八話目
「……うむ。結局何がなんだか分からなかったが、とりあえずは落ち着いたようだな」
「ああ……すまん、何でも無いんだ……気にしないでくれ」
公衆の面前でつい取り乱してしまった俺だが、今ではなんとか落ち着きを取り戻し、心配そうに見つめる3人に囲まれながら手近なベンチでぐったりと項垂れていた。
「いやーびっくりしましたよー先輩。てっきりついにトチ狂ったのかと」
『ついに』とは何だ澪岸よ。お前は普段から俺のことをいつ錯乱してもおかしくないような変人とでも思っていたのか?
「えっと……日瀬君。大丈夫ですか?……これ、さっき買ってきましたので、どうぞ」
倉葉が心底心配してますといった目を俺に向けながら、その辺の自販機で買ってきたであろう、ペットボトルのお茶を俺に手渡してくれた。
ああ倉葉よ、この中で一番心配してくれているのはやはりお前だったか。なんという美しい献身であろうか。
「……私のことについて、日瀬くんがそんなにも気にする必要はありませんよ」
お茶を受け取った直後、倉葉が俺の耳元でぽそっと囁いた。
「勝山さんのあの言葉があったからこそ、……ちょっと辛かった事もありましたが、こうして日瀬くんと知り合うことができたんですから。私は今がとても、今までに無かったくらいに楽しいですから。だから、残念に思う必要は、無いんですよ」
倉葉がふっと微笑んだ。先程の言葉に嘘偽りが無いことは、その可憐な微笑みから十分すぎる程に察せられた。
……い、いかんいかん、なんだか顔が熱くなって来るのを感じるぞ。
「い、いや……ま、まあお前がそう思うんならまあそれでいいんじゃないか……」
恐らく茹でダコの様になっているだろう顔を隠すように、俺はふいっと倉葉から顔を逸らしながらそう呟いた。
「うむ!そうだ!」
唐突に手をポンと叩きながら、勝山がさも良いアイデアがあるぞ、という風に言った。
まったくいきなり何なんだこいつは。だがこいつの無粋な声によって、幸いにも真っ赤になっていた俺の顔が、萎えた気分と連動して平常の顔色に戻った、という所は評価してやらんこともない。
「諸君ら、暇を持て余しているというのなら、是非来てほしい所があるのだが、どうかね?」
「……ものすごく嫌な予感がするぞ。お前まさか……」
「ふふ、察しが良いな日瀬よ。その通りだ」
その言葉を終えるや否や、勝山は大仰な仕草で腕を広げながら、まるで勝ち誇ったような素敵な笑顔と共に宣言した。
「我が新聞部の渾身の出し物を、諸君らに披露したい。案内するぞ!」
……その言葉に、俺と倉葉は一度顔を見合わせた。
だが、とりあえず暇を持て余しているのは事実だ。俺も倉葉も異論は無い為、勝山の誘いに応じることとした。
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「「おかえりなさいませ、ご主人様!」」
……女生徒達による甲高い合唱に、俺はげんなりとした表情を隠せずにいた。
「あ、あの、……え?……ご主人、さま?」
倉葉が案の定、キョロキョロおたおたと、視線を女生徒達と俺達の間を行ったり来たりさせている。無理もなかろう。倉葉にはこのような俗人達の卑俗な文化とは無縁だろうからな。
「ふふふ、どうだ。我らが新聞部が精魂込めて企画し、準備した……
……その名も『新聞部主催メイド喫茶』だッ!!」
その名もクソもまんまじゃねーか。
「なにがメイド喫茶だよ。新聞部とは欠片たりとも関連性が無いじゃねーか。いいのかこれで」
「細かいことは気にするな日瀬よ。その程度の器では世界は取れんぞ」
何の話だよ。俺が世界を取るなんて話、いつしたよ。
「……?めいど喫茶?」
「あー倉葉さん。メイド喫茶というのはですね、なんてことはありませんよ。従業員がメイドの扮装して接待しつつ、いろいろとサービスしてくれる所ですよ」
「そうなんですか……では、先程の『ご主人様』と呼ぶのもサービスの一環なのですか?」
俺の傍らでは、懇切丁寧な澪岸の説明を受け、ふんふんと納得したように頷く倉葉の姿があった。
……あらゆる物事を真剣に学ぼうとするその姿勢事態は感心ものだが、なにもメイド喫茶の説明如きに対して、そんな大学教授の講義を聞くような気合の入った姿勢を見せなくてもよいと思うのだが……。
「……それにしても、よくこんな企画が通ったものだな。普通、うちの校長とかは反対しそうなものだと思うんだがな。けしからんだの何だのと」
「ああ、それについてはだな……ほれ、これを見ろ」
そう言いつつ、勝山は懐から何かを取り出し、それを俺に見せた。
これは……写真?中心辺りに二人の人物が写っている。
両名共正面を向いており、顔も服装もよく分かる。背景からして、どうやら何かの建物から出てくる所らしかった。
二人の内、片方のこの特徴的なハゲ頭の中年……うちの校長ではないか?
