失せもの
僕は探す。たったひとりの友達を。
気付いたら居なくなってしまった、大切な友達。
いつの間にか側に居て、いつの間にか帰ってしまう、不思議な友達。ある時は隣、気が付いたら後ろ、気まぐれに前を行く友達。
どこに行くにも一緒だった。
ひとりの友達が居なくなってようやく、僕はひとりぼっちだと気付く。
なんだか、ふわふわと落ち着かない。
『どこ?』
呟いた言葉は、誰にも届かない。
歩いた。友達と遊んだ小道を。
走った。友達と駆けた大通りを。
『どこ?』
探した。友達の大好きな裏道を。
覗いた。友達の隠れ家である木々の隙間を。
『何で?』
居ない。どこにも。
そして、気付いた。友達が居なくなってからは、誰にも見て貰えない。話して貰えない。相手にして貰えない。
話しかけても、摘んでみても、今まではそうすれば振り返った人々が、何も反応してくれなかった。
友達が居ないと、何も出来ないんだと泣いた。
ふわふわと落ち着かない。
『……ひとりぼっち』
そう呟いて、僕は体を投げ出した。
長い時間、探していたから疲れてしまったんだ。少しだけ、目を閉じる。
そうして目を開いた時、ようやく、僕は友達を見つけたんだ。
僕と同じ形と色の友達。
でも、少しだけ小さい気がする。
そして、違和感を覚えた。
『……あれ? 友達にあんな色なんて有ったかな? 何で僕には色が無いの? ズルいな……沢山の人々に囲まれて……僕はひとりぼっちだったのに。ズルいな……僕はあんなに暖かなもの無かったのに』
友達は、沢山の人々と共に笑っている。とても暖かそうだった。
僕は、友達を見上げている。
気付いたら、入れ替わっていた。いつもの立ち位置が、正反対に。
なのに、僕とは違う。
『ねえ、返して』
◇◇◇◇◇
俺は夢を見た。と、思う。
自分の影が喋るなんて、夢以外有り得ない筈だ。
事実、足元の影はいつものように、木々の影とゆらゆらしながら、太陽と真逆に伸びている。
夢だ。慣れない叔母さんの家で法事なんてものに出たから、変な夢を見たんだ。好奇心で付いて来るからバチが当たったのかもしれない。
大体、叔母さんの旦那さんなんて、一度しか会ってないのに、何で遺書に俺の名前が有るんだよ。
夏休みなんだし、これ以上こんな湿っぽい所に居られない。最近は小学生も忙しいんだ。早く遊びに行きたい。
「母さん、疲れたから帰りたい」
「我が儘言わない。来なくて良いって言ったのに、食べ物につられたのは、どこの誰だろうね?」
「じゃあ、旨いって聞いた肉食べて帰ろうよ」
「法事の席で食えるか!」
「痛い!」
騙された。前に叔母さんがこの辺は肉が旨いって言ってたから、長い時間電車に揺られて来たのに。
暑さにイライラする。イライラし過ぎて何がしたいのかも分からなくなってきた。縁側にぶら下がった足をバタバタして、気を紛らわす。
「まあまあ、子供には辛かろう。遊びたい盛りだしね。まだあちらこちら行かないだけ偉い偉い」
誰が子供だ! 幼稚園児みたいな事はしないぞ! もう五年生だぞ!
