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8話4節(中)


「――ねえ、一体全体どうしてしまったんだい。アトリ……君は僕らを庇ってくれたり、看病してくれたりしだしたばっかりじゃないか。やっと君も僕らへ歩み寄ってきてくれたと思っていたのに。そんな矢先に僕らを捨てようとするだなんて……」

「別に、庇ったり看病したりしたのは馴れ合うためじゃありませんよ。守って貰った分の借りを返したかっただけです……って、どこに手をやってるんですか!」


 相変わらず怪しさ満点の部屋――さすがに反省したのか、緊縛写真集や大人の玩具等々はどこかへ隠されている――に連れ込まれて早々、悲しげな言葉と共に抱きしめられたアトリはいくばくかの罪悪感を覚えつつピシャリと種明かしをした。そうして決まり悪く視線を逸らせば生白い手が尻へ向かって伸ばされていたので、すかさずぺしりと叩き落とす。まったくもって油断も隙もない男である。助平もここまでくると病気としか言いようがない。


「痛いよアトリ」

「何をいけしゃあしゃあと。今、お尻触ろうとしやがったでしょう」

「新しい方法を思い付いたんだ。アロマセラピーとマッサージとアバンチュールを合わせたとっても刺激的な方法だよ。朝は夷月に邪魔されたけど、今度はうまくやるよ」

「そんなことはうまくやらんでよろしいです。はあ……肉体言語ではなく日本語での話し合いを希望します」


 郁を振り払って取り敢えずソファに座ると、奴はさも当然のように横に座ってくる。いやらしいアロマセラピーはひとまず諦めたようだ。その代わりに、濡れた眼差しを向けつつピッタリとくっ付いてアトリのパーソナルスペースを侵すという精神攻撃を始めた。呆れたことに、色仕掛けでどうにかしようという方針はまだ捨てていないらしかった。もっとも、日々頻発するセクシーテロリズムで耐性が付きつつあるアトリにそのような手が通用するかは怪しいものであるが。


「――とにかくですね。このままだとまずいでしょう。魔物と魔物狩人相手ですよ? 二正面作戦なんて、どう考えたって無謀です。それくらいなら……」

「その先は言わなくて良いよ、僕には全てお見通しだからね。ぜんぶ聞くまでもなく却下だ――僕らは君を見捨てたりなんてしない。根無し草の僕らがやっと手に入れた、僕らだけの花嫁なんだからね。手放す訳がない……何だか色々考えてしまっているようだけど、誰を唆したって無駄だよ。皆、君のことが大好きなんだ」


 大好きだから手放さない。その言葉にアトリは眼を見開いて硬直した。執着を向けられたり変態的に迫られたりすることは数有れど、こうして真面目に好きだと言われたのは初めてのことだ。好かれるということにまったく不慣れな彼女にとって、直接的に示されたそれは身を脅かすような衝撃をはらんでいた。冷たい水の中で暮らす魚にとって人の手の温もりは大火傷を招く焼きごてであるように、冷えきった家庭で育ったアトリにとって、そういう真っ直ぐな愛情は身を焼き焦がす恐ろしいものなのだ。そんなものを向けられたらどうして良いか分からなくなるし、なぜだか泣きたくなる。そして、胸の奥が生暖かくぞわぞわして落ち着かなくなる。とてもじゃないが大人しく受け入れる気にはなれない。


「だ、大好きとか言わないでください。好かれても迷惑なだけです。前に言ったじゃないですか。私は家族も愛も要らないって。忘れたんですか」

「忘れてないよ。そのあと、君に人生の素晴らしさを教えてあげると決めたこともね……大丈夫だよ。アトリは何も怯えなくていい。君に掛かる火の粉は僕らが全て払いのけてあげる。誰にも君を好きにはさせない――だから、そんな風に僕らを遠ざけないで。今度は絶対に負けないから」

「呆れた……本当にまだやる気なんですね」

「そうだよ。これからもっと戦いが激しくなったって、僕らは恐ろしいとも思わない。やることも変わらないよ……君と僕らが寄り添って生きていられるよう、その為にこの力を振るうだけだ。君のことは守りきるし、邪魔者は全て始末してみせる。――難しく考える必要はないんだ。僕らはただ、街に降りてきた獣や家の中に現れた害虫を駆除しているのと同じことをしているだけなのだからね」


