ポーシャ・7
「あの、じゃあ、もう一つ質問していいかな?」
「おお、どうぞ、何なりと。君が納得するまで答えるとも」
「俺は・・・その、なんというか、『願い事』を聞いてもらえると思ってここに来たんだけど。あなたの話を聞くと、どうにもそういうわけじゃないらしい」
「・・・?いいや、君の『願い事』を叶えるよ。まだ何も言う前から諦めることはないじゃないか。君の求めるものがないとは限らない。それに、例え欲しいものが今無かったとしても時間さえかけていいのなら、必ず用意しよう」
「いや、そういうことじゃない。あなたの仕事を疑ってるってことじゃない。その・・・つまりだな・・・」
むしろこの質問を先にするべきだったかもしれない。幸助は思っていた。
「俺は、何を『払う』んですか・・・?」
スティーブンが「商人」と名乗っていることから気にはなっていた。何かをやるという人間には、何かを払うのは当然のことだし、そうでなければおかしい。幸助は、もしもこのまま「何も払わなくて良い」と言われたら逃げ出すつもりでいた。
『タダほど怖いものはない、うまい話には裏がある』
この世の常を無視して突っ走るような真似を彼はしなかった。
幸助の質問に、スティーブンは思い出したように手をたたいた。幸助は疑心暗鬼になっていたのか、それがわざとらしくも見え、自然にも見えた。
「ああ、そうか。いやこれは失礼。忘れていたよ。それに私のほうからこういうことを話すのは失礼かと思ってね」
そういうと、スティーブンは椅子から立ち上がり、部屋の隅にあった大きな暖炉の上の絵に手をかけた。すると、絵は扉のように動き、小さな軋む音をあげて、その裏側にあったものを露わにした。
絵の裏側にあったのは黄金の金庫だった。本物の金でできているかは分からなかったが、見るからに高価そうで、その頑丈さをうかがわせた。
スティーブンは金庫の前に立つと、自分の首にかけてあった鍵を服の中から引っ張り出した。そしてそれを鍵穴へと差し込み、一度ひねると、黄金の金庫からひとつの小さな小瓶を取り出した。
「さて、幸助君。支払いの件だが、君に支払って貰うのはお金じゃない。ま、それの予想はついていたか」
何を要求されるのだろうか・・・幸助は改めて恐怖を感じた。払えないものだったらどうしようか・・・?非現実的な現状に、安全の確信などなかった。スティーブンの言葉を信じることしか、彼の安心のよりどころはなかった。
「先に言っておこう。商品の値段は、君が欲しい商品によって価格が決まる。君がそれを払うかどうかは、君次第だ。値段を聞いたからといって、君に商品を押し付けるようなことはしたくない。もしも払うのが嫌だったら、今日は帰ってくれても構わない」
そこでだ・・・とスティーブンはさらに言葉を続ける。
「先に君の欲しい物を聞いても構わないかな?ああ、質問を遮ってしまってすまない。だが、君の正直な言葉を聞きたいんだ。お客様に遠慮させてしまうのは商人として二流だと私は考えているんでね。欲丸出し、遠慮も何もなく、欲しいものを言ってほしい。払うか払わないかは、そのあとに決めてくれていい」
スティーブンの言葉を聞き、幸助は頭の中で自分が何を願いに来たのかを整理し、少し考えてから話を始めた。
「そうだな・・・。まず、どう話せばいいか・・・。俺がここに来たのは恋愛関係のことなんだよ」
彼は、頬を赤く染め、照れくさそうにそう言った。スティーブンはそれを聞くと、学校ではしゃぐ同級生たちと同じように、うれしそうな表情をした。
「おお!『恋愛』か!!君、ここに来たのは正解だったぞ。そういう案件は魔法の得意分野なのだ」
「そ、そうなのか・・・」
「そうとも、そうとも。昔からそういった内容の注文は多くてね」
「ま、まあ、俺はとにかくその子のことが好きで、付き合いたいと思っているんだけど、その、問題があるんだ」
「ああ・・。ここに恋する願いを持つ男は皆、そう言う。で?どんな問題なのかね?」
「・・・その子は、男に恋ができないんだ・・・。なんていうか・・・その、トラウマだ。男に対してトラウマを持ってる」
「それは、それは」
「だから、その、その子のトラウマを何とかしてあげたい・・・。彼女の過去を無かったことにしてほしいというか・・・。とにかく、彼女が怯えるものを無くしてほしい」
幸助は願い事を最後まで言うと、豚頭の商人は少し考えるような顔をした。ミミズクの顔だったが、その表情には理性があり、人間染みた表情がありありと分かった。
