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14:犠牲

全身がひどくだるい。指一本も動かせず、少し遠くで聞こえる戦闘音がくぐもって聞こえて、それでいて頭の中で何度も反響しているようだった。それでいて視界はぼやけているし、何よりもやたらと地肌に絡みついて来る不快な生暖かさに包まれていて不快だった。だけど、そんなことは全然些細なことだった。

何とか腕を動かしてうつぶせの状態から脱却しようと試みるが、ちょっとだけやってみて早々にあきらめた。腕に全く力が入らない。と言うかむしろ両腕が動かせる状態じゃないのかもしれない。

あの青い機体から逃げ回って、いつしか無人のコンビニに逃げ込んだ。ガラス張りの壁だったけど、少なくとも防犯上の理由で中の様子がうかがえないように全国のコンビニに導入されて久しい強化曇りガラス越しならそれなりにあの機体の目を欺けるはずだった。地上に取り残されて重量二脚軍が人狩りを始めたころにコンビニに逃げ込んで生き残ったことがあったからその時のゲンを担ぐつもりだった。だけど、次の瞬間外が青く光り、強化曇りガラスは一瞬で吹き飛んだ。すぐ近くにあの機体が放ったレールガンが着弾し、その衝撃で強化曇りガラスの破片が大量の凶器になって襲い掛かって来た。しかも着弾したのが本当にすぐ近くだったこともあってその衝撃で吹き飛ばされ、ガラスの破片が無くても十分危険だった。

斉人は血を吐きながらわずかに頭を動かし、吹き飛んだ壁の穴の向こうであの青い機体と戦う【黒刃金】の、一真の姿を視界に入れる。よく見えなくて押してるのか押されてるのか分からなかったけど、少なくとも一真はここまで来てくれたことだけは分かった。やっぱり、あいつはいい奴だ。みんなはまだ知らないけど、少なくとも俺はそれを知ってる。いつか、みんなも分かってくれるだろう。その光景を見られるだろうか。

わずかに頭を戻し、真っ赤に染まったコンビニの床を見る。咄嗟に頭をかばったせいか、ずたずたに引き裂かれた斉人のリストフォンが視界に入った。何とか動いた右腕でそれを掴み、顔のすぐそばまで持ってくる。まだ機能は生きていた。リストフォンを起動し、メインメニューを開く。壁紙は不機嫌そうに一人で空を見上げている佑奈の横顔。半ば隠し撮りだったこともあって誰にも言わなかったけど、斉人はこの横顔になぜか惹かれるものを感じていた。もの憂げで、攻撃的で、それでいてどこか寂しげな横顔。話をしてみればいつも適当にあしらわれていたけど、それでも斉人は構わなかった。

リストフォンが斉人の腕から流れる血液で真っ赤に染まり、空間ディスプレイに映る佑奈の横顔が消える。耐水機能は当然あるはずだけど、こんなにボロボロじゃそんなこと期待できるわけもなかった。

だけど、佑奈の顔が見れなくなってしまったのがたまらなく悔しかった。もう助からないことくらい分かっている。だからせめて、写真だけでもいいから佑奈の顔を見ながら死にたかった。

気が付けば顔に血以外の水分が流れた。視界が滲んで塩辛い何かが鉄の味で染まった口の中に浮かんできた。死にたくない。まだ死にたくない。やりたいことは沢山あるし、やらなくちゃいけないことだってある。加那ちゃんたちだって俺が面倒見なきゃ。

だけど、体から溢れ出て行く命は止まらない。こうしている間もどんどん指先から冷たくなっていく。この冷たさが体を埋め尽くしたとき、完全に死んでしまうことは分かっていた。

声も出せず、とめどなく涙が流れていく。凍えそうなほど寒く、心の底まで凍り付きそうだった。

そして斉人はリストフォンをもう一度だけ起動させる。ぼやけた空間ディスプレイを操作し、口元に近づける。

やがてその手は力を失い、ボロボロのリストフォンが床を転がっていった。

そして、二発目のレールガンが直撃した。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



三度目の捜索部隊がようやく帰還してきた。だけどその顔は優れず、誰一人として何か回収している者は居なかった。

臨時拠点となったショッピングモールの屋上駐車場で、一真は飛ばした無人偵察機から送られてくる映像を見て必死に斉人の姿を探す。だけど、人影はおろか動くものすら見つけられなかった。比較的被害の少ない地域から、もはや町の原型すら残っていない地域までくまなく探していく。

しかしこんなことをしても全然見つからないことに、一真はわずかに安心していた。少なくとも、死んでいないかもしれないと言う可能性が残っている。

「一真君。少し、いいかい?」

そんな一真の背中に志和が堅い声をかける。振り向いた一真は、わずかに志和の目が震えていることに気づいた。初めて、志和の感情の動きを見た気がした。

「【黒刃金】だが、やはりここでは応急修理も出来ない。それはもう分かっていると思う」

「まあ、そりゃ」

「そして、ここに長時間留まり続けるのも危険なことも」

言いたいことは分かった。だけど、そんなことを何で俺に聞くんだろう。

「聞きたいのは、君があの状態の【黒刃金】でどこまで戦えるか、だ」

「それは…」

「正直に言ってくれ。それ次第で私たちの動きは大きく変わる」

「…無理、だと思う。あんな状態で戦うなんて」

当たり前だ。あんなボロボロのスクラップ寸前で何ができる。いや、そもそもほぼ完全な状態でもエース機が出てきただけで手も足も出せず、援護を受けてようやく追い払えただけの俺に何ができるんだ。

