表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/106

2話2節


[2]


 キッチンへ連れて来られたアトリは、そのまま強引に朝食のテーブルへと着かされた。目の前では、見るからに上機嫌な郁がぱたぱたと忙しなく動きながら朝食をよそっている。これが昨日言っていた人間への擬態なのか、不二郁はワイシャツにズボン姿の普通の人間になっていた。

 ……もっとも、それもあの悪趣味なフリルエプロンを除けばの話であるし、非人間的で不気味な美貌も、蝋のような肌も何一つ変わっていやしないのであるが。そんななか、あの厄介な蔓が見当たらない事だけが、アトリにとって歓迎出来る事項だった。


「どうだい? なかなか美味しそうに出来てるだろう? 早起きして、腕によりを掛けて作ったんだよ」


 無邪気に愛嬌を振り撒きながら、心底嬉しそうにそう語る郁は新妻そのものであった。これが可愛い女の子で、アトリが男性であったなら、微笑ましい朝の一幕だっただろう。しかし、やっているのは中性的な顔をしているだけの立派な野郎である。おまけに、その非人間的な不気味さで愛らしい所作が絶望的なまでに似合わない。


 これは何の苦行だ――アトリは思わずそう自問自答したが、相手は理不尽を濃縮還元して皮袋に詰めたような存在である。いくら考えたところで答えが出るはずもなく、アトリはそのうち考えるのをやめて顔をしかめるだけにした。ただ一つ言えるのは、郁が人間らしく振る舞えば振る舞うほど、アトリの眼には奇怪で不気味で滑稽に映るのだという事だけであった。


「もう、アトリったら相変わらずツンツンなんだから。いつになったらデレを見せてくれるんだろうね」


 郁はそう肩を竦めながら、テーブルへよそった食事を並べてゆく。皿へ綺麗に盛り付けられたトーストやグリーンサラダ、ミネストローネ、フルーツヨーグルトなどは、まるでちょっとお高いレストランのような豪華さだった。ただ、それを作ったのは不審者であるため、アトリは食する気にはなれなかった。あの怪奇お花人間の事だ、食事に何を混入しているか分かったものではない。


「さあ、頂こうか……って、アトリ、食べないのかい?」

「……昨日買って来た夕食が残っているはずですから。古いそっちから食べます」

「ああ、あれの事か。大丈夫だよ。あのコンビニ弁当は、君をベッドに寝かせたあと僕が美味しく頂いたからね。すぐ食べられる物が有って助かったよ。昨日一日、何も飲まず食わずだったんだ」


 人を夕食も食わせず寝かせておいて、自分はその人の夕食をちゃっかり食ったのかと、アトリはしょっぱい顔をして眉根を寄せた。ただ、あの西洋かぶれのお洒落軍服姿の郁が夜中に一人コンビニ弁当をぼそぼそ食べている所を想像すると、予想以上にダサくて格好悪い。あまりの滑稽さに、固く真一文字に結んだ口から思わず「ぶふ」と吹き出してしまった。


「……何が可笑しかったんだい? 変なアトリ……まあ、良いか。せっかく豪華な朝ごはんが有るんだ。遠慮せずに食べると良いよ。さあ」


 郁は突然の笑いに首を傾げたが、それよりもアトリに朝食を食べさせる方が大事らしい。自分の食事に手を付ける事なく、さあさあとアトリに朝食を勧める。邪念の無い笑みがアトリの良心をチクリと痛めた。


「いや……その、変なものが入ってそうなので、パス……」

「変なものって……アトリは僕が早朝から食事に媚薬を混入して、あんな事やこんな事をしようと企んでると、そう思っているのかい? いくらセクシーテロリストと呼ばれる僕でも、そんな無体な事はしないよ。特別に何か入ってるとしたら、それは僕の溢れんばかりの愛情くらいだから、安心して食べると良いよ」

「一番ヤバくてキモいものが入ってんじゃないですか! ああもう、やっぱりこいつやだ!」


 アトリは粟立つ思いで声を荒げて立ち上がり、キッチンを出ようとする。しかし、それはガタンッという大きな音と共に一瞬にしてアトリの側に来た郁によって阻止された。凄まじい瞬発力を物語るように、郁の座っていた椅子がキッチンのカウンターにまで吹き飛んでいた。この男、蔓が無くても捕獲力に変わりはないらしい。アトリを引き留めるように腕を掴んだ郁は、憂いたっぷりの表情で語り掛けだした。