叔母さんは時間が止まっているのだろうか? 確か、前に会ったのは、幼稚園卒業してすぐだったような……。裏山で迷子になって泣いた記憶が有る。恥ずかしい。
「そう睨まんで、ほれ、好きだろう?」
「もう子供じゃない!」
昔は好きだった……今も好きだけど子供っぽいからあまり飲みたくない……差し出された原液を水で割った白いジュースを突き返す。触れた指がひんやりして、ちょっと気持ちが惹かれる。が、子供をあやす顔で渡す叔母さんが気に入らない。
「こらっ! ごめんなさい。体が大きくなっても中身は変わらないのよ」
「あはは、子供ってそんなものさ」
母さんが叔母さんに謝るのも気に食わない。叔母さんが母さんを慰めるのも気に食わない。
暑い。喉が乾いて仕方ないからジュースを引ったくって飲んだ。甘くてちょっと酸っぱい。美味しい。生き返る。
俺は空のグラスを母さんに押し付け、縁側にごろんと寝転んだ。
「お礼は?」
「良いよ。疲れてるんだよ。休ませてやりな」
叔母さんが言えば母さんが黙るので、甘っちょろいと思う。
黙って母さんが部屋に戻って行くと、叔母さんが俺の隣りに座った。
無言で寝転んでいると、瞼が重くなってくる。視界に入る木々の影が、じゃれて遊んでいるように見えた。
『返して』
夢と同じ声が聞こえて飛び起きる。
「どうした?」
「……何でもない」
「何でもないなら、何でそんな怖い顔して足元睨らんでいるの?」
叔母さんに返す言葉は見つからない。
怖い。今のは夢じゃない。ちゃんと起きていた。木々の影を見ていた筈なんだ。
「影がどうしたの?」
叔母さんの言葉に、ビクッと顔を上げると、太陽の影になって叔母さんの顔がよく見えなかった。
怖い。
「叔母さんに何かついてる?」
首を傾げた叔母さんに、少しだけ日が当たって色がついた。ホッとする。
ちょうど柱の影に居たのが悪かったと思って、少し位置をずらした。
「そういえば、あの人が気にしとったけど……」
叔母さんの言う人は、旦那さんだろう。そう思って黙って聞く。
「変な夢、見ない?」
今度こそ、俺は肩を震わせた。
叔母さんが頷いて、俺の髪を撫でる。
「あの人が言ってたけど、まさかねぇ」
一人訝しむ叔母さんに、俺は手を伸ばして服を引っ張る。
「何を?」
「……こっちおいで」
叔母さんに招かれ、慌てて立ち上がった俺は、奥まった部屋に通された。
叔母さんが古い紙を広げ、俺に見せてきた。
覗き込んだ俺は、何か、言い知れぬ違和感を覚え、凝視する。
写真だった。古い白黒の写真。ほとんど薄れて良く見えないが、小さな子供のように見える。
しばらくして、ハッとする。
卒園式の記念写真に写った、ぼんやりした子供の俺に似ているのだ。
「あの人ね、怪しい話が好きだったから、こう、信じがたい事を真顔で言う事があったのよ。でね、この写真を見せられてびっくりしたよ。似ているもんね。でも、子供って皆どこかぼんやりして、似たような顔しているし……」
叔母さんは他人の空似だと思っているらしい。
だけど、俺にはそう思えなかった。髪に紛れて分かりにくいが、髪とは異なる黒が有る。写真の子供に有るのが黒子なら、俺にも額に黒子が有るのだ。全く同じ所に、大きめの黒子が。
いや、古ぼけているから、違うかもしれないけど。
「夢で見たのはこれ?」
俺は首を横に振る。見たのは影だったからだ。
「そう、怖がらせてごめんなさい。でも伝えてくれって頼まれたの」
叔母さんが眉を下げる。
遺書に有った事だろうか?
「あの人も、迷ったみたいだけど、こんな書物を見つけてね」
写真が挟まった本をめくるが、達筆過ぎて読めない。手書きの日記だろうか?
「昔の人の日記ね。この子供の事が書いてあるの。その写真の子供が少し大きくなってからの記録かしら……どうやら、いつも影を追っていたらしいの」
影と聞いて硬直した。
思わず叔母さんの腕を掴んで見上げる。
「影が、喋った」
俺の言葉に、今度は叔母さんが硬直して俺を見下ろす。
「ああ、だから朝から影を睨んで……」
そう、昨日到着した俺は、今日の法事の為に泊まった。
その夜、影が何かを喋りながら追い掛けて来る夢を見て怖くなり、朝からずっと影を睨んでいた。そして、うっかり縁側でうたた寝したら影が今度こそハッキリ喋る夢を見てしまい、先ほどは、寝ていないのに声がしたのだ。
最初は悪い夢だと思っていた。
でも違うかもしれない。
「影を追った子供は?」
「この子供はひとりぼっちだったから、ずっとひとりで遊んでいたのを……遠くから見守っていた人の日記みたいだね。でも……中学生位で亡くなったらしいわ。はっきりとは分からないみたいね……親も居なくて、ひっそりと家で亡くなって……」
他人が見守っているのが不思議だが、何か理由が有ったのだろうか?