「つまり・・・愛しの彼女の心を、我が物にしたいわけだ。トラウマを取り除いて、彼女とお付き合いできるようにして欲しい・・、と。つまり、欲しいものは『惚れ薬』のようなものか?過去のことは関係なく、彼女が君を好きになるようにできる物が欲しいわけだ」
「い、いや!違う!そうじゃない!」
幸助は驚いて首を振った。
「彼女の心を操るようなことはしたくない!俺は彼女の怖がるものを無くしてあげたいだけだ」
何とも意外な返答かと思われたのか、スティーブンは顔を一変させて、きょとんとした。
「でも、君・・・彼女が好きなんだろう?」
「あ、ああ・・・」
「じゃあ、それが一番手っ取り早いじゃないか」
「それとこれは別だ!彼女のトラウマを取り除く道具が欲しい。それだけだ」
幸助がそうに言うと、スティーブンは少し戸惑いながら、答えた。
「・・・・まあ、そういう商品はないことはないが、それでいいのか?」
「いいのかって?」
「それはあなたのためですか?それとも、その彼女のため?」
突然、言葉をはさんできたのは、さっきまで喋りもしなかった仮面のメイドだった。
「もしも、彼女のためでないとしたら、あなたはさっき旦那様が仰られたような『惚れ薬』を買うべきだと思います」
粛々とした声は、別に幸助を脅かすように威圧したものではなかったが、不思議と力を感じた。スティーブンは彼女を咎めるように、一瞬一瞥したが、メイドは気にもせず言葉を続けてきた。スティーブンもそれ以上は止めなかった。
「遠慮なんて必要ありません。ここではどんな願いも叶います。あなたが最も望むことを願うべきです」
仮面をかぶっているせいで、表情は見えなかったが、心なしか、彼女は自分を笑っているかのように感じた。幸助は、妙な心地悪さを感じながらも答えを返す。
「・・・最も望むことと言われても・・・、これが俺の願い事なんだけど・・・・」
「なぜ、そんなに遠回しな願い事を?あなたは好きな女性に好意を持ってほしいのでしょう?」
幸助は目の前にいるスティーブンから視線を外し、後ろに立っているメイドに目を合わせた。
「い、いや・・・それとこれは別だ。恩を売りたいわけじゃない」
「ただ助けになりたい?」
「・・・・そうだよ、悪いか?」
「いいえ。ただ、絶好の機会をこうして逃すのは、お客様の損になってしまいますので、申し上げているだけです」
幸助は彼女が何を言いたいのか、分からなかった。
「俺の損って?」
「旦那様は先ほどおっしゃいました。『欲丸出し、遠慮も何もなく、欲しいものを言ってほしい』・・・。恥を捨てて、考えてみてください。あなたの本当の願い事は何ですか?その女性とお付き合いしたいことではないんですか?」
ズバリ、その通りだ。実際、彼女からトラウマを取り除こうと思ったのは、自分が告白しようと思っているからでもある。
幸助は図星で顔を赤くし、小声で「そ、そうだ・・・」と答えた。
「では、なぜそう願わないのです?」
「だって・・・、それは彼女が選ぶべきことじゃないか。あんたの言う通り、魔法で彼女の心を操って、俺のことを好きにさせることは可能かもしれないけど。そんなことはしたくない」
「でも、それが最も安心できる道ではありませんか」
「あ、安心・・・?」
「あなたが愛していても、彼女があなたを愛し続けてくれるでしょうか?それをどう知りますか?いつ、自分に飽きて、自分のことを嫌いになってしまうか分かりません。あなたは不確かな真実を信じて、ここまで来て、奇妙な人間に取り囲まれながらも、こうして彼女のために誠意を示しています。ですが、人の愛情表現など乏しいものです。見せる側も、見せられる側も、その本意を受け取らないこともあります。彼女はあなたの努力を知っても、あなたを裏切るかもしれませんよ?なら、今ここで確証のある愛を得たほうが良いではありませんか。どんなことがあっても、あなたを裏切らず、あなただけを望む愛・・・。魔法はそれを可能にします。あなたが思っている女性といつまでも思い合っていたいというのならそれが一番・・・とは思いませんか?」
ポーシャと名乗ったメイドは、自分をからかっているわけではなさそうだ。
幸助は妙に彼女の話を聞いて、納得してしまっていた。三島がそんな人間であるとは信じたくないが、実際、自分の気持ちが彼女に伝わるかどうか分からない。そして自分の本心には、確かに三島と異性としての関係になりたいということもある。
自分の本心に嘘をついて、道徳心とやらで、彼女のトラウマを取り除いてあげたいと思うのは不自然で、愚かなことだったのだろうか?