「分かった。なら、出来る限り早い段階で斉人の捜索を切り上げて移動を開始するよう通達しておこう」

志和は一真に背を向け、自分のリストフォンに指を伸ばす。しかし、ふと動きを止めた。

「私は君のことを戦力の中核として期待させてもらっている。勝手な話だとは分かっているけどね」

それだけ言うと、志和は黙って立ち去って行った。

一真はその背中をまともに見れず、再びモニターに映る映像に斉人の影を探し始めた。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



装甲車の運転席に腰かけ、背もたれに体重をかける。一人になりたかったけど、誰も居ない場所がここしかなかった。他の場所にはどこもかしこも人だらけで落ち着かない。

しかし、改めて斉人の存在感を思い知れた気がした。確かにいつも誰かの世話をしていたし、孤児たちの面倒も積極的に見ていた。アイツ一人いなくなるだけで、ここに起きる変化は少なくないらしい。

実際斉人が居ないことはどことなく不気味だった。不自然、とか違和感がある、とかじゃなく、不気味。気が付けばどこか視界の端に居る奴だから、今だって装甲車の扉をいきなり開けて入ってきそうだった。だけど、多分斉人はもう居ない。ここは戦場だ。いつ、だれが、どこで死んでいてもおかしくない。私達は今、ここで生きている。つい数か月前までは想像もつかなかった世界で。

「…っ!」

嫌な記憶が蘇る。もう二度と思い出したくない最悪の光景。思い出さないよう努力していたのに。

こんな風に嫌なことばかり増えていく。たとえ私が変わったとしても、世界は変わらない。ここに居る限り延々と死の恐怖におびえ続けながらあの機械たちと戦い続けるしかない。だけど地下に逃げたとしたって、結局は戦う相手が変わるだけだ。

そう、私は変わる必要なんてない。斉人は私が変わったなんて言っていたけど、もうそんなことは無い。私はこのまま、ずっと何かと戦い続けていく。誰かが私を同情したって、哀れに思ったって、私はここに一人でも残って見せる。そしていつか、一人で死んでやる。その時、私の戦いは終わる。

佑奈は静かに息を吐き、目の前を睨みつける。そして、ここを離れようと装甲車の扉に手をかけ、リストフォンに着信があることに気づいた。

「うそ、今更電話なんて」

かつて一世を風靡したケータイ電話、そしてスマートフォンが廃れ、時代と共に新しい携帯端末が生まれていき、その中で通信手段も変っていった。電話からメール、その後はSNSが主流だった時代は終わりを告げ、今では脳波を使った無声通信が主流になっていた。それでも一応機能だけは残されていたが、そんな時代遅れなシステムを使ったことのない人も珍しくなかった。勿論、佑奈も使ったことなんてなかった。

戸惑いながらもリストフォンを操作し、通話ログを表示する。斉人の顔写真と番号が表示される。

≪佑奈、きこえてるか、な?≫

声も本人の物だった。まるで目の前で喋っているみたいな錯覚を感じるくらいリアルな声に佑奈の肩が震える。

その声は震えていて、何よりか細かった。時折不自然な段落で途切れ、激しい戦闘音が後ろで聞こえる。間違いない、斉人は最後に私に電話してきていたんだ。でも、なんで私?

≪もうおれ、ダメみたいだ。折角一真が、助け、に来てくれたみたいなんだけどさ≫

せき込む声と何かを吐き出す音が同時に聞こえる。半固形の液体が何かに落ちる音がして、佑奈の頭の中に黒みがかった赤い色が浮かぶ。

≪こんな、時になんだけどさ。ずっと、言いた、かったことがあったんだ≫

一体何?死にそうになってまで、こんな私に何が言いたいって言うの?

≪好き、だ。初めて会った時から、ずっと≫

何を言っているの?どういう意味なの?

佑奈の頭の中にぐるぐると斉人の顔と今言われた言葉が回り始める。

でも、意味はもう分かっていた。斉人は私のことなんかを好きだと言った。理由なんか分からないけど、嘘を言うタイミングなんかじゃない。このリストフォンの向こうに、傷だらけの斉人が居る。

佑奈は装甲車の扉をこじ開け、全速力で走る。

≪いきなりだし、返事もして、くれなくていいよ。どうせ、もう助から、ないし、お前がこれ、を、聞かないかも、しれないだろ。だけど、最後に、これだけ、聞いて…≫

屋上駐車場に駆け込み、驚く一真のもとに走る。

「これ。斉人が…」

リストフォンを差出し、一真がそれを受け取った。そして佑奈の顔を見て不思議そうな顔を真剣な顔つきに変えた。

佑奈は泣いていた。

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