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4話3節(上)


[3]


 妖気に覆われた屋敷の中でも、特に濃厚な瘴気を漂わせる部屋――屋敷の主の執務室とされるそこに、赤い魔人は三匹の使い魔を呼び出していた。それぞれ立派な体格と滲み出るような圧迫感を備える鬼女達は、コレールの手の者でも荒事に強い者達である。彼女らの役割は、人間から精気を奪うことではなく、主人に手向かう者どもを抹殺することだ。


「……ビジュを消した者の所在はまだ分からないのか?」

「はっ……主よりお預かりした手掛かりを元に捜索を続けておりますが、どうやら奴は巧みに姿を隠しているようで……」

「あのような薄気味悪い魔力の波動を持つ者など、そうそう居まい。何としても……草の根掻き分けてでも探し出せ。そして始末するのだ。――精気収集に影響が出ぬうちに」

「……仰せのままに」


 主人にそう威圧されるように命じられれば、しもべらはそれ以上の言葉を継ぐ事ができない。三匹の使い魔は大人しく命を賜り、闇の中に姿を消した。今の主人は、よりによって出世の懸かった大事な時期に冷や水を掛けられて憤っているのだ。怒りを買うような真似をすれば、どんな罰が待っているやら分からなかった。


 部屋に一人残されたコレールは、掌の上の花びらを眺めて不快感を露にする。見た目こそは美しく、未だ瑞々しさを保つそれは、気味の悪い魔力の波動を放ち続けている。それは、コレールに本能的で漠然とした不安と危機感を抱かせる。搾取事業は万事順調であったこの狩り場に、突如現れた不吉な未知の敵。それはまるで、残酷な運命の奈落がこの先で口を開けている事の暗示のようだ――。


「何を揺らいでいるのだ、俺は……どんな者であろうと、邪魔者は始末するだけだ……」


 コレールが吐き捨てるようにそう呟くと、掌の花びらは燃え上がって僅かな消し炭に変わる。こんなものをいつまでも所持しているなど、気がおかしくなりそうで耐えられなかったのだ。必要分は使い魔に渡したのだから、残りは用済みだと思いたい。


◇◇◇◇


「……まったく、コレール様もろくでもない物をお渡しになる」


 主人の執務室から遠く離れた廊下でそう呟くのは、抹殺命令を受けた三匹の刺客の一人、爪の使い魔・グリフである。彼女もまた、花びらから漂う甘い匂いに言い知れぬ不安を抱いていた。鼻腔を擽るのは確かに薔薇の芳香であるが、第六感を揺さぶるのは本能的に忌避せざるを得ない、不吉な死の気配である。


 ――犠牲になったのはビジュだという。収集要員の中ではそれなりの戦闘力を持った奴だったが、戦闘要員たる自分達の足元にも及ばない存在だ。魔物に殺されても何ら驚く事ではない。自分達はそういう環境で仕事をしているのだから。


(何処の誰だか知らないが、とっとと見つけ出して始末するとしようかね。私には他にやる事があるんだ)


 この使い魔は、魔物相手の戦いよりも人間をいたぶる事を好んでいた。ろくに抵抗も出来ない人間を辱しめ、その肉体を引き裂いて精気を吸い出すのは、言葉にし尽くせない快感がある。生態系の頂点、生物の霊長を気取る人間が無力な被捕食者に転がり落ちる様は、いつ見てもぞくぞくして堪らなかった。それらは魔物相手ではそう得られない感覚である。だから、グリフは人間以外の標的にさほど魅力を感じない。やっつけ仕事のような姿勢になってしまうのも、自然な事であった。


◇◇◇◇


 舞台は人間の世界に戻って、下校時間を迎えた学校である。下駄箱で靴を履き替えていたアトリは校門前で待ち構えている海守を発見し、鞄を取り落としていた。


 金髪白面な上にあのヤンチャなファッションである。アトリと同じように武志の姿を認めた生徒らは、「他校生だよな」とか「何だ、カチコミか?」とか「誰かの彼氏?」とか、ヒソヒソ囁き合っている。よりによって、どうしてあんな目立つ所で待っているんだと人知れず頭を抱えたアトリは、履き替えかけた靴と鞄を持って中庭から裏口の方に回ることにした。海守には悪いが、自分もヒソヒソされてはたまらなかったのである。


