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3話1節:曇りゆく明日


[1]


 同居生活が始まって、更に数日が経過した。変態綿毛――もとい不二郁は、アトリの冷めた反応にもめげる事なく「花婿」として雛形家に居着いてしまった。そして相変わらず押し掛け女房の如く振る舞って、甲斐甲斐しく世話を焼いている。まるで主夫か同棲中の恋人かといった風であった。


 そんな彼の目的は本当にアトリを花嫁にする事のみのようで、他の事になかなか興味を示さない。一度、生活費や進学費用、その他貯金などの掻き集められるだけのお金を積んでお帰り頂こうとしたが、「アトリ……君は自分の価値をこんなに低く見積もっているのかい? 駄目だよ。君の価値は国を幾つ潰しても……いいや。この星を潰しても賄えやしない。たとえ世界の半分をやろうと言われたって、君を手放すつもりはないよ」などと物騒な発言を引き出すだけの結果で終わってしまった。体と魂――人一人の存在の値段は思ったよりも高額であるらしい。『人間を構成する物質から考えれば一人当たり約五千円、全ての人体パーツを売却するなら成人男性一人当たり約三十一億円』とアトリは聞いていたが、魔物の世界の相場はそれとは大きく異なるようである。


 とにかく、そんなだからアトリの毎日は未だ変態綿毛との戦争だ。恋愛惚けと色欲の権化たる綿毛はお気軽にレッドラインを越えようとするので、攻防は毎回熾烈を極める。これならまだ手の込んだ泥棒や結婚詐欺師の方がどれだけましであったか――そんなアトリの嘆息も、そろそろ百の大台を迎えつつあった。



◇◇◇◇



 その日も、相変わらず悪趣味なフリルエプロン姿の郁が朝食を用意し、アトリは彼の作った朝食を食べさせられていた。長く続く戦いに疲弊したアトリに、今更サドンデス朝食を行うような余力は無かったのである。……今日はドライフルーツとナッツのグラノーラに、法蓮草と林檎のグリーンスムージーだ。


「ドライフルーツもグラノーラも僕の手作りなんだ。野菜と果物は(あきら)が……僕の片割れが無農薬栽培した一級品だよ。どうだい? 美味しいかい?」

「ええ、はい」

「それは良かった。それじゃあ、夕食は何が良いかな? 今日こそはアトリのリクエストを聞きたいものだけれど」

「いや……特にこれといったものは」

「またそれかい? 仕方ないなあ……なら、今日はオムライスにしよう。ケチャップで君への愛をしたためながら待っているからね。アルバイトも無いようだし、今日は早く帰って来て欲しいな」

「そうですね……って、どうして郁さんが私のバイトのシフトを把握しているんです」

「さあ、何故だろうね。ふふふ……」


 無機質な白面に不敵な笑みを浮かべる郁はより一層不気味だ。しかし、それ以上に不気味なのはシフト情報の入手方法――恐らく眠っている間に手帳を覗かれたであろう事実なのであるが。携帯電話といい、合鍵といい……この調子では睡眠時に何をしでかされているか分かったものでないなと、アトリはくしゃりと顔をしかめた。


「もう……アトリったら、またそんな顔して。僕達、一緒に暮らしだしてもう一週間だよ。もっとこう、固くならないでリラックスして話そうよ」

「あなたみたいな奇怪奇天烈な輩と一つ屋根の下で心安らいで暮らせると思いますか。はあ……今度からシフトはカレンダーに書いておきますから、手帳を覗くのはやめてください」

「ああ、アトリ……僕らもやっと心が通い合うようになってきたみたいだね。嬉しいよ」


 悪事の手の内がばれたにも関わらずでれでれとする変態は捨て置き、アトリは食事を再開する。細かい事にいちいち反応していては変態を喜ばせるだけであるし、徒に時間を消耗する事になるからだ。時は金なり、である。


 そうして逸らした視線の先では、ローカル番組が夜海一区での連続通り魔事件を報じていた。これで被害者は九人目だが、犯人は未だ捕まっていないのだという。変態な未確認生物が人の家に住み着くくらいだから、やはりこの町もそれだけ物騒になったのだろう。


「おやおや……物騒な事だね。あれはきっと魔物の仕業だよ。テレビ越しにでも嫌な気配がする。あの事件現場辺りは良くない魔物が縄張りにしているから、十中八九犯人は彼らだろうね」

「あなたにまで物騒だと言われたら、この町もおしまいですね……それはともかく。現場に行った訳でもないのに、どうしてそこまで分かるんです」

「ものにはそれぞれ特有の気配が有るからね。例えば魔物には魔物の、人間には人間の気配が……だから、気配さえ読み取ってしまえば家に居ながらでも色々分かるんだよ。その気配の主が何者かも、大体の強さも、居場所もね。……尤も、ある程度の知能を持つ魔物なら、その気配をも偽装したり隠したりしているのが普通なのだけれど。それをしない辺り、彼らは獣に近いものか、そういった細工が出来ない実力なんだと思うよ」

「そういうものなんですか」

「そういうものだよ。しかし、この町は普通よりもずっと良くない魔物の数が多いみたいだね。それも、人間には分からない程度に、姿を隠したり偽ったりして動き回ってるようなのが」

「それはまた……って、やだ、ちょっと、それってものすごく危ないじゃないですか!」


 不二郁一人の相手だけでも大変なのだ。他にも悪事を働く魔物がわんさか隠れているなど、冗談ではない――これ以上の厄介事に巻き込まれないよう切に祈る日々を送り続けるアトリにとっては、これ以上ない凶報である。思わず声を荒げて立ち上がってしまうのも至極当然な事だった。

