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10話1節(下)


『――アトリの所へ行くなら、ついでに霧月を起こしてきてくれないかい。いくら寝汚いあの子でも、アトリと君という飴と鞭の前には起きざるを得ないだろうからね』


 郁からそう言いつかったらしい朔はアトリを連れ、物置扉の向こうの十三号室を訪れていた。何らかの美少女アニメのキャラクターでごてごてに飾られたドアを情け容赦なく叩き、「ここを開けろ霧月ィ!」とがなる姿は家宅捜索に来た鬼刑事のように見える――ともすれば借金取りのやくざ者にも見えかねない行動だが、そう見えないのはひとえに人柄の問題だろう――。

 部屋の主はその一撃で目覚めたようだが、図太いと言うべきか厚かましいと言うべきか「朝っぱらから騒音公害とはけしからんですよ、朔さん!」とドアと布団越しにモゴモゴ言い返してきた。施錠された魔除け付きドアに守られて強気になっているのだろう。


「馬鹿者が! もう既に昼前だ! いい加減に惰眠を貪るのをやめて起床しろォッ!」


 下手人のそんなふてぶてしい態度に憤った朔は一息にドアを蹴破る。ドロップキックで一瞬にして郁を要モザイクの肉塊に変えてしまう脚は、いとも簡単にドアを美少女キャラクターごと粉砕してしまった。それに哀れなお寝坊さんが「ほぎゃあ」と悲鳴を上げるがもう遅い。無慈悲な破壊者はドアと美少女の残骸を踏みつけて部屋へと侵入し、躊躇いなくカーテンを全開にして直射日光を招き入れた。


「ああっ、直射日光は駄目です! 溶ける、溶けてしまいますっ……!」


 布団を被ったまま……と言うよりも布団と一体化したまま、霧月はそんな悲鳴を上げて日陰の方へともぞもぞ這ってゆく。そうはさせるかと朔が端を踏みつければ、この布団芋虫は「今日はみんな大好き日曜日じゃないですか。私、非番じゃないですか。まだ惰眠を貪りたいですう!」と往生際悪くじたばたした。


「非番であろうが何であろうが知るか。私は貴様の自堕落を許さない! これ以上抵抗するのであれば……その布団、剥ぎ取ってくれる……!」

「そ、そんなご無体な! むーちゃんからお布団を剥ぎ取るのは、カタツムリから殻を奪うのとおんなじです! そんなことされたら死んでしまいます! やめて、やめてください……!」


 蜘蛛に捕らえられた芋虫よろしく必死に無駄な抵抗をする霧月に、入り口でもたもたしていたアトリはそろそろ仲裁に入らなければと一歩踏み出す。恐らく、郁はこういう事態を想定して自分を朔と一緒に向かわせたのだから、役目を果たさなければならない。


 ――そんな決意に水を差すかのごとく、「そのくらいで許してあげたらどうかな」と後方から鈴を転がすような声がしたのはほぼ同時のことであった。


「そうです、そうです! 玲さんの言う通り……って、ああっ! いけません、玲さん!」


 思わぬ救世主の登場に喜び顔を出す霧月だが、その姿を認めた彼は顔色をサッと変え、まるでゲジゲジのように素早く布団ごと移動して彼へと突撃する。それが掠めてふらついたアトリはドアの破片だらけの床へ転けそうになり、視界がぐるりと回る。天井、壁、そして床と変わる景色の中に映り込む異物はいつかのマッパ……それをはっきり認め、床へ体を強打する前に白と黒の何かがアトリを包み込んで視界を覆った。どうやら朔がすんでのところで抱き止めてくれたらしかった。朔はその長い両腕を這わせてアトリの無事を確かめると、殺気の対象を闖入者(ちんにゅうしゃ)へと変更し鋭い眼差しを向ける。


「あれ。どうしたんだい、朔も霧月も……そんな顔して」

「この変態が……とぼけた事を抜かすな!」

「そうですよ玲さん! 真っ昼間から何してるんですかっ。せめて大事なトコだけは隠してください!」


 アトリを懐に庇い玲を威嚇する朔。身を膨らますように被った布団を盛り上げ、必死に玲の股間を隠す霧月。対して台風の目である玲は気ままなもので、きょとんと首を傾げている――丁寧に編み込まれた白髪をさらりと揺らし、翡翠色の眼を邪心無く輝かせる様だけ見れば文句なしの美青年だ――。その振る舞いは自由を愛する・求めるという次元などとうに超え、既に自分は何者からも自由だと言わんばかりの様子で常軌を逸していた。ただ突っ立っているだけの様にすら、そこはかとない狂気を感じる。


