2話3節
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朝から物凄く疲れる事の連続であったが、アトリはどうにか遅刻せずに教室に辿り着く事ができた。と言うよりは寧ろ、いつもの登校時間より心持ち早い到着であった。不二郁は自分を起こしてから一悶着起こる事を見越していたのだろうか――そう考えて無性に腹が立ったアトリはふるふると小さくかぶりを振ってその可能性を否定した。単なる偶然で、運が良かっただけだ。あの脳味噌までピンクに染まった変態綿毛がそんな事まで想定できるはずがない、と。
(それよりも今は、あの変態への対策を考えないと……その為に家を捨て置いたんだから)
逃げてもすぐに居所を掴まれ、助けを求めても誰もが彼の妖術に掛かってしまう状況下である。有効な選択肢は少ないだろうが、それでも何か捻り出さなければこのまま変態の餌食になるだけである。
(逃亡や救助要請は無理だ。だからってあいつを追い出せるほどの力は無い――いっそのこと油断させたところを殺るか。あいつ私にデレデレしてるし簡単に……いやいや駄目だ。そんな事したら私が犯罪者になるかも知れない)
人間、それも非力な女子高生単独で化け物をどうにかしようと言うのが土台無理な話である。表面上は平静を装って文庫本をぱらぱらと捲り、内心では頭を抱えて悩むというある意味器用な芸当をこなすも、名案など一つも出てこない。ホームルーム前の教室の喧しさが神経を逆撫でするだけだ。それでもどうにか平常心を保ちながら冷徹に変態綿毛への対策をシミュレートし続ける。が、どれもこれもあの変態にうまい事受け流される結果しか見えてこない。勝ちが全く見えないのだ。
(泣いて出て行くまであの綿毛を毟り続けるか……)
ふと、かさりと後頭部に何かぶつかって落ちた感触。その異物感に集中力が一気に掻き乱される。大方、近くでばか騒ぎしている男子グループが投げ合っていたものがこちらに飛んできたのだろう。
「おー、わりい雛形ぁ。コントロールずれたわー。めんごめんご!」
二つ隣の山田がふざけた謝罪を寄越してきている。椅子をロッキングチェアの要領で傾かせ、肘を出っ張らせて合掌する様はシンバルを持った猿の玩具に似ていた。
……ああ、こいつ。人が理不尽な目に遭って懊悩してるっていうのに、お気楽にばか騒ぎしやがって。先ずはお前から毟ってやろうか――ほぼ逆恨みと八つ当たりの激情が思わず頭をもたげるが、顔面は戸惑ったような笑顔をキープする。雛形アトリのクラス内に於けるポジションは「感じの良い、普通の生徒」。アトリはこの位置の為に日々努めて無難に振る舞っているのだ。ここで馬鹿みたいに八つ当たりの感情を露にしては今までの努力が水の泡。ここは忍の一字である。
「仕方ないなあ。今度から気を付けてよ」
そう肩を竦め、床に落ちた紙の玉を拾って山田へ返せば、「呆れられてやんのー」「良かったな、雛形は優しいから許してくれるってさ。これが姫野とかだったら目も当てられねえわ」「わりいな雛形ー」などと山田の愉快な仲間たちが口々に軽口を叩く。彼らもまた、どこか猿を彷彿とさせた。所謂類は友を呼ぶという奴だろう。――ともかく、どうにか猿軍団に黒い腹の内を悟られずに済んだようだ。
(ふう。危ない危ない……優先順位を履き違えるところだった)
アトリにとって最も優先されるべきは己の保身である。その為にアトリは己の歪んだ性根をひた隠しにして「普通の生徒」という立ち位置を維持している。
出る杭は打たれる。人の世の常であるそれはこの狭苦しい学舎に於いて顕著だ。優れていれば僻まれ、劣っていれば蔑まれる。また、特色あるパーソナリティを持っていれば時に浮いてしまう。打たれない為には平均的で特色もないのが、並んだ杭でいるのが一番なのだ――アトリはそう固く信じるが故に、「普通」というものに強く執着しているのである。
