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庭の王国への旅  作者: キュノスーラ
庭の王国
13/28

翼の騎士たち

     *     *     *     *     *



 まったき無のような眠りから、彼はふと目覚めた。

 どれほど時間が経ったのか、すぐには分からなかったが、天井や板壁の隙間がごく淡い光の線のように見えて、夜明けが近いのだと思った。

 慣れないハンモックで眠ったというのに、体はどこも痛くなかった。

 それどころか、若いころ思うさま熟睡したときのように、疲れも眠気もさっぱりと吹き飛び、近頃では味わったことがないような爽快な気分だった。

 彼は首をひねり、となりで眠っているはずの星の娘の姿を確かめようとした。

 そして、そこに、もはや彼女がいないことを見出した。

 旅人の姿もなかった。

 しぼんだ繭のようなふたつのハンモックだけを残して、ふたりはいなくなっていた。


 彼は慌てて――といっても、ハンモックから転げ落ちないように用心することは忘れず――地面に降り、手探りで小屋の戸を押し開けた。

 急いで歩き出そうとした途端に、戸にぶつからないぎりぎりのところで丸くなっていた〈雪の王〉を踏ん付けそうになり、彼は声も出さずに飛び上がった。

 雪の王はたちまち片耳を立てて薄眼を開け、ごろごろと唸るような声で言った。


「あの娘っ子と男は、もう、畑のほうへ行ったぞ!」


「オニユリさんは?」


 思わずそう訊ねると、雪の王は目をつぶりながら答えた。


「あいつは昨日、眠ってない。翼の騎士たちを迎えるために、徹夜で料理をしていた。」


「どうも。」


 彼は小さく頭を下げながら、小走りに畑のほうへ向かった。

 オニユリの茶屋の横を通るとき、昨日の長テーブルに十数人が食事をとれる支度がすっかりととのっており、とろとろと火の燃えるかまどに、ふたをした大きななべがかかっているのが見えた。

 いい匂いが鼻先に届き、彼は急に腹が減ってきたような気がした。

 食べてすぐに眠ったのに、起き抜けに空腹を感じるなど、何十年ぶりのことだろう。


(シチューかな。朝からシチューか……まあ、それもいいな。)


 足早に林を抜け、畑に出ると、夜明け前の玄妙な色あいの空を背景に、がけのふちにふたりの娘と、旅人が立っているのが見えた。

 三人はこちらに背を向け、東の空を見つめていた。

 最初にオニユリが気付き、こちらを振り返って「おっ、おはよう。」と言った。

 一晩かけて乾いたらしい上着を着た旅人が続いて振り返り、目礼をした。

 彼が応えようとしたその時、


「あれを!」


 星の娘が、空の一点を指差して叫んだ。

 東の空遠くに、いくつもの黒い点が見えた。

 彼がもっとよく見ようとして目を細めたとき、太陽が姿をあらわし、洗われたような強い光が射しこんで、一同は手を挙げて目をかばった。


「眩しいわ! でも、きれい。」


 朝日のまばゆい輝きから目を守ろうとするように、星の娘がくるっとこちらを向き、彼は思わず、あっと声をあげそうになった。

 彼女の姿が、変わっていた。

 髪の色や肌の色は同じだが、その表情からは若い女性特有の鋭く匂い立つような雰囲気が消え、もっと幼く、開けっ広げな顔つきになっていた。

 背丈が低くなり、髪が伸び、手足はほっそりとし――


 つまり、彼女はかつてはこうだったのだと、彼は思った。

 ターミナルで初めて出会ったときには、彼女はすでに娘の姿をしていたから、実際に見たことがあるわけではない。

 にもかかわらず、これが、彼女が少女だった頃の姿なのだと、彼には確信することができた。


 驚きと混乱が、同時に彼の心を襲った。

 なぜ、こんなふうに彼女の姿が変わったのだろうか?

 なぜ、この明らかな変化について、オニユリや旅人は何も言わないのだろうか?