 そう言う郁の紫水晶の瞳に迷いはない。ただただアトリへの溢れんばかりの愛情で穏やかに凪いでいた。どうやら、黒騎士の価値観は人間の倫理観とは相容れないらしい。あんな凄惨な殺し合いを日常の一部として受け流し、目の前の色恋沙汰に集中できるなど、ある意味原始的なまでに冷徹だ。


「駆除って……それって人間も、あの女の子も駆除するってことですか」

「場合によっては、ね。でも大丈夫だよ。人殺しなんて本当にやむを得ない場合以外しないのが僕らのルールだ。でないと、いつまでも人間に紛れて暮らしていられないからね……あの魔物狩人を殺す気はないよ。ああでも、悪夢の軍勢とか名乗った連中の方は別かな。彼らは僕らの棲み処である人間社会を壊すような存在だし、何より君に手を出した。生かしておく訳にはいかない。準備ができ次第根絶やしにするつもりだよ」


 庭に除草剤を撒くように、家に殺虫剤を焚くように。そんな塩梅のごくごく自然な口調で飛び出す物騒な言葉に、アトリは遠い目をするのを禁じ得なかった。この変態綿毛とその一味は自分達以外の生き物を本当に何とも思っていないし、恋路のためなら血で血を洗うような戦いもいとわない。平素お気楽に人間らしく振る舞っている奴らは、冷酷で血なまぐさいモンスターでもあるのだと改めて思い知らされる。やはり、こんな連中と一緒に居続けていては平穏な生活など一生送れないだろう。


「――今しばらくは厳しい戦いになるかも知れない。君を危ない目に遭わせるようなことになって、本当に済まないと思っているよ。それも早いうちに必ず解決してみせるから……どうか、これからも僕らと一緒にいて欲しい。僕らには君が必要だ。一人ぼっちは寂しい」

「一人ぼっちじゃないでしょう。もうここにはお仲間が四人もいるじゃないですか。私一人抜けたところで問題ないですよ。五人だけでも相当にぎやかなんですから、十六人で仲良く暮らせば寂しくありませんよ」

「何を言うんだい。君は鏡に映る自分や一人芝居で孤独が消えるのかい? 違うだろう? いくら分裂したところで自分は自分なんだ。一人が十六分の一人になっただけさ。――君がいないと、今の僕らは十六分の五人で一人ぼっち未満でしかない。寂しいよ、とても」


 そう言って手を伸ばしてくる郁は、まるで置いて行かれた子供のように傷付きしょぼくれていた。アトリはそこに過去の自分の影を重ねて嫌気が差す。またそれと同時に、間違いなく自分が彼を傷付けたであろうことに罪悪感を覚えもした。複雑な感情が胸の内でぐるぐると渦巻き、なんとも気持ち悪い――これだから他人とは深く関わりたくないのだ。


「……いいですか。私が普通の人生を取り戻すためにも、今度魔物狩人に会ったらそっちへ行きますよ。だから、傷が良くなったら印を消して、皆を連れて逃げて下さい。でないと昨日庇った意味がなくなる」


 郁にしてみれば酷いことを言っているように聞こえるだろうし、裏切り行為にも思えるだろうが、これはお互いのためである。このまま黒騎士が魔物や魔物狩人との戦いを続けていては彼らの身が持たない。このように再び怪我をすることもあるだろうし、場合によってはもっと酷い目に遭うことになるだろう。彼らは厄介な変態共だが、死なれても目覚めが悪い。それならとっとと怪我を治して逃げてくれた方が百倍も千倍もましだ。……もっとも、そんな心情も理解せず無理矢理に恋路を突き進もうとするのが変態綿毛なのであるが。


「魔物狩人の所になんて行っちゃ駄目だよ。もう魔物狩人の方には手を打ってある……君が身を寄せたところで要らない苦労をするだけだよ」

「具体的には何をしたんですか」

「それは言えないよ。極秘事項だからね」


 何やら方策があるらしい郁は不敵に微笑むが、その内容については教えてくれない。唇をいやらしく指で撫でているし、きっとろくでもないことなのだろうというのだけは容易に想像できた。


