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庭の王国への旅  作者: キュノスーラ
庭の王国
10/28

旅人

 星の娘はすっかりどぎまぎとして目を逸らした。

 旅人は上半身はだかになり、脱いだ服をしぼって広げ、物干し竿にかけた。

 かぶっていた帽子は、ゲールに助けられたときに吹き飛んでしまっていたので、彼の日に焼けて引き締まった男らしい横顔がはっきりと見えていた。

 彼は少し考えて、炎の側に長椅子のひとつを引っ張ってくると、そこに腰かけて靴を脱ぎ、火の粉がかからない辺りに置いた。

 それから長い足をうんと炎のほうに伸ばし、穿いているものを乾かそうとしはじめた。

 

「悪いね、着替えられるようなものが何もなくてさ。」


 オニユリが、かまどの前から、すまなそうに言った。

 彼女はぐらぐらと煮え立ったやかんのふたをとり、長いスプーンを突っ込んでちょっとお茶の味をみると、ひとつうなずいて、側のかごに入れてあった赤い実を取った。

 そして小さなナイフで赤い実の皮を巧みに削り、それをお茶の中に落としていった。


「このお茶屋の名物《元気が出るお茶》ですな。」と老人が言った。「一度、飲んでみたいと思っておりましたのじゃ。」


 ほのかに甘酸っぱい、どこかぴりっとした刺激のある香りが漂い始めた。


「あら、この香り――」星の娘は思わず言った。「砂漠でいただいたお茶と、同じ香りだわ。」


「何だって?」


 オニユリが急に振り向いたので、星の娘は口を押さえた。

 ここの名物だというお茶が、よそのものと同じだなどと、口に出して言うべきではなかったと思い至ったのだ。


「まあ、ごめんなさい。あたくし、そんなつもりじゃありませんでしたの――」


「あんた、あの人に会ったのかい?」

 

 オニユリは、勢い込んで言った。

 ちっとも、怒っている様子はなかった。


「あの人――砂漠の魔女に? あの人は、あたしのばあちゃんの師匠なんだよ。いや、魔法のじゃない、薬草を使いこなす技のさ。ばあちゃんがまだ娘だった頃に、ついて習っていた人だよ。

 あたしも会ったことがあるけど、ばあちゃんに聞いたら、その頃とちっとも姿が変わっていなかったって。今でも、あの人はきれいだったかい? もう、長いこと会っていないよ。」


「ええ。」


 星の娘は頷きながら、老人の『魔女が生きてきた時間の長さは、その姿からは、はかれぬものじゃ。』という言葉を思い出していた。


「黒い服を着て、金の輪を腕にはめていらっしゃったわ。そんなに長く生きていらっしゃるなんて、とても思えなかった。」


「そう。」


 オニユリは嬉しそうに笑って、お客たちの前にカップを並べ、ひとりひとりにお茶を注いで回った。

 そのお茶は、いくらか茶色がかった紅色で、あの不思議な魔女の家で飲んだお茶と香りがよく似ていた。


「このお茶の淹れ方は、ばあちゃんから習ったんだ。ばあちゃんは、それを砂漠の魔女から習った。」


 オニユリがそう説明し、自分でもカップになみなみと注ぐと、「どうぞ。」と皆にすすめて、自分も一口すすった。

 星の娘はカップを手に取り、ふうふうと吹いて少しさましてから、お茶をひとくち飲んだ。

 魔女のお茶は、よく冷えていて爽やかだったが、こちらは熱々で、甘みが強く、飲み下すとぽっぽっと体の中から熱が発して力が湧いてくるような感じがした。


「とても美味しいわ。」


「冷えた身体が温まるのう。」


 星の娘と老人は、かわるがわるそう言って、ふうふう吹きながら小分けにしてお茶を飲んだ。

 旅人も両手でカップを包み、黙ってお茶を飲んでいた。

 騎士は、母子と何か話をしていたが、やがて空になったカップを持って立ち上がり、オニユリのところに歩いていった。


「ありがとう、温まった。――オニユリ、俺たちはそろそろ行く。」


「えっ。」とオニユリは驚いて振り返った。「兄貴は晩飯までいると思ってたよ。」


「そうしたいのはやまやまだが、あの母子を村に送っていってやりたいのでな。村に入るなら、日暮れまでのほうが都合がいいだろう。俺はそのまま、第二軍病院まで行く。戦友の見舞いにな。」