個性や自分らしさというものが持て囃されているこのご時世に於いては嘆かわしいまでに擦れた方向性であるが、アトリにとっては個性や自分らしさなど無価値であった。下手に自分の色を出して、誰かと衝突したり、誰かの不興を買って不利な立場に落ちるのは馬鹿らしい。本音はどうであれ、何に対しても無難な正解と思われる対応をするのが一番に決まっているのだ。腹の内が、心がどうであろうとも、表に出さなければ誰にも分からない。表さえ取り繕っておけば、相手は良いように自分の心を誤解してくれる。……今そこにいる男子生徒らのように。
言葉や感情を偽り誰とも心を通わさないなど虚しい、寂しいという人間も居るが、アトリは特に問題視をしていない。人間関係というのは厄介なもので、関係が深ければ深い程、齟齬を来した時の愛憎やダメージが大きい。そして、どんなに相手を大事に思っていても齟齬は出る。アトリには面倒事やダメージを負ってまで誰かと懇意になろうという意思は無かった。誰かと心を通わせても、いつかはそれも壊れて牙を剥くのだと両親の離婚で分かっている。人間関係で得られる幸せなどまったく当てにならないのだ。
人生など理想的かつ平均的な型通りのものを歩んでいれば良いのだ。良い成績を収め、良い進学先や良い就職先を得て安穏と暮らせればそれでいい。そうして得られるお金やスキル、社会的地位というのは分かりやすい幸せのバロメータだ。めったな事がない限り、自分を裏切る事は無い。
それに対して、個性や感情などに振り回されて生きるのは破滅への片道切符も良いところだ。だから、アトリは不二郁を許容できない。元々、恋愛ボケした奴など最も信用ならず非常に癇に障る存在である。その上、それが自分を型通りの人生から乖離せしめんとするなど到底許せるものではない。あんなものと一生を共にするなど、これ以上無い悪夢だ。
(……しかし、これ以上考え込んでも良い案が浮かぶ気がしない。少し頭を冷やそう。無闇に粘っても行き詰るだけだ)
丁度そこで、担任が教室に入ってきてホームルームが始まった。いつも通り、型通りの出席確認や連絡はアトリのささくれだった心を幾ばくか慰めた。最後に付け加えるように、注意事項として犯人未逮捕の通り魔事件や詐欺紛いの怪しい商売の話が上がり、夜遅くまでの行動や怪しい店舗への入店はしないようにとの通達が渡る。こんな治安だから、我が家に花婿気取りの変態が居座るような事になるのだとアトリは内心で嘆息した。
◇◇◇◇
昼休みは中庭で過ごす事にした。変態綿毛の手作り弁当という得体の知れないブツを持っている今、人口密度の高い教室に留まる訳にはいかなかった。また、普段の昼食は友人の姫野美咲と共にする事が多いのだが、今日は部活のミーティングだとかで彼女は不在である。不幸中の幸いと言えよう。
中庭の片隅で、アトリは膝の上の怪しげな弁当包みとにらめっこして「……はあ」とため息をつく。朝と違って強制する者が居ないのだから変態の作った弁当など食べなくていいという冷徹な思考と、食べ物を粗末にするのは如何なものかという倫理観の狭間で葛藤しているのである。
「あれ、雛形じゃないか」
不意に掛かった声に思わず肩を跳ねさせながら、アトリは顔を上げた。目の前には同じクラスの男子生徒――上條直人が立っていた。彼は購買からの帰りらしく、レジ袋を手に提げている。中庭は教室棟と購買のある棟との間に有るから、ここを通過してゆく生徒はそれなりに居るのだ。
「ああ、上條くん……」
彼は「ノリが良くて気配りも出来る」とクラスでも評判の良い好青年だ。――実際、アトリも成績優秀でありながら気さくで嫌味な所のない上條を好青年だと思っている。おまけに健康的な色の肌やアイドル風の爽やかな顔立ちがとても眩しい。何もかもが不二郁とはまるで真逆の存在である。
そんな上條は学年が上がってクラスが一緒になって以来、何かと話しかけてくるようになった。……もっとも、向こうにそんな気は無く、ただ単に偶然そういう機会が多いだけかも知れないが。とにかく会話する回数が増えているのは事実である。