 一方の郁は至って呑気なもので、グリーンスムージーを片手に「まあまあ、落ち着きなよ」と宥め役を気取る。


「怪しい所に寄り道したり、人気の無い所へ行ったりしなければ大丈夫だよ。不審者と同じで、良からぬ事をする魔物はそういう場所を好むからね。君はただ、早く僕の元へ帰ってくれば良いんだ」


 不審者当人がそう言うのならばそういうものなのだろうと、アトリは気を鎮めて着席する。変態の策略に乗ってしまっている気がしないでもないが、通り魔の被害者になるよりはずっとましである。こっちの変態には確実に金的が効くのであるから。

 ――それはそうとして、不審者の事はこれくらいにし、そろそろ学校へ行かなくてはならない。アトリはさっさと朝御飯を終えようと残りのグラノーラを掻っ込み、グリーンスムージーを一息に飲み干した。


 そうして玄関へと向かい、出掛けようとした時である。アトリを呼び止めた郁が「これを持って行くと良いよ」と名状し難い面妖な形の物体を差し出してきた。銀色の細い鎖が環状に繋がっているから、ペンダントだろうか。とにもかくにも禍々しい印象を受ける物体だと、アトリは眉根を寄せた。


「……何ですか、これ。魔界名物か何かですか」

「酷い言い様だね。これは君を害する魔物を退ける御守りだよ。この町は安全とは言い切れないからね、ちゃんと身に付けておくんだよ。それには君の気配を敵から隠し、敵が近付いた時には結界を張って君を守るよう、そして異変を僕に知らせるようまじないを施してある。もし僕の手が届かない場所で何かあっても、それが僕が駆け付けるまでの間、君を守ってくれるはずだ」

「はあ」


 そうは言われても胡散臭い代物である。言うなれば金持ちになるブレスレットと同じくらいだと、アトリは疑う様子を隠さない。お守りと称しておきながら実際は盗聴機や盗撮カメラだと言われても、きっと驚く事はないだろう。この綿毛はそういう男だ。


「不安なのかい? 大丈夫さ、安心すると良いよ。それには僕の愛情がしっかりと込めてあるからね。おまけに僕の手作りだ。それはもう効き目抜群だよ」


 効き目抜群。そこまで言うのならば試してやろうと、アトリは郁に向けてペンダントを翳した。しかし、彼女の期待に反してペンダントはうんともすんとも言わない。何も起こらない。ただ、綿毛がきょとんとしただけだ。一番危険な奴に反応すらしないなどインチキ品ではないかとアトリは郁へ疑いの眼を向けた。


「駄目じゃないですか、これ。全然何も起こりませんよ」

「当たり前じゃないか、僕は危険な魔物じゃないからね。まったく失礼しちゃうよ。それは君なりのジョークか照れ隠しなのかい?」

「そういう結論に辿り着けちゃうなんて、相変わらずハッピーな頭ですね。ある意味羨ましいですよ。見習いたくはないですが」


 作成者に不利な働きをするようには出来ていないのかも知れないし、本当にインチキ品なのかも知れない。これでは本当の所の効果の程は全く分からないが、これ以上の厄介事に遭わないで済むならそれに越した事はない。真相は危ない事になった時にしか分からないのだ。それなら自分はそうならない事を祈りつつ、用心するだけだ――そう腹を決めたアトリはペンダントを着けた。そして、校則違反で没収されないようブラウスの中にたくし込んで隠す。


「……郁さんの言う事を百パーセント信用した訳じゃありませんよ。用心のためです。それじゃあ、私は出ますけど、妙な事はしないでくださいよ。いってきます」

「はいはい、分かっているよ。いってらっしゃい。ああ、道中は車や男に気を付けるんだよ?」


 妙に生暖かい目線で見送られるのは少し腹立たしかったが、これ以上の拘着は無用であるとアトリはつんと澄まして家を出た。こちらはたったの齢十六、向こうは百六十の超大台に乗った大年増だ。子供扱いに怒るなどガキのやることにも程がある。



◇◇◇◇



「……本当に、気を付けてくれると良いのだけれど」


 閉じられた玄関扉を前に郁はぽつりとそう呟いた。雛形家に住み着いてからこの数日、彼はこの町の危険性をひしひしと感じていた。人間を餌食とする「良くない」魔物の数も、その活動の活発さも半端なものでない。ここはどこで誰が魔物の被害に遭ってもおかしくない場所なのだ。


 魔物狩人など魔物にとっての脅威が居ない町の場合、どうしても魔物の数は多くなるし、それに比例して良くない魔物とその被害も増えるものだ。しかし、斯様な事実を踏まえてもこの町の状況は異常すぎた。良くない魔物があまりにも多すぎる。そして、それらがあちこちで好き放題に悪事を働いている。


 そういった状況は、潜伏する身である郁には隠れやすくて都合が良いが、花嫁であるアトリが襲われでもしたら堪ったものでない。だからといって、四六時中彼女の側に付いている事が出来る訳でもない。応戦態勢の整っていない今はまだ、魔物狩人の監視の目に掛かる訳にはいかないからである。


「心配だな。アトリは他の人間よりも狙われやすい。だってあの子は……」


 そこで、郁は悪い考えはよそうとかぶりを振り、キッチンへと踵を返す。アトリがペンダントをきちんと身に着けていてくれさえすれば不測の事態にも対処可能であるのだ。それよりも今はこの一帯を安全地帯とすべく、他の魔物や魔物狩人から自分達を隠す結界を完成させなければならない――そう決意した郁は、先ずは洗い物を片付けてしまおうと腕を捲った。


 アトリには変態綿毛と軽蔑されている郁だが、このように、彼は彼なりに陰で色々考え動いているのである。



2021/6/1:加筆修正を行いました。

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