 逆光の中でにっこりと笑った星の娘の前歯が一本抜けているのを、彼は信じられない思いで見つめたが、次の瞬間、稲妻のようにあることがひらめいた。

 彼は自分の手のひらを見、それから手の甲を見た。

 多くの皺が刻まれ、しみだらけだった手の甲は、ぴんと張り、生き生きとした血色を取り戻していた。

 女のように、つくづくと自分の頬に触れてみて、彼は、自分もまた若かりし日の姿に戻っていることを知った。

 あまりにも驚きが大きかったために、かえってぼうっと突っ立っていた彼は、オニユリが何か叫んでいることになかなか気付かず、もう少しで畑の泥の中に突き倒されるところだった。


「よけろ、よけろ、場所をあけろ!」


 四人は、畑のそれぞれの隅に大きく散らばった。

 そこに、ほとんど音もなく、巨大な翼を広げた影が舞い降りてきた。


「おおっ!」


 彼は思わず声をあげた。

 翼の騎士たちの着陸は、驚くべき光景だった。

 彼らは大きく間隔をとった、完璧な一列縦隊で畑に滑り込んできた。

 胴と、頭と、腿の一部を銀色の鎧兜で守り、肘から先と膝より下を革の防具でかためた騎士たちは、めいめいの背中にコウモリに似た形の大きな翼を背負っていた。

 それは木と、ばねと、綱と、ごく薄い革で作られており、この上なく頑強にして精巧な折り畳み傘に似たものだった。


 はじめの騎士は、長大な槍を地面と平行に寝かせて持ち、ほとんど崖の上の地面と同じ高さから突っ込んできた。

 そして地に足がつくと同時に、つき出たレバーを力強く引いてすばやく翼をたたみ、その勢いのまま畑の中を駆け抜け、ずっと奥の方まで行って、ようやく止まった。

 見ていた四人は、思わず歓声をあげ、惜しみない拍手を送った。

 次の騎士も、さらに続く騎士たちも、同じように巧みに着陸していったが、最後のほうの騎士たちはどうも腕前があやしく、突っ込んでくる角度が急すぎたり、畑のうねに足をとられたりして、畑の土に突っ込んでしまった。


 一番最後のひとりが、一番の下手くそなのだろうか、と彼は心配したが、その騎士は、着陸の瞬間に体を起こして、ふわりと軽やかに、まるで今そこの扉を開けて歩いて出てきた人のように、なにげなく地面に降り立った。

 その技が一番高度なものだということは、見ただけで感じられたし、先に着陸していた騎士たちの態度からも、その人物が最も尊敬されているということがはっきりと分かった。

 彼らは――転んだ者は慌てて立ち上がって土を払い――長い槍を立てて整列し、ゆっくりと歩いてきたその人物を迎えた。

 星の娘も、旅人も、そして彼も、目を皿のようにして騎士たちの姿を見つめた。

 彼らはみな、鎧の下に空色の服を着ていた。

 深く下ろした兜の面頬は猛禽のくちばしのような形をしていて、顔は分からなかった。


「番号ッ!」


 突然、端に整列していた騎士がそう叫んだ。


「一!」「二!」「三!」「四!」「五!」……


 まるでひとりの人が数えているように、全くつっかえずに数が続き、「異常ありません! 礼!」と、端の騎士が締めくくり、全員が敬礼をした。


「よろしい。」と、最後に着陸した騎士が返礼しながら言ったとき、彼は、思わず星の娘と顔を見合わせた。

 その声は、凛々しく、やや低くはあったが、明らかに女性の声だったからだ。


「東の山脈での訓練はこれで終わる。厳しいことも多かっただろうが、皆よくやった。今から夜まで自由時間とする。夜の祭りまで、しっかり体を休めておけ。以上。」


「礼!」


 騎士たちは再びそろって敬礼し、返礼された瞬間に、全員、その場に突っ伏した。

 それも、翼をいためることがないよう、全員がいっせいに前に体を投げ出して畑に寝そべったのだ。


「ああ、きつかったぜぇ!」


「疲れたあ!」


「おれ、ちょっとこのまま眠ろうかな……」


「エレクトラ!」


 オニユリが満面の笑みを浮かべて、ひとり立っていた最後の騎士に駆け寄った。


「おかえり。大変だったろう。」


「久しぶりだな、オニユリ。」


 騎士はそう言って、畑の地面に勢いよく槍の石突きを突き立て、かぶっていた兜を脱いだ。

 炎のように真っ赤な肩までの髪がばさりと広がり、獅子のたてがみのようになった。

 その目は、雪の王と同じ青で、きりりとした顔立ちにいっそうの鋭利な雰囲気を与えていたが、表情はくつろいでいて、親しみを感じさせた。


「今日は、ずいぶん客人が多いな。」


「ああ、この人たちは、昨日、川を渡ってきたのさ。――みんな、紹介するよ! この人は、翼の騎士団《夜明けのタカ》隊の隊長、エレクトラだ。空中戦では、誰にも負けたことがない。」


