12話3節(下)
「人を散々下等生物呼ばわりしておきながら、このザマとは! 口ほどにもない奴だ」
生命活動を完全に停止し、炭から塵へと変わってゆく敵の死骸。それを見下ろす翼の眼差しや声音は限りなく冷たい。まるでゴミクズを扱うような、そんな塩梅だった。彼にとっては、刃向かってきたけだものなど、その程度の存在でしかないのだろう。
死んだ敵への興味を失い、くるりと踵を返した翼は、アトリらの方へとつかつか歩いてきた。彼は祐への労いの言葉もそこそこに、アトリへ物言いたげな眼差しを向け、何かを期待しているような素振りを見せる。
「ふふん……どうだ? 俺の実力は。しゃらくさい防護術や呪いの炎さえ無ければ、あんな雑魚など全然目ではない!」
まるでお手伝いを終えたのを自慢する子供のように、胸を張り、声高らかにそう主張してくる翼。どうやら彼は、自分の活躍を褒める事を要求しているようだった。そのどこか甘えた眼差しからは、母親に誉められたがるマザコン少年のようなメンタリティを感じる。当然、そこに冷酷な告死天使や終末の権化の偉容は欠片も残っていない。
しかしながら、アトリとしてはチェレンコフ光じみた恐ろしい光を撒き散らしていた危険な男を近づけるのは、ちょっと抵抗がある。本人も祐も特に何も対策しないあたり、あれは放射性の何かではないのかも知れないが、念のためだ。近寄ってくる彼に防護服を要求した。
「防護服だと? そんなものはいらん。……確かに俺の光は青くて強力だが、放射線とかそういう類いのものじゃない。魔力由来の毒を含んだ光だ。標的以外には無害だから、安心するがいい」
「……はあ」
「ま、お前が恐れるのも無理のない事だがな。俺の能力は黒騎士でも最強クラス……遮断されさえしなければ、大抵の敵は死に至らしめられる。人類の製作物のうち最強最悪の存在である核と同一視されるのも、当然のことだ」
そう言ってふんぞり返ってみせた翼は、今度こそ側にやって来て、さっきまで死の光を撒き散らしていた羽でアトリをふわふわ包み込み甘え始めた。思わぬところで、思わぬ形の脅威と狂気を見せられることとなったが、どこまでいっても彼の本質は甘えん坊ポメラニアン系男子なのだろう。「こんな俺を花婿にできたお前は、世界一の幸せ者だぞ?」と愛しさたっぷりに自己主張してみせる姿は、まさにその極致と言える。
「俺はお前の王子様だ。このまま、ずっとお前をハッピーエンドに導き続けてやる。……だから、お前は何も心配しなくて良いんだ。俺たちの幸せを奪う奴らなど、俺が幾らでも薙ぎ払ってやるからな」
王子様を自称するだけあってか、翼のその思考回路は古式ゆかしい残酷なメルヘンの住人だ。彼は純粋に、恐ろしく純粋に、敵を数多く屠る事が自分たち二人の幸せに通じると信じているようだった。そして、そうする事がアトリの王子様たる自分の役割であるとも。
ただ、アトリからすれば、あのようにヴィランを躊躇いなく殺害しようとする王子様が居て堪るかという話である。どちらかというと、あれはサイコキラーの変種だ。否、もしかするとそれよりもずっと質が悪いかも知れない。何せ、彼のスイーツ極まる恋愛至上主義は、ハッピーエンドの為なら世界をも滅ぼすような危うさを多分にはらんでいるのだから。……悪夢の軍勢死すべしという思いはアトリとて一緒だが、この不穏なる殺戮王子に同調するのは少し気が引ける。うっかりすると暴走しそうで恐ろしいのだ。
「……そんな悲しい顔をするな。俺はお前との幸せの為なら何だって出来るんだ。戦う事など恐くはない」
ドン引き……もとい反応に困ったアトリが言葉を選びあぐねている間にも、翼はその身を擦り寄せてくる。彼は、戦わなければ幸せになれない現状をアトリが悲しんでいると思ったらしい。安心させるような、それでいて自信満々な声音でそう言い聞かせてきた。
「いや、別に、そういう訳では……」
「なら何だ……? 敵に情けでも湧いたのか? そんな必要は無いぞ。あいつらは所詮けだものだ。俺たちに害をなす時点で、生きる価値などない。駆除されて当然なんだ」
「た、確かにあれは共存できない敵ですけど……何もそこまで言わなくても」
