七話目
澄み切った心地よい声がマイクを通して、設置されているスピーカーから広がっていった。
声の主は体育館の最奥にあるステージの上でマイクを握り、一切の隙なく涼やかに弁舌を振るっていた。
ステージからは一段下がった位置から広がる床の上に整然と並べられたパイプ椅子に座るのは、制服姿の聴衆達。
そして、演説が佳境に入り、弁舌を振るっていた美貌の生徒会長、倉葉恋花は堂々と宣言した。
「……只今より、第43回、藍乃木高校学園祭を開始します」
直後、体育館に割れんばかりの拍手喝采が鳴り響いた。
手を叩く者達は皆一様に、今日のこの日を待ち侘びていましたと言わんばかりの輝かしい笑顔を浮かべている。
……まったく、どいつもこいつも青春満喫してますとでも言いたげな顔しやがって。
周りに倣って、のんびりとしたペースでべちんべちんと適当に手を叩き合わせながら、俺、日瀬達士はそう心の中で呟いた。
……だが、まあ悪い気はしないんだよな。たまにはこういうのも……。
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10月初旬、そんなこんなで今日この日は待ちに待った藍乃木高校学園祭である。
普段はいたって静かな校内だったが、今は至る所に様々な露店が立ち並び、生徒や教師だけでなく、校外からも客が来ているため、多くの人々が騒々しくごった返していた。
そんな中、俺は中庭のベンチに座り、もうすぐここへ来るだろう、さる人物の到来を今か今かと待ち侘びていた。
しかしじっと座っているだけというのも疲れるものだ。ふーっ、と息を漏らしつつ、俺はごろんとベンチの背にもたれ掛かった。
天気は快晴。どこまでも広がる青空には雲一つ無い。視線の端では小鳥たちが仲睦まじく囀りながら飛んでいく。
うーん、なんて良い気持ちなんだ……。
少しばかりうとうとしてきた所、ふと何気なく周りをぐるりと見回してみれば、
「……!……!」
……人ごみの中に見覚えのある顔が居る。
だが、そいつはどうやら大勢の人に埋もれて身動きのとれない状態になっているようだ。あっちこっちから人の波に押されて、今にも窒息してしまいそうな苦しげな顔をしている。
とりあえず俺はそいつに向かって急いで駆け寄り、助けを求めるように僅かに伸ばされた腕を引っ張ってやることで、無事そいつを人ごみの中から救出することに成功した。
「プハッ……、ハァッ……潰れるかと思いました……」
「……まったく、人を待たせておいて何だあの様は」
「……すみません。あんなに多くの人の中を行くのは初めてだったので……」
そう言いながら艶やかな長い髪をかき上げながら顔を上げたその生徒は、つい先程まで体育館で行われたオープニングセレモニーで開催の挨拶を述べた生徒会長、紛れもない倉葉恋花その人であった。
俺が待っていた人物というのは、当然ながら彼女である。
「さてと、まずはどこから回るかな。お前どこか寄ってみたい店とかあるか?」
「いえ、特には……日瀬くんの方は何かないんですか?」
何だかんだでこうして文化祭を一緒に回るような中になってしまった俺と倉葉。こいつと一緒に居ること自体は決して嫌いではないのだが、もしかしたら周りから妙な噂を立てられるのではないかと俺は内心戦々恐々としていた。
いや、別に俺が誰かに『お前と倉葉とそんな仲なのか』と聞かれようがそんなに嫌な気分にはならない……むしろ誇らしい気分になってしまうのだろうが、しかし肝心なのはそんなちっぽけ極まりない俺の事情などでは無い。
むしろこんなどうしようもない俺みたいな奴と、成り行きとはいえ付き合いを持ってしまった倉葉の外聞が悪くなるのではないかと、それが非常に心配なのだ。
……とはいえ倉葉の事情にここまで首を突っ込んでしまった以上、今更身を引く訳にもいかない。せめて倉葉が自分で自分のやりたいことを見つけられるまで、しっかりと見守る義務が俺にはあると思っている。
「んんー……とりあえずは何か甘いもの売ってる店でも探すか。女は大体甘いもの好きだろ」
「物凄い偏見じみた言い方ではありますが……そうですね。私も嫌いでは、無いです」
片手に持ったパンフレットとにらめっこしつつ話し合った結果、そう結論が出た。
そうとなればぐずぐずしてはいられない。俺は勢いよくにらめっこに興じていた顔を景気づけに勢いよくバッと上げた、
その直後、
カーーーーーーーーーーンッ、という甲高い音が響き渡ると同時に、俺の目の前で星が瞬いた。
実際に星が出現して瞬いたわけではなくあくまで比喩なのだが、目の前がチカチカする。そう感じる程に強い衝撃が俺の額にクリーンヒットしたのだ。
激痛に打ちのめされる最中、俺は無残にも仰向けに倒れ伏してしまった。額にじくじくと熱を伴った痛みを感じる。
倒れて暫くすると、カランコロンと音を立てて、すぐ側に空き缶が転がった。しかしそれは一体何に叩き潰されたのかと思うくらいに底の部分が無残にひしゃげてしまっており、間違いなく額に飛んできた凶器はこれだと、俺は瞬時に悟った。
「ひっ……日瀬くんっ!?だ、大丈夫なんですかっ!?」
傍らでは倉葉が珍しく、落ち着きなくオロオロと取り乱していた。まあ、空き缶が額にぶつかった程度でまさか地に倒れ伏すとは思わないだろうな。しかし察してくれ倉葉よ。いくら空き缶でも、人知を超えた剛速球で投げられればそれなりに破壊力は出るのだよ。
その時、俺の頭の上から、
「ふんっ!この程度で倒れ伏すとはなんと軟弱なことか……それでも我が新聞部の一員か貴様!