だが、彼はすぐに頬をかきながら、難しそうな表情をして、はっきりと答えた。
「実を言うとさ、俺、彼女のトラウマの事情を聞いたのは、つい最近なんだ・・・」
幸助は言葉を続ける。
「その時、俺が思ったのは、彼女に恩を売りたいとかじゃなくて、単純に『彼女の助けになりたい』ってことだった。俺の恋が実るとか、どうとかっていうのは関係なく・・・。いや、好きだったからこそ、そうしたいと思ったのかもしれないけどさ」
幸助は悶々と考えることはしなかった。三島のことを思った時に、単純に頭に思い浮かんだことを口にした。
過酷な過去を持つ少女の助けになりたい。ただそれだけだった。
「それに、俺がしたいのは、彼女を自分のものにすることじゃない。俺を受け入れてくれるかは、彼女の本心に決めてほしい。俺が今、一番望むことは三島さ・・・、彼女の助けになってあげたい・・・それだけだ」
惚れ薬などと言った道具で自分を好きになった三島由愛は、きっとあの雨の日、好きになった三島由愛ではないのだろう。幸助はそれを分かっていた。惚れ薬は必要なかったし、手に入れるべきではない。幸助は自分の中で、三島の意思を強要したその瞬間から、きっと彼女から愛してもらう権利を失うと確信していた。
「あんたにとって、『愛情』っていうのがどんなものかは分かんないけど、少なくとも、自分の欲求だけを満たす感情ではないと思う。俺はできるとしても、彼女の意思を強要したくないし、そんなものは愛情とは思わない。結婚もしてないし、告白も今回が初めてだから、よくは分かんねえけど、どっちかが、どっちかを自分のものにしようだなんて思い上がりだと思う」
その答えを聞くと、ポーシャは静かになった。
言い伏せたような雰囲気ではなかったが、彼の答えに納得したようだった。だが、彼女は
彼女はじっと幸助を見て、静かに言った。
「理想的な答えですね。ですが、そのお言葉に行動が伴うか、どうか・・・」
どうやら彼女が納得したのは言葉だけのようだった。その言葉には、どこかしか「試している」ような疑いの色があった。
幸助はいったい、なぜ彼女がこんな質問をするのかと不思議に思い、そのことを聞こうと口を開こうとしたが、スティーブンがそれを遮った。
「そこまでだ。ポーシャ、控えなさい」
スティーブンがさっきまでの漂々とした声を一変させた厳粛な声を出すと、ポーシャは従順に何も言わず、一礼して一歩下がった。
「言葉が多いぞ。今は私が良いというまで、口をはさむな」
豹変した彼の顔に、幸助はこのスティーブンという男が、どれほど仕事というものに真剣なのか理解した。
そのまましばらく沈黙が続きそうだったが、スティーブンは、すぐに声の調子を戻した。
「・・・すまない、幸助君。失礼をした。彼女は教えたがり屋で、知りたがり屋なのだよ。あくまで君が損をしないように口を挟んでのことだ。どうかひとつ許してくれ」
主は深々と頭を下げると、ポーシャも同じように頭を下げた。
「い、いや、そんな・・・気にしてないから」
スティーブンのことをさっきまで軽々しいと思っていたが、想像以上に物事にめりはりのある人物のようだった。幸助は潔く頭を垂れる二人を見て、そう思った。
「そう言ってくれるとありがたい。では仕事の話に戻ろう。清算の話だったな」
そう言うと、スティーブンはあの銀の杖に触れて、それに向かって何かを呟き始めた。
彼が、一体何と言っているかは聞こえなかったが、とりあえずは自分の知っている言葉ではなさそうだった。
奇怪な言葉で、不思議な音に聞こえる・・・まさに、それは「呪文」のようだった。
少したつとスティーブンは「う~ん」と唸りながら口を杖からはなした。そして、難しそうな顔をして、こう言った。
「安く見積もって『3年』だな」
「・・・・3年?」
幸助はなんのことかと首を傾げた。
「支払う代金のことだ。商品を買い取るなら、君がこれから生きるであろう『3年』をこの私に譲ってもらうことになる」
「え、えと・・・?俺が生きるはずの3年の命を・・・?つまり・・・それって」
「君の寿命だ」