「いやだな、霧月。僕のは隠さなきゃいけないような、お粗末で醜悪なものじゃないよ。それに万が一お粗末なものでも、アトリは僕のこときらいにならないから、平気だよ」


 その途端に朔や霧月のぎょっとした、信じられないものを見るような視線が突き刺さる。大きな誤解だ。アトリは裸族の尻の毛がどうだろうと構わぬだけで、玲の露出癖を全肯定したつもりは微塵もない。自分だって、再三に渡って電波たっぷりに見苦しい露出をされては堪ったものではないのだ――まったくもって不本意な疑惑にアトリは全身の毛が逆立つような不快感を覚えて思わず吠えた。


「ちょっとやめてください! 私はマッパで動き回って良いだなんて、一言も言ってませんよ! ああ、もうっ……玲さん約束したじゃないですか……もう無闇矢鱈にマッパにならないって」

「うん、うん。そうだったんだけどね……こんなに気持ちのいいお天気だと、やっぱり脱ぎたくなって。えへっ」

「えへっ、じゃないですよ。真っ昼間から何てことしやがってくれるんですか……ハア。まあ、性癖がそう簡単に直るとも思ってませんでしたよ――もうこの際、脱ぐのは仕方ないです。脱ぐのには文句は言わないんで、そういうのは自分の部屋かヌーディストビーチでやってください」

「そう……? なら、アトリも僕のお部屋で一緒にするかい? 日光浴」

「どうしてそうなるんです。しませんよ。マッパで日光浴したいなら一人でやってください。さあ、回れ右して!」

「つれないなあ……じゃあ、せめて、おはようのハグだけはしてよ。そうしたら大人しく部屋に帰るよ」


 玲は霧月から押し付けられたタオルケットにくるまり、朔のガードをうまく潜り抜けてアトリに引っ付く。淡白そうな雰囲気に反して、何事も要領良く積極的なのだ。また、先日のやり取りのせいで、奴はアトリがどんな自分でも愛してくれると勘違いしている。ゆえに一切の遠慮がない。


 アトリは玲のこういうナチュラリーに変態で、涼しい顔して無邪気にセクハラをかます所が始末が悪いと思っている。これが郁や夷月のような根っからのスケベ野郎であれば、もっと攻撃的に拒否することも出来るのだが、彼の場合はゆるふわ電波……所謂常識がずれているだけの悪意なき変態である。諭せばそれなりに言うことを聞き、行いを改めるので、そこまでする必要がない。攻撃すれば却って罪悪感が生まれてしまう。そこを分かっているのかいないのか、玲は度々このように悪意無く「うっかり」とお気楽に間違いを起こすのだ。意図的だとすれば、こいつ程の悪党は居ないだろう。


「ねえ。ハグしてくれないの?」

「……ハグしたら、さっさと部屋に帰ってくださいよ」


 アトリがタオルケット越しに渋々ハグすると、この無邪気な変態は喜んで全身をすり寄せた。布越しにではあるが、非常に生々しい柔らかさと温もりのある感触がアトリを包む……。隔てるものの少ないそれは甚だしくイヤな具合で全身が総毛立つが、ここは忍の一字と彼女は身を固くして時をやり過ごした。家中の公序良俗を保つためにも、こんな露出狂はさっさと巣へ帰さなければならないのだ。


「――おいテメエ。こんな明るいうちからマッパ野郎といちゃつきやがって……優等生ヅラはどうしたんだよ、ああ?」


 しかし、そんなアトリの涙ぐましい努力も、煩悩の塊であるこの男からすればそうにしか見えないらしい。通り掛かった夷月――私服姿。大方、哨戒と郁への報告を終えて自室へ戻る途中なのだろう――は何もかも気に入らなさそうな様子で、今にも舌打ちしそうな顔してずかずかと近寄ってきた。そのまま通り過ぎれば良いものをと玲の肩越しに面倒くさそうな顔をしたアトリへメンチを切るのも忘れない。


「別に、どうもしませんよ。やむにやまれぬ事情があってこうしてるだけです――それよりも。メンチ切りながら話しかけてくるの、いい加減やめてくださいよ。躾のなってないワンコじゃないんですから」