「どうしたんだ? そんな思い詰めた顔して。悩み事なら相談に乗るけど」
「ああ、いや……ええと。お弁当の中に苦手なものが入っててね……それだけなんだ」
「へえ。雛形にも嫌いな食べ物とか有るんだな。俺が食べようか?」
ただ普通に会話して、普通に内容が通じる。何と喜ばしいことか――どこぞの変態との攻防で疲弊しきったアトリの眼には、上條がとんでもなく有り難い存在に見えた。それでなくても、調子づいて人を馬鹿にするでもなく、いたずらっぽく笑って冗談を言う姿は眩しさ三割増である。今なら彼をイケメンなどと褒めそやし黄色い声を上げる女子生徒の気持ちが分かるというものだ。
――罷り間違っても、こんな好青年に得体の知れぬ食品を食べさせる訳にはいかない。彼は変態の毒牙に掛かって良いような人間ではないのだ。
「大丈夫、ちゃんと食べるよ。ありがとう」
「そう? じゃあ、頑張れよ。俺、応援してるからさ」
上條はそう言い残して教室へ戻ってゆく。引き際もスマートなさらりとした振る舞いに、ちょっとばかりの冗談を交えられる上條はステキな人だとアトリは好感を持った。本当にあの変態綿毛とは大違いである。
「……それで、問題はこれだ」
アトリは弁当に視線を戻す。いつまでもにらめっこしている訳にもいかないので、渋々ながら包みを解き、恐る恐る蓋を開ける。そこには男性らしからぬ細やかな綺麗さで盛り付けられた、相当に手の込んだ弁当が詰められていた。しかし、それをぶち壊すかのように白飯の上に桜でんぶでハートマークが描かれているのがなんとも気持ち悪い。すぐに蓋を閉じ、やっぱり捨てようかと逡巡したアトリだが、食べ物に罪は無いし、これを食べて調子でも悪くなれば郁を糾弾して追い出す口実になるだろうと考え、腹を据えて食べる事にする。朝同様、毒を食らわば皿までと黙々と完食に至った。弁当は冷えていながらも美味だった。否、寧ろ冷えた状態でも美味しく食べられるよう計算され尽くしている。
(見映えも良ければ味も良し、か。朝食といい、弁当といい、私の作るのとは段違いだ……負けた相手があの変態綿毛でさえなければ素直に称賛できるのに)
しかし、負けた相手はあの脳味噌お花畑の変態綿毛であるのが現実である。アトリは少なからず抱いていた女子としてのプライドをベコベコにへこませながら、静かにご馳走さまと手を合わせた。それとほぼ時を同じくして、携帯がメールの着信を伝えて彼女の心臓を跳ねさせる。メールの送り主欄には『不二郁』の表示。アトリは自分のメールアドレスが奴に漏れ、自分の携帯には奴のアドレスが登録されていることに戦慄した。当然であるが、アトリはあの男とアドレス交換などした覚えはない。寝ている間に携帯を弄られたに違いなかった。化け物は化け物らしく、ファンタジーの世界に生きて、いつまでも中世程度の古き良き生活水準で満足していれば良いのに。
『やあ、アトリ。勉強は捗っているかい? 今はお昼休みだと思うけど、お弁当はきちんと食べてくれたかな。今日の夕飯の希望に感想なんかを添えてメールしてくれると、僕はとっても嬉しいよ』
……随分と厚かましい文面である。メールの送り主は本当に不二郁のようだ。まるでこちらを見ているかのようなタイミングでの文面に、アトリは更なる戦慄を覚える。やはりあの変態綿毛は早期に排除すべきものだ。自分の世界に居てはいけないものだ。これ以上、奴に自分の平々凡々かつ安穏とした型通りの生活を引っ掻き回されては堪らない。早く、早くどうにかしなくては……アトリは焦燥に似た思いを抱いて拳を握り、空を仰いだ。空は憎々しいぐらいにのどかな快晴であった。
◇◇◇◇
昼休みから放課後に至るまでずっと、アトリは家に居座った変態を追い出す対策を練り続けていた。しかし、結局ここに至るまで有効そうな手を何も思い付かないまま、下校時間を迎えてしまっている。何から何まで、前例もマニュアルもない問題は、教科書通りの模範的な事しか出来ないアトリには苦しすぎる難問なのだ。
