ポーシャ・4
「それってつまり、由愛に告白したいけど、しても大丈夫かってこと?」
そう自分に伝えたのは、幸助と同じクラスの熱海律子という女子だった。
彼女は三島と同時期にこの街に引っ越してきた女子で、三島と同じ児童養護施設にいる彼女の親友だった。三島が錯乱した時、彼女を生徒たちの好奇の目から守ったのは、彼女だった。
三島由愛が錯乱した騒動から3か月ほどが経っていた。幸助は、三島が「虐待を受けていた」という噂が真実か否かを知りたいために、ある帰り道「他言しない」という約束の元、彼女から思い切って話を聞いた。
「じゃあ、まず事実から聞きたい・・・。三島さんって本当に虐待を受けてたのか?」
幸助は最初にそう質問したはずだった。だが、律子が返した質問はさっきと同じ・・・次の言葉だった。
「それってつまり、由愛に告白したいけど、しても大丈夫かってこと?」
「・・・・。」
ストレートな返事が返ってきた。自分がした質問の答えになっていないが、知りたい答えを見抜かれていて、幸助は一瞬、固まる。
「なんで知ってるんだ、お前・・・。いや!そういえば、お前、他の男子に俺が三島さんのことが好きな事を話しただろ!!」
「口止めされた覚えはないわ」
「普通言わないだろ!三島さんに知られたら、俺もう俺学校に行けねえよ!」
「幸助は誰が好きかは言ってない。由愛に知ったら、傷つくもの」
その答えを聞いて幸助は、少し茫然として、遅れてしぼむように肩を落とした。彼は虚ろな表情なまま、歩く足を止め、先を歩いた律子の剣のようにまっすぐに伸ばした背中を眺めた。
「・・・・ってことはつまり・・・・」
「そう、告白はやめていおいたほうがいいってこと。由愛は、皆が思っている以上に、異性にトラウマを抱いてる・・・。安易な行動は、彼女の傷口を余計にえぐるようなものよ」
そう律子が口にした時、二人の間の空気が張りつめた。
「でも・・・学校じゃ、あんなに普通に男子とも話してるじゃんか・・。遊びにだってよく行くし・・・」
「最近、やっと整理がつくようになってきたの。でも、何かのはずみで、この前にみたいなことが起きる。分かるでしょ?由愛の毎日の学校生活は綱渡りみたいなものなのよ。今が一番良い状態で、それ以上の余計な刺激を与えれば、どうなるか想像してみてよ」
幸助は言い伏せられるように強い口調で言われ、思わず言葉を失う。律子は彼以上に三島のことを知っているのだ。彼女が今、どんな状態で、彼女がどれほど苦しんでいるのか、よく分かっている。彼女の言葉が少し強く、責めるように感じたのは、そう言った境遇をよく知っていたからかもしれない。
「・・・あの、もしかして、早い話、俺に潔く諦めろって言ってんのか」
幸助はそういった律子の心中をなんとなく察し、あえて質問には答えなかった。
「そういうこと。彼女のことを思うんなら、彼女とはただの友達でいなさいよ」
律子はぶっきらぼうに答える。
幸助と律子は小学校からの付き合いがあった。3年生の時に同じクラスになり、その時から意気投合し憎まれ口を平気でたたき合える仲になっている。彼女が三島由愛と親友だったと聞いたときは、心底驚いたものだったが、今回の話はそれ以上に驚かされた。
「遠回しに言わないで、そう聞けばいいじゃない」
律子は溜息交じりに言う。彼女は幸助の質問の本質を見抜いていた。
「男性恐怖症の彼女に告白しても大丈夫かな?」という自分でも無意識で知りたかった真実を幸助は知らされた。
「・・・そ、そうか・・・・」
幸助は少し沈黙したが、唖然としてそう言った。
「じゃあ、話が早く済んでよかったわ。それじゃ、また明日」
「ちょい待て。この話、マジなの・・・・?」
幸助は俯いたまま、声を震わせ熱海律子の肩をつかんだ。
「いたいわね・・・。そうよ、嘘なんかつかないわ」
「・・・まじなの・・・?」
「そうよって、今言った」
「・・・まじなの・・・?」
「気づいてないかもしれないけど、さっきから同じこと言ってるけど」
「・・・まじ・・・なの・・・?」
「おーい?」
よく見ると、幸助は下を向いたまま動かない。放心していた。
まさかここまでショックを受けるとは思っていなかった。熱海律子は自分の態度が冷た過ぎたかと少し罪悪感を感じた。他人ごととはいえ、彼もこの恋路には真剣だったのだ。念のため、2、3言慰めの言葉をかけてやったが、彼は何も言わない。
このまま帰るわけにもいかず、仕方ないので彼女は幸助を近くの小さな駄菓子屋まで連れて行った。そこで安いラムネの瓶を買うと、幸助を道端に座らせ、それを手渡した。
瓶を開けてやろうかとも思ったが、そこまで意識は飛んでいなかったようだった。
幸助はいつも通り、器用に片手で瓶を開け、一口ラムネを飲むと、ようやく口をきいた。
「・・・・・はァ~~~~・・・・・・。こんなことってあるのか・・・・」