「俺は本当のことを言っているだけだ。あいつらは頭の足りないけだもの。迷信だけで俺達を忌み嫌うような、程度の低い奴らなんだ。……俺たちの幸せをこれ以上奪うなら、あんな奴らは一人残らず消えてしまえば良い」
いじめられた幼子を思わせる調子で紡がれるその言葉には、どろどろと滲み滴るような蔑みと怨み、そして未だ癒えぬ痛みの影が混ざる。〝俺たちの幸せをこれ以上奪うなら〟というのは、きっと、今ではないどこかで散々受けてきた仕打ちを意味するのだろう。あの甘ったるい感性の持ち主である翼が敵に対して甚だしく冷酷なのは、もしかすると、そういった背景が有るからこそなのかも知れない。
仮にそうであるならば、異常な功名心や子供じみた残虐性にも説明が付く。翼にとって、魔物との戦いとは「忌まわしい過去との対決」でもあるのだ。彼は自分を傷付けようとする魔物と、今まで自分を傷付けてきた魔物を重ねて見ている。だからこそ、敵を完膚なきまでに叩き潰すという方法で、己の力と優位性を執拗なまでに示す。そうして擬似的に過去の悪夢を乗り越え、傷付いた自尊心を回復させる。……それはある意味虚しい代償行為、或いは筋違いの報復のようにも思えるが、傷付けられた存在が前を向くにはそれ程の強烈な体験が必要な時もあるのだろう。
(単純なように見えて、これはこれで厄介なトラウマ持ちみたい。フォローを怠ると大事故を起こしそうだ……気を付けよう)
ようやく見えてきた翼の実相の片鱗へ注意を払うアトリに対し、当の本人は「まあ、そんなこと、今はどうでもいいことだ」と締め括るや甘えた眼差しを取り戻す。今の彼にとって何よりも大事なのは、愛しの花嫁の関心を引くことらしい。ふわふわの羽毛に被われた腕でアトリを抱きしめた彼は、「俺はお前と一緒にいて、お前に愛されたいんだ。その為なら何だってする」と甘く囁き、頬ずりを繰り返す。その様は花婿というよりは、まるで親の期待も愛情も独占しようとする子供だ――意識的か無意識的かは定かでないが、やはり、彼は花嫁を母親に代わるものと認識している節がある――。
そんな翼の姿は、アトリに忘れ去った過去を思い出させ、彼女の胸中には苦々しい淀みが湧き起こる。壊れた家庭に置かれ、愛される事を早々に諦めた彼女にとって、翼の無邪気な欲求はあまりにも痛々しく感じられるのだ――人間というのは所詮、自分のエゴを満たすためだけに生きる存在である。他者への愛情だとか思い遣りだとかいったものは、打算や余裕から生まれるまやかしに過ぎない。そんなものを一生懸命に求めるなど、砂漠の蜃気楼を追うくらい不毛な行動だ。そこには耐えがたい渇きと苦しみしかない――。
しかし、なかなかどうしてか、アトリはこの男を冷たく突き放せない。厄介なトラウマ持ちである事を配慮して尻込みしているのか、過去の自身と重ねて同情しているのか、理由は自分でもよく分からなかった。ただ一つだけはっきりとしているのは、〝彼に無用な痛みを味わわせる事へ強い忌避感を覚えている〟ということだけだ。だからこそ、気が付けばその手は彼の広い背中をさすり、その口は柄にもない慰めの言葉を口にする。
「――私は黒騎士の花嫁です。あなた達の側にある限りは、その役割を全うするつもりです。生い立ちが生い立ちですから、愛情がどうとかいうのは得意じゃありませんが……なるべく、期待に応えられるよう善処します」
「それは……俺と一緒にいて、俺を愛してくれるってことか?」
「……あくまでも、まともな愛情など受けたことの無い人間なりにです。翼さんの求める通りにできる保証はありませんので、あしからず」
「それでもいい。お前がその気でいてくれるなら、それだけで十分だ」
つたない慰めに深い感慨と満足を滲ませた翼は、そう言ってアトリをもふもふの羽毛に埋める。大切な宝物をそうするように、羽と両腕とで彼女をくるむ。いくら自分の欲求を受け入れられたからといって、愛も恋も知らぬ空っぽの人間をそこまでありがたがる必要などないはずだが……彼にとってはそうするだけの価値や理由があるのだろう。人間にしても、魔物にしても、心の動きというのは理屈では説明しきれない部分が大きすぎる――アトリは、己には理解しがたい心理をそのように片付け、密やかな嘆息と共にその身をふわふわの羽毛と逞しい腕に任せた。爆発に巻き込まれたせいで焦げ臭くは有るが、その羽毛の柔らかさと筋肉の弾力性は決して悪い感触ではない。