「それよりも、ねえ、アトリ。普通なんてつまらないものだよ。あんなのは、自分は安定を約束された大多数派だと思いたいちっぽけな人間が作った幻想、そして呪縛だよ。あれで気に入らないものを魔女裁判にかけたいだけなのさ。実際には何の保証にもならない、とても退屈でみすぼらしい奴隷の鎖自慢だよ……君が心を砕いてまで守る価値があるようなものではない」

「郁さんたちから見れば、そうでしょうね。でも、私はその幻想の奴隷なんですよ。魔女裁判を何より恐れているんですよ」

「僕らという最大の軍勢を得たんだ、君はもう奴隷じゃないよ。いくらでも鎖は引き千切ってしまえるし、馬鹿な奴隷達はいくらでも処刑してしまえる――だから、もう普通なんてものに拘るのはお仕舞いだよ。これからは僕らが絶対的な安心を与えてあげる。骨の髄まで愛してあげる」


 絶対的な安心というものにアトリの心は少し揺らぐ。確かに、人間の能力を凌駕する彼らのバックアップがあれば、ままならぬことの多い人生もかなり安定するだろう。しかしアトリは自分だけの領域を侵した郁に良い感情を持っていないし、彼から与えられる愛情や温かい家庭は危険なものだと知っている。油断すれば温もりに惑わされ、絆されて絡め取られる。愛や温もりを求めるような心を殺し今の人格を形成したアトリにとって、それはアイデンティティの崩壊や自己否定に他ならない。今更、骨の髄まで愛されても迷惑なだけであった。


「……寝言は寝て言えですよ。魔物狩人にやられるような身で大層なことを」

「それでも最後は僕らが勝っただろう?」

「辛勝でしたけどね……とにかく、今度魔物狩人に会ったら私はそっちに行きますからね。皆の怪我が癒えるまでに身の振り方を考えておいてくださいよ」

「君は僕らから離れられないよ。この話は他の子には黙っておいてあげるから、これ以上馬鹿なことを考えないようにね」


 アトリとしては痛い所を憎たらしく突いたつもりだが、図太い・しぶとい・やらしいの三拍子が基本の変態はこんなことでは動じない。まるで子供を諭すように余裕たっぷりの調子で切り返してきた。しかし、どうしてそこまでして自分を引き留めるのか、アトリには理解できない。


「しつこい人ですね。人間なんか無数にいるんですから、また代わりを見つければ良いじゃないですか。私の代替品くらいすぐに見つかりますよ」

「ふう……君はどうしてそう、自己評価が低いのだろうね――前にも言ったはずだよ。君の価値はこの星を潰しても賄えやしないって。運命の相手に代わりなんていないんだよ。何なら、この星の人間を絶滅させて証を立ててみせようか。時間は物凄くかかるだろうけど、出来ないことは無いと思うよ」

「……やめてください。そんな理由で人類滅亡なんて冗談じゃないです」

「なら、これからも僕らを側にいさせてよ。お願いだよ」


 妙な執着を剥き出しにすり寄る郁をアトリは拒めず受け止める。相手は変態綿毛だが、本気を出せばどんな災厄を撒き散らすか分からない不気味さがあるのも確かで、人類滅亡も一概に冗談とは言い切れない。


「はあ……私なんかにこだわるせいで、こんなに傷付いて、次々と厄介事に見舞われてるんですよ。長生きしたいなら、さっさと私を捨てて逃げるべきですよ」

「……そんなことを言うものではないよ。大好きな花嫁と一緒に居るためなら、花嫁を守るためなら、僕達はどんな手段も厭わないんだ。そのために血を流すのは惜しくないよ」


 郁は愛おしむような眼差しを向け、壊れ物を扱うような手付きでアトリの頬を撫でる。自己を破壊する猛毒に他ならぬ、柔らかく温かな感触がじわじわと皮膚を侵蝕するのを認識しつつ、アトリは大きく嘆息した。


「一体どうしてそうまで無駄な情熱を燃やすんですかね……」

「自分にちょうどいい隙間があれば、そこに収まりたいと思うのが人情さ。――長い長い椅子取りゲームで、やっと得られた居場所なんだ。もう退かないよ。だからこの話はおしまいだ。君は安心して僕らに身を任せていてくれればいい」

