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8話3節(上)


[3]


 洗濯や掃除、学校の宿題の消化を済ませればもうお昼で、アトリは再び夷月と共に食事を配りに行き、その後遅めの昼食を摂った。先刻の狼藉もありアトリは夷月に絶対零度の対応で、それに不満を露にする夷月は今朝のような調子で絡もうとしたが、再び姿の見えない謎のストーカーの牽制球(丸められた脅迫状)を後頭部に食らって鬱陶しげに沈静化した。まるで冷えきった熟年夫婦のような静まり返った食事風景であった。


「もうほとんど食べ物がないな……」


 食後の気だるい昼下がり。アトリは冷蔵庫を覗いてそう呟いた。野郎五人が居候ともなると食材の減りが早く、冷蔵庫を見ればもうほとんど何も残っていない。調味料の他、常備菜の漬物や武志が飲むはずだった一ガロン瓶の牛乳が三つ並んでいるくらいだ。

 本当は昨日、荷物持ち要員も沢山いることだしと帰りに買い物する予定だったのだが、それも誘拐事件でおじゃんになってしまった。このままでは夕食が作れないので買い出しに行く必要がある。郁の強化したペンダントが有れば外に出ても大丈夫だというので、今はそれを信じるしかない。


「夷月さん……じゃない、夷月はどこかに行ったみたいだし……一人で行くしかないか」


 身支度を整えたアトリは書き置きを残し家を出て、昼間の日射しに眼を細めた。白む視界を振り払うように瞬きすれば赤い薔薇に彩られた庭が広がる。いつの間にやったかは知らないが、郁の仕業だろう。黒騎士はこうして密やかかつ確実に根を張っているのだ。早いところ切り離さなければもっとがんじがらめにされてしまう――渇れた庭を満たし潤す美しい薔薇の花は、アトリにそのような焦燥の棘を残して彼女を送り出した。



◇◇◇◇



「よっ、と……ちょっと買い過ぎちゃったかな」


 無事行き付けのスーパーに到着し買い物を終えたアトリは、サッカー台に鎮座する満杯のエコバッグ二つを前にそう呟いた。野郎五人が居候しているとあれば最低限の物だけでも結構な量になる。とはいえ決して持って帰られない重さでもなさそうで、彼女はそれをさっさと提げて店を出る。いつまでも怪我人とがさつな狼男らを留守番させている訳にはいかないのだ。


 そうして重い袋を二つ持ち、住宅街の坂道をのろのろ上がる。重さで掌へ食い込む持ち手に、アトリはスーパーから百メートルもした所で後悔したが今更だった。独り暮らしであった頃はこんな量の買い物はしたことがなく、郁らがやって来てからは誰かが荷物持ちをしてくれていたので、まさかここまできついとは思わなかったのである。


(みんな、こんなの何でも無いように持ってたのに……こんなに重いなんて。これが男女差? いいや、種族差なの?)


 見るからに鍛えているらしい武志や朔はともかく、小柄な霧月や中性的に細っこい郁にそんな力があるのは、やはり魔物だからなのだとしか思えない。昨日の戦いを見れば尚更だ。押し寄せる総勢千体の化け物にたった四人で応戦し勝利するなど、いくら鍛え上げられた成人男性でも出来るようなものではない。


(それにしても、今度は私自身が標的にされるなんて……そりゃ、敵の中で一番弱い所を狙うのは普通の事なんだけど。――たとえ黒騎士と関係なくなったとしても、贈答品になるくらいの魔力があると思われてるのは変わらないし……どうしたものか。人間やめるなんて御免だからこのまま黒騎士と仲良くし続けてなんかいられないけど、盾になる何かは必要だ)


 そう考えると、黒騎士を庇って魔物狩人の庇護下に入らなかったのが本当に悔やまれる。しかし、全ては義理立てに固執して悪人になりきれなかった自分の甘さが招いたことである。後悔など詮無いことだ。


(とにかく今は黒騎士を盾にするとして、身を守る方法を他に見つけないと。このままだと本当に人間じゃなくなっちゃう。……魔物狩人はまた現れるって言い残してたし、その時は迷わずそっちに逃げないと)