「……あれ。雛形。どうしたんだよ、靴なんか持って」


 廊下でばったりと上條に出会ってしまった。上履きをはかず、靴を持って移動するアトリに彼は怪訝そうな眼差しを向けてくる。美咲同様、彼の平穏を守るため、詳しい理由を言う訳にもいかず、アトリはあからさまなごまかし笑いで口を開く。


「裏門の方に用があって。近道してるの。ちょっと急ぐから……またね、上條くん」

「え? ああ、また明日……」


 きょとんとしている上條を背にアトリは裏門へと急ぐ。ぐずぐずしていると、あの野獣が来るかも知れない。その前に人が居ない所へ行かないと自分までヒソヒソされてしまう……そんな恐怖が彼女の思考を支配していた。


 ――幸い、目的の裏門には全く人通りが無かった。今のうちにと、アトリはそそくさと裏門から学校を出る。鬼の居ぬ間に……ならずの野獣の居ぬ間にだ。


「おーい、アトリ。何で裏門なんかからコソコソ出て来てるんだ?」

「っく……! み、海守さん」


 いつの間に先回りしたのか、海守がすぐ側の脇道から現れた。アトリの反応に顔をしかめた海守は、ずんずんと接近してくる。置いて帰ろうとした事を怒っているに違いない――何をされるかと身をすくませたアトリの頭に、武骨な手が乗った。待っているのは拳骨だろうか、脳天締めだろうか……考えたくはないが、一思いに首をぽっきりという線もある。


「ダメだろ、アトリ。海守さんなんて他人行儀は! 俺はお前の花婿なんだからな」

「そ、そっちですか」

「何言ってるんだ、これより大事な問題なんてないぞ。ほら、やり直し。俺の名前は?」


 身を屈めてアトリに額をくっ付けた海守は、しょうがない奴を見るような半眼でそう促す。名前とは十中八九下の名前を呼べという事だろう――フルネームで呼ぶような真似をしてお茶を濁したところで、この野獣は見逃してくれそうにない。


「……た、武志さん」

「さん付けもナシだ。人間で言えばそんなに年は変わんないんだからな」

「……武志」

「そうそう! よく言えたな、えらいえらい」


 わしわしと頭を撫でられて登頂部がくしゃくしゃになってしまったのを、アトリはそそくさと直す。本当に、さすが郁の片割れである。こういう面にうるさくて厚かましい所はまったく同じだ。花婿気取りの人外など一家に一人もいらないというのに、二人目なんて。どちらか一方を売りに出しても罰は当たらないのではないだろうか。


「ところでアトリはどうして裏門なんかにいるんだ?」


 お前が表に居たからだよ、と言いたいところだが、相手は野獣である。そこら辺は隠しておくに限ると、アトリの本能はそう告げていた。


「今日は裏門から帰りたい気分だったので……」

「ふーん……アトリって変な奴だな。でも、それならそうと教えてくれれば良かったのに。今度からは俺にも教えるんだぞ!」

「わ、分かりました……」


 しどろもどろで捻り出した苦しい言い訳だったが、海守……もとい武志は全面的に信用したようだ。いまいち考えの足りない行動の数々から鑑みて、彼は所謂アホの子という奴なのかもしれない。とにかく、奴には二度と学校に寄り付かないで欲しいものである……が、この様子だとまた来るのだろう。


「よーし、それじゃあ帰ろう!」


 出発進行の合図のように拳を突き上げた武志は、アトリの手を取ってずんずんと歩きだす。仕方ないので、アトリもそのまま帰宅の途に就いて駅に向かった。誰かに見られてはいけないので、表通りは避けて、入り組んだ裏通りを密やかに通行する事にして。繋がれていた手は、「いくら花嫁花婿の関係でも、今日初めて会った人と手を繋ぐのは恥ずかしい」とどうにか説得して離させた。


