ポーシャ・5
目標が・・・目標が崩れていく・・・
仕事が忙しかったのです(言い訳)・・・
気が付けば、幸助は目的の古屋敷の前に立っていた。
グレープ・マッコイの屋敷は団地からずっと離れており、途中の山道からだいぶ外れた場所にある。昼間は、庭園などに自由に出入りできるようになっているが、屋敷の中は立ち入り禁止になっている。この屋敷は歴史的建造物ではあるが、夜中に警備員などがいるわけではない。建物が珍しいというだけで、屋敷の中に高価な物があるわけではないから、定期的な建物検査が行われる時以外は、あまり人は立ち寄らないのだ。
屋敷の前に立つと、思っていた以上に周囲は暗く、月の影のせいか、屋敷はよけいに大きく見えた気がした。こうして古ぼけた屋敷の前に立ってみると、噂通りに幽霊の一人や二人、出てきても不思議ではなさそうな雰囲気を感じた。
誰か、一緒に連れてくりゃ良かったかな・・・。
恋の成就とは違う理由で、幸助は軽く足が竦んだが、怖がるような様子はなかった。
実は、幸助をはじめたとしたこの街の子供たちの何人かは、昔はこの屋敷に入り込むようなことが多くあった。誰にでも経験があることではないだろうか?大きな廃墟に不可思議な魅力を感じ、そっと忍び込んでみたいと思うことは・・・。
かつての子供たちは、それらの誘惑に勝つことができなかった。
悪戯、家出、肝試し・・・目的は様々だったが、グレープ・マッコイの屋敷は、とても魅惑的な遊び場であった。もちろん、大人たちは皆口を酸っぱくして、「入るんじゃないよ、危ないから」と言った。思えば、あの時から大人たちは「あの屋敷にはお化けがいるから入っちゃダメ」と言っていた気がする。
だが、注意をされても、言うことを聞かない子供というのはどこにでもいる。この街の子供たちも然りで、この屋敷には子供しか知らない「秘密の入り口」というものが存在していた。
まだあるかな?確か、屋敷の西側の庭には、石像がいっぱいあって、その中に「踊ってる妖精の石像」があって・・・。
その石像に一番近い柵が、「秘密のドア」・・・だったか?
子供の頃、呪文のように覚えていた屋敷への侵入方法を幸助は思い出しながらとりあえず進んだ。この入り方がダメなら、別の方法を考えるつもりだった。
最後のこの屋敷に忍び込んで遊んだのは、いつだったろうか?7年以上は前だと幸助は記憶していた。ということは、少なくとも5回以上の建物の点検があったはずだから、「秘密の入り口」がまだあることは期待できなかった。
だが、奥に進んでいき、記憶通りに「踊っている妖精の石像」の近くの壁に手をあてると、壁は軋んだ音を立てて、動いた。
これが「秘密のドア」だった。どんな目的で作られたか知らないが、壁の一か所だけが、取っ手のない扉になっている。7年も建物の安全検査がされていて、この理想的な侵入経路に何の措置もされていないとは思わなかった。
「マジかい・・・。ちゃんと点検してんのかよ・・・。入った瞬間、屋根が崩れ落ちてくるとかしねぇだろうな」
幸助は屋敷の中に足を踏み入れた。
屋敷の中は、案の定、埃だらけだった。
持ってきた懐中電灯をつけると、自分が踏み込んだことで舞い上がった埃が光に当てられ、光の線を映し出した。
「屋敷の奥に、暖炉があるんだけどさ、そこに火を焚いて、夜の12時まで火を消さずに待つんだ。そうすると、壊れているはずの古時計が12時で鐘を鳴らすんだと。それから願い事をすると、必ず願いが叶うんだってさ」
友人の言葉をそのまま思い出した幸助は、足元を照らしつつ、奥へと進む。腕時計を見ると、針は11時35分を照らしていた。
幸助は、直情的にこの屋敷に来たが、まさか本当に願い事が叶えられるとは思っていなかった。これは律子が言っていた通り、「おまじない」だ。
学校の友人たちの言っていた「願い事」の仕方が本当に正しいかどうかは知らないが、つまりは「12時までに暖炉に火をつけていれば良い」のだ。だから11時59分でも、火をつけて1分待てば条件は満たすことになる。これが宗教的などのような神聖な儀式なら、気が咎めたが、どこぞの誰かが面白半分で考えただろう儀式に敬意を払う必要など彼は感じていなかった。
「滅茶苦茶バカなことをする」
それが重要なことだった。
幸助は屋敷の奥へ、奥へと進んで行き、様々な部屋を覗き込んだ。
7年もの歳月は、人の記憶をどれほど薄めてしまうのだろうか?幸助は、子供の頃、よく遊びに来ていたはずの屋敷の内部をすっかり忘れていた。暖炉があるのは2階の広間だった気がしていたのだが、その部屋を覗き込むと、広い客間に大きなテーブルと、椅子がいくつか並んでいる部屋があるだけだった。
懐中電灯であちこちを照らすと、部屋は恐ろしく広いことが分かった。客間だろうか?