「――そろそろ帰るか。もうここに用はない」
五分、いや十分くらいだろうか。アトリを腕の中でふかふかしていた翼はようやっと気が済んだようで、彼女をそっと抱擁から解放する。そして、また懐から出したお菓子を貪り食い始めた。……戦闘中もそうであったが、際限なくお菓子が出てくるなど、あの懐の中は一体どのような構造になっているのだろうか。そして、戦闘の急激なエネルギー消費を補うためとはいえ、四、五本もキャラメルナッツぎっしりのチョコバーを齧るのは如何なものだろうか。眠気を呼ぶような羽毛の温みから解放されて、幾分か冷静な思考が戻ってきたせいか、アトリは目の前の男の奇妙な生態にそのような疑問を抱く。
「翼さん……帰ったらアフタヌーンティーの予定なんですよね。今からそんな滅茶苦茶に甘いものなんか食べて、大丈夫なんですか」
「ふふん。心配は無用だ。俺ほどの者になれば、スイーツなどいくら食べても別腹だからな」
「またそんなことを……祐さんも、見てないで何とか言ってくださいよ」
「生憎ですが、僕もスイーツは別腹ですので。ここはコメントを控えさせてもらいます」
砂塵となった敵の骸を小瓶に採取するのが忙しくて今までアトリらを放置していた祐だが、翼がお菓子を食べだすやこちらへ戻ってきた。そして、アトリの訴えをすげなく拒否したその口で、「僕にも一口ください」と翼からあの高カロリー極まるチョコバーを貰っている。結局のところ、彼も翼と同じ穴の狢に過ぎなかったようだ――よくよく思い返せば、最初に翼が貪り食っていた大量のお菓子は彼の部屋にあったものである。あの時点で、アトリは祐が翼と同じくらいかそれ以上の甘党だと気付くべきだったのだ――。
「ふふ……このえげつない甘さとカロリーが、疲れた体によく効きますね。――ああそうだ。翼、さっき爆破されたトイレットペーパーですが……破片が拾えたので復元魔法を掛けておきましたよ」
「む、本当か?」
祐の指差す先、置かれた荷物の中には、失われたはずのダブルロールトイレットペーパーが何事もなかったかのように鎮座している。翼は最後のチョコバーをごくりと飲み込むと、それを大事そうに抱え、実存を確かめるようにふかふかしてみせた。
「これは。この感触は……確かに、俺のダブルロールだ。礼を言うぞ、祐。これで買い直しへ行かずに済む」
「お役に立てたなら何よりです……と、今のは……」
「ん? 何だ、まだ敵がいるのか? 俺には何も感じられんぞ」
「ええ、一瞬、近くに鼠が一匹潜んでいると感じたのですが……どうやら気のせいだったようです。もしかすると、裏世界に長居したせいで感覚がずれ始めているのかもしれません。――こんな場所からはさっさと脱出してしまいましょう」
アンニュイなため息混じりにそう言った祐は、再び持ち出した騎兵鎗で縦一閃に空を切る。不思議な光を帯びた鎗の先が滑った空間は、まるで切り裂かれたように湾曲し、生まれた裂け目からは本来の色彩を取り戻した街並みが覗いた。あれが表世界……いわゆる自分たちが普段身を置いている世界である事は、無知なアトリでも直感的に理解できた。
「表と裏の境目を裂いて作った、簡易的な経路です。これで元の場所へ帰れますが……開けていられるのはちょっとの間です。急いで通り抜けましょう」
祐の言う鼠の気配とやらは気掛かりであったが、非戦闘員の自分にできる事など何一つない。ここは、気のせいだと言う彼の判断を信じて去るのが賢明だ。……アトリは後ろ髪を引かれるような違和感を覚えつつも、祐の手を取り、裂け目をくぐった。途端に、裏世界特有のまとわりつくような寒々しい空気は逃げ去り、温かくしっとりとした晩春の空気が入れ替わりに全身を包む。そこにたっぷりと含まれた土や草木の匂いは、命あふれる世界へ戻ってきたことの何よりの証明のようだった。




