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5話3節

・注意:この話にはきつめのお下品描写が含まれます。苦手な方はお戻りください。


[3]


 今日は土曜日。公立高校ならば休日であるが、私立高校であるアトリの学校は半ドン――つまり半日授業である。全ての授業が終了し、生徒らが部活や下校など思い思いの行動に移るなか、アトリは購買近くの自動販売機前に立っていた。学校より一歩外に出れば、再び蜘蛛男と不愉快な仲間たちとの戦いが始まるので、少しでも時間稼ぎをしようとしているのである。

 ……今朝の数時間だけで、疲れは三日分だ。これから午後と日曜日一日を戦い抜く覚悟は、なかなか決まらない。


(……久世朔は、私に花嫁の役割を求めてる。それに忠実な限りは攻撃してこないみたいだけど、裏切れば容赦なさそうだ。ちょろい所も有るけど疑り深いから、悪感情は気取られないようにしないと。――ああ、憂鬱だなあ。ホント)


 げんなりしながら、アトリは自販機から紙パックのレモンティーを購入する。――黒騎士はまだ三人しか現れていないというのに、そのどれもが手の付けようのない曲者である。これでは、後の十三人も碌でもないものである可能性が高い。しかし今は化け物のこともあるし、乗り換え先が見つかるまでは、黒騎士とうまく付き合っていくしかない。目下の所は、危険人物である朔を懐柔しておかなくてはならない。化け物に殺される前に黒騎士に殺されては本末転倒だ。


「あ、雛形。まだ帰ってなかったんだな。丁度よかった」


 パックにストローを刺してごみを捨てていたら、上條が声を掛けてきた。昼だろうが夜だろうが、素敵な甘いマスクの好青年である。黒騎士……特に久世朔に、彼の爪の垢を煎じて飲ませたいものだ。


「上條くん。丁度よかったって、どうかしたの?」

「ああ、それがな……これからクラスの何人かとカラオケ行こうって話になってるんだけどさ。一人用事ができて駄目になっちゃって。代わりに誰か呼ぼうって言ってたところなんだよ。雛形、これから時間空いてないか?」

「じ、時間かあ……ごめんね。他に約束してるから、ちょっと無理かなあ……」

「そうだよな……こっちこそ、いきなりごめんな。じゃあ、またの機会によろしく!」 

「うん、またね……」


 無論、約束など嘘である。しかし、昨日の今日で上條の誘いを受けたとあっては、あの蜘蛛男が黙っていないだろう。せっかくの誘いを断るのは心苦しいが、お互いの生命の安全の為にもここは忍の一字だ――爽やかに去ってゆく上條の背中を見送りつつ、アトリはチクリとした良心の痛みをこらえる。しかし、これで学校に留まるという選択肢は無くなってしまった。大人しく下校するしかない。


 そうして学校から出て妥協地点に差し掛かれば、傍の小道から朔がぬらりと出てきた。その姿は、まるで物陰から出てきた脚高(あしだか)蜘蛛である。朔は近寄ってくるなり鼻をすんと鳴らして不快そうに顔をしかめる。


「――微かだが、あの男の臭いがする。アトリ……お前、あの男と話していたな。私は言った筈だぞ。花嫁となったからには、私達以外の男に愛想を振り撒くなと……もう忘れたのか?」

「うう……そんなに怒らないでくださいよ。クラスの人達で遊びに行くのに、数が足りないからどうかって聞かれただけです。もちろん、断りました。――はあ。朔さんは私に、クラスメイトをことごとく避けて村八分にされろと仰るんですか?」

「安心しろ。そのような真似をする者は、私が一人残らず粛清してやる。私はお前の花婿なのだからな……お前の敵は私の敵だ」


 斜め上のあんまりな回答にアトリは頭を抱える。心なしか誇らしそうなのが、この男の思考回路の残念具合に拍車を掛けていた。この男も人間社会に紛れて暮らす魔物だそうだが、本当にそうなのだろうか……そう疑わざるを得ない。



