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4話3節(下)

・注意:この話には負傷、捕食などのグロテスクな描写が含まれます。苦手な方はお戻りください。


「――アトリ。あれを見ろ」


 武志が指差した先……アトリが差し掛かろうとしていた曲がり角の陰から、異様な物体が姿を覗かせている。それは、爪としか言いようのない、鋭く尖った長大な物体であった。長さは五十センチメートルはあろうかという代物で、毒々しい黄色と黒の斑模様。人間や動物の物とはとても思えないものであった。そのまま歩いていたなら、あの爪に胸あたりを引っかけられていた事に、アトリはぞっとした。


「あれは……化け物ですか?」

「ああ、そうだ。敵だ」


 戦闘態勢に入った獣のようにふーふーと小さく息を漏らしながら、武志はアトリを背で庇った。曲がり角の陰から、「ちっ、あともう少しのところだったのに」と異様な物体がその全容を現す。それは黒く染まった白眼に青色の肌、そして件の長く鋭い爪を持った鬼女――グリフ――で、身に纏うのはきわどいビキニアーマーだけという変態同然の姿であった。


「ふん。その娘にも肌と肉を晒す解放感を味わせてやろうと思っていたのに。余計な邪魔を」

「何てこと考えてるんだ、この変態は。アトリは俺の花嫁だぞ」


 確かに相手の言う事は変態のそれだが、変態とはお前が言う事かとアトリは内心で突っ込んでしまう。しかし、味方も変態、敵も変態とは嘆かわしい状況である。せめて敵だけでもまともであって欲しかったところであるが、今となってはそれも詮無い事だ。世界はあまりにも変態に汚染され過ぎている。


「花嫁? ふん……人間の娘相手にままごとでもしているのかい。くだらない。人間モドキの好きそうな事だよ――まあいい。この忌まわしい気……あの方が言っていた邪魔者とはお前の事だろう。先にお前の方を始末してから……その娘をゆっくりと料理してやるとしよう」

「なんだ、お前。この前の奴の仲間か? 懲りない連中だな」


 グリフの舐め回すような視線からアトリを庇うように、武志が更に一歩前へと歩み出る。そして、足元から湧き上がった黒い靄が彼を舐め、水兵を思わせる黒い軍服姿に変えた。頬や首筋、腕や脚には青い鱗がはり付き、前腕やふくらはぎ、こめかみの辺りには魚の鰭のようなものが現れていた。おまけに、臀部には魚の尾が生えている。どうやら彼は魚人間であるらしい。

 変身し終わった武志は、手からわき出る黒い靄から武器――幅広い三日月状の刀身を持った剣――を取り出し、そのよく切れそうな刃を敵に突き付けるように構える。


「潮くさい、魚……? 花の魔物じゃないなら、奴の仲間か? だが、気配は全く同じだ……そうか。形態を使い分けているんだね……」

「アトリ。そこで大人しく待ってろ。こんな奴、すぐに片付けてやるからな」


 何やら呟く敵を差し置き、武志はアトリに手を翳して被膜のような防壁を作り出す――恐らくペンダントの結界と同じようなものなのだろう。何となく、そんな気がする――。グリフはその行動を馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「そんな事をせずとも、娘に手を出したりするものか。そいつは後のお楽しみなんだからねえ!」


 グリフが先手を取り、地を蹴って武志に肉薄する。武志は湾刀で爪を受け止めたが、全てで十本も有る爪は腕や指を動かすことで小回りが利き、刀一本で到底防ぎきれるものではない。鍔迫り合いなど最悪の状況であった。


「接近戦では私の方が上だったようだねえ、人間モドキ! このままハラワタを引きずり出してやろう!」

「うぐっ……!」


 右手で鍔迫り合いしつつ、左手を勢いよく突き出してくるグリフに対して、武志は飛び退って回避を図る。しかし、そこを横から右手の爪の腹で殴り飛ばされ、傍らのブロック塀へと強かに体を打ち付けてしまった。


「フフフ……避けたところでどうにもならないよ。そんな得物では、私の爪とやり合うのは無理というものさ」

「……そう、だな。爪が十本もあるのは、ちょっと邪魔だ」


 立ち上がった武志は、血液らしき黒い液体混じりの唾を吐くと湾刀を構え直す。そして、今にも飛び掛かりそうな獣の姿勢で呼吸を整えた。目つきは先程までとは打って変わって、猛り狂う獣を思わせる鋭さだ。スイッチが入った……という奴だろうか。戦いについてはまったくの素人であるアトリでも、それが危険な変化だと分かるが、グリフは戦い慣れしているからか余裕を崩さない。


