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3話3節(上)

 この話には、暴力や負傷などの描写が含まれます。苦手な方はお戻りください。


[3]


 放課後の教室は、一日の授業が終わった解放感と、げんなりとした疲労感に包まれていた。最後の授業――担当教師の陰険さで悪名名高い古典にて、抜き打ちテストが行われたのである。その惨状たるや、目を覆いたくなるような酷いもので、教室の一部は死屍累々の様相を呈していた。


「だぁーっ、もー! 抜き打ちテストとか聞いてないわよ!」

「聞いてたらそれ、抜き打ちテストじゃないよね。ただのテストだよね」


 その中で憤慨し咆哮するのはメスゴリラ……ではなく、アトリの友人である姫野美咲だ。何事に於いても正々堂々、真っ向勝負を是とする彼女にとって、不意討ち上等の抜き打ちテストは憎むべきものなのだ。

 アトリは、そんな彼女に宥めているのか何なのか分からない言葉を掛けている。薄情にもさっさと帰りの支度をしながらである。お陰で怒りのボルテージに冷や水を浴びせられた美咲は、じっとりとした眼差しを彼女に向けた。


「……本ッ当に、あんたってこういう時も平常運転よね。知ってるわよ。あんたみたいな安定志向で薄情な面白味もない奴ほど公務員になりたがるのよ。そうして冷たいお役所仕事をするんだわ」

「何を言います美咲さん。今のご時世は公務員も安定した立場とは言えないのですよ。常識的に考えて、少子高齢化社会の今、狙い目は医療業界でしょう。人口比率がどうなろうと人間生きてればどうせ病院のお世話になるんだから、食いっぱぐれはありませんよ」

「まあっ、あんたって、本当に憎たらしい事しか言わないわよね! ついでにそのニヒルな笑みも止めなさいよ、腹立つから! ……はあ。抜き打ちテストで脳の糖分使い果たしたから、今日はこれくらいにしといてあげるわ。代わりに付き合って貰うわよ、ケーキバイキング!」

「はいはい。家来はどこへなりともお供しますよ、姫さま」

「そのあだ名で呼ぶの止めろって言ってんでしょ! もう、行くわよッ!」


 顔を真っ赤にした美咲は、教科書類を押し込めた鞄を引っ掴むと、メスゴリラもかくやという勢いでアトリを引きずって教室を出てゆく。中学時代からの付き合いである二人には、こんな遣り取りは日常茶飯事だ。互いに遠慮は無いが、踏み込んで良い所と悪い所の境界を弁えてもいる。この頃、色々と気を遣わねばならない事項の多いアトリにとって、変に肩肘張って付き合わなくて良いこの関係は大変貴重なものであり、数少ない気の休まる場所でもあった。



◇◇◇◇



 美咲曰く、目的のケーキバイキングは、七区の駅前通りから三ブロックほど離れた所にあるのだという。そこら辺はアトリにとってあまり馴染みの無い場所で、寄り付いた事もない。どんな場所なのだろうと人知れず期待を膨らませて、アトリは美咲の背を追った。


 そうして訪れた小さな通りには、同じく小さな店が幾つも並んでいた。古いものから新しいものまで、様々な種類の店が小ぢんまりと身を寄せあっている。夕方という事もあって、通りには多くの人出があるようだった。


(そうか。もう夕方なんだ。郁さんは早く帰れって言ってたけど……ちょっとくらいなら大丈夫だよね。きっと)


 今朝に郁が話していた事は気掛かりだったが、ここまで来てしまったのだ。今さら帰る訳にもいかない。それに、帰れば変態綿毛との死闘が待っているのだから、少し位は息抜きしたい――アトリは芽生えた躊躇を振り払い、美咲の背との距離を縮めた。と同時に、美咲が突然歩みを止めたのでアトリは彼女に追突しそうになる。


「い、いきなり止まってどうしたの。ケーキバイキングはあっちだよ?」

「うーん……何かあの店気になるんだよね。前来た時には無かったし、随分人気みたいだしさ。ああほら、開店記念で最大七十パーセントオフだって!」


 美咲の視線の先には真新しいファンシーショップが佇んでいた。ガラスの向こうは、女子高生や女子大生、社会人らしき若い女性たちで賑わっている。新店な上に開店セール中とあらば、ちょっと入って見てみたいと思うのが女性の心理なのだろう。美咲がアトリを引っ張ってファンシーショップに行くのも仕方がないと言えば、仕方がないことだった。


(――わあ。本当に安い。出血大サービスもいいところだな、これは)


 品揃え自体は他のファンシーショップよりちょっと良い程度のものだが、値段が破壊的であった。平均価格の三割引きは当たり前、半額もかなりごろごろしている。おまけに、『千円のお買い上げごとに、お好きなアクセサリーお一つプレゼント』だ。通りで、どの客もホクホク顔で、カゴへ次々と商品を放り込む訳である。同業者が知ったなら苦情の一つや二つ入りそうな、暴力的なまでの攻勢だと、アトリは内心でたじろいだ。