「アトリ。ダーリンの愛情料理で照れる気持ちは、分からない事もないよ。でもね、朝御飯はきちんと食べないと駄目だ。朝御飯を食べる事によって、体は本当の意味で目覚めるのだからね。良いかい、アトリ。君がしようとしている事は、寝惚け眼のパジャマ姿で外に出ようとしている事と同じなんだ。君のような、お年頃の可憐な女の子がそんな事をしてごらん。外界のいけない男たちは、君の無防備な姿に欲情して、飢えた狼のように涎を垂らして君を狙うだろう。僕にはそんなの見過ごせないよ。――だからね、アトリ。僕は心を鬼にして、君が朝御飯を食べるまでこの部屋から出さないと決めているんだ。良いかい、朝御飯を食べるまではこの部屋から一歩たりとも外へは行かせないよ。アトリの無防備な寝顔も、とろんとした寝惚け眼も、ちょっとお間抜けに涎垂らしてるところも、全部僕だけのものなんだからね。他の男になんて見せてやる訳にはいかないんだよ……そうさ、アトリの愛らしい寝顔は……」


 そんな気持ち悪い長台詞を吐いているうち、郁の憂いたっぷりの表情は鬼気迫る真顔に変わっていった。興奮のあまり、最後の方はもう何の話やら分からない事になっている。とりあえず、朝食を食べない限り部屋から出さないつもりでいるという事らしい。アトリは学生、勉学が本分である。こんな変態といつまでもサドンデス朝食をする訳にはいかない。こうなれば腹を括ってあの得体の知れぬ朝食を摂る他に道はなかった。毒を食らわば皿まで。遂には身振り手振りを交えだしながら、未だ何やら語り続けている郁を放って、アトリは無言で席に戻り、一思いにトーストへかぶりついた。朝食が見た目通りに美味だったのが、アトリには妙に腹立たしかった。


 そして食後。朝食が完食された事に満足した郁はようやくアトリを解放し、アトリは学校へ行く準備を口実にして逃げるように洗面所へと駆け込んだ。ひんやりとした床や空気が、絡み付いた甘ったるい空気を払拭する。それに安堵したアトリは取り敢えず歯磨きをしようと洗面台へ手を伸ばした。洗面台に置かれた歯ブラシホルダーには、いつも使うピンクの歯ブラシと真新しい紫色の歯ブラシが収まっていて、思わず顔をしかめてしまう。どうやら奴は本気でこの家に住み着くつもりのようであった。


 昨日の今日でこの適応力である。このまま放っておけば、奴は数日もしないうちに居着いてしまうだろう。あんな変態を家に置き続けるなどアトリは真っ平御免であった。有害植物は蔓延る前に処分しなくては――歯磨きを済ませ、冷たい水で顔を洗いながら、アトリはそう決心して顔を上げた。どうにかして奴をこの家から追い出さなくてはならないが、力ずくの排除は無理だというのは昨日身に染みて思い知らされている。


「今度こそ、警察を呼ぶか……」


 不二郁は何故か警察を嫌っている。その警察がやって来ればすごすごと退散するかも知れない。そうでなくても、身内でもない若い男が未成年の少女一人が住む家に居座っているとなれば、警察も何かせざるを得ないだろう。もしかすると奴は何らかの社会的制裁を受ける事になるだろうが、こんなけしからん奴は一度警察のお世話になって、自分の犯した間違いを悔い改めるべきである。そして、留置所なり何処かの怪しい研究所なりにぶち込まれでもすれば良い。それだけこの変態の罪は重いとアトリは考えていた。


 固定電話は変態のテリトリーと化したリビングキッチンにあって使えず、公衆電話は近所に存在しない状況である。そんな中、幸運にも携帯電話は鞄と共にアトリの部屋へ戻されていた。郁が朝食の後片付けに掛かりきりである今なら、二階の自室で電話をしても気付かれないだろう。まさに願ってもない好機である。どうやら、天も変態への社会的制裁を望んでいるらしい。


