ゆりかご
「これがあんたたちの『ゆりかご』だ。」
オニユリは説明しながら、小屋の壁の端から端へと、もともと吊るしてあったハンモックに並べて、次々と三つのハンモックを吊るしていった。
それが人間の頭よりもずっと高いところに並んだので、星の娘は不安そうに言った。
「あの、オニユリさん。あたくしたちの習慣からすると、ずいぶん高いところに寝床があるように思えるのですけれど。」
「ああ、雨がひどい夜なんかは〈風の足〉が帰ってきて、この小屋に入るからさ、そのための場所をとってあるんだ。だが、今夜は天気が良さそうだから、あいつは草原で友だちと一緒に眠るだろ。もう少しロープをゆるめて、低いところまで下ろそうか?」
「ええ、ぜひ。」
オニユリは小さな脚立を持ってあちこちを動き回り、客たちの寝床を調整していった。
人間の腰の高さあたりまで――「これ以上はロープの長さが足りない。」とオニユリが言った――下ろされたハンモックに、星の娘と老人と旅人はゆっくりと腰を下ろし、うまく『おさまる』こつを見つけようと四苦八苦した。
「あんたのように旅慣れた方は、ハンモックで眠ることにも慣れておられるかと思っとりました。」
「俺は、野宿のときは草の上で眠る。蓑虫みたいに宙に浮いて眠るのは初めてた。」
老人と旅人は、一緒に引っくり返りながら、そんな会話をしていた。
地面がむき出しの床に、それぞれ何度か転がった後、ようやく全員がまがりなりにも回転せずに寝床にとどまることができるようになった。
その頃になると、もう外には夕暮れの気配が漂っていた。
「そろそろ鍋も煮えた頃だ。晩飯にしよう!」
元気な声に呼ばれて、一同は腰をさすりながらお茶屋に戻り、オニユリが魔法のような素早さで用意した食器を前に、テーブルを囲んで座った。
「さあ、どんどん食べておくれ!」
オニユリの料理の腕前はなかなかのものだった。
塩気と香辛料のほどよく効いた味付けは、一日歩き回った体に染みいるようだった。
一同ははじめのうちはすっかり無口になり、骨付き肉と野菜を煮込んだスープ、小魚の酢漬け、焼き締めたパン、殻つきのくるみ、干し果物などを次々と胃に収めていった。
しばらくすると、雪の王がのっそりとやってきてテーブルの横の地面に座り、オニユリが取りのけておいた大きな骨を、ぼりぼりと音を立てて噛み砕き始めた。
何となく一同は食事の動きを止め、場がしいんとなったが、すぐにオニユリが明るい声で言った。
「あんたら、いい食べっぷりだね。作った甲斐があるよ。」
「だって美味しいのですもの。」星の娘は、御世辞ではなくそう言った。「このお店はお茶屋さんだということですけれど、ふだんから、お料理も出していますの?」
「まあ、ちょいちょいね。夜の旅は危ないからさ、遅くに来たお客には、泊まっていくように勧めることにしてるんだ。そういうときは晩飯を出す。昼に来たお客でも、腹が減ってるって言えば、軽いものを作って出すときもあるよ。」
「すごい技術ですわね。」
星の娘はしみじみと感嘆して言った。
生まれてこのかた、ずっと軌道上のターミナルで暮らしてきた彼女は、トレイに載った、完全に調理された食事を受け取って食べることしかしたことがなかった。
自分でナイフと鍋と炎を操り調理をするなどというのは、知識として頭にあるだけの行為であって、彼女にとってはまったく未知の領域だった。
「そう誉めるなって、照れるから。」
オニユリは嬉しそうに言い、「まあ飲めよ。」と全員に茶を注いで回った。
今度のお茶は、優しい花のような香りがし、飲むとゆったりとした気分が腹の底から広がってくるような気がした。
「あんたら、明日は遅くまで眠るつもりかい?」
不意にオニユリがそう訊ねた。
「いいや、俺は、夜明けと共に発つつもりでいる。」すぐに答えたのは旅人だった。
「それは、何か用事があるからかい?」オニユリが訊ねた。
どうも、彼女が自分たちを引き留めたがっているように感じて、
「どうしてですの?」と、星の娘は訊いた。
「明日は、翼の騎士たちが帰ってくる日だからさ。」とオニユリは答えた。
「翼の騎士たちは、いつも、最初の東風に乗って帰ってくる。すると、その夜は、祭りになるんだ。風祭りさ。聞いたことないかい?」
老人と星の娘はかぶりを振ったが、旅人だけは「聞いたことがある。」と言った。
「夜から、朝までぶっ通しで踊り続けるという、あの祭りか。」
「そうそう。」
オニユリはにこにこしながら言った。
「だからさ、どうせなら、ここでみんなで祝った方が楽しいだろうと思って。急ぎの用事がないなら、明日の夜の祭りが済むまで、いたらどうだい?」
「まあ……」
星の娘は、笑顔で老人の方を見た。
「それじゃあ、御言葉に甘えて。」老人が小さく頷くと、星の娘は勢いよく答えた。「そのお祭りに、あたくしたちも、ぜひ参加させていただきたいわ。」
「俺も、残ろう。」旅人が言った。「祭りは好きだ。」
「ぜひ、そうしてくれよ。」
オニユリは嬉しそうに言った。
不意に、老人が口を手で覆って、大あくびをした。
「うん、失敬、失敬。じゃが、今日一日、いろいろとあってくたびれたのでな。わしは、そろそろ寝に行こうかのう。」
「ああ、それがいいよ。明日はきっと、朝早くに騎士たちが帰ってくる。はやく寝ておけば、明日、はやく起きて、あの人たちが帰ってくるところを見られるかもしれない。」
「じゃあ、あたくしも寝ようかしら。」
「俺も眠ろう。今日は確かにくたびれた。」
「そりゃそうだ。ここは、あたしが片づけておくから、あんたたちはゆっくり休んでおくれ!」
日はすでにとっぷりと暮れていた。
一同は自分の使った食器を運んで桶の中に入れると、オニユリにおやすみの挨拶をして、彼女からろうそくを受け取った旅人を先頭に、店から小屋へと続く林の中の小路をたどっていった。
小屋にたどり着き、繰り返し練習した手順を注意深くたどってハンモックの中におさまると、星の娘はゆらめくろうそくの火影をおもしろそうに眺めながら言った。
「明日が来るのが楽しみだわ。翼の騎士って、どんな人たちなのかしら?
