔、災難があって、地上から失われてしまいました。残念ながらね。』


 旅立ちの前、彼女は老人にそう言った。


『いや……だからといって、あの王国が滅びたというわけじゃない。あの国は、今でもありますよ。いいえ、今だけではなく、永遠にあり続けるでしょう! たとえ私やあなたがたが滅びるときが来ようと、ね。

 ひとたび生まれた物語は、決して、なかったことにはならないんですから。

 ただ、そのことが皆に分かるのは、物語を語る者がそこへ行き、また戻って、その世界の光や風や人々の歌を、ことばに変えてくれたときだけです。』


「わしらが、帰るのは――」


 老人は、旅人にボリジの花をひとつ差しだしながら、はっきりと言った。


「わしらが語り部だからです。見聞きしたことを語り、人に伝えることこそ、わしらの使命。来て、そして、戻らなければ、この国の物語を人に伝えることはできませぬ。それに――」


 小箱の蓋を大切そうに閉めて懐にしまい、老人は締めくくった。


「この花を、届けなくてはならん人がおりますのでな。」


「花を食べるとは奇妙な習慣だ。それにしても、これはとても甘い。」


 旅人はざりざりと音を立てて花を噛みながら、何ともいえない顔をしていた。

 と、その目が不意に動き、老人の肩越しに木の間の闇のほうを見た。

 老人はとっさに振り向いた。

 彼らは人々の輪から少し離れたところ、中心のかがり火の光がようやく届くあたりに座っていた。

 その光がほとんど届かぬ、木々のあいだの暗がりに、ぼうっと浮かび上がる奇妙な姿があった。

 それは裸の若い娘だった。

 豊かな胸と腰つき、真珠のような白い肌が男たちの目に焼きついた。

 影の中にいてもその姿がはっきりと見えたのは、娘の姿そのものがぼうっと赤みがかった光を帯びていたからで、尋常の人間ではないことをうかがわせた。

 見られたことを悟ると、娘は怯えたような顔をしてさっと木の後ろに隠れた。

 男たちは、座ったまま顔を見合わせた。


「今のは――炎喰いの一族の方ですかのう?」


 老人は、軍病院にいたきらめく姿の女性たちを思い出して言ったが、その口調はあやふやだった。

 炎喰いの女性たちは、昼の陽光の中でもはっきりと分かるほどの強いきらめきをその身から発していたが、今しがた姿を見せた娘が帯びた光は、もっとかそけく、震えるようだった。


「いいや。違うだろう。」


 旅人はそう言い、不意に立ち上がった。

 老人が驚いて何か言ういとまもなく、旅人は地を蹴り、林の奥の闇に飛び込んでいった。

 その着ているものが暗がりの中で幾度かひるがえるのを見て、老人は慌てて立ちあがり、旅人の後を追った。



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