「それにしても……携帯を没収しておかないなんて、詰めが甘い。まあ、頭が万年春の奴はバカって相場が決まってるか……」


 昨日から今まで散々辛酸を舐めさせられたが、それもこれきりだ――アトリは勝利の凱歌を胸に今度こそ百十番をコールした。震える声で「助けて。家に押し入ってきた知らない男に居座られています。今は身を隠していますが、見つかったら何をされるか分かりません」などと怯え混じりに伝えれば、オペレーターは落ち着くようにと諭しながら、取り敢えず近くの警官を寄越すと約束してくれた。通話を切ったアトリは込み上げるものを抑え込むように背中を丸め、我が身を掻き抱いて声を詰まらせた。


「……う、うう……っく、ふ、ふふふ……あーっはっはっは!」


 詰まった声は堰を切ったような哄笑に変わり、アトリは腹を抱える。国家権力が相手となればあの不逞野郎もただでは済まないだろうという見解が、アトリに一矢報いたという実感と愉悦をもたらしていたのである。通報時の声の震えも、半分は単に笑いを堪えているだけに過ぎなかったが、向こうはうまく誤解してくれたようであった。あとは安楽椅子にでも座って高みの見物をするだけである……そう思っていたら、変態が急にドタドタと階段を駆け上がってきて、アトリは思わず身を固くした。


(……しまった、笑い過ぎた。それとも、通報したのに感付かれた?)

「アトリ? どうしたんだい。悲鳴みたいな大きな声がしたけれど……」


 控えめなノックの後に、郁がドアを少し開けて心配そうな顔を覗かせた。どうやら、さっきの声が笑い声だという事にも、アトリが警察に通報した事にも気付いていないようであった。警官が到着するまでにはまだ時間が掛かる筈である。それまでは怪しまれてはいけないと、アトリは先程までのつんとした様子を装う。


「な、何でもないです。ただちょっと、鞄に蜘蛛が引っ付いてただけで……もう逃げましたし」

「そうかい? なら良いんだけど。あんな悲鳴を上げるなんて、アトリは本当に蜘蛛が嫌いなんだね。でも、僕が居るからには大丈夫だよ。今日のうちにでも、この家から蜘蛛を一匹残らず居なくならせてあげるからね」

「そ、それはどうも」

「ふふ、良いんだよ。たとえ小さな虫でも、花嫁を脅かすものは取り除くのが花婿の仕事だからね。それに何より、アトリに悲鳴を上げさせるのは僕だけの特権だ」

「どういう意味ですかそれは」

「やだなあ。朝からそれを聞くのかい? 新婚で悲鳴なんて言ったら、ベッドの上くらいしか無いじゃないか、もう……」


 悲鳴を上げさせるなどという台詞に危機感を持ったアトリだが、生白い頬を赤らめてもじもじする郁に呆れて顔を逸らす。それを照れたと勘違いした郁が「振っておいてそれはないんじゃないかい。寂しいよ」とじりじり擦り寄って来た。どこまでも煩わしい綿毛だと内心で嘆息しつつ、アトリはそれを無視して鞄に教科書を詰め込んでいく。どうせ花婿ごっこも残り僅かでおしまいである。最後くらいは好きにさせておいてやろう――勝利の愉悦は、そう思う程度の余裕をアトリに与えていた。



◇◇◇◇



「……おや。こんな朝早くに誰だろう」


 しばらくして漸く警察がやって来たようで、何も知らない郁はインターホンを聞くや厚かましくも家人の如く玄関に向かって行った。魔物などという怪しい身の上で身分証の提示など求められればひとたまりも無いだろうに、間抜けな奴である。

 そのまま警察のお世話になって二度と帰って来ませんように――そんな、呪いの人形を捨てるような思いで階下の様子を伺っていたアトリだが、警察官と郁の話し声は最初緊張感の漂うものだったのに、何がどうしたのか談笑に変わっていった。これでは計算と違う、事態が読めないとアトリが冷や汗を垂らしていると、郁が階段をぱたぱたと上ってきた。そして、ノックの後に自室の扉が開けられる。