「そうか。」オニユリは頷くと、「ちょっと待ってな。」と言い、大きな壺のひとつを開けて、中から何やらすくい出し、小さな袋に入れた。


「ほら、道中のおやつの豆だよ。稲妻にも少し分けてやってよ。」


「ああ、ありがとう。帰りにはまた寄る。軍病院で、いい薬草が手に入りそうなら、貰ってきてやるからな。」


「どうも。」


 オニユリはもう平気な顔でひらっと手を振り、かまどにかけてある大きな鍋の中身の具合を見に行った。

 母親がもう眠りかけている幼い娘を背負い、騎士は男の子を稲妻の背に乗せて、手綱を引いた。


「皆さん、本当にお世話になりました。ありがとうございました。」


 母親が言って深々と頭を下げたので、星の娘と老人と旅人も立ち上がってお辞儀を返した。

 そうして母子と稲妻と騎士は北の方に行ってしまった。


 三人はまた座ってお茶を飲み、オニユリはぐつぐつ煮えてきた鍋の中身をかき回し、ときどき味をみた。


「あの。」鍋からおいしそうな匂いが漂い始める頃になって、星の娘は勇気を奮い起こし、焚火の炎を見つめながら旅人に話しかけた。


「あなたは、これから、どこかへ行かれますの?」


 旅人は星の娘に顔を向けたようだったが、星の娘は炎に目を向けたままだった。

 その頬が少し赤いのは、炎の色を映したせいばかりではなかった。

 彼女がこれまでいた場所では、半分はだかになった若い男の姿を目にする機会など皆無だったのだ。


「俺は旅人だ。気の向くままに旅をしている。目的地はない。ただ、あちこちを気楽に歩き回るだけだ。」と旅人は答えた。「あんたたちは、ここから、どこへ?」


「あたくしたちも似たようなものですわ。目的地は決まっていませんの。ただ、この国のあちこちを見て回りたくて。この国がどんなだったか、戻ったら、伝えたい人がいるのです――」


「では、あんたたちも、外から来たのか。」


 旅人がそう言ったとき、星の娘は非常に驚いたのだが、意志の力でそれを抑えつけ、曖昧に微笑んだだけで何も答えなかった。

 旅人はしばらく答えを待つように黙っていたが、やがて炎に目を向け、そのまま何も喋らなかった。


「なあ、あんたたち。よかったら、今晩はうちに泊まっていかないか。」


 両手に大きなミトンをはめて鍋をかまどから下ろしたオニユリが言った。


「歩きの旅はくたびれるだろ。ゆっくり体を休めていきなよ。飯も、ただで出すよ! 助かったお祝いだからね。

 兄貴が出発しちまったのは残念だったけど、帰りにまた来るって言ってたから、まあいいや。どうだい、あんた?」


「ありがたく招きを受けよう。」


 旅人はそう答えて、脱いだ靴の反対側を炎に向けた。

 オニユリはにこにこして言った。


「あんたたちは?」


 星の娘と老人は顔を見合わせ、


「ご迷惑でないのでしたら。」


「よろしければ、ぜひ。」


 と口々に答えた。


「そうかい、よし、それじゃ早速、支度をしてくるよ。」


 オニユリはもうかまどの中の炭を灰にうずめて、どこかへ走っていきそうなそぶりを見せた。


「あの。」星の娘は慌てて声をかけた。「あたくし、何か、お手伝いしましょうか?」


「いい、いい! くつろいでてくれ。でなきゃ、そのへんで散歩でもしていておくれ。お茶の残りがそこのやかんに入ってるから、喉が渇いたら、ご自由に。用意ができたら呼ぶからね!」


 そしてオニユリはつむじ風のようにスカートをひるがえして、店の裏手のほうへ走っていってしまった。


「さて――」老人が空になったカップをテーブルに置いて、立ち上がった。「それでは、ちょっと散歩にでも出てみようかのう。」


 老人はそう言いながら、ちらっと旅人のほうに視線を投げ、それから星の娘に目配せを送った。


「あたくし、ご一緒しますわ。」


 星の娘も慌てて立ち上がった。

 老人は、もと来た〈石段〉の方に向かってゆっくりと歩き出しながら、「ではまた後ほど。」と旅人に挨拶を送り、旅人はかすかに首を動かして応じた。


「――おじいさま、あの方、こう言いましたわ! 『あんたたちも、外から来たのか』って。」


 声が届かないあたりまで遠ざかったと見るや、星の娘は急き込んで言った。


「あの方も、どこかのターミナルから時空跳躍してきたというのかしら?」


「いいや、そうではない。」


 老人は言った。


「彼は、この時空の生まれじゃよ。ほれ、アウローラさんと妹さんが『旅人』と呼んでおった男じゃ。

 彼の祖国は、わしらがはじめにくぐってきた王国の門の外にある。サボテンばかり生えておる、自然環境の厳しい国じゃが、かの国の人々はそれだけ鍛えられ、どんな危難に遭っても打ちのめされず、落ち着いて立ち向かうことができるのじゃ。」


 星の娘は、迫り来る水を前に悠然と立っていた彼の姿を思い出した。


「それにな、彼らの国では、特別な繊維が取れる。険しい崖の斜面にしか生えぬ〈風の木〉という樹木から取れるものでな、その繊維を撚った糸で織りなした衣服は、見る者の目をくらまし、着た者の姿を見えなくすることができるという――」


「あら。ちょっとお待ちになって。」


 星の娘は思わず叫んだ。


「庭の王国の外の、サボテンばかり生えている国――そこから来た、姿を見えなくするマントを持った旅人ですって? アウローラさんから、聞いたことがありますわ。それでは、あの方――」


「そう、彼が、その国の王子じゃよ。」


 老人はいたずらっぽく笑いながら言った。


「わしはまた、アストライアくんは、いったい、いつになったら気がつくのじゃろうかと思っとった。」


「まあ、あたくし――ちっとも。」


 星の娘は、少し顔を赤くした。


「だってあの方、少しも王子らしいところがないのですもの。人前で平気で服を脱いだりなさって。」


「あれじゃよ、ほれ、ひとつの指輪をめぐる地上の名高い物語にもあるじゃろう。『剣はすべて光るとは限らぬ、』とな。」


「『放浪する者すべてが、迷う者ではない。』――なるほど、本当に、そういうことでしたのね。」


 そう話し合っているうちに、ふたりは林の中を通り抜け、オニユリの畑まで出てきた。




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