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12話2節(上)


[2]


 物置扉の向こうに接続された、次元の狭間にあるという黒騎士の領域。各部屋に繋がる廊下の体を取ったそこは、アーチ型の天窓から降り注ぐ暖かな陽射しで満ち満ちていた――ここの空は擬似的に作られたもので、天気や天体の動きは接続先と同期するよう設定されているのだ――。


 その暖かな光に包まれた空間をそろりそろりと進むのは、迷惑怪獣ツキシロツバサの回収を任されたアトリである。彼女は何処かから漏れ聞こえてくるグズグズという啜り泣きを頼りに、半開きになった一つの扉の前まで辿り着いた。


(よりによって、ここか……いや、秀さんの十号室じゃないだけ良いんだけど。五号室は……)


 五号室。それはアトリの天敵の一人である腹黒大魔王のねぐらなのだ。いくら翼を回収する為とはいえ、足を踏み入れるのには大いに抵抗がある。怪我人の部屋ではないのだし、置いて行っても良いのではないか――そんな気すらしている。ここで何か起こるとすればどうせ、迷惑怪獣と腹黒大魔王の潰し合いくらいのものだ。


「よし、放っておこう。ここならきっと大丈夫だもんね……」

「おやおや。傷付いた花婿を放置だなんて……あなたもひどい人ですね、アトリさん」

「げっ。祐さん」


 急に開かれた扉から顔を覗かせたのは、部屋の主、そしてアトリの天敵である祐だ。どうやら、部屋の前でもだもだしている間に感付かれてしまったらしい。敵のねぐらの前で突っ立っているなど失策だった……そう後悔するアトリだが、今更気付いた所で後の祭り。彼女の薄情を愉しそうにあげつらう腹黒大魔王によって、「頼み事はちゃんとやらないと駄目ですよ」と扉の向こうへ引き込まれてしまった。



◇◇◇◇



 ――引き込まれた先の部屋はまるで図書館か工房のような佇まいで、まさに魔術師のねぐらと言うべき空間だった。棚には奇妙な装丁の洋書や病的に歪んだ形のオブジェ、作業机には瓶詰めにされた薬草類や大鍋などが並んでいる。翼はその部屋の片隅に置かれた三人掛けのソファに鎮座していた。……どうしてそうなったのかは不明だが、その身に真っ白い布を被ってシーツお化けかメジェド神のようになっている。もしかしたら、幼児がそうであるように、彼もまた何かに包まれていると安心する質なのかも知れない。


 そんな珍妙な姿となった翼の前のローテーブルには、色とりどりの包み紙にくるまったチョコレートのバスケット、クッキーやキャンディが詰められたばかでかい瓶などが並ぶ。未だ悔しさに唇を噛みグズグズ泣く翼は、目前の菓子を次から次へバリバリと食べまくっていた。その勢いは先日のチェリーパイ事件どころではなく、糖尿病になるのではないかと心配になるレベルだ――もっとも、全身をミンチにされても再生する黒騎士がそんな病気に掛かるかどうか分からないが――。


「いきなり来たかと思えば、しばらく癇癪を起こしていたのですが……一頻り怒って落ち着いたのでしょう。少し前から、ああやって僕のお菓子を貪り食っています」

「やりたい放題じゃないですか……追い出されてないのが不思議ですよ」

「まあ、いつもの事ですからね。喧嘩に負けて逃げ込んでくるのも、ああやって僕のおやつを食べ尽くそうとするのも」


 詳細を知れば知るほど、翼の癇癪は完全に駄々っ子のそれであるが、祐はそれを口ほどには面倒と感じていないらしい。彼は腹黒大魔王らしい辛辣な口振りでありこそすれ、翼を邪険に扱いはしない。襲来した迷惑怪獣を端から追い返さず、おやつを食わせているのがいい例だ。


(これならわざわざ私を呼ぶまでもないんじゃないかな。こっちは一人っ子で、駄々っ子の扱いなんて分からないんだし……)