「……駄目じゃないか、アトリ。警察に通報なんかしては。お巡りさんが君を呼んでいるよ」


 昨日はあれだけ警察を忌避していたのにも関わらず、郁の様子は穏やかなものだった。まるで子供が悪戯電話を掛けた事を咎めて諭すような塩梅であった。


「ど、どうして、捕まってないんですか……警察は駄目なんじゃ……」

「それは昨日の話さ。今は警察なんて何の意味もないよ。それより、お巡りさんを待たせてはいけない。早く行こうか」


 事態が読めないまま、アトリは警察官の元へ連れて行かれる。悪いのは郁の方である筈なのに、自分が警察官へ突き出されていくような感覚を覚えて、敗北したのは自分であるとは理解した。

 警察官はまだ若い男のようだった。迷惑そうに困惑しながらも、何故か微笑ましげに苦笑していた。


「君が雛形アトリさんだね。良いお兄さんじゃないか。今回はまあ大目に見てあげるから、もう喧嘩なんかで警察を呼んじゃ駄目だぞ」

「お、お兄さん……?」


 訳が分からず困惑するアトリを置いて、警察官と郁が話し出す。


「いやあ、通報が入った時にはヒヤリとしましたよ。最近ここらで不審な事件が多発してますからね。でも良かった。あなたみたいなしっかりしたお兄さんが居れば、従妹さんも安心でしょう」

「いえ、そんな……お忙しい中、本当にご迷惑をお掛けしました。今後このような事が無いよう、従妹にはきつく言い聞かせます。ほら、アトリもきちんと謝るんだ」


 然るべき事由で通報したのに何故自分が謝らなければならないのかと、アトリは釈然としない思いを抱える。郁が如何なるマジックを使ったのかは知らないが、警察官は事実を誤認している――そう思ったが、とてもじゃないが口答えすら出来る雰囲気ではない。ここで自分が何を言っても、きっとこの警察官は信じない。下手に粘れば虚言癖の非行少女にでもされそうだ。国家権力はこの不思議生物に通用しない。となれば、何か別な手を考えるしかない。


「……すみません、でした」

「ふう。まったく……下宿を始めてまだ三日目だけど、まさかこんな事をするなんて。どうしたら君は僕に気を許してくれるんだろうね」


 憂いたっぷりにそう呟く姿がなんとも白々しい。つまり、郁は下宿したての従兄になりすましたらしい。アトリは彼になかなか懐かない問題児の従妹というわけである。よくもまあこの短時間でそんな嘘を吐けたものである。


「まあまあ、そう責めないであげて下さい。彼女もちゃんと反省もしているようですし。私はこれで失礼しますよ」

「はい。この度は本当にすみませんでした。失礼します」


 警察官も暇ではない。さっさと出て行ってしまう。アトリは途方に暮れながらその背中を見送る。絶望的な光景だった。ドアが閉まると、後ろからにゅっと腕が伸びてきてアトリの首に絡んだ。


「……そういう訳だよ。表向きには僕は下宿中の従兄だ。そして、さっきの通報は昨日の喧嘩の仕返しという事にしておいたからね」

「そんなデタラメ、どうして警察官が信じたりなんか……」

「立場上、身分を偽って信じ込ませるのは得意なんだ。それに、花嫁の刻印には人に僕達が君の近しい人物であると思い込ませる力が有る。ご近所や友達、家族に言ったって無駄だよ。それに、逃げようだなんて事も考えない方が良い。刻印は君と僕達を結び付けているから、何処に居ようとすぐに分かるからね」

「そんな……」

「そんな顔をしないでくれ。僕の目的はあくまで君と平穏に暮らす事のみだ。君の身や家財などに危害を加える気は無い。もしその気が有るなら、僕は夜のうちに用を済ませてここには居ない……だから、もう警察なんて呼んではいけないよ」


 郁は、あくまで言い聞かせるように甘く囁く。そこに逆上した様子が無いのだけが救いだった。


「それよりアトリ。もうそろそろ、学校へ行く時間じゃないかい?」

「……あなたみたいな変質者を家に残したまま、学校になんて行けませんよ」

「やれやれ。まったく信用が無いね……家の方は大丈夫さ。花婿として、僕が責任を持って留守を預かろう。家事の方も僕に任せて、アトリは勉学に専念すると良いよ。僕は料理も掃除も洗濯も、ちゃんとこなせる男だからね」