そうやって幸助はあちらこちらと屋敷中を歩き回った。
使用人の小部屋や、物置、食堂、何に使っていたのかすら分からない部屋などなど。
埃臭さが鼻に馴れ、いくつのドアを開けたか分からなくなったところ、幸助はついに噂の暖炉を見つけた。
幸助は暖炉を見つけた時、ようやく見つけたと安堵したが、すぐにその奇妙な間取りに首を傾げた。部屋には何も置いておらず、部屋の右端に傘立てのような大きな陶器がひとつ。左端には、木製のコート賭けが置いてあるだけだった。そして、部屋の一番奥には地味なインテリアには不釣り合いなほどに豪華な装飾がされた暖炉が・・・。
なんだこりゃ?似合わなさすぎだろ。普通、暖炉って、人が集まる広間に設置するんじゃないのか?なんで、こんな小さい部屋に・・・。ここは物置か?いや・・・物置にしては狭いな・・・。
ふと、まるで「玄関のようだ」と彼は感じた。
彼は奇妙な部屋に幸助は眉をひそめて動かなかったが、「ま、いっか」と小さく一人で言うと、さっそく暖炉に近づいた。持ち出してきたライターと何枚かの新聞紙を丸めて、暖炉に入れる。
火をつけた線香を墓前に供えるような形で、幸助は棒状の新聞紙を暖炉にいつくか組んだ。時間はすでに58分で、少し火をつけて、すぐに消せるような時間帯になっていた。そして、携帯のデジタル時計の短針が59分を表示したと同時に、幸助は暖炉に敷いた少量の新聞紙に、ライターを近づけた。
新聞紙にはすぐに火が付き、瞬く間に、赤い波を漂わせた。少なくとも一分はついてもらっていなくてはならないので、幸助は火が消えそうになるとすぐに新しい新聞紙を火の中に放り込み、小さな炎を燃し続けた。
彼は新聞紙を入れる度に、自分の腕時計を見た。もうそろそろ一分か・・・?と思って毎回見るが、見るたびに、秒針は3、4秒しか進んでいない。こんなに長い1分は初めてに感じた。
「お~い、幽霊。聞いてるか・・・?」
幸助は4度時計を見た所で、何となく独り言を口にし出した。
「まだ12時前だけど、頼むよ、ホント・・・」
幸助は返事もない暗い部屋で、赤い炎に話し続けた。
「信じてくれるかどうか分かんないけどさ、俺、本当はこんな馬鹿なことはしない奴なんだ。実を言うとさ。俺、これまでは欲しいものがあっても、あんまり努力したり、しつこく追いかけたりとかしなかったんだ。いつも『いいや』とか、『この辺で』って思うんだ。早い話、面倒くさがりなんだよ、俺ァ・・・・。でも、でもさ・・・『今だけ』は、どうしてもそんな気分にはなれなかった。こんな風に『絶対そうなってたまるか』って思ったの初めてなんだよ・・・」
幸助は目をつぶり、思い出した。雨の日、三島が自分に見せてくれた優しい笑顔と、それと対になるような、あの教室で見た恐怖の表情・・・。
彼女はいったい、過去にどんな酷いことをされのだろうか?幸助は虐待という無情な行為をテレビや文章の中でしか知ることができなかった。その身で体験したこともないし、それがどれほどつらいことなのか、本当の意味でも想像できなかった。それに自分は彼女のことを何も知らない。彼女が異性に対してどんな感情を持っていて、これからどうしていきたいのかもよく知らない。
知らないことばかりだ・・・。
幸助は自分が今、どれほどくだらない自己満足な行為をしているのかと苦笑した。彼女に「助けて」とも求められていないのに・・・。
だが、怯え、震え、子供のように泣き続けなければならないものを「大丈夫」であるはずがない。もし、そう言うのだとしたら、それはきっと嘘だ。
「頼む・・・・」
幸助は無意識に手と手を握る。
彼の願いはひとつだった。好きになった彼女の笑顔を見続けたいということだけ。
「頼む、三島さんを助けてやってくれ・・・・」
そこまで言って、幸助は自分が妙な独り言を言っていることに気が付いた。
何言ってんだよ、俺は・・・。
「おまじない」をしに来たと分かっていても、思わず恥ずかしくなった。どうせ、自分には何もできない・・。いや、何もしてあげないことが、自分にできることなんだ・・。
そう思った時だった。
一分が経った。そして、どこにもないはずだった古時計の鐘が、12時の打刻を屋敷中に知らせた。