 そう困惑するアトリに対して、当のメジェド神もどきは白い布の下からチラチラと視線を向けてきていて、「俺を慰めに来たんじゃないのか」と厚かましいことを呟いている。ご指名という訳だ。こうなれば二の足を踏んでいる場合ではない。


「……ふん。お前も、郁みたいな年増っぽい奴の方が好きなのか。俺みたいな子供っぽいのは眼中にないって訳か」

「別にそんな事はないですよ。郁さんは郁さんで、翼さんは翼さんですし」


 幼く素朴な焼きもちと言えばそれまでだが、まるで人が変態綿毛に惚れ込んでいるような誤解は堪ったものではない。アトリはしっかりと否定の意を示して、翼の隣に座った――こういう時は言葉遊びなどせず、行動で物言う方が早いのだ――。


 実際、それは間違いではなかったのだろう。翼はアトリの接近を拒むことなく、にじり寄って引っ付いてきた。そのまま、少し痛いくらいに頭をぐりぐりと押し付けてくる。――しかし、アトリにはそのアクションが何を意味するのか理解しかねた。行き場のない感情を持て余しての八つ当たりなのか。幼児のように心の安定を図って密着しようとしているのか。それとも、犬猫のように撫でて欲しいと訴えているのか……仮説は幾らでも立てられるが、それらを確たる推測に昇華させられるだけの情報はない。アトリと翼の関係というのは、そのようにまだまだ浅いものなのだ。


「翼さん、これはいったい」

「見て分からんか。お前がナデナデしやすいよう頭を下げてやってるんだ」

「それは……何ゆえナデナデなんですか。意味が分かりませんよ」

「ふん……俺達の花嫁はこういった事に疎いとは聞いていたが、まさかここまでだとはな。傷心を慰めるといったら、ナデナデとかハグとかしか無かろう。こんなの常識だぞ。――まあいい。これで疑問は解決しただろう。さあ、さっさと手を動かせ」


 そう言って、いつまでも伸びてこない手にじとっと不満げな眼差しを向ける姿はまるでペルシャ猫である。お高く留まっているようで、その実、気ままな甘えん坊だ。こんなゆるふわお花畑ガールめいた常識を振りかざしてくるなど、そうとしか思えない。


 「どうした、早くしないか」大抵の駄々っ子や猫がそうであるように、アトリが未知との遭遇に唖然としている間も、翼は決して待ってくれない。白い布から伸ばした手で人の洋服の裾を掴み、きゅっきゅと引っ張って催促してくる。――果たして、このプライドが異常に高い癇癪持ちの頭など撫でて大丈夫なのだろうか……アトリの胸中にはそんな憂いが燻っているが、向こうが「撫でろ」と言うのだから仕方がない。こんな事で逆らってメジェド神もどきの不興を買い、目から怪光線の刑に処されるのは勘弁だ。恐る恐る手を伸ばし、やけに手触りの良い布越しに一往復、二往復と頭を撫でる――向こうの作業机で腹黒大魔王がくつくつと笑いを堪えているが、ここは我慢だ――。


「……ふふん。こうしていると郁の悔しがる顔が目に浮かぶな」


 ようやっと要求を叶えられた翼は満足したように眼を細め、例の嫌味ったらしい声音で郁への優越感を滲ませる。今の彼にしてみれば、アバンチュールだのツイスターゲームだのと欲を出し、その度アトリに冷たくあしらわれている郁は惨めな敗北者なのだろう。この様子では、そもそもここへ来たのは郁の頼み有っての事だというのは黙っておいた方が良さそうだ。それにしても……