「それじゃあ余計に学校に行けませんね、私」


 こんな変態お花人間に家を預ければ、帰る頃にはどうなっているか分かったものではない。


「ふふふ。そんな恐い顔で睨まないでくれ……君と僕の仲だ。君を裏切る真似なんてしないよ」


 郁はそう告げると、恋人であるかの如く甘い所作で彼女に迫る。真っ直ぐに向けられる何処かうっとりとした眼差しは、妖しく危ない雰囲気を醸し出していた。

 郁からは何やら仄かに甘い匂いがし、少しでも気を抜けばアトリの緊張感を緩めてしまう。アトリはその相変わらずフレンドリー過ぎる仕草や物腰に嫌悪感を持った。彼女にとって人付き合いなど表面的なものだけで良く、勝手に人の内面に踏み込んでくるような人種は不必要な存在なのである。


「……どんな仲なんですか。私たちの関係なんて、不審者とその被害者以外の何物でもないですよ」

「嫌だな。昨晩なりたてほやほやの新婚夫婦じゃないか、僕たちは」


 そんな寝言もいちいち否定するのに疲れてしまい、アトリは「学校へ行かないと」と郁を振り解いて荷物をまとめる。実力行使で家から追い出す事も、第三者の力で追放する事も、また逃げる事も出来ない今、取れる手は無い。今は大人しく学校へ行き、郁の居ない場所で新しい対抗策を練るのが先決だった。家に郁を残しておくのは嫌だったが、どうせここには自分のものしか無いと割り切った。大事なものは全て別居している母親のマンションや貸金庫に有るので、自分は己の通帳や保険証、印鑑だけ持ち出せば良いと。



◇◇◇◇



 支度をととのえ玄関に向かうと、郁がアトリを呼び止めてきた。その手には青紫の弁当包みを提げている。


「ふふ。お弁当も作っておいたんだ。持って行ってよ」

「いや、大丈夫です。学食でたべるので……」


 そう言って、アトリがその得体の知れないものを丁重にお断りしようとしたら、郁はあからさまにショックを受けたような表情をしながら肩を掴んで食い下がってきた。相変わらずしつこい男である。


「それはいけないよ、アトリ。ダーリンの愛情弁当より学食を優先するだなんて。そういう事から夫婦仲が冷え込んでいくんだよ? 僕たちはまだ新婚ほやほやなんだ……熟年夫婦みたいな隙間風の吹くような事は慎まないと。それにね、僕のお弁当の方が学食よりも安上がりだし、ずっと美味しいよ。僕の愛情がたっぷり詰まっているからね。だから、ねえ、持って行ってよ」

「い、嫌ですよ。何が悲しくて、お昼まで変なものが入ってそうなもん食べなきゃいけないんですか」

「変なものって僕の愛情の事かな? ふふ。アトリったら本当に照れ屋さんなんだから……でも、ここは譲らないよ。君の可愛いお口に入って良いのは僕の愛情たっぷりの手料理だけなんだ。君がお弁当を持って行ってくれない限り、家からは出してあげないからね」


 変態のその言葉と共に、タイル張りの床から幾本もの蔓が生え、玄関扉へ絡み付いてガチガチに封鎖してしまう。本当に、目的の為には手段を選ばない男である。いつまでもこの男に構っていては、本当に遅刻してしまう。弁当は受け取るだけ受け取って、後でどうにかするしかないだろう――アトリは内心で舌打ちしながら渋々弁当包みを受け取った。


「ふふふ……何だかこうしていると、僕達本当に新婚夫婦みたいだね」


 アトリが弁当を受け取るや、満足そうな様子を見せた郁は宣言通りに蔓を床の下へと引っ込ませた。何やら寝言を抜かしてもいたが、アトリはそれを敢えて無視して家を出た。何から何まで面倒くさい男だ、懇切丁寧に構っていては日が暮れてしまう。



2021/5/31:加筆修正を行いました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【番外編】
クレイジーダーリン(EX):番外編
【小説以外のコンテンツ】
第一回:黒騎士人気投票(Googleフォームへ飛びます)
Twitter
【参加ランキング】
小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