「ちっ、誰がワン公だコラ! 俺ァ狼だって何度も言ってんだろうが……毎日毎日ふざけたことばっか言いやがって。そろそろ力ずくでテメエの立場を分からせてやった方がいいみてえだな、ああ?」

「やだ、ところ構わず発情しないでくださいよ。動物病院にぶち込んで去勢手術受けさせるのもタダじゃないんですからね」


 アトリと夷月というのは、水と油……と言うより塩素系洗剤と酸素系洗剤のようなもので。別にお互い嫌い合っている訳でもないのだが、顔を合わせれば高確率で売り言葉に買い言葉、喧嘩腰に塩対応で毒のあるやり取りを繰り返してしまう。最早そういう性質の関係性なのだろう。――たまったものではないのは、間に挟まれ毒気の渦中へ置かれた玲である。自分を挟んで大好きな二人がいがみ合うので柄にもなくアワアワしている。


「わわ、二人とも、喧嘩はやめてよ」

「喧嘩なんざしてねえよ。ただコイツがなかなか俺に尻尾振らねえから、テメエの立場分からせてやろうってだけだ。こんなの日常会話だろ?」

「はあ……いちゃもんを日常会話の範疇に入れないでください。場末のチンピラじゃないんですから」

「何だとテメエ」

「やめなよ、いーくん。アトリも――アトリ、いーくんは悪人面だし、いつも人に突っかかってるばかりに見えるけど、本当はただぶっきらぼうなだけなんだ。あんなだけど甘えん坊だから、ハグしてあげれば機嫌を直すよ」


 再衝突しそうになった二人を一生懸命引き離しフォローに入る玲だが、その言葉は対象を示すものとしては極めて不適当だ。こんな傍若無人な狼男には到底似合わぬ「甘えん坊」というキング・オブ・プリチーなワードの使用に、アトリは思わずげんなりする。


「……いやいや。こんな屈強で凶悪な野蛮人が甘えん坊って、ちょっとしたクリーチャーじゃないですか」

「おいテメエ、人が黙ってりゃ好き放題言いやがって! ――俺だってな、他の野郎と同じように構われてりゃこんなに文句は言わねえんだよ!」

「うええ……否定しないとか、マジですか」

「ちっ。ドン引きしてんじゃねえよ……テメエは俺の花嫁だろ。甘やかすまでいかねえでも、仕事から帰って来た花婿を労うくらいしても良いんじゃねえのか? ああ?」


 花嫁なのだから、哨戒という危険な仕事から帰ってきた花婿を労っても良いのではないか――確かにまあ、間違ったことは言っていない。そうして一旦納得してしまったら最後、即座に毒入りの反論を吐くのは難しい。

 次の句を選び損ねてアトリが口をモゴモゴしている間に、夷月は玲を押し退けずいと距離を詰めてしまった。僅かに汗臭い屈強な肉体に押し付けられるように、腕の中へぎゅうぎゅうと閉じ込められる。視界の上ではにっくき狼男が得意げに犬歯を剥き出しに渇いた笑いを溢していた。それにイラッとしたアトリはそのままジャーマンスープレックスを決めてやりたい衝動に駆られたが、敵の重量に対して彼女の腕力は貧弱である。現実にはぎゅっとハグし返してスリスリしたようになり、敵を喜ばせる結果にしかならなかった。こんな体たらくでは、今はせいぜいまだ見ぬ復讐の時を夢見て雌伏するしかない。


 そんな風に、アトリからすれば屈辱的な敗北に過ぎない夷月とのハグだが、黒騎士一同からすればご褒美以外の何物でもない。夷月だけがそんな美味しい目に遇えているのが面白くない朔や霧月は、我も我もとアトリの元へ押し寄せた。そのまま握手会ならずのハグ会に発展してしまい、野郎の腕や胸板でもみくちゃにされる。挙げ句の果てには暴走ダンプカーのように突撃してきた武志がベアハッグをかましてきて、アトリはこの世のものとは思えぬ綺麗なお花畑を幻視した。あれが俗に言う死後の世界、あるいは天国とか呼ばれるものなのだろう。何だかいい匂いがするし、温かいし、想像よりずっと居心地が良さそうだ――そこまで考えたところで、彼女の意識は壊れたディスプレイのようにぶつりと断絶した。


2021/8/8:加筆修正を行いました。

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