 そんな取り留めもない一人作戦会議に没頭するアトリが帰路を急いでいると、「危ない!」という切羽詰まった声と共に、不意に後ろから誰かに引っ張られた。目の前の手狭な交差道路から、ばっと車が飛び出して結構な速度のまま曲がっていった。あのまま歩いていたら確実に巻き込まれていただろう。


「……間に合って良かった」


 アトリが未だ腕を掴むものの方へ振り向くと、怜悧な大学生風の青年が安堵した様子で一息吐いていた。どうやら彼がアトリの手を引いたらしい。彼は黒騎士ほどではないが色の抜けた白い肌に、不気味なほど整った能面のような顔立ちの持ち主であった。そんな姿ゆえにアトリは彼を黒騎士の一味かと一瞬疑ったが、不用意な発言は控えて心中で様子見する。普通の人間という線も十分に有り得るのだ。――ちなみに、敵であるならば強化されたペンダントが隠すか弾くかするはずであるので、その可能性は除外している。


「す、すみません……ありがとうございます」

「ああ、どういたしまして。さっきから後ろを歩いていて、ふらふらと危なっかしいとは思っていたんだ。荷物が重いのは分かるが、前はよく見ておいた方が良い。あれは明らかに車側の一旦停止無視と歩行者無確認だが、君の方も普通なら駆動音などで気付くものだった」

「……すみません、気をつけます」

「ああ、そうしてくれ――ところでその荷物、一人でどこまで持って行くんだ? もし君が良ければ、途中まで運ぶのを手伝うが」

「あ、いや、大丈夫です。一人で持って帰れますから」

「そんな足取りでか? よろよろと随分頼りないが」


 青年は溜め息混じりに呆れた目を向けてくる。全てを見透かすような灰色の瞳にアトリはたじろいだ。どうもこの青年には穏やかながら有無を言わせないオーラがある。これ以上断ろうものなら更なる指摘で黙らされそうだ。


「……それなら、半分だけ」

「ふ……素直でよろしい」


 おずおずと袋を一つ差し出せば、青年はそれを片手に軽々と持ってしまった。やはり男女差が物を言うのだろうか。


 青年は音無といい、この近所に住む大学生らしい――大学は五区にある夜海大学だという。黒騎士ではないようだ――。どこか浮世離れした物腰や雰囲気があるし、まるでどこか良いところの御曹司のようである。また、風が吹くと、音無からは白檀の香のようないい匂いがした。


「――音無さんは夜海大生なんですね」

「ああ。そこの文学部に在籍している」

「そうなんですか? 奇遇ですね。私、夜海大の文学部志望なんです」

「ほう。では、来年度受験突破すれば後輩だな。頑張れよ」

「は、はい。頑張ります」


 音無は先の申し出同様に紳士的な人物であった。加えて、粗野な所もなく理知的で、包容力のある大人のような雰囲気を持っている。夷月の乱暴な性格にうんざりしていたアトリは、音無のそんな人柄を殊更好ましく感じた。初対面にも関わらず談笑してしまうのも自然なことだろう。しかし、そうしているうちに自宅の近くまで来てしまった。自宅には上條と談笑しながら帰っていただけで浮気を疑う朔がいる。本人は怪我で動けないが、動ける誰かに音無の姿を見られ、それが朔の耳に入るのは避けたい。勘違いをして怒り狂う朔の相手が面倒くさいのもあるが、何よりここまで親切にしてくれた音無に危害が及んではいけない……ここで別れなければならないだろう。