「男の子で、ちょっと不思議な子、ひとりでも泣かなくて、無口な大人しい子、そう書いてあるけど……たまに、ふと影を見ては笑っていたみたいなの」
影を見ては笑う? 変な子だと思って首を傾げた。いや、今まで睨んでいた俺も変だな。だから叔母さんが気にして、朝からちょくちょく見に来るのか。
「おかしいなと思って、ついつい気になって見ていたけれど、だんだん不気味になってきて調べてみたら、家には親が居なくてね、時折顔を見せる親戚が居たけど、決して助けようとはしなかった。少しの食料を置いて逃げるように帰る親戚に、この子は何も言わなかったみたい。不憫だと思いながらも日記を書いた人も貧しかったから何もしてあげられなかった、って嘆いているのね」
薄暗い部屋で叔母さんと二人で並んで日記を見下ろしながら、日記を纏めていた紐が劣化して切れてほどけた紙束を、順番も適当にクリップで纏めてあった為、いちいち見比べながら順に並び替えていく。叔母さんが読みながら並べ替える様子を、ぼんやり見ながら読めない字を眺めていた。
紐で綴じた本も有るのかと、俺は紙に空いた規則正しい穴の列が物珍しく、気になって仕方ない。正直、内容よりも、古い本の構造の方が気になる。
日記には後悔と謝罪が沢山刻まれ、文字も痛々しいほどブレていた。と、叔母さんに文字を指し示しながら説明された。
「最後は……誰も居ない空き家で亡くなったのね……やつれて小さかったと……」
叔母さんが悲しそうな顔をする。俺も少し悲しくなる。想像も出来ない。
何となく話題を先に進めたくなる。なんだか空気が重いのだ。
「その空き家って、この辺なの? 俺は何か繋がりが有るのかな?」
「うーん、地名は無いけど、この辺には無い川が出て来るから……違うのかも? この日記も、確かあの人が……待って、あの人の実家かも。婿入りだから、たまに実家に帰っては胡散臭い本持ち帰るのよ」
胡散臭い本を持ち帰るとは、十分旦那さんも変な人だと思う。
俺が旦那さんの事に気が逸れ、叔母さんを見上げてみると、叔母さんは旦那さんの事を思い出し、懐かしそうに目を細めている。
この家が叔母さんの実家だった事も初耳だし、いろいろ話が聞きたいと好奇心が湧いてきた。不気味な日記の事は、俺には関係ないように思える。
無意識に閉じた日記を置いて、俺と叔母さんは顔を見合わせて苦笑した。
「あまり気にしない方が良いけど、一人で寝ない方が安心かもね。少し気味悪いし、お祓いとかしようかね……あの人は似た者同士引き寄せ合うって言うけど……まさかねぇ」
「まさかね……胡散臭い」
「事故に気をつけろって兆しかね?」
「どうやって気をつけるんだよ?」
「さあ? とにかく、あの人は何か勘ぐったんだろうね。もしくはイタズラに怖がらせたか……夏だしね。気休めにお祓いでもしてもらい。お坊さん来ているし」
「お坊さんで良いのかな? 分かった」
叔母さんも俺も、あまり胡散臭い話を信じていないからか、危機感は薄い。ただ気味が悪いだけだ。
夏休みは肝試し、とか言って遊んだ事が有るけど、実際には体験したくない。
お坊さんに怖い事が有ったから清めて欲しいと言ったら、にこやかに頷いて、何やら良く分からない、長いお経を読んでもらえた。これで良いのかな?