(万能触手に洗脳術持ちの相手にどうやって勝てば良いんだ。こっちはただの人間だぞ……やっぱり、油断したところを殺るしかないのか……)
アトリがホームセンターでの凶器購入を真剣に検討することを視野に入れ始めたその時、教室の後ろで派手めな女子グループがきゃあきゃあと騒ぎ立てる。そのキンキン声が脳髄を不愉快に揺らし、いい加減ごちゃごちゃしてきた思考を更に掻き乱す。アトリは思わず顔をしかめそうになったが、どうにか平常心を保って表情筋を固定した。
「――だからぁ、バイト先にさあ、こっちが嫌がってんのに、しっつこく絡んでくるうっざい男が居たの! あいつ以外は全然イイとこだし、辞めちゃうのはイヤだから、こっそりちょっと嫌がらせしてやったんだよねえ。そしたらそいつ、一週間もしないうちに来なくなっちゃった! 年下の女にやられたとかプライドが許さないっていうの? 店長にもなーんにも言わないからアタシはオトガメ無し。まあ、自分から手出しといてやられたんだから、何にも言えないよねえ。それからはもう超快適でさあ! アタシって天才じゃなぁい?」
どうやら彼女らはバイト先についての愚痴を言い合っているらしい。一人が声を大にして、武勇伝のようなものを語っている。アトリはえげつなさの滲むその内容に「恐ろしい奴が居るものだ」と身震いしたと同時に、一つの閃きを得た。
(嫌がらせか……その手はまだ考えてなかった)
今までアトリは直接的に郁を排除する事しか考えてこなかった。しかし、それこそが間違いだったのだ。相手は規格外の人外であり、人間の実力行使など然したる効力を持たないのは昨晩と今朝の攻防で証明されている。アトリが検討すべきは率直な排除法でなく、人外にも通用するような搦め手だったのだ。
そんな単純な答えに今まで気が付かなかった、直接排除に拘っていたというのは、それだけ郁に対する嫌悪感が先に立っていたという証左であった。アトリはこの前代未聞の事態にこそ必要である冷静な思考を失っていた己の未熟さを恥じる。
(不二郁は化け物だけど……愛だの運命だの言うくらいだし心は持っているはずだ。嫌がらせは効くかも知れない……)
度重なる拒絶を『嫌よ嫌よも好きのうち』で押し切る変態綿毛であろうと、露骨に悪意を向けられれば流石に幻滅して愛想を尽かすのではないだろうか。
そう一縷の希望を見出だしたアトリは「見ていろあの変態め。とにかくいびり倒して叩き出してやる」と心の内に闘志をみなぎらせ、スッと席を立った。家で待ち構えているに違いない変態の存在を思えばうんざりするばかりだが、立ち向かわなければ安穏とした日々など二度と訪れない。これは既に奴と私の戦争なのだ――アトリはそんな強い決意を胸に帰路へ就いた。
◇◇◇◇
自宅という名の戦場へ舞い戻ったアトリを出迎えたのは、相変わらず趣味の悪いエプロンを着けた変態綿毛である。出来れば霞の如く消え失せていて欲しかったが、現実はそう甘くない。変態綿毛は今朝同様にでれでれとしながらも、何か不満が有るようでぷりぷりと口を尖らせてもいた。
「お帰り、アトリ……酷いじゃないか。ダーリンのメールを無視するなんて! 今朝も言ったばかりだろう? そういう事の積み重ねが隙間風を生むんだよ?」
「はあ……人の携帯を勝手にいじってアドレス抜いた奴が何を言ってんですか」
「ダーリンである僕には、君の携帯番号とアドレスを知る権利が有るんだよ。このご時世、何をするにしても連絡先が分からないと大変だろう? とはいっても、君は僕が素直にアドレス交換しようと言ったって応じてくれないだろうからね。君が寝ている間に手早く赤外線通信したのさ。――ああ、安心すると良いよ。データフォルダやブックマークは見ていないから。アトリにも隠したい趣味や性癖の一つや二つくらい有るだろうからね……」
「最後に気の利いた事言ったつもりなんでしょうけど、全然そんな事ないですからね? 変態と同列に語られるとか侮辱も甚だしいですからね?」