「ここで大丈夫です。もう家はすぐ近くなので」

「そうか。ならば荷物を返そう。……よし、ちゃんと持ったな?」

「はい」


 そんなやり取りをして音無はアトリに荷物を返す。相手がきちんと荷物を持ったのを確認してゆっくり手を離すあたりに、細かい所へ気を配れる性格が出ているような気がする。


「すみません、色々とお世話になってしまって……ありがとうございました」

「なに、気にすることは無い。俺がしたくてしたことだ。それより、気を付けて帰れよ? もう車が出て来ても、手を引いてはやれないからな」

「もう、茶化さないでください。同じことは繰り返しませんから。それじゃあ、失礼します」

「ああ、じゃあな」


 そうして音無は踵を返して去ってゆく。その流麗なまでにスマートな姿にアトリはつい眼を奪われ、彼の後ろ姿をボーッと眺めてしまった。ややあって我に返り、いけないいけないとかぶりを振って自宅の有る通りに入る。数十メートル先の自宅に眼を向ければ、なぜか夷月が家から出てきていた。厳ついパンクロッカーもどきは相変わらずの悪人めいた仏頂面で、アトリを見るや、威圧的に肩を揺らしてずんずんとこちらに向かい歩いてくる。その柄の悪さはやくざ映画さながらで、音無と比べれば月とすっぽんのようなものであった。


「……何だお前、もうここまで帰って来たのかよ」

「ええ。まあ。夷月はやっとお帰りに?」

「バカ、どこに帰るってんだよ。コーラ買って戻ったらてめえが書き置きなんざ残して出てやがるから、迎えに行ってやろうと思ってただけだ……俺とお前とあのアホ共の分だと、食い物だけで結構な荷物になるだろうが」


 ばつが悪そうに目を逸らしてそう言う夷月は、まるで不器用な優しさを見せる頑固親父のようだ――結局のところ、黒騎士というのは中身はおっさんなのだ――。意外な言動にアトリはぽかんとし、言動は乱暴だが意外に根は良い人なのかと考えたが、ちんちくりんと言われた怨みはまだ晴れていない。


「……なに居候する気満々でいるんですか。っていうか、いつまで居るつもりなんですか」

「おい何だ、そのぞんざいな反応は! 人が気にしてやってんだぞ、畜生……大体、今朝言っただろ! てめえが俺の魅力を理解して、あの言葉を撤回するまで……」


 狼男が何やら吠えているが知ったことではない――そうしてすたすたと通り過ぎようとしたアトリの肩を、夷月が食い付くように掴んだ。気が短く、冷笑的で皮肉が多く、下品で口が悪いと三拍子揃った嫌な奴。そして戦いばかり敵ばかりの環境も平気な毛の生えた心臓の持ち主である夷月だが、鉄の心とまではいかないらしい。無視されて年甲斐もなく拗ねているようで、唇を尖らせてじっとりと睨み付けてきている。


「この野郎……人の話くらい最後まで聞けェ!」

「野郎じゃないので聞きません。はい、さようなら」

「……相変わらず可愛くねえ奴だな、お前! 待ちやがれコラァ! ついでにそれ寄越せ!」


 追い抜きざまに買い物袋を引ったくり奪った夷月は、そのまま家へと向かい始めた。そして、数メートル進んだところで振り返って「何やってんだ、帰るぞ」と顎をしゃくる。口と態度こそは乱暴だが、やっている事は先ほどの音無青年と変わらない。この不逞なる狼男にも人並みの優しさが備わっているのである。しかし、それを気に入らない奴にまで発揮する思考がアトリには理解できない。まったくもって意味不明で何だか苛々してしまう。


「……嫌いな奴にそこまで優しくしなくていいんですよ」

「おい。いつ、誰が嫌いだなんて言った。俺は気に入らねえって言ったんだ……別にてめえの事は嫌いじゃねえよ。トロくせえ上に生意気だとは思うがな!」


 渋い顔で振り返った夷月はつかつかと歩み寄ってそう言い放つと、「……他の男の臭いがしやがるな。おい、お前は俺のもんなんだ。易々と近づけてんじゃねえぞ」と鼻をひつくかせて釘を刺す。人をあれだけボロクソに扱き下ろしておきながら花婿面とは、随分と厚かましい奴である。無駄に顔だけは良いから、自分は異性に何をしても許されると勘違いしているに違いない――アトリとしてはこんなごろつきめいた狼男が花婿などノーサンキューなので、戯けた寝言は無視して一足先に家へと帰った。少し変わったことをしてきたから戸惑ってしまったが、俺様キャラが気紛れに見せた優しさでコロリと落ちるほど、アトリは甘くないのだ。



2021/6/17:加筆修正を行いました。

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