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4話2節


[2]


 伏魔殿とは一転して、学校は退屈を覚える程に平和なものだった。ああ、これこそが、変態も化け物も居ないこの環境こそが本当の平穏なのだ――傍らで山田猿軍団が騒ぐなか、アトリは一時の安寧をそのように噛み締めた。


 そんな平和な学舎で、アトリは美咲が知り合いから聞いたというファンシーショップ事件の顛末を教えてもらった。

 ――あれから店には本格的な警察の手が入ったが、捜査は思うように進展せず。店主の正体や行方、客が一斉に気絶した原因、店で起こったことのうち、解明されたものは何一つないようだ。迷宮入りしそうな有耶無耶ぐあいである。美咲も「もう何が何だか」と呆れていた。


 そんな中でも唯一判明したことがある。店が無許可のものである上、建物の所有者にすら無断であったということだ。こちらは明確に加害者と被害者がはっきりしているので、警察は何としても店主の行方を追わなければならないようである。但し、その店主はもうこの世にないのであるが――これから大いに無駄骨を折らされるであろう警察関係者に、アトリは心中で合掌した。


「――にしても、アトリとあの人って似てない従兄弟よね。大丈夫なの?」

「だ……大丈夫って。何が?」

「そのさ……言っちゃ悪いけど。あの人、なんか怪しいっていうか、胡散臭い感じじゃない。あんた、二人暮らしなんでしょ? 大丈夫なの?」


 美咲は郁にいい印象を持っていないのだろう。遠慮がちながらも、歯に衣着せぬ物言いで心配そうな眼を向けてくる。アトリはその反応に、内心では初めて共感者が現れた事への感慨を覚えた。しかし、この貴重な友人を恐ろしい人外の世界へ引きずり込む訳にはいかない。喉元までせりあがった言いたいことを飲み込んで、曖昧な苦笑いの仮面を被る。


「ああ、うん。ちょっと……ほんのちょっと癖の強い人だけど、悪い人ではないから。大丈夫。仲良くやってるよ」

「そう? まあ、何かあったらあたしに言いなよ。家出先くらいにはなってあげるから」


 嬉しい申し出に、アトリは良い友人を持ったものだと内心で袖を濡らした――あくまで内心だけの事であり、顔は苦笑の体を取り続けているけれども――。自他共に認める冷徹な心の持ち主であるアトリだが、「女の子の大丈夫は、ほんとうは大丈夫じゃないんだよ」というあの軟弱な言葉にも、今なら少しは首肯出来そうであった。


◇◇◇◇


 お昼時になっても、地上には変わらず優しい陽射しが降り注いでいる。

 そんな今は午前の授業が終わって昼休み。美咲は部活仲間との約束があるので居ない。残されたアトリは、一人でこの時間を過ごそうと教室の喧騒を離れ、東校舎の屋上へやって来ていた。急展開する事態に頭がこんがらがりつつある彼女には、一人で気を落ち着かせる場所が必要だったのである。


 すぐ側にビルが幾つも建って見晴らしが悪く、手狭なこの屋上は生徒に不人気であったが、こうして一人になるには良い場所である。誰も居ない屋上で、アトリは「どうしてこんな事に……」と青息吐息で空を仰ぐ。無力な人間なりに普通の人生へ軌道修正しようと知恵を絞ってきたが、無情にも乖離は加速度的に進みゆくのみだ。


「これじゃあ本当に、宇宙空間に投げ出されたミジンコもいいところじゃない……ん?」


 気のせいだろうか。遠めにだが、頭上からわあわあと騒がしい声が聞こえる。何の騒ぎだとアトリがそちらを見上げれば、太陽を背にして黒い人影が飛んでいた。

 今度はフライング・ヒューマノイドか――メキシコの未確認生物を想起して立ち尽くしたアトリのそんな反応は、何かが決定的にずれてしまっているが、それを指摘する者は誰も居ない。そうしている間に、フライング・ヒューマノイドもどきは落下速度を速めてアトリの方へ接近し始める。


「はははっ、見つけたぞ、アトリ!」

「は? え? ちょっと……!」


 自分の名前を呼びながら、空から人らしきものが飛んできた――こういう時、どんな対応をすれば良いのかなんて、アトリは聞いた事がない。落下物との激突までの数秒間に彼女が出来た事と言えば、突然のアクシデントに狼狽え、僅かに身を後ずさりさせる事だけだった。


「よーし、アトリに向かって着陸っ!」


 厭に明るくハイテンションな調子で、落下物はそう言いながらアトリに激突。そのまま、窒息死させる勢いの物凄い力でしがみ付いて、彼女ごと猛スピードでごろごろと転がった。アトリは、天地が何度もひっくり返り、頭蓋骨の中身がシェイクされているような感覚に陥る。抱き込まれていたお陰で頭をぶつけずに済んだのだけが、不幸中の幸いと言えよう。そんな地獄のような回転は、フェンスにぶつかってようやく止まったようだった。