「アトリ、あんたは何か買わないの? あたしなんかもうこんなにカゴに入れちゃったわよ」

「ううん……今は特に欲しい物も無いから」

「えー、何それもったいない! でも欲しい物がないんじゃ仕方ないわよね」


 そう言って、美咲は今度は髪留めやシュシュの売り場に行ってしまった。置いて行かれて呆れても良いところだったが、今回ばかりは好都合だとアトリは安堵する。

 ――欲しい物が無いというのは嘘だ。実際は、この店の雰囲気に何となく嫌な感じを覚えていて、買う気がしないのである。こんな心境では美咲の買い物に楽しく付き合えない。それどころか、気を抜けば「どうか早く買い物を終えて、ケーキバイキングに行って貰えないか」とそわそわしてしまう。特に明確な理由もないのに不思議な事だと、アトリは物憂く眼を伏せた。


「……あら。可愛らしいお客様。浮かない顔をされていますが、どうされました?」

「え? ああ、その。友達の買い物を待っているんです。用もないのに居たら邪魔ですよね。ごめんなさい、すぐ出ます」

「いいえ、邪魔だなんてそんな! 見るだけでも構いませんから、ゆっくりされていってくださいな。それにしても、折角のセールなのに勿体ないですわ。良ければ(わたくし)が、貴女にお似合いのアクセサリーを見立てて差し上げましょう」


 突然現れた店員の女性――恐らくは今居る店員の中で一番上のポジションであろう人物――は、終始アトリを圧倒して、アクセサリーの見立てを始めてしまった。値段同様に恐ろしい攻勢であるが、アトリにはここで買い物する気はない。どうにか辞退しようと「アクセサリーは校則違反ですから」とやんわり逃げる事にする。だが、向こうの予想以上に攻勢は強く、「お客様はまだお若いのですから、お洒落の為なら少しの校則違反は有りだと思いますわ。それに、お休みの日なら校則も関係有りませんわね?」と説き伏せられそうになる。どうしてもここのアクセサリーは着けたくないのだけどなと悩む間に、店員は「これなんてどうでしょう? 小さなお花のペンダントは、きっとお客様によくお似合いになりますよ」とラインストーンのペンダントを差し出してきた。……この店員、なかなかの強敵である。きっと布団の押し売りでもやっていけるだろう。


「す、すみません。本当に今日は買う気がないので」

「まあまあ、そう固いこと仰らずに。一度試着するだけですわ。そうすれば貴女も……」


 素早く背後に回り込んだ店員が、ペンダントを着けさせようとアトリへ手を伸ばしたその刹那。ブラウスに隠していた郁のペンダントがふわりと飛び出して強烈な閃光を放ち、ばちんと大きな音を立てて何かを……恐らく店員を弾き飛ばした。間断無く、アトリの背後で何かが激突して物が崩れ落ちる音が続く。

 何という事だ、魔界名物が人間へ牙を剥いたのだ――そんな動揺を抱えつつ、アトリは恐る恐る背後を確認する。アトリの予想通り、吹き飛ばされた店員が棚に突っ込んで伸びていた。隙無くセットされたヘアスタイルも、可愛らしく陳列されていた小物たちも、ぜんぶぐしゃぐしゃだ。


「す、すみません! あああ……大丈夫ですか……!」


 青い顔をし、慌てて店員に近付いたアトリだが、一メートルの距離にまで近付いたところで見えない壁に行く手を阻まれる。ペンダントがそれ以上の進行を阻んでいるのである。外そうとしても、銀の鎖が肌に張り付いて石のように動かない。これでは近付けないじゃないかとアトリが歯噛みしていると、店員が意識を取り戻したようで「うう……」と呻く。


「ああ、気が付かれたんですね! ごめんなさい。大丈夫ですか?」

「うう……小娘風情が……結界で私を弾き飛ばすだけでなく、擬態をも解くとは……許せぬ」


 店員は「結界」「擬態」などと郁が言いそうな意味不明な事を呟き、幽鬼のようにふらふらと起き上がる。上げられた顔はまるで鬼女のようで、先程までの面影など全くない。何より恐ろしいのは、その白眼が黒く、肌が青く染まっている事だった。南無三。これでは最早人間とは言えない。事態を呆然と見ていた周囲の客からは、「な、何なの、この化け物!」などと悲鳴が上がった。店員……もとい鬼女はパニックに陥った店内を鬱陶しげに見回す。


「こうも騒がれては面倒だ……お前たち全員、眠っていてもらおう!」


 鬼女の吐いた紫色の霧で、店内の人間はバタバタと倒れてゆく。至近距離にいたアトリは結界に守られて無事であったが、少し離れた所には美咲が倒れていた。まるで毒ガスでやられた市街地の一角を見ているようだと、アトリは身を震わせた。