ええ!?日瀬達士よっ!!」
どこかの軍人みたいな口調をした、良く通る凛々しい声が降ってきた。
……なんともまぁ、久しぶりに世界で一番聞きたくない声を聞いたものだ。
まだ残る痛みの残滓を堪えながら俺はむくりと起き上がり、他人様の額に空き缶テロリズムをかましてくれた、その声の主に向き直った。
「……いきなり人様の額にストライクボール決めるたぁ何事だ勝山ァアァッ!!」
「うーーむ、その全く切れを失っていないツッコミ。まっこと懐かしい限りだな」
ほんのりと茶色がかったセミロングの髪を揺らしながら、応用にワハハと豪快に笑うそいつの名前は勝山智早。俺と同級生の二年生であり、現在、俺がかつて所属していた新聞部に、部長として君臨している。
言動からは非常に分かりにくいが、一応女生徒である。
「あ、久方ぶりですねー先輩。ご無沙汰ですー」
その勝山の背後からひょこっと顔を出したのは、いつかの放課後に出会った、低身長に中性的な顔立ちをした、同じく新聞部所属の後輩、澪岸空であった。
見た目からは非常に分かりにくいが、一応男子生徒である。
「……?……?」
突如現れた空き缶投手と俺とが親しげに会話しているのを見て、倉葉はますます混乱しているのが分かる。そういえば倉葉には俺が幽霊新聞部員である事を話していなかったし、こいつらが同じく部員である事も当然知らないだろう。倉葉の頭の周りに?マークが乱舞しているのが今にも見えてきそうだ。
だが、倉葉が混乱している要因はどうやらそこではなかったらしい。
「……か、勝山さんと日瀬くんは、知り合いだったんですか!?」
……ん!?
「ああ、実はそうだったのだよ。というかむしろ私の方が驚いた。よもやこんな凡俗と貴女が、まさか文化祭を一緒に回るような仲だったとは」
ち、ちょいまち!!
「お前ら知り合いだったのか!?」
俺は勝山と倉葉を見据え、指を突き付けながら声を張り上げた。
「え、ええ……一応、そういうことになると思います」
「ど、どういう事なんだ倉葉。こんな奇人とお前との間に友情を育む余地があるとは俺には到底思えん。どうか納得のいく説明を頼む」
確かに生徒会長と部長であるならば多少は面識があるのだろうが、だがしかし、倉葉の先程のセリフと態度から察するに、ただ業務連絡するだけの仲などではないのだろう。
倉葉は手を口元に添えながら、俺に向かって囁くように説明を始めた。
「ええと……前に私は屋上で日瀬くんに、自分の境遇をお話ししましたよね。
私が休み時間、教室で『倉葉さんは何かやりたいことはある?』とクラスの子に言われたと言ったこと、覚えていますか?
その時に、その言葉を私に言ったのが、彼女だったんですよ。」
……。
「……お前だったのかよぉぉおおおおおおおおッッ!!!」
「なっ、突然どうしたのいうのだ日瀬よ!と、とりあえずスルメ焼きならあるが食うか?」
いらねえよぉ畜生!!
行き交う通行人の向けてくる訝しげな目も気に留めず、ひたすらに嘆く俺の声を、秋の空は優しく静かに吸い込んでいくのであった……。
本文よりも、後書きを考えることの方が難しいと考えてしまう今日この頃。