 一体何が、どうしてこんな事になった――アトリは内心で理不尽な仕打ちを嘆いた。口に出す事を遠慮した訳ではない。殺人的な体当たりとベアハッグを立て続けに食らった上、コンクリートの上をスタントマンばりに転がった事でぐったりしていたのである。


「えへへ。ちょっと勢い付けすぎたな! おーい、大丈夫か?」


 未だアトリを抱き竦めている落下物の呑気な声が、頭上から降ってくる。何が「ちょっと勢い付けすぎた」だ。こっちは下手したら死んでいたんだぞ……お茶目な失敗で済むか――そんな塩梅に、満身創痍のアトリはふつふつと怒りを沸き上がらせて、落下物の抱擁を振り払って立ち上がった。


 眼下では、きょとんとした顔の金髪少年がアクアマリンの瞳を好奇心いっぱいに輝かせながらこちらを見上げている。黒いオシャレツナギに、シルバーのピアスやらネックレスやらチェーンやらと、いかにもヤンチャそうな出で立ちだ。こういう手合いは本来アトリの苦手なタイプだが、謂れなき暴力を受けては黙っていられなかった。


「何するんですか、殺す気ですかあんたは!」

「ん、何言ってるんだ? 俺がアトリを殺す訳ないだろ、大事な花嫁だぞ」

「は……?」


 人の事を厚かましく花嫁と呼ぶろくでなしなど、あの変態綿毛だけで十分だ――そう思ったところでアトリは思い出す。

 『僕の片割れたちを呼び寄せておいたよ』……今朝、郁はそんな事を口走っていた。つまり、このヤンチャ君もそうだというのだろうか。冷静になって見てみれば、顔立ちは他人ほどに違うが、蝋のような白い肌と人形めいた無機質な顔の整い具合は郁と同じである。しかし、まさか、こんな殺人的なファーストコンタクトを取ってくるロクデナシがそうだというのか。


「俺は黒騎士の海守(みもり)武志(たけし)。お前の花婿だ!」


 現実に思考が追い付かないアトリに、ヤンチャ君もとい海守武志は、無慈悲にもそんなとどめの言葉を吐いた。


◇◇◇◇


 金色の巨大ケサランパサラン……もとい黒騎士・海守武志の非情な花婿宣言の後、アトリが取った行動は実にシンプルなものだった。全てを無かった事に……目の前の海守を全面的に無視して、お昼休みを再開したのである。空から人らしきものなんか降って来なかったし、花婿を騙るヤンチャ君なぞ居なかった。何故か身体中が痛むが、今は心静かに昼食を摂ろう……アトリはそう精神統一し、元の位置に戻って弁当包みを開いた。


「うまそうな弁当だな!」


 まず、だし巻き玉子を口に運ぶ。あの変態の手によるものだと思うと癪だが、絶妙な柔らかさと程好い出汁の風味は見事と言わざるを得ない。


「アトリが作ったのか?」


 次に摘まんだ、花の形にされた温野菜の人参は、そっと噛み砕けば自然な優しい甘味が広がった。これもなかなか美味しい。


「俺も一口欲しいぞ!」


 脇で喧しかった海守がとうとう正面に来て身を乗り出し、アトリは一気に現実へと引き戻された。流石あの郁の片割れである。やはり無視が通用しない。


「……何が食べたいんですか」


 根負けしたアトリがため息混じりにそう問えば、海守は餌を前にした大型犬のようにきらきらした表情になった。どうもこの男には、ヤンチャ君よりは動物という形容の方が合っている気がしてきた。先程の暴力的なファーストコンタクトを鑑みれば、野獣という方が妥当か。


「選んでいいのか? なら唐揚げがいい!」


 アトリは海守の要求へ素直に応じて唐揚げを箸で摘まみ、雛鳥の如くいっぱいに開かれた口へとそれを放り込んだ。随分とまあ、幸せそうにもぐもぐと咀嚼するものである。試しに他のおかずも与えてみれば、面白いくらいにうまいうまいと食べる。


「本当にうまいな! やっぱり女の子の手料理って最高だな!」

「私が作ったんじゃないですよ」

「ん……? じゃあ、誰がこの美味しい弁当を作ったんだ? お母さんか?」

「違います。郁さんです」


 それを聞いた途端に、海守は物凄い勢いでむせた。食べ掛けのおにぎりが喉に詰まったようで、顔が青くなって涙目になっている。先程、奴に死にそうな目に遭わされたのだし、このままにしておいても良い気がするが、長年に渡って染み付かせたアトリのいい子ちゃん根性はそれを許さない。逡巡する間もなく、気が付けば背中を叩き、ペットボトルのお茶を差し出していた。