「そんな目の敵にするなんて。翼さんは郁さんが嫌いなんですか」

「まさか! 嫌いなだけなら、とうの昔に後ろから撃っているさ。――これは、俺という存在を差し置いて、ずっと指揮官の地位を独占しているあいつに対しての反発だ」

「はあ」

「確かに郁の奴はそれなりに優秀だ。学業でも戦績でも何でも、あいつはいつも俺の一歩先を行く……だがな、あいつみたいな変態の腑抜けより、真面目な俺の方がずっとリーダーに相応しいはずだ。――他の奴らはやかましいだの、ポンコツだの好き放題言うが、絶対にそうだ」


 本当にそうなのだろうか。黒騎士の花嫁とされて一ヶ月とちょっとのアトリには、未だ花婿たちの力関係がよく分からない。分からないが、この明らかにポンコツめいたお坊ちゃんが、あの狡智極まる色欲魔神に勝るなどという話は非常に疑わしく思える。


 勿論アトリとて、先日の鎧の鬼女との戦いに於いて、彼の優秀さや勇敢さに助けられた事実は忘れていない。しかし、それを勘定に入れても翼の勝ち目を見出すのは難しい。それ程までに、不二郁という男は底知れない存在なのだ。


(……それでも、このまま放っておいたら、また掛かって行くんだろうなあ。何だか元気になってるし、燃えてるもの)


 性懲りもなく突撃をかました翼が郁の蔓の餌食となり、再び癇癪を起こす。そうなれば、また自分に宥め役のお鉢が回ってくる。ひどく非建設的な堂々巡りだ。――アトリとしてはそんな展開は看過できない。せっかくここまで立ち直っているのである。今日のところは、もうこのまま大人しくしていて貰いたい。


「こうなったら、今度こそ逆襲を果たして、俺の真価を見せ付けてやる」

「……あの、翼さん」

「ん? いきなり何だ」

「リベンジも良いですけど、ちょっと外に行きませんか? 私、日用品の買い出しに行かなきゃいけなくて」

「なに、買い出しだと? ずいぶん藪から棒だな。……アトリ。お前まさか、俺がまた郁に負けると思っているのか」


 頭をナデナデされ一度は蕩けた蒼玉の眼が、咎めるような鋭さを持った視線を突き刺してくる。単純な甘ちゃんかと思えば、意外と勘は良いようだ。これは下手を打ったかも知れない――瞬時にそう後悔したアトリだが、焦りは内心にしまったまま女優を続ける。今ここで一番やってはいけないのは中途半端にしどろもどろする事なのだ。


「いいえ、そういう訳じゃなくて。郁さんにリベンジするより、買い出しに付き合って欲しかっただけです。一人だと道中不安ですし、一緒に荷物を持ってくれたら助かるなって思って……」

「お、お前……俺に、付き合って欲しかったのか? 郁ではなく、俺に」

「そういう事になりますね……でも良いです。翼さんが郁さんにリベンジしたいなら、邪魔はしません。他を当たってみます」

「待て待て! 誰もやらんとは言ってないだろう! ……せっかく郁より俺を頼ってきたんだ。その買い出しとやらには、俺が付いて行ってやる」


 我ながら白々しい弁明だったが、意外にも効果は覿面てきめんで。翼は白い布を放り捨て、お菓子などに目もくれず慌てて立ち上がった。嫌なら他を当たるというのは、この負けず嫌いなおかっぱにとっては勘を鈍らせる程に重要なファクターだったようだ。……そのあまりのチョロさが少し心配ではあるが、兎にも角にもこれで任務完了だ。後は、このまま買い出しに行くだけでいい――色白ながら骨張った、まるで白樺の枝のような手に引かれ、アトリは人知れず愁眉を開いた。



お正月投稿ふたつめ……になる予定だったもの。細かいところの調整でかなり手間取ってしまいました。特に難しいシーンでもないんだけどなあ。


追伸:いつも閲覧ありがとうございます。ただいま、第一回黒騎士人気投票を実施中です。もしよろしければ、お気に入りの黒騎士にペシッと投票してみてください。

https://goo.gl/forms/0N5DCk4jphLUpTyt1

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