「だったらどうするって言うんだい? 人間モドキなどやってる軟弱者の分際で、何が出来る?」

「まずお前の爪を全部折る。その次は首だ」


 予告ホームランの塩梅で刀を向け、物騒な宣言をした刹那、武志は水しぶきを残してその場から掻き消える。本能的に危険を感じたグリフは防御の構えで後退したが、次の瞬間には五指の爪全てが吹き飛び、胸元は薄く切り裂かれた。――後退していなければ真っ二つにされていただろう。


「まずは五本ッ!」


 再び武志の姿が掻き消える。否、消えているのではない。凄まじい速度で移動しているがゆえに、魔物の肉眼ですら捉えきれていないのである。彼は己の膂力と自身に向けて発生させたジェット水流とによって生み出した爆発的な推進力そのものを、刀の威力に上乗せしていた。

 その威力たるや、下手な金属より強固な構造であるはずのグリフの爪を易々と切断するほど暴力的なものだ。直撃など許せば確実に命を取られる。かといって、完全に回避できる間合いではない……彼女に残された選択肢は、敢えて体の一部を持って行かせて致命傷を避けるか、何もせず即死するかであった。


(こんな所で犬死になど、冗談じゃない……!)


 先程のように爪を盾とし、今度は胴体への負傷を避けるように大きく後退する。恐らく直進運動であることを見越して、後退方向は横へ。そうしてグリフが地を蹴った刹那、人型砲弾が前方から標的を空間ごと抉り取るように飛んでくる。獲物を力任せに撫で切ろうとする凶刃を防ぐ盾となった爪は、あっという間に砕けて吹き飛んだが、今度は身を守りきった。あと一瞬でも決断が遅ければ、腕か半身をもぎ取られていたことだろう。


「これで十本ッ! どうだ! 爪さえなけりゃ何もできないだろう!」

「ふん、馬鹿が! 爪を折った程度で勝ったつもりか!」


 今度は首だと言わんばかりに第三波を繰り出そうとした武志だが、敵の様子に違和感を持って攻撃を思い止まる。果たしてそれは正解であった。グリフがぶん、と腕を振ると爪の残骸が払い飛ばされ、付け根からは真新しい爪が伸びて元通りとなったのである。


「私の爪はいくらでも生えるんだ。お前が何回折ったところで無駄なんだよ!」


 グリフは新しい爪を誇示して武志を嘲る。しかし、彼がそれに逆上する様子はなく、きょとんとした顔で首を傾げるのみだ。現状を理解できない程の馬鹿なのか、それともこの程度には動じない胆なのか……見るからに頭の悪そうな奴だから、恐らく前者なのだろう。グリフはそう結論付けて芽生えそうになった不安の芽を摘む。


 敵の攻撃は威力と速度だけはべらぼうに高いが、所詮は単純な直線攻撃だ。動きさえ理解していれば、恐れるに足らない。そもそも、相手は人間に紛れなければ生きてゆけない下等生物……人間モドキだ。恐れる要素など何一つない――グリフは妙な胸騒ぎを抑え付けるようにそう己に言い聞かせ、武志を睨み付けた。武志はそれにも不思議そうに眼を瞬かせるだけであった。


「なに勝ち誇ってるんだ? ――爪が駄目なら、腕を切れば良いだけだろう?」


 馬鹿なんだなあ、お前は。そう言って、にんまり笑った武志が駆け出す。その様はまるで地獄の猟犬めいていて、グリフの胸に今度こそ拭いきれない恐怖を湧き上がらせた。近付けさせてなるものかと反射的に爪を連射し牽制するが、まるで塵を払うかのように全て打ち砕かれ、先程よりも上の速度で肉薄される。デスマスクのような白い顔が眼前に迫り、狩猟の愉悦に狂気の笑みを浮かべた。連れの女に見せていたような、人間モドキの大人しさは欠片もない。あるのは、「目の前の獲物を喰らいたい」という食屍鬼じみた純粋な欲求のみであった。


 ――そこに思い至ってやっと、グリフはこの戦いで狩られるのは己なのだと本能的に理解した。右腕の付け根に焼け付くような熱が生まれたのは、それと時をほぼ同じくしての事だった。


「……腕は生えてこないんだな。良かった。これで、今度こそちゃんと殺せる」


 一太刀浴びせて後退した武志がそう呟いてようやく、グリフは己の右腕が失われたことに気付いた。切断面から噴き出す大量の血液とアスファルトに投げ出された右腕は、四肢の一つを失った現実を突き付け、それは生まれて始めての「狩られる」という恐怖に直結する。グリフの脳髄を恐慌状態へと叩き落とす。獲物がどんな悲惨な目に遭うかは、狩猟者である彼女が一番よく知っていた。