口をきいたというより、未練と悲しみを含んだ溜息を吐いたというべきだった。
聞いているこっちまで気落ちしそうな溜息・・・。
律子もラムネの瓶をくわえて、「面倒なことになった」と夏の田園を見つめた。幸助との付き合いは結構長いものになるが、彼が恋愛に対してここまで純情・・・もとい、「うぶ」だとは知らなかった。
「勘違いしないでほしいんだけど、別に望みがないわけじゃないよ」
律子はさっきまでの冷たい態度を一変させて言った。
「私がこんなこと言うのもアレだけど、あんたって結構面白いし、顔も・・・まあ、二枚目ってわけじゃないけど悪いもんじゃないんだから、告白すれば、あんたが嫌いで由愛は告白を断るようなことはしないと思うのよ。でも・・・、その、これは、なんていうか、どうにもできないことなのよ」
経験こそないが、心の傷は簡単には癒えないものだと幸助も知っていた。
「彼女は彼女なりに、過去のことに向き合ってる。だから、今学校にも通って、あんたとも友達になってる。由愛は、過去のことを乗り越えようとして、これまで精いっぱいやってきた。でも、世の中、どうしようもないことってあるじゃない」
幸助は何も言わなかったが、理解はしていた。
今、告白するのは、三島にとって難しすぎるのだ。拭いきれない過去に向き合って努力してきた彼女に、今、自分の好意を伝えるというのは、どれほど浅薄なことだろうか。
とても悲しい事実だったが、知らずに彼女に告白する前に知れて良かったと幸助は内心で思っていた。
「よくわかった。・・・・三島さんのためにも・・・告白はしない・・・」
幸助は力なく言った。
だが、「でも、でもさ・・・」と幸助はつぶやきながら、ラムネの瓶を眺め続ける。瓶に映る自分の顔が、歪んで情けなく見えるのは、華麗な瓶の模様のせいじゃないだろう。
「またドライな態度とって申し訳ないけど、未練がましいわよ。仕方ないじゃない」
「未練がましくもなるだろ・・・。おぎゃあと生まれて17年・・・。得に女子に興味を持たなかった運命の童貞男の俺が、初めて好きになった女の子だぞ。しかもその背中を追っかけて2年・・・。告白もできずに、失恋って・・・・」
幸助は突然立ち上がり、レトロな青春ドラマよろしく、静かな田園に浮かぶ夕日向かって涙していた。
「あんたって普通の高校生より青春してるよね。気持ちだけだけど・・・」
これがドラマだったら、さぞ物悲しい音楽が哀愁を漂わせるだろう。思春期という若い時代を存分に堪能している幸助を片目に律子は、深々と溜息をつく。
「女の数は、男の数より多いのよ。その一人にフラれたくらいでメソメソ言わない」
「うるせえな!俺は三島さんのことが好きだったんだよ!!!」
「じゃあ、彼女の気持ちに整理がつくまで待ったら・・・?」
「それって何年後よ・・・?」
「由愛次第でしょ。本当に彼女が好きなら、何十年でも待てるでしょ?」
「いや、そうだけど・・・。・・・・いや、そうなんだけどさ・・!!」
幸助の話す調子がいつも通りに戻ってきたことに律子は気づいていた。涙ぐみながらも語る彼の声を聞いて、彼女は少しだけ安心した。このまま、つまらないケンカを続ければ、失恋の気持ちを紛らわせるだろう。
「まったく・・・。そうやってすぐに冷めちゃう恋なら、しないほうがいいわよ。そもそも高校生とか、ガキの年代で『付き合う』っていう概念が早いのよ。結婚するわけでもないのにさ。所詮、ヤリたい一心で、『愛』だとか、『好き』だとかっていう言葉に隠れてるだけでしょ?」
「失礼なこと言うんじゃないよ!!違うよ、俺は本当に三島さんのことを好きだったんだよ!!」
気が付けば、二人はそんな風に雑談を続けながら、ラムネを飲みほし、帰り道を歩いていた。それはいつも通りの光景で、他人から見れば、失恋した少年を同級生が慰めている光景には見えなかっただろう。
二人が駄菓子屋を出てから、ほんの数十分で分かれ道に着いた。幸助は右に、律子はまっすぐ帰る通りにさしかかった。会話に区切りがついたところで、律子が先に、「んじゃ、気を落とさないでね」と言った。だが、すぐに幸助が声を発し、律子の足を止めた。
「なあ、律子・・・」
彼の声は再び重苦しい雰囲気に戻っていた。
「なに?」
「俺さ・・・さっきまで失恋のことで頭いっぱいだったけど・・・。俺、そのさ、なんか三島さんのためにできることねえかな・・・?」
「は?」
「いや、だからさ・・。家族でも恋人でもない俺がこんなこと言うのはおかしいかもしれねえけど・・・。俺、彼女のために何かしてあげたいんだ。あの・・・なんていうか、あの日に見た三島さんの表情がずっと気になってたんだよ。あんなに怯えててさ・・・かわいそうじゃねえか・・・」
それを聞くと、律子は腕を組んで短く息を吐いて言った。
「それって同情?」
