3話2節
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人の世界の喧騒など全く届かない、地下深くに広がる冥闇の空間。暗黒の者どもが集いし妖気漂う宮殿は、誰にも知られる事なくそこに存在していた。
宮殿の最深部に程近い神託の間には、暗黒の者ども――悪夢の軍勢を率いる者達が久方振りに顔を合わせていた。定期的に行われる計画の経過報告と戦略会議の為である。
「よくぞ集まった、我らが悪夢の四闘士よ。お前達の働きのお陰で、我らが主への供物たる人間どもの精気は順調に貯まってきておる。早速だが、各々の状況を報告して貰おうか」
絵画の中のシビュラ達が座すような仰々しい大理石の椅子に身を預け、眼下の配下らへ威厳たっぷりにそう命ずるのは、円熟した色香を漂わせる銀髪の美女であった。古代ギリシアの女神を思わせるような衣服と宝飾品は、彼女が現代社会とは一線を画した世界に生きる者である事を体現している。女の名はリラム。この悪夢の軍勢の盟主たる魔神に仕える巫女であり、今は復活の時を待ち眠る主に代わって采配を振るう実質的な指導者であった。
「はっ。では、私からご報告を」
悪夢の四闘士と称された、並び立つ四人の男のうちの一人が前に歩み出る。筋骨隆々とした、逆立つ赤い髪の男。いかにも邪悪そうなフォルムの全身鎧と漆黒の外套を身に纏ったその姿は、異様なまでの威圧感と妖気を帯びている。男の名はコレールという。四人の中では新参者であるが、それと同時に現在最高の成果を挙げている幹部であった。彼は己が如何なる手法を以て使い魔を率い、人間どもから効率的に精気を奪い取っているかを、そして今後の方針と予想される精気収集量の増加具合を手短に説明する。そこに誇らしげな調子が混じるのは、決して気のせいではない。
「うむ。相変わらず好調であるようだな。これからもその調子で邁進するがよい。このまま主の復活に漕ぎ着ければ、今以上の地位を与えるのも吝かではないぞ」
「……は、ありがたきお言葉」
指導者の前ともあって畏まった姿勢を崩さないコレールだが、出世の約束めいた発言を前に笑みを抑えきれなかったようで、口角が僅かに吊り上がっていた。そのまま大人しく下がるも、心中は他の四闘士への優越感で満たされていて、続く彼らの報告を聞きながら内心で嘲笑する。彼らはコレールよりも慎重で、土着の異形や魔物狩人に邪魔されぬようにと用心深く計画を進めている。そして、その為に精気収集量が伸び悩み、大胆な戦略を取るコレールに遅れを取っているのである。
(ふん。腰抜けの無能どもめ……今まで散々私を四番手と蔑んでくれたが、それももうすぐ終わりだな)
四闘士の間に仲間意識というものは微塵もない。彼らはそれぞれ自分が四闘士の中で一番優れていると思っていて、互いを蔑みあっている。己が上向けば他を嘲り、己が下向けば他を妬む……絵に描いたような歪な関係性なのである。そんな彼らは野心深くもあり、主の復活に最も貢献した者として己の力量や優位性を誇示しようと各々躍起になっている。そうして、対立と競争が成果を生む。それ故にリラムもこの状況を黙認していた。
「四闘士よ。報告、大儀であった。人間どもの精気は我らが主が復活するにはまだまだ足りぬ。一刻も早い復活の為、皆一層に励み、人間どもから更に精気を搾り取るのだ!」
リラムの号令に応じて四闘士たちは闇に溶ける。彼らはそれぞれ任されたエリアの精気収集を加速させるため、拠点へと帰ったのである。それを見届けたリラムもまた、闇に溶けた。こちらは未だ眠りに沈む主を現世へ引き上げる儀式の準備のためだ。
◇◇◇◇
夜海市某所の山中にある放棄された屋敷。それがコレールの拠点であった。そう。この男こそが、今、夜海市各地で不審な事件を引き起こしている者達の首魁なのである。
屋敷の奥深くに置かれた、曇りきった姿見の鏡。闇に溶けたコレールはそこから姿を現した。側近である高位の使い魔が跪いて彼を出迎える。
「ルージュ。精気収集は順調か?」
「はっ……各所に散らばった収集要員達が、愚かな人間どもからより多くの精気を搾り取っております。邪魔者も現れてはおりません。首尾は上々かと。ただ……」
「ただ? 何だ?」
「幽かではありますが、夜海七区に於いて何者かが縄張りをはり始めている気配が有ります。恐らく、魔物でしょう。それも一匹程度の」
「それは我らの障害たり得るか」
「今のところ、その心配は無いかと。我々との衝突を避けるように行動しております故」
「ならば捨て置け。我らも暇ではない……今は一刻も早い主のご復活の為に精気を集めなければ」
たかが魔物一匹。大望の前では路傍の石にも等しい――主人のそんな心を察したルージュは、一刻も早い大望の成就をと一礼してその場から消える。それにコレールは満足げに鼻を鳴らした。……有能な部下に邪魔者の居ない赴任地、そして溢れ返る無防備な獲物。全てが順風満帆な状況である。リラムが仄めかした『今以上の地位』を手にする日も遠くはないだろうと、コレールがほくそ笑むのも自然な事であろう。
彼ら魔物にとって、人間からの搾取ほど簡単な仕事もない。現代の人間は科学万能説や唯物主義を信奉しており、そこから外れたものは無いもの、空想上の存在と断じる。彼らにとっては科学的な判断、価値観こそが絶対であり、「科学的に証明された」という言葉はかつての神託や預言のように崇め奉るべきものなのだ。
そんな人間達は、科学の支配下に収まらなかった神霊や妖怪、魔物といったものを尽く「非科学的な迷信である」と断じてゆき、その実在を忘れ去っていった。今や、現代に存在する魔物は社会的には透明人間にも等しい。
存在しないと断じられたものであるが故に、魔物が何をしても表立った問題にはならない。魔物によって降り掛かった害も、人間には災難や不可解な事故としてしか処理できない。たとえ被害者が魔物のせいだと訴えたところで、正気を疑われて泣き寝入りするだけである。
多くの人間が信仰から離れ、神の加護や神職の庇護をさほど受けていない事も彼らには好都合だった。守り神や魔物狩人などの守り手が居なければ、人間は無知で無力な格好の獲物でしかない。そして、この夜海には守り手が一人も居なかった。コレール達にとってここは、手軽に搾取出来て、収穫量も他の動物よりずっと多い……そんな生産性の高い家畜がそこら中に溢れている楽園なのだ。この地を任されている限り、コレールの先行きも彼らの主の復活計画も安泰である。
「人間というのは都合のいい家畜だ。無力なまま、勝手に増えてゆく……我らが主が復活した暁には、人間どもを本当の家畜としてやるのも良いかも知れんな」
そんな恐ろしい呟きも、発言者である赤い魔人の耳以外に届く事はない。当然、遥か遠くの市街地で午後の仕事を始めたであろう人間達が恐ろしい企てを知る由もない。全ては水面下でゆっくりと、そして着実に進行してゆくだけだ。哀れな犠牲者たちが真相を知る日が来るとすれば、それは、あの地下深くで眠る邪悪な魔神が目覚め、彼らが生態系の頂点から蹴落とされる時だろう。
2021/6/1:加筆修正を行いました。