それに、お祭りも! あたくし、ダンスなんてしたことがないけれど、一晩中、踊り明かすなら、ぜひ仲間に入りたいわ。」
「そうじゃな。」老人はそう答えたが、首をひねって星の娘を見たその表情には、奇妙に真剣なところがあった。
「アストライアくん、今回の――」
時空跳躍、と言おうとして、旅人がすぐ隣にいることを思い出し、
「旅のことじゃが。明日の夜の祭りまで、こちらにお邪魔して、その後は、どうしようかのう?」
「その後って?」
星の娘は、板壁に映る炎のゆらぎを夢中で目で追いながら言った。
「つまり、祭りが終わったら、一度、帰ってみても良いんじゃないかと思ってな。」
「帰る?」
「ああ。アウローラさんに、色々と話してあげなくてはならんし、わしらも、あまり仕事を空けるわけにはいかんしのう。」
「ええ――」そう言った星の娘のまぶたは、もう半分ばかり下がりかけていた。「そう、そうですわね。あたくしたち、アウローラさんに、話してさしあげなくちゃ。魔女さんのことや、川のこと――オニユリさん――」
そこまで言う頃には、星の娘はまぶたをすっかり閉じてしまい、ほとんど聞こえないほど静かな、深い寝息を立てはじめた。
「あんたたちは、仕事を休みにして、旅をしているのか。」
旅人が、星の娘を起こすまいとひそめた声で話しかけてきた。
「まあ、そのようなものですな。」
「その娘は、あんたの弟子なのか?」
「いや、そうではないですな。わしらは――まあ、言うなれば、同僚というやつですじゃ。」
旅人は、ハンモックの中でゆっくりと首を傾げた。
「あんたのような――気を悪くされないといいが――年寄りと、そこの娘のような若い者が同僚だとは、不思議なことだ。差し支えがなければお訊ねしたいが、いったい何の仕事をなさっているのか? あんたたちは、職人のようにも、商人のようにも、猟師や釣り人や農民のようにも見えない。」
「わしらは、吟遊詩人のようなものです。」
老人は迷わずにそう言った。
「物語を、人に届けること。それがわしらの仕事ですじゃ。わしらは、ずっと五人の仲間で仕事をしておりましてな。アウ――そのうちのひとりは、ずっと昔、この国に住んでいたことがある。
今、その人は、自分の持ち場を離れることができないので、わしらがかわりにこの国を訪れ、この国の今の様子を、その人に語ってきかせようということになったわけですのじゃ。」
「なるほど。」
旅人はそう呟き、それきり黙った。
老人が首をひねって見ると、旅人は目をつぶり、裸の胸の上で腕を組んでぐっすりと眠りこんでいるようだった。
(やれやれ。)
体を小さくゆすって、より良いおさまり具合を探りながら、老人は思った。
(毛布がなくても眠れるほど、ここが暖かくてよかったわい。わしのような年寄りには、眠るときの寒さほどこたえるものはないからのう。
それにしても、今日一日での、アストライアくんの変わり方には驚かされた。眠る前にシャワーを浴びて着替えることができないとなれば、確実にひと騒ぎあるじゃろうと思っておったのに、そんなこと、気にも留めておらんようじゃったからな。これまでの彼女からすれば、考えられぬことじゃ――)
その『変わり方』は、ほとんどすべての面からみて、歓迎すべきものであるように思えた。
体を動かすことや冒険的な試みをすることへの消極的な態度、清潔さや洗練されていることへの、やや過剰ともいえるこだわり――それらの、いわば欠点が、ひとつひとつ薄れてゆき、眠りにつく前には、彼女はほとんど「活発で冒険好きな少女」のようになっていた。
(良いことじゃ。まったく、なにより。――では、なぜ、わしは、こんなにも心配しておるのじゃろう?)
老人は心を集中して、腹の底にたまった澱のような不安の正体を見極めようとした。
だが、そのためにまぶたを閉じたが最後、一日じゅう歩き回った疲れがどっと覆い被さり、彼を夢も見ない深い眠りの世界へと引き込んでしまった。