「げほっ、げほっ……た、助かった……サンキューな」

「いいですよ、気にしないで下さい。ただの条件反射ですから」

「アトリは愛想がないけど良い奴だな! 郁が見つけた花嫁だからヤバい人間なんだろうなって思ってたけど、案外フツーで安心した!」

「フツーで悪かったですね」

「ん? フツーなのはいいことだぞ? 目立ちにくいから狙われにくいし、たくさんの人間の中に隠れやすいし」


 ……ショボいという意味で貶しているのかと思えば、どうやら誉め言葉だったらしい。しかし、狙われにくいとか隠れやすいとかは、ジャングルやサバンナに生きる野生動物ではないアトリにとっては微妙な誉め言葉である。確かに、厄介事を避けるために群衆へ埋没することを是としてきたが、それとこれとは話が別だ。


 それにしても、普通じゃない片割れにすらこんな物言いをされ、弁当が彼の作と分かるやむせられるとは、郁は一体彼らの中でどういう振る舞いをしているのだろうか。


「はあ――まったく。それで、あなたは一体何をしに来たんですか。いきなり人に体当たりしてベアハッグまできめて……お弁当も食べるし……」

「体当たりしたんじゃないぞ! 隣のビルから跳んできて、アトリを見つけたからそのままハグしただけだ! ……ちょっと加減間違えたのは、悪かったって思ってるけど」

「どういう跳躍力してるんですか……そもそも何で隣のビルに」

「郁が花嫁捕まえたって言うから来たんだけどさ、いま家に行っても郁しか居なくてつまんないだろ? だから、直接アトリに会いに来た! 屋根づたいに!」


 頭の痛くなるような回答である。何てお気軽な奴だ。誰かにこの状況を見られたら厄介な事になるであろうことが、このもさもさの頭では分からないのだろうか。


「そんな理由で学校にまで来ないでくださいよ……誰かに見つかったらどうするんです」

「大丈夫だ、俺はそんなヘマしない。だいたい、ここ、あんまり人来ないだろう。人の臭いがしないから分かるぞ!」


 無邪気に胸を張ってそう言う海守に、「あんたは本当に動物か野生児か……」とアトリはがっくりと肩を落とす。確かに、彼が指摘したとおりこの屋上に人が来る事は少ないのであるが、何か釈然としない。


「……事情は分かりました。分かりましたから、今度から人に飛び付いてハグするのはやめてください。今回は大丈夫でしたけど、打ち所が悪いと死にます。死んでしまいます」

「ああ、そうか。アトリはまだ人間だもんな……うん、気を付ける」


 〝まだ〟って何だとしょっぱい顔をしていると、申し訳なさそうに眉尻を下げた海守が、壊れ物を扱うようにアトリの左手を取った。嫌な予感がして手を引くが、ハグのつもりでベアハッグをかます馬鹿力の野獣だ。郁以上にびくともしない……と言うよりも全く動かない。


「アトリは大事な花嫁だからな、今度からはもっと大事にする。だから安心してほしい!」


 にかっと人懐こい笑顔で無邪気にそう言った武志はいつぞやかの綿毛と同じように、薬指の付け根に口付ける。それに応じて浮かび上がった絡み付く蔓のような名状し難い模様に、魚の鰭のような模様が加わってゆく。


 それを見届け、「これでよし、と」と言って離れる海守は憎らしいが、今は身を守る為に彼らと仲良くする必要がある。先日のようなえらい目に遭って命を落としたくないなら、結局は変態どもを甘んじて受け入れるしかないのである。「えへへー、俺の印!」と喜ぶ海守は呑気で良いな、とアトリは遠い目をした。


 ……そうこうしているうちに予鈴が鳴り、校庭で遊んでいた生徒たちが校舎に戻ってゆく音がする。もう昼休みは終わりだ。行かなければと立ち上がったアトリに、海守は「ええ……もうそんな時間なのか」と物言いたげな視線をよこす。それは、まだ遊び足りない大型犬の眼だ。アトリは一瞬「うっ」と言葉を詰まらせたが、すぐに冷徹な思考を取り戻して顔を背けた。


「……駄目ですよ。授業を受けるのが学生の仕事ですからね。さあ、帰った帰った」

「ちぇっ。でも、授業なら仕方ないもんな……分かった。じゃあ、放課後迎えに来るから、またな! 勉強頑張れよ!」

「何言ってんですか、ちょっと……!」


 アトリの抗議も聞かず、海守は爆弾発言だけを残して去っていった。今度は目立たぬよう、体を水に変えてどこかへ流れてゆく。魔物というのは、あんな芸当もできるらしい。何でもありだ。……それなら最初からそうやっておとなしく現れてくれれば良かったと思いかけたアトリだが、あの考えのとんだ野生児ならどっちみち碌でもないことをしていただろうと思い直して屋上を後にした。



2021/6/2:加筆修正を行いました。

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