「……あなたたちは馬鹿です。こんな可愛げの無い奴にこだわるなんて」

「君自身の知らない可愛い所を僕らはいっぱい知っているんだよ。ほら、こっちにおいで」


 もはや慣れた手つきでアトリを懐に引き寄せた郁は両手で彼女の頬を包み込み、おもむろに唇を重ねる。唇を塞ぐふにふにしたものと醸し出される妙な甘い空気に目を白黒させて硬直していたアトリだが、一拍置いて正気に返ると飛び退くようにのけぞりソファーの端までザザッと逃げた。唇を乱暴に拭って不逞者をキッと睨み付けるのは最後の矜持というやつである。対する変態綿毛はというと何とも色っぽい微笑みを浮かべて満足そうにしていて、アトリを微妙にムカつかせた。


「ふふふ、キスは初めてかい?」

「べ、別に初めてじゃないですよ! 調子に乗らないでください」

「それにしては随分初な反応だったけれど……まあ、そういうことにしておいてあげるよ。いいかい? 君は僕らの伴侶、そして根付く場所なんだ。何があっても手放す気は無いよ」


 いきなり唇を奪われたのと、いつになく本気の眼を向けてくる郁の姿にアトリは気まずくなる。愛も情も否定するがゆえ、恋愛経験など皆無に等しいアトリには少々難易度が高すぎるのだ。こういう時にどうしたら良いかなど教科書には載っていない。


「……もういいです。話しても無駄だっていうのは、よーく分かりましたから」

「ふてくされてるのかい? 相変わらずアトリは意地っ張りだね」


 三十六計逃げるに如かず。対抗手段が残されていないアトリは戦略的撤退を選択した。断じてふてくされている訳ではないし、黒騎士を捨てる方針に変更はない。今日のところはもう話しても埒が開かないので切り上げるだけだ。


「――ああ、そうだ。郁さん」

「何だい?」

「郁さんの片割れの中には、ストーカー趣味の人でもいるんですか。何か、家にいる時、妙な手紙が転がってきたんですけど。隠れて監視されてるみたいなんですけど」

「ストーカー趣味、ねえ……思い当たるのは三人くらいだけど。一人はまだ引っ越しの準備中で、二人は夜海にいるにはいるけど仕事中だよ。手紙を投げ込むなんてことをするのは、仕事中のうちの一人だけど……おかしいね。まだこっちに来られるような状態じゃないはずなんだけど。まあ多分、仕事の合間にというやつなのかな」


 さらりと答えて首をかしげる郁だが、それは爆弾発言だ。ストーカー趣味が十六人中三人もいるなどたまったものではない。それも、仕事の合間にと気軽にストーキングするような者が少なくとも一人いるなど。


「すまないね、アトリ。彼は変な所でシャイなんだ。好きにさせてたらそのうち姿を現すと思うから、放っておいてあげてくれないかい」

「放っておくんですか? ストーカーを? 正気ですか?」

「僕は至って正気だよ――彼はしつこいから、一回こんなことをしだしたら気が済むまではやめないからね。放っておいてあげるのが一番なんだ。まあ、君に害をなすことも無いと思うし……」

「……そうですか」


 すまないと言いながら、連絡を取ってやめさせたりはしてくれないらしい。もっとも、聞いた限りでは止められたくらいでやめるような人物にも思えないが。とにもかくにも、敵のことだけでなく黒騎士のことでも色々と厄介なことになりそうである。アトリが憂鬱な溜め息を吐いて顔をしかめてしまうのも不可抗力というものだった。


「考えただけで頭が痛くなりますね……はあ。何だか疲れてきました。私はもう寝ます。おやすみなさい」

「そうそう。君は疲れているんだよ、アトリ。だから血迷ってしまうのさ。今日はもうゆっくり眠るといい……ああ、寝る前にきちんと歯を磨くんだよ?」


 こんな時でも余念のない家族ごっこは郁の意思の固さそのものだ。奴は本当にこの「日常」をずっと続けるつもりなのだ。異常なまでの動揺の無さはそういう意識の表れなのだろう。郁さえ折れてしまえば後の片割れもそれに従うだけだろうと高を括っていたが、その郁こそが全然揺らがないのだからお手上げである。



2021/6/21:加筆修正を行いました。

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