さすが、変態綿毛である。人のプライバシーを侵害しておいて悪びれる様子ひとつない。元々嫌がる人間を強引に花嫁とし、勝手に居候を決め込むような奴である。謝罪や反省など端から期待していなかったが、そんな予想の遥か斜め上を行く回答にアトリは頭が痛くなってきた。当の変態はアトリの苦悩もお構い無しで、胸焼けするような甘ったるい仕草で新妻ごっこを続行する。
「それでアトリ、今からご飯にするかい? お風呂にするかい? それとも僕に……」
「その先は言わないで良いです。聞きたくない。というか、いちいちネタが古いんですよ」
「何を言っているんだい、アトリ。これは王道な古典ネタだ、ただの古いネタと一緒にしないでくれ」
訳の分からない主張をする郁に、アトリは内心で結局古いんじゃないかとごちる。昨日から感じていた事だが、この男はどうも感性が古くさい。古風と言うような、連綿と受け継がれてきた歴史を感じさせる上等なものではない。一昔前の軽佻浮薄な空気を未だ残した風――つまりオッサンくさいのだ。
「……まあ、そんな事は良いんだ。で、ご飯とお風呂と僕、どれにするんだい?」
時代遅れのオッサンというのは懇切丁寧に相手をしてやるほど付け上がるものである。まともに相手してはいけない。ここは無視するに限るとアトリは郁をスルーして自室に戻ろうとする。しかし、この食虫植物系男子が易々と逃亡を許すはずもなく。獲物が動いたと見るや、郁はすぐさまアトリの腕を掴んだ。心なしかその頬は桃色に染まっていて、潤んだ瞳には隠しきれない恍惚の色が浮かんでいる。
「ふふふ。アトリったら大胆だね……分かったよ。なら今すぐベッドに行こうか」
「ちょっと待て、私何も言ってない!」
「口で言うのが恥ずかしいから、こうして行動で示して僕を誘ったんだろう? 僕には手に取るように分かるよ……大丈夫、何も恐がらなくていい。ちゃんと優しくしてあげるからね。さあ、目眩めく新婚ベッドルームにレッツラゴーしようじゃないか」
つい、と長い指をアトリの顎へ這わせ、無駄に形の良い唇を歪めるその姿は大いに扇情的であったが、郁に散々頭を悩まされ続けているアトリには妙にいらっとする感覚しか生まれなかった。
「嫌ですよ! ああもう、何が悲しくて、こんな脳味噌の代わりにピンク色のおがくずが詰まったような変態とベッドインしなきゃならないんですか!」
「ふふふ……確かに、君の言う通りさ。僕の頭脳は君にメロメロですっかり骨抜きだよ」
「明らかな罵倒をよくもそこまで曲解できますね」
「そんなに誉めないでくれ。照れるじゃないか」
「そこは照れるところじゃない!」
暖簾に腕を押せば中に引きずり込まれ、糠に釘を打てば釘ごと飲み込まれるような塩梅で、アトリは敗北感にうちひしがれる。相手は規格外の人外……感性も人並みな訳がなかったのだ。そんな危険物を、ただの時代遅れのオッサンと同じように扱ったのが間違いだったのだ。この変態――ピンク色の宇宙産であろう冒涜的な存在――にはもっと別次元の対抗策が必要なのだ。対話での解決などという生ぬるいものでなく、もっと強硬な手段が……
(言葉に頼らない強硬的な措置――つまり、金的)
そんな閃きに伴い、膝がスカートを靡かせ風を切る。二度目でも慣れない不快な感触と「うぐぉっ」という無様な呻き声の後には変態が床に倒れ臥していた。肝心なあれが使い物にならないとあっては、ベッドイン云々どころではないだろう。正解は至極簡単なものであったのである。
(でも、これは一時的な対処法でしかない……根本的な解決の為には、もっと別な事を考えないと)
その為にはやはり、嫌がらせによる追い出し作戦を行うべきだ。そう決心したアトリは、何やらうるさい足元の変態を置いて今度こそ自室へと戻った。悪魔の花嫁になどされない為には、敵を徹底的にいびり、心をへし折る為の非情な計画が必要なのだ。
2021/5/31:加筆修正を行いました。