◇◇◇◇



 胸も頭も痛めたアトリはそのまま帰宅する気にもなれず、途中の六区でふらりと電車を降りた。現実逃避というやつだ。朔は家へまっすぐ帰らないことに良い顔をしなかったが、「折角の半日授業ですから」と言って説き伏せれば渋々といった様子で付いてきた。サイコは、公共の場ではそれなりに大人しいようだ。


 昼食を作っているであろう郁には、寄り道するから昼食はいらないと連絡する。すると郁は何か勘違いして気を利かせだし、昼食が要らなくなったのを残念がりながらも、「二人が心の距離を近付ける良い機会だものね。うん、分かったよ。今日は我慢するよ」と言って勝手に電話を切ってしまった。不本意な解釈であるが、快く了承されたので良しとする。


 アトリが寄り道先として選んだのは、駅から程近いショッピングモールだ。土曜日ということもあり、そこは人であふれ返っている――公立の学校はお休みであるが故に、制服を着た学生は少なめだ――。取りあえずお昼を食べようかと飲食店のエリアへ行けば、どこも行列が出来てしまっていた。特に、老若男女大好きなファストフード店のそれは群を抜いている。


「ハンバーガー食べたいけど、この行列はちょっと嫌だなあ……」

「ここで昼食にしようと思っていたのか、お前は」

「そうですね。行き付けですし、ハンバーガー大好きですし」


 遠巻きに行列を眺め、ぽつりとこぼしたアトリに、朔は顔をしかめてそう訊ねた。アトリが是と答えれば、心底失望したように眉間へ深い深い皺を刻む。――人類の生み出した至高の食品たるハンバーガーに、何か怨みでも有るのだろうか。本来有り得ないことだが、逆恨みの激しいこの男ならば、さもありなんといった感じである。


「……もう少しましなものを食え。私の花嫁となったからには絶対にだ。不健康に堕す事など許さん」

「健康志向なんですね……み、見た目にそぐわず」

「見た目は余計だ。……とにかく、そんな事はどうでも良い。体が資本なのだ。食事にだけは気を配っておけ――行くぞ」

「へ? 行くって、どこにですか」

「もう少しましな食事が出る店に決まっているだろう」

「ええ……ハンバーガー……」


 まさかの健康志向を暴露した朔は、説教を垂れるだけ垂れてアトリを引っ張りだした。不健康極まる精神と容姿を持つ蜘蛛男に、このように世話を焼かれるのは非常に釈然としない――そんな塩梅でアトリは難しい顔をし、どこかへとずるずる引っ張られてゆく。傍目には年上の恋人に世話を焼かれているように見えているのか、すれ違う人の眼はどこか生温かった。


 そうして辿り着いたのは、飲食店エリアの端、ちょっと学生にはお高めな雰囲気の和食屋であった。懸念通り、表にちょっと出ているメニューだけでもえらい値段だ。


「朔さん……私、今ちょっとお財布厳しいんですよね……」

「お前は、私が花嫁に食事も奢れないような甲斐性無しだと思っているのか」

「え? 奢りなんですか? じゃあ是非……あ、でも。あそこの洋食屋さんの方がお洒落で美味しそうですよ。あのハンバーガー、手作りハンバーグに野菜たっぷりですから、体にも優しいですし」

「――まず貴様はハンバーガーを思考から外せ。まったく……お前には花嫁としての自覚が足りん。体は大事にしろ。いずれその身に宿すやや子の為にもだ」


 諭すようにそう言い聞かせる朔は、慈しむようにアトリの腹を撫でた。やや子、稚児(ややこ)……つまりそれは赤ちゃんのことだ。この男は、会ってまだ二十四時間も経過していない相手に対し、既に子供を作ることまで考えているのだ――小さく間を置いてそう気付いたアトリはぶわっと鳥肌を立てた。郁のアバンチュールはいやらしい気持ち悪さだが、これはもっと別種の、名状し難い何かだ。強いて言うならば、エイリアンに卵を産み付けられそうなのと似ている。