「や、やめろ……近付くんじゃない!」


 グリフは後ずさりながら新たに生えた左腕の爪を闇雲に振り回すが、武志は歩みを止めない。堪らず爪で大きく薙いだが、それは僅かに毛先を掠めただけで、その後に閃いた白刃が左腕を持って行ってしまった。両腕を失ってバランスを崩した彼女は、縺れるようにしてその場へどしゃりと倒れる。それでも何とか逃げおおせようと芋虫のように這いずるが、背を思いきり踏みつけられて地面へ縫い止められてしまう。――その様は、かつて嬲り殺しにしてきた蔑むべき人間どもと同じなのだが、今の彼女に気づく余裕はない。


「動くな。爪の次は首だって言っただろう」

「ま、待て、助けてくれェ! お前たちの事は見逃してやる、お前たちを探してる仲間の事も喋ってやる……だから、だから……!」


 己の血に塗れたの湾刀を首筋へひたりと当てられて、グリフは悲鳴を上げるように命乞いの言葉を連ねる。武志がそれに困ったような思案顔を見せたので、彼女は一縷の望みを持ってより一層やかましく命乞いをして媚びる。しかし、相手の口を突いたのは非情な台詞であった。


「ダメだ。お前は殺す。その方がいい」


 愕然としながらも、往生際悪く命乞いを粘ろうとした哀れな使い魔だが、その口が言葉を発する事は永遠に無くなった。湾刀によって首を切り飛ばされたためである。


 そうして一仕事終えた武志は、顔にべったりと付着した赤い飛沫を腕で乱暴に拭う。そして何を思ったか、彼は死体の左胸目掛けて腕を突き刺した。ぐちゃぐちゃと嫌な音を立てながら肉をかき分け、やがて光る小さな球体を引っ張り出す。郁の時と同じである。


「た、武志……まさかそれを食べるんですか」

「倒した敵は食べる。当たり前のことだ。そうやって、俺達は強くなる」

「抵抗はないんですか……」

「うん? そんなの無いぞ? 喰らえる時に喰らって、ちゃんと力を付けとかないと、強い敵に会った時に生き残れないからな。……慣れればまあそれなりに美味いもんだぞ。アトリも一口食べてみるか? ほら、昼に弁当分けてもらったし」


 青い顔のアトリに対して、武志はあっけらかんとした様子で、昼のお礼とばかりに血に塗れた球体を気軽に差し出してくる。林檎とかの果物じゃないんだぞと、アトリはたじろぐが、野獣である武志にそんな彼女の繊細な心理は分からないようであった。


「いらないのか? じゃあ、俺だけで食べるか。ちょうど腹減ってたんだよな」


 野獣は球体をひょいと口に運んでしまった。しばらくの咀嚼の後に飲み込むと、渋い顔で「うええ……これ美味しくないやつだ。ハズレだ」と舌を出した。慣れれば美味いとは何だったのか。――これでは、あの鬼女も浮かばれないだろうと、アトリは骸に視線を遣る。形を維持するものを失った骸は、既に砂の山と化していた。


◇◇◇◇


「――もう大丈夫だ。敵はどこにも居ない」


 捕食を済ませ、周囲の安全を再確認した武志は、再び黒い靄に舐められて人間の姿に戻った――どういう仕組みなのか、付着していた返り血も綺麗さっぱり消えてしまった――。アトリを包んでいた被膜も消す。そして「不味いもの食べちゃったし、どっか寄って口直し買いたいな!」などと言いながら、アトリと再び手を繋いで帰ろうとする。しかし、アトリは武志がその手で化け物の死体を触っていたのを知っているので、これを大いに嫌がった。汚れは消えていたが、心理的に嫌なものがあったのである。


「助けてもらったのに悪いんですが、せめて手を洗ってからに……」

「仕方ないなあ。じゃあ、まずはコンビニ探さなきゃな。腹減ったし!」


 郁と違い、武志はそこの所は素直であった。しょうがなさそうに頭のところで手を組み、コンビニを求めて歩き出した。あんまりに素直なその様に、忌避感よりも申し訳なさが勝ってくる。


「わがまま言ってすみません……助けてくれて、ありがとうございます」


 一応最低限の礼儀は尽くさなければと、アトリは武志にお礼を言って頭を下げる。すると武志は磊落に笑い、「そんなに固くなるな! 俺とアトリの仲じゃないか!」と肩をばしばし叩いて帰宅を促した。手を洗うまで触ってくれるなと言ったのだけれど――アトリは内心でそう溢しつつ苦笑いするが、今はその大らかさに倣うことにした。


2021/6/2:加筆修正を行いました。

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