「すごく、かっこいいわ!」


 星の娘が、憧れのまなざしで叫んだ。


「こういう翼で空を飛べるなんて、知らなかった。あたしもやってみたい!」


「本当に飛べるようになるまでには、長く厳しい訓練が必要だ。」


 エレクトラは笑って言った。


「高いところから飛び下りて、たった五つ数えるあいだ、墜落せずにいるというだけでも、はじめはこの上なく難しいのだ。

 そこでのびている私の部下たちのうち、三人は、今日でようやく飛ぶための訓練を終えた。東の山脈からここまで、地面に一度も足をつけずに飛ぶことができたのだから、合格だ。ここまでに二年かかったが、これより先はさらに難しい。一生をかけて、空中戦の技に磨きをかけていくのだ。」


「あのう、その翼、近くで見てもいいですか?」


 エレクトラが頷いたので、星の娘は彼女の後ろにまわり、折り畳まれた翼に顔を近づけて、しげしげと見つめた。


「骨組みが木でできているわ。すごく重そう。これを担いで立っているだけでも、大変なんでしょうね。」


「いいや、この骨組みは、この上なく軽くて丈夫な木材からできているのだ。担いで立つだけなら、誰にでもできる。」


「〈風の木〉だ。」


 旅人が、ひとりごとのように呟いた。

 彼が思わずそちらを見ると、旅人は珍しくも少し動揺したような様子を見せ、目を逸らして言った。


「あの翼の骨組みは、俺の故郷に生える木から作られている。色や木目を見れば分かる。」


「遠い昔に、」と、旅人の声が聞こえていないエレクトラは、星の娘に向かって熱心に説明を続けた。


「我らの王国は、ある国と同盟を結んだ。今は互いにほとんど往来もないが、その盟約は今も生きていて、いざ、大きな事が起こったときには、互いに助け合う約束になっているのだ。

 同盟が結ばれたとき、庭の王国は、その国に枯れることのない魔法の泉をひとつ贈り、その国は、庭の王国に貴重な木材を贈った。

 その木材は、彼らの国にしか生えない木から取られ、彼ら秘伝の技術で加工されたものでな。水だけでなく、風にも浮く! その木材は今でも薔薇の城の宝物庫に大切に保管されており、新しい翼を作るときにだけ、少しずつ取り出して使われるのだ。」


 少し離れてそれを聞いていた旅人の顔に、喜びの色がさっと広がった。


「あの泉か。そして庭の王国の人々は、父祖たちからの贈り物を、今でも大切にしてくれているのだな――」


「おーい! みんな!」


 急に、お茶屋のほうからオニユリの声が聞こえて、一同はいっせいに振り向いた。

 彼女はひとりでさっさとお茶屋のほうに戻って、色々と準備をしていたらしい。


「朝飯のしたくができたぞ!」


 その声を聞いたとたん、今の今まで地面にのびていた翼の騎士たちが我先に立ち上がり、オニユリのお茶屋に向かって猛然と走り出した。

 エレクトラは肩をすくめた。


「仕方のない連中だ。――だが、無理もない。今まで三日間、食事といえば、飛びながら干し肉と干し果物と穀物菓子をかじるだけだったのだからな。」


「飲み物は?」


 星の娘がびっくりして訊いた。


「海鳥が魚を獲るときにするように、湖や川の水面すれすれをかすめて飛び、その一瞬で水筒に水を汲むのだ。眠るのも、飛びながら交替で眠る。綱で仲間に引っ張ってもらってな。」


 エレクトラは何でもないように答え、地面に突き立てていた槍を引き抜いた。


「ああ、私も腹が減った! まともな食事と温かい飲み物は、この上ないもてなしだ。見習いたちは、飛びながら、オニユリの茶屋のことを夢にまで見ただろう。もちろん私もだ。――さあ、行こう!」



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