「何てことを考えているんですかあなたは……変態ですか」

「な、何故だ。何故そんな眼で私を見る! 結ばれれば子を成すのは当然の事ではないか……!」

「虫世界の常識を持って来ないでください。最低です」

「人間界の常識も概ねそうだろう! くっ……ここで口論しても無意味だ。兎に角、まともな食事を食え! 行くぞッ!」


 ……遂には力業で押し込まれたその和食屋は、スーツ姿の会社員や休みの社会人らしい人間ばかりで、アトリには居心地が悪かった。目の前に郁以上に生々しい変態が居るせいでもある。今はもう、ただひたすらにハンバーガーが恋しい。そんなアトリに朔は気まずげに「……遠慮はするな。好きな物を頼め」とだけ言うと、ぱらぱらとメニュー表に目を通してゆく。気乗りはしないが、アトリもそれに倣ってメニュー表に目を通す――当然ながらハンバーガーは無く、挙げ句、ライスバーガーすらも無い。仕方ないのでと、アトリは無難そうな焼き鮭定食を注文。朔は梅ささみ巻き定食にするようである。その健康志向を少しは不健康極まりない精神に分けておいて欲しいものであった。


 それからの待ち時間も、食事が運ばれてからも、朔は特に何も話さない。朝もそうだったが、黙々と目の前の食事を平らげるだけだ。郁や武志のようにうるさくて煩わしいのは嫌であるが、静か過ぎるのもいたたまれない。場の空気に堪えられず、アトリは馴れ合うつもりも無いのに口を開いてしまっていた。


「朔さんは好きなんですか、鶏とか、梅とか……」

「と、鶏が、好きだ。梅は好きでも嫌いでもない……しかし、それがどうした? 私に手料理でも振る舞う気になったのか……殊勝な心掛けだ」


 最初こそはぎこちなかったものの、途中から郁らに負けず劣らずの幸せな勘違いをし、朔はゆっくりと口角を吊り上げた。陰鬱な不幸キャラぶっているが、結局は奴もハッピーな頭の持ち主だったのである。しかし、郁と違い、このややこしい男は安易な否定であらぬ方向へと敵意を発達させる爆弾である分、質が悪い――どう言えばよいものかと、アトリは言葉を詰まらせるしかない。


「やはりお前は、郁の言う通り内気だな。自分から話を振っておきながら、図星を突かれれば言葉を継ぐのを躊躇う。子作りを拒むような言動も、恥じらうが故の事か」

「違いますよ」


 無機質に整った蒼白い顔で愉快そうにクスクス笑うその姿は、息を飲ませる程の迫力を持った不気味な美しさであった。しかし、それとこれとは話が別だ。アトリが蜘蛛男ジュニアを懐妊することにならぬよう冷徹に釘を刺せば、朔はしょんぼりと情けなく背中を丸めた。自分から切り出しておきながら、こういう話題では強く出られないらしかった。



◇◇◇◇



 昼食を取り終えた後、ショッピングモール中をあちこち回っている間にも朔はアトリにぴったりと付いて来た。普通、男性はそういうことを嫌がるものと言われるが、彼にはそれよりも監視し続けることが大事なのだろう。行く先に何の興味も示さないが、かといって別行動することもない。ただ、アトリをじっと見続けている。アトリは先程の言動に対する深い遺憾の意を示すように、そんな彼をシカトし続けた。


 ……そうは言っても、ずっと目線を向けてくるものを無視し続けるのも苦しい。アトリは、黒騎士のより詳しい素性や弱点の手がかりを知ろうと、合間合間に朔の事を色々と訊ねる事にした――断じて可哀想になってきた訳ではない、情報収集のためだ――。彼は意外にもすんなりとそれに答え、幾ばくか機嫌が良さそうな様子も見せた。気難しく攻撃的な物腰に反して、意外と社交的な性格なのかも知れない。