叔母さんが気休めにと塩を振り掛けた日記を棚に戻したのを見てから、法事の後片付けに追われる母さんに呼ばれ、後片付けを手伝っていたら夜になってしまった。
早く帰りたいけれど、母さんに相談するにも夢の事や日記の事なんて胡散臭くて言いづらいので何も言えなかった。結局泊まる事になったので、少し不安を感じていつも以上にくっ付く俺に、母さんは疑問を感じつつ、苦笑しながらも何も言わずに頭を撫でてくれる母さんに安心して、ぐっすり眠る事が出来た。
「何も見なかった」
「良かったね。お経のおかげかな?」
「さあ。そうかもね」
朝、叔母さんに何もなかったと話すと、心配してくれていた叔母さんは、良かったと言ってにこにこ笑った。それだけで胸がぽかぽかする。
何事もなく叔母さんの家を出る事が出来たので、心配し過ぎたのかと一人思い、無意識に安堵から深く息を吐き出していた。
◇◇◇◇◇
無事中学生になった俺は、叔母さんが亡くなったと聞いて、あの夏の出来事を思い出した。
あの写真の子供は中学生位で亡くなった事を思い出し、同じ位の年だと思うと何やら薄気味悪いので、宿題を理由に留守番を申し出た。叔母さんの家にはまだあの日記が有るだろうし。
家に一人残った俺は、これで良いと勝手に納得していた。
ゴロゴロしながら睡眠を貪り、家族が居ない家で開放感に浸りながらも、早くも暇を持て余した俺は、何となく部屋を片付けようと、あちらこちらの物を移動し、物で溢れかえる机の中を漁っていたら、何かが引き出しの奥に引っかかっていたので、不思議に思いながら無理やり掴んで引っ張り出し、そのまま硬直した。
「…………えっ」
あの時、叔母さんの家の棚に戻して来た筈の日記が、今まで無かった筈の机の中に有った。間違い無く、あの日記だった。誰が持ち込んだのかと問い詰めたい。そして怒鳴り散らしたい。
恐る恐る開いてみて、挟んで有った写真を確認する。古ぼけた写真は、ぼんやりと色褪せて何が写っているか分からない。子供っぽい何かも、顔すら分からなかった。それでも、これがあの写真である事は分かる程度に、白黒の形は残っていた。
「嘘だろ」
白っぽい写真に鮮やかな色は無い。何故だか、不明瞭なそれが空虚な感じがして落ち着かない。
無意識に足元を見てゾッとした。
足から伸びる、不思議な程くっきりとした影は真っ黒だった。部屋に灯る照明の光はあまり強くなく、それに照らされた家具の影は薄い。
これは普通の影じゃない。
「っ!」
体が寒い。
膝が震える。
鼓動が耳に煩い。
気が付けば倒れていて、自分の意思に関係なく自然と瞼も閉じてしまった。
真っ暗闇になった視界が、ぼんやりと白く明るくなる。
何故だかこれは夢だと分かった。
『久しぶり』
影が笑う。何故だろう? 影なのに顔色が分かるのだ。
「誰?」
気付けば影には色がついていて、俺に似ている事が分かった。いや、瓜二つだ。
驚いてまじまじと見てしまう。
『酷いよ。影、友達だよ?』
「お前が影だろう」
『そっか、入れ替わったもんね。でも、僕の体なんだから返して。僕が僕で、君が影なんだ』
「とっくの昔に死んだ奴に返せないよ! しかもお前の影じゃない!」
影が首を傾げる。
俺はふわふわする体に落ち着かない。まるで実体が無いみたい……
『でも、君は影に戻ったよ』
言われて自分を見て驚いた。体が真っ黒で何も色が無い。もちろん、物体らしい特徴も無い。今にも消えてしまいそうだ。
『友達、みーつけた! ずっと探してたんだよ。木漏れ日と遊んでないか、建物の影でかくれんぼしてるのか、もしかして闇に溶けたのかって、何か有ったのかって、嫌われる事したのかなって、とても心配した。体はふわふわするし、誰も相手にしてくれないし、いつも見守ってくれた人たちにも置いていかれるし、散々だった。……なのに、君は随分楽しそうだった。ねえ、裏切ったの?』
「違う。お前は死んだんだ。だから誰にも見えないし聞こえないし触れない」
影は、死んだと言う言葉に不思議それに首を傾げる。記憶に無いのかもしれない。もしかしたら、死ぬ事の概念すら無いのかと、俺は考える。
説明しようと思い、口を開いた時、影は怒ったような、悲しむような、嬉しいような、複雑な顔をした。
『違うよね? 確か、死ぬって消える事でしょう? 両親がそうだった。皆そう言ってたよね。でも僕はここに有るよ? だから違う。君が居なくなったからそうなったんだ。僕が分からず屋だから、君は拗ねてイタズラしたんだ。影が居ないとダメなんだって分かったよ。でも、もう大丈夫。君が僕の為にずっと一緒に居てくれた有り難みが分かったよ。今までの状態に戻って、家に帰ろう』
影は縋るような顔をする。