もう片方は……夜の歓楽街辺りでの遭遇率が非常に高そうな、お世辞でも知的とは言い難い、ド派手な化粧と恰好をした若いおねえちゃんだ。傍らに居る校長の腕に自分の腕を絡ませるようにしており、なんとなく甘えた態度をとっているであろうことは写真越しでも想像がついた。
「……おい勝山。……校長って既婚者で子供もいるって聞いたことがあるような気がするんだが」
「うむ。その通りだ。ちなみにご子息の方はもう中学生になるとか」
……だが、写真に写っている女は厚化粧をしてはいるが、明らかに20代前半くらいであろう。中学生くらいの子供が居るようには到底思えない……!
その時、勝山がポンと俺の肩に手を置いた。
「大体察したようだな日瀬よ。賢明な部員がいて私も嬉しい限りだ」
幽霊だけどな。……というツッコミはこの際置いといて。
例の写真を指で挟み、ひらひらとこれ見よがしに揺らめかしながら、勝山は声を潜めて話し始めた。
「これは我が新聞部の極秘のルートから入手した物でな。この企画を採用することを渋っていた彼に、これを提示してやったら一発でOKをいただいた」
「それ脅迫だろ!?汚ねえぞこの極悪人!!」
あのお堅い校長に浮気相手がいたという事実にも驚きだが、それよりも驚くべきはこいつらのこの行動力か。恐ろしい奴らだ。よりによってたかがメイド喫茶の為にここまでするとは……!
俺は何があろうと、絶対にこの連中だけは敵に回すまいと、密かに固く心に誓った。
いつまでも立ち話というのもなんなので、とりあえず俺と倉葉は適当に空いている席に座ることにし、勝山と澪岸はちゃっちゃと仕事に戻って行った。席に着いた俺たちは、恐らく新聞部員であろうメイドさんにドリンクを注文し、暫くして出てきた品物をじっくりと堪能した。
ちなみにメイドさんと一緒においしくな~れニャンニャン♪とか何とか唱えてよく分からん萌え萌えパワーを込めちゃうぞ的なサービスができるらしいのだが、さすがに倉葉の目の前でそれをする勇気は無かったので丁重に断っておいた。……しかし断った直後、倉葉が何となく残念そうな表情を浮かべてこちらを見たような気がするが、とりあえず気のせいだと信じることにした。
店内は今や俺にとっては懐かしき、新聞部の部室をベースにテーブルやら椅子やらが置いてあったり、壁や窓にキラキラのモールが飾ってあったりと、全体的に文化祭らしいチープな雰囲気が構築されていた。それなりに繁盛しているのか、他の客の姿もぼちぼち見掛けた。注文品の調理は隣の準備室で行っているようだ。
注文して出てきたミルクコーヒーをずずずと啜っていた所、
「ごきげんようお二方、楽しんでもらえたかな?」
俺の背後から、いつの間にやら仕事着……つまりは周りの従業員と同じく、メイド服を着込んだ勝山が身を乗り出して話しかけてきた。
「……まあまあだな。というかお前も一応接待するんだな」
「あ……勝山さん。似合ってますね。可愛いですよ」
「ふふふ、そう褒めることはないぞ。照れるではないか……ところで、だ」
勝山はそうだろうそうだろう可愛いだろうとでも言いたげに応用に頷きつつ、早速何らかの話を切り出してきた。
……これまた嫌な予感がするな。こいつがこうやって突然話を持ってくる時というのは大抵碌な話ではない。経験則で分かる。
勝山はんっんー、と軽く咳払いすると、
「日瀬よ。悪いが少しの間、倉葉嬢を借りさせてもらうぞ」
あっさりとした様子でそう言ってきた。
唐突な要求に、は?と疑問符を浮かべる俺たち二人を尻目に、勝山は倉葉の腕を引っ掴み、そのまま風の如き速さで部屋を出、倉葉共々廊下の向こうへと消えて行った。行動の一つ一つがとにかくあっという間だった為、俺は抗議の声を上げることも叶わず、みすみす見送るはめになってしまった。
というかそういう事は俺じゃなく倉葉自身の許可を仰ぐべきじゃないのか?……そんなツッコミが頭をよぎったが、最早それを投げ掛けるべき対象は何処にも居なかった……。
次回の投稿はいつもより少し遅めの8月の12日から18日までの間になりそうです。