「・・・なんか、そう言うと嫌な風に聞こえるな・・・。でも、そうなのかな?分からねえ。ただ俺の目には、三島さんには助けが必要に思えたんだ。それで必要なら、どんなことでもいいからしてあげたいと思ってるだけだ」
やはり何かせずにはいられなかったようだった。
律子に事の真実を聞き出そうとしたこともそうだが、幸助はどうしても、落ち着いて、あの日見たことを忘れることができなかった。
「居ても立っても居られない」という言葉があるが、その言葉の意味を幸助は今、本当の意味で理解していた。
「・・・・。あんたのそういうところが良い所だと思うよ。その気持ちだけでも、由愛は、十分喜ぶと思う・・。でも、深入りしすぎるのは悪い所だと思うよ・・。今は、遠くから見守ってあげることが、幸助にできる一番良いことなんじゃないのかな」
律子もまたその気持ちを分かっていたようだった。「何もせずにはいられない」という気持ちを抑えるには、結局、「何かをする」しかないのだ。
だが、今彼には酷な答えを返すことしかできない。彼には今何もできない。それが事実だ。どれほど三島のことを好きだろうと、今はその気持ちを伝えることが、三島を傷つける。
「・・・つまり、何もできることはないってことだな・・?」
「告白を諦めてあげたじゃない。もう十分よ」
そうは言うが、幸助の顔の曇りは晴れない。落ち込む幸助の表情を見て、律子はいたたまれなくなってきた。
他人の視線から物事を見過ぎていたのだろうか?
自分は彼が誰でも経験する若い小さな失恋をしただけだと思っていた。明日や明後日になれば、すべてを忘れたかのようになるのだろうと。
しかし、彼は本当に落ち込んでいるようにしか見えなかった。まるで運命の人を失ったかのような雰囲気だった。
そんな彼に律子は思い切って、言ってみた。
「ねえ、そんなに落ち込むなら、いっそのことさ、『グレープ・マッコイ』の屋敷に行ってみたらどう?」
不意にかけられたその言葉に、幸助は思わず顔を上げた。
「聞いたことあるでしょ?あの『屋敷の幽霊』の話」
学校で聞いたあの都市伝説のことだった。思いもよらぬ提案に幸助は眉をひそめる。
「あの、何でも願いが叶うってやつか?」
「そう。だってさ、あんたいろいろやってきたし、これからだって、できることなら何でもやるつもりでしょ?だったらガセでも、何でもやってみたらいいじゃない。どうしても信じられないなら、『おまじない』ってことでさ」
もしも、恋の情熱に焼かれていない冷静な幸助だったら、この話を以前と同じように笑い飛ばしていただろう。だが、彼は自分でも驚くほどに、その話に希望をかけてしまった。
「なあ、律子」
「何?」
「お前だったら、なんて願う?」
「なんで私に聞くのよ。あんたの願い事でしょ?」
「アドバイスが欲しいんだ。親友のお前なら・・・・彼女のことを本当に思うなら、なんて願い事をするんだ?」
熱海律子は、そう聞かれて、少し考えた。彼女は三島由愛のことを幼いころから知っている。もちろん、彼女の過去のこともだ。
熱海律子は、少し考えると、すぐにぼやくように、思いついたままのことを口にした。
「彼女が怖がっているものを忘れられますように・・・かな」
かなり小さな声で言ったはずだったが、それは風に乗ってでもいたのか、幸助にははっきりと聞こえたようだった。すると、目の前から冗談っ気のない返事が返って来た。
「・・・そうか・・・。そうだな、分かった!今日の夜、屋敷に行って来る!!!」
律子は思わず「はい?」と間抜けた声を出して驚いた。
「え・・・?本気で言ってんの・・・?」
「ダメで元々だ。これでダメなら、神様からのお告げ・・・その時は、キッパリと諦めてやる。行ってやるぜ!!」
「ちょ、ちょっと・・・!!!落ち着いてよ!冗談で言ったんだよ!?どうせ、何も起こらないと思うよって・・・。ねえ、聞いてる!?」
そこから先の友人の声は、幸助には聞こえなかった。
まだ青年だから、こんな途方もない馬鹿をしたのだろう。
幸助はその夜、本気で家を抜け出し、グレープ・マッコイの屋敷に向かった。
何年か先になったら、彼はこの青臭く、若い行動を笑うだろうか?それとも誇りに思うだだろうか?
幸助は人気の全くなくなった夜道を歩いて、少し冷静さを取り戻して自分のしていることを振り返った。途中で何度か、やはり止めようかと思ったが、その考えとは裏腹に、足は一度も止まらなかった。まるで足が屋敷に勝手に向かっているような感じだった。
明日・・・どんな結果が起こったとしても、今夜ここでする行動は一生の思い出に残るんだろうな・・・。今考えりゃ、大人になったら、こんなこともしなくなるんだ。バカバカしいかもしれないけど、今のうちにこういうことするのも、良い経験かもな・・・
彼は暗い夜の中をひとりで歩き続けた。
この先に、彼が一生忘れられない経験をすることとなるとは知らずに。