やっぱり、死ぬ事が分かっていない。もしかしたら、生きる事も分かっていないかもしれない。俺は目眩に襲われた。話が通じない。
「……違う。お前の影じゃない」
『でも同じ形だよ』
「似てるだけだ」『色だっておんなじ』
「影はどれも同じ色だろう。木々の影だって黒い」
『……でも』
「……じゃあ、お前の影はこんな風に喋ったか? 勝手に動いたか?」
初めて目の前の影だった少年が、何かに気付いたように固まった。パタパタと手を動かして、俺が同じ動きをしない事に、首を傾げる。
『……何で喋るの? 何で真似っこしないの? まだイタズラするの? いつも黙ってそばに居てくれたのに。こんなに煩くもない、静かで落ち着いた、黙ってそばに居る影が……寄り添ってくれる、僕の友達は……いつもの立ち位置が入れ替わったんじゃ……だから戻れば……何で僕の体と影に……ひとつに戻れないの?』
「お前の探しているのと違うから」
『……じゃあ君、誰? ねえ、僕の影はどこ? 影が居ないのに、どうやって元に戻るの? せっかく君の影として、ずっと我慢してきたのに……』
少年が取り乱しているので、逆に冷静になってきた。おかげでいつの間にか白い夢から抜け出している事に気付いた。何故だか分かってしまう。夢じゃない。
改めて周りを見て、いつも居る世界が白黒になっているのに気付いた。足元に転がる自分の体を見て絶句する。俺という黒い存在は、俺という体に繋がっていない。
「勝手な思い込みで巻き込みやがって!」
『僕は……僕は影と遊んでいたかっただけなんだ!』
「色を返せ! お前が影に戻れ……いや、どうやって体に帰る?」
『僕は何も知らない! 僕も元に戻りたい!』
「俺も日常に帰りたい!」
癇癪を起こした少年と言い争いを続けるうちに、頭に靄がかかったようにぼんやりとして、帰る事以外考えられなくなってきた。何がどうなって、どうしたら良いか分からない。今までの考えが消えてしまう。何も理解が出来ない。
ただひたすら帰りたい。
ふわふわする。
しばらく騒いでいたが、ふと違和感に捕らわれ、錯乱する少年を見つめる。少年の体が徐々に薄くなっている事に気付いた。少年が、消えていく。
俺は無意識に少年を掴もうとして何故だか触れない事に気が付いた。いや、重なった部分は薄く陰った。だが実感は無い。 少年が喚きながらも俺の行動と疑問を浮かべた雰囲気に違和感を覚え、ふと自分を見て固まった。ようやく少年は自身が消えかけている事に気付いたようだ。
『僕、消える? ……そっか……想いが叶ったから……ようやく見つけて……でも違うって分かって、理解、出来たから……そうか、僕、死んだのか……友達は居なかった……最初から、居なかった。でも、もう……遅かった……ごめんね。でも、ずっと影で見守っていたけど、とっても幸せで、羨ましくて……寂しく、なかったよ』
そして、突然何かに解放された少年は、朗らかに笑って、消えていった。自己満足で満たされ笑った顔に、人間の薄暗い何かを見た気がする。とても、気持ち悪い。
「ふざけるな」
俺は帰りたい。その想いが、何か俺の大事なものを塗り替えていった気がした。それが、俺を更に黒くする。
体がふわふわする。
少年の事なんて、どうでもいい。俺は俺の事だけで良い。考えられない。何もかもどうでもいい。
帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい。帰りたい!
……どうやって?
「探さなきゃ……」
帰る方法を探そう。
どうやって? 分からない。
足元に転がる冷たい体は、もう自分のものではなかった。どうやっても帰れないから。
無くしてしまった。帰る場所を。帰る手段を。
居場所を探さなきゃ。
どうやって? 分からない。
考える頭が無くなってしまったみたいだと、ふわふわしながら思う。考える頭も探さないといけない。その為には、影じゃなくて体が要る気がする。
俺は全部、奪われてしまった、と思う。思う事しか出来ない。
「俺の日常、返して」
真っ黒な体で、スルスルと影の中に移動をしながら、淡く記憶に残る日常を、居場所を、帰る手段を探して、そのまま白黒になってしまった、壊れた……壊された日常に飛び出した。
「まずは、居場所……」
とにかく今は、居心地の良い、俺に合う居場所を探そう。
影になった俺には、照らされる本体が必要なんだ。一緒じゃなければいけない筈なんだ。そうでないと成り立たない。
物と影は対だから。
「影だけじゃ消えてしまう……」
影に紛れて、俺と違う影の区別がつかなくなってしまう。
俺は探した。ふわふわしながら。
日常に帰る為に。
――ああ、君なら……