 誕生日――誕生日が有ること自体が驚きである――は七月二十五日、趣味は読書で歴史書や宗教書を好む、好きな色は黒、ここへ来るまでは北陸某県に在住……それが久世朔から聞き出せたことだった。驚くべきことに、夜海に来るまでは何処かの会社の経理だったらしい。初対面の時にスーツ姿だったのは、本体でないと出来ない用事を会社で終えてから、すぐに夜海へ向かったためだった。今は会社の方へは分身を行かせ、辞めるための引継をさせているという。どこかへ移る時、本人は先に移転して後処理を分身に任せるのは、黒騎士の中ではごく普通の手法らしかった。

 それらの情報は黒騎士が人間社会の中でどう暮らしていて、どうやって夜海に来ているかの一端を知る手がかりにはなったが、花嫁の定めから逃れられるヒントにはなりそうにない。


「……これで、少しは気晴らしになったか」

「ええ、まあ……」


 見る所も無くなってしまい外のベンチで一息ついていた時に、朔がそう訊ねてきた。正直なところ、気紛れにはなったが気晴らしにはなっていない。平穏を希求するアトリの心が晴れるには、黒騎士と化け物がいなくなる外に道はないのだ。増える黒騎士や得体の知れない敵の存在で、アトリが黒騎士から逃れることの難易度が日に日に上がっている今、彼女の心は氷河期を迎えているも同然であった。――もっともそれも、アトリの言葉を正直に鵜呑みにしている朔には知る由もない事であるが。


 「ならば良い」と、不意に頬を撫でられる。朔の相変わらず鋭い眼差しには、愛おしむような柔らかい色が宿っていた。この実に魔物らしい男も、人並みに誰かを愛おしむらしい。何度も裏切られたと言っていたし、きっと、以前にもこのような姿を見せた相手が存在するのではないだろうか――そう思い至ったアトリは、「私よりも、こういう事をしてあげるべき人が居るんじゃないですか」と顔を背けた。これで前の女への未練を思い出し、この婚姻を不満に思わせられれば、あの誓約も脅迫も無意味になるのではないかと思ったのである。そうはいかなくても、こんな状況で可愛いげの無い発言をすることで、ある程度の悪印象を与えて接近を防げるかも知れない。


「何故今、そのような事を訊ねる。私には貴様以外に愛すべき者など無い。過去に私が懸想した者達は皆、私を利用するだけして裏切った……ただ私を裏切り去るだけに飽き足らず、魔物狩人に与した者も居た」


 朔は、アトリの問いに不愉快さを隠そうともせずに表情を歪めた。そして、瞳を切なげに揺らめかせながら詰め寄る。そのひた向きさはまるで蜘蛛の求愛だ。しかし、アトリは雌蜘蛛ではない。ダンスも贈り物も受け取れはしない。それでも朔はかぶり付くように必死に言葉を継ぐ。


「私は幾度幾人もの裏切りに絶望し、花嫁を探す事に疲弊しつつあった……そこに貴様が現れたのだ。貴様には既に刻印が施され、簡単に私達を裏切り去る事など出来ない。そう知った時から、貴様は私の希望となった。貴様こそは、私の百六十年の孤独を癒す存在になり得るかも知れぬと……」

「は、はあ……」

「私はもう絶望など欲しくない。貴様を花嫁とし、この孤独に終止符を打つのだ。だから貴様もこの定めを受け入れろ。稚拙な策を弄し、私の気を削ごうとしても無駄だ。私にはもう、貴様しか居ない――誓約した通り、私と共に生き、共に朽ちろ。それ以外の道は無いと思え……要らぬ心配をするな」


 気まずい沈黙が流れたのを、眼前の広場に寄り集まった女子高生らのかしましさが掻き消した。朔はそれに顔をしかめたが、すぐにアトリへ視線を戻す。その視線は真剣そのもので、企みの失敗は歴然であった。――こうなってしまえば、アトリに出来るのは「もう日が暮れだしましたし、帰りましょうよ」と家路に就くことだけ。連戦連敗に心が折れてしまいそうだった。



2021/6/4:加筆修正を行いました。

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