「な、何て事を……」

「それはこちらの台詞だ。催眠霧も無効化するとは、厄介な魔物だよ。大人しくしていれば、魔力と精気を根刮ぎ奪うだけで許してやったものを――まあいい。人の商売を邪魔して、ただで帰れると思うなよ」

「さ、さっきのあれは事故です。別にあなたの仕事の邪魔をする気は有りませんでした。それに、私はただの人間で……」

「この期に及んで往生際が悪い! こんな気味の悪い匂いをさせた、ただの人間が居るものか。魔物だという事は分かっているんだよ! ノコノコと人の縄張りに入り込んできて……牙を剥かれるまでそうとは気付かなかったよ、この薄汚い人間モドキめ。その身を八つ裂きにして、生き肝を喰らってやる!」


 そう吼えた鬼女は腕を結晶で覆って錐状にし、アトリへと襲い掛かった。初撃をどうにか避けたアトリは敵が陳列棚へ突っ込んだ隙に外へ出ようとしたが、扉は固く閉じていて開かない。ガラス扉を叩いて店外の人間に助けを求めても、外の人間には店の中の事がまるで認識出来ていないようだった。ただただ、何事もなく通り過ぎてゆく。


「無駄だ! この店は私のテリトリーなんだからね!」


 復帰した鬼女が、凶器と化した腕を突き出し再び襲いかかってくる。今度こそは直撃だとアトリが身を竦めると、再びペンダントが閃光を放って鬼女を弾き飛ばした。どうやら、鬼女がアトリから半径一メートル以内に入るとペンダントが効力を発揮するようである。

 いつまで持つかは分からないが、守られているうちに脱出経路を見つけ出さなくては――そう判断したアトリは、今度は裏側へとバックヤードに向かう。すぐに復帰した魔物が追い掛けて来たが、接近する度にペンダントが弾き飛ばすので、楽に到達する事が出来た。……但し、攻撃を防ぐ度にペンダントの発光が弱まってきている。やはり、この強力な守りも無限に続く訳ではなさそうだ。


 バックヤードは、商品の入った段ボール以外は殆ど何もない倉庫で、店の裏に続く扉が一つだけあった。アトリは飛び付くようにドアノブを回したが、鍵が開いているはずのドアはガチャガチャと音を立てるだけで、まるで溶接されたように固く閉じたままである。そこへまた鬼女が飛び掛かってきて、ペンダントが閃光で弾いたが、威力は目に見えて落ちていた。出力不足で機能が切り替わるように、ペンダントは弱々しく発光してアトリを薄い光の膜で包む。


「そのペンダントのまじないも、もう少しで効力が切れそうだな。ほほう……魔力も隠していたのかい。随分とたんまり溜め込んでいるようだねえ」


 鬼女は嗜虐的な声色でそう囁き、裂けたような口を三日月型に歪めてじりじりと接近してくる。もう駄目だと、アトリは身を縮めた。こんな事なら、郁の言う通りにまっすぐ家に帰っておけば良かったと思ったが、もう何もかもが後の祭りである。


「そんなに怯えて、可哀想にねえ……今私が楽にしてやるよ!」


 そんなベタなセリフと共に鬼女の鋭い腕が振り上げられ、アトリは腰を抜かし、来るであろう痛みに備えて固く眼を閉じる。しかし、その一撃は何かに防がれて、硝子同士がぶつかるような音を立てた。恐る恐る目を開けてみると、アトリを覆った薄い膜が化け物の腕をしっかりと阻んでいる。ペンダントの結界はまだ生きていたのだ。


「ちっ。出力を落として防御に特化したか……小賢しい! どうせこのまま攻撃を受ければ壊れるだけだろうに!」


 そうして魔物が何度も何度も腕を振り下ろすうち、膜に小さなひびが入りだす。このままでは駄目だと、よろよろと立ち上がったアトリは近くに有ったモップを拾って殴りかかった。少しでも時間稼ぎになればと思ったのだ。ところが、敵の体は石の如く硬質で生半可な攻撃など受け付けず、アトリは逆にモップを掴まれて投げ飛ばされてしまう。投げられた先に段ボールがあったので衝撃は和らげられたが、モップの柄が額に強く当たって切り傷を作った。――体を起こすと、生暖かく鉄臭い液体がアトリの鼻筋をぬるりと伝ってゆく。


「悪足掻きをするんじゃないよ。その結界が壊れれば死ぬしかない癖に」


 鬼女がアトリの無力を嘲笑い、尖った腕を再び振り上げる。あまりにも酷い力の差に腰が抜けてしまったアトリは、ただ目を見開く事しか出来ない。


 ――突如、ずず……と妙な地響きがしたかと思うと、敵の足元のタイル床が真っ黒く巨大な何かに突き上げられるようにしてぶち破られたのは、まさにその時だった。




2021/6/1:加筆修正を行いました。

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