「そういえば、アトリは何年生なんだ?」

「二年生です」

「じゃあ俺と同級生だな!」


 武志はアトリと同じ高校二年生らしい。アホの子らしく要点があっちこっちする話を要約すると、「あまりにも教養に欠けるから」と片割れらに言われて高校に通っているということだった。本人は、読み書きと加減乗除が出来れば生きていくのに問題ないと思っているようだが、「加減ナントカ……あれだ、足し算引き算と掛け算割り算」と言っているようでは、やはり教育の力が必要ではないかと思われる。もしかしたら実際にはそれすら危ういのではないだろうかと、アトリは物憂い気持ちになった。


「……黒騎士って、みんな郁さんや武志みたいなんですか」

「そんな事ないぞ? 色々だ。すごい頭の良い奴とか、あんまり喋らない奴とか、物凄く怒りっぽい奴とか、みんなバラバラだぞ! ……同じなのにバラバラだから、みんながアトリを気に入るか、ちょっと心配だ」


 それは、武志にとっては不安な事項でもアトリにとっては暗闇に射した一条の光のような話だった。この先現れる誰かがアトリを花嫁として認めないなら、どうにかしてこの婚姻を破綻させる事が出来るかも知れないのだ。そうすれば、アトリは普通の人間に戻れるかも知れない。……もっとも、婚姻が破綻すれば新たな身を守る手段を探さなくてはならないのだが、それはその時に考えるべきである――芽吹いた希望にアトリが内心で拳を突き上げている間に、武志が言葉を継ぐ。


「でも、俺はアトリと一緒に居たい。だから、これからいっぱい仲良くしよう」

「……あ、いや。私と仲良くしても何もないですよ」

「そんなこと言うな。せっかく可愛いのが台無しだぞ」

「こういう性格なんですよ。どうです、こんな花嫁嫌でしょう」

「ああ、そういう可愛くない所は良くない……でも、逃げられると追い掛けたくなる。相手が良い乳の可愛い女の子ならなおさらだ。郁が言うような、ウンメイとかは信じないけどさ。俺はタイプなおっぱいと顔は信じるぞ。だから、俺はこんな事でアトリを嫌いにならない! どうだ、参ったか!」


 やる気に満ち満ちた様子でそう胸を張る武志に、アトリは「この人も郁さんと同類だ。諦めの悪い変態だ」と気が付いて落胆する。動物のような雰囲気に騙されていたのだ。目の前の男は動物っぽいが、根本はあの毒花と変わらないのだ。


「でも。どうして初対面の人間の胸の事が分かるんです。デタラメ言ってるんじゃないですか?」

「ん? デタラメじゃないぞ? さっきハグした時にちゃんと分かったんだ。アトリのおっぱいはすこーし小ぶりだけどいいおっぱいだ!」

「何回も大きな声でおっぱい言わないで下さい。住宅地ですよ、ここ……」


 こいつも結局は郁と同じレベルの、どうしようもない変態だったのだと思い知ったアトリはより深く落胆し、人の気も知らない武志はお腹が空いたなと買い食いを促す。相変わらず馴れ馴れしい奴である。もう色々とうんざりしたアトリは、武志と並ぶのを嫌がってつかつかと半歩先を歩く。


「そんなに先さき行ったら危ないぞ。やっぱり、恥ずかしくても手を繋ごう」

「い、嫌ですよ。恥ずかしい」


 そうして更に歩調を速めたアトリを、武志は後ろから襟首を強く引っ張って引き留めた。見事に首が絞まって、アトリの口からはシメられる鶏みたいな声が漏れる。そんな乱暴なやり方に咳き込みながら怒ろうとしたアトリだが、武志がピリピリとした殺気を放ちながら真顔になっているのを見て思わず口を噤んでしまった。



2021/6/2:加筆修正を行いました。

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