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十一話目

 倉葉恋花(くらはれんか)の家は、古くから続く由緒正しい家系であり、幾つもの会社を管理運営している富豪の一族……要するに物凄い金持ちらしい。


 ついでに言うと倉葉一家はその富豪一族の本家筋らしく、倉葉の父は当主として財界で辣腕を振るっていたという。


 何故に過去形なのかというと、倉葉の父は、既に倉葉がまだ幼い頃に亡くなっているからだ。


 それまで夫の腹心として立派に仕事をこなしていた倉葉母は、それからは敏腕女社長としてあくせくと働いた。そして忙しい仕事の合間に倉葉恋花ともう一人……彼女の兄である、倉葉行道(ゆきみち)の二人を育て上げていった。

 特に行道については、自分の次に家の後を継いでくれる跡取りとして、手塩に掛けて育てた。小難しい経営のノウハウやら帝王学やらを幼い頃から叩き込んでいった。


 一方、妹の恋花に対しては、兄ほど教育に力を注がず、いつ何所に嫁に出しても恥ずかしく無いように礼儀とマナーについて躾けた程度であり、教育レベルに関しては普通の人とそれ程変わらない水準で受けていた。

 跡取りがどうのとかいう面倒な部分は全て兄の方へと向かって行っているのでその立場は気楽なものだったが、倉葉はその立場でただ胡坐をかいて居座っていたというわけではなく、次期跡取りの重圧を負わされていた兄の事を常々気にかけていた。行道の方も、倉葉のそんな思いを正確に汲み取り、妹に対し素直な態度で接していたというので、兄妹仲は非常に良好だったとか。


 やがて兄妹は立派に成長した。兄は将来有望な好青年となり、某有名大学でキャンパスライフを謳歌し、妹も15歳となり、高校受験も無事終わりつつあった。


 後はこの何の変哲もない普通の私立高である藍乃木(あいのぎ)高校への入学の時を待つだけとなった。


 だが、そんな倉葉の下へと、思いもよらぬ知らせが飛び込んで来た。



 彼女の大好きだった兄が、亡くなったという知らせだ。通学中、不幸にも交通事故に巻き込まれてしまったという。



 その知らせを聞いた時の倉葉の悲しみは、到底俺如きが語れるものではないだろう。だが、ただでさえ打ちのめされていた彼女に、無常にも更なる事実が突き付けられる。


 それは、行道が亡くなった事によって、倉葉家の次期後継者という立場を受け継がなければならないという事実。

 兄である行道が今まで背負っていたその重圧は、自然に妹である倉葉へと向かう事になる。


 近い将来、家を継ぐ者として、倉葉は母から完璧を求められた。兄を失った悲しみも癒えぬ内から立派に家を支えてくれる人材とする為に倉葉は自由な時間を徹底的に削られ、彼女の日々の全ての時間は後継者になる為の教育へと費やされた。


 こうして倉葉の限りある青春は、兄の死を切っ掛けに、大人の都合によって徐々に灰色に塗り替えられていく。


 自分で選び、歩む道ではなく。他人が勝手に敷いたレールの上を歩かされてゆく。




******




「……。」

 店内に響く上品なクラシック音楽と雑多なざわめきの中で、俺は重々しく張りつめた沈黙を保っていた。

 先程にウェイトレスさんによって運ばれてきた手元のコーヒーは、最初は豊かに湯気を立てていたのだが、今やすっかり人肌台の温度にまで下がりきってしまっている。


 俺の向かいでは、長い長い話を語り終えた勝山(かちやま)が、すっかり乾いた喉を潤そうと紅茶を悠々と飲み干しているところだ。


 そう、ここはかつて俺と倉葉が『人生相談』の為に度々利用していた喫茶店である。

 倉葉母に遭遇して間もなく、偶然あの場に居合わせていた勝山が、俺に倉葉の特殊な事情を説明するためにこの場を設けたのだ。


 俺が感傷に浸る間も無く、勝山はビールを飲んだ後の中年の如くぶはぁと息を吐き出しつつ、手に持っていたカップをソーサーの上に置いた。

 デリカシーの欠片も無い奴だ。こいつ本当に女子か?


「と、まあ彼女の生い立ちについては大体このような感じだ。何か質問はあるか?」

「ああ、あるぜ。ただの私立高校のただの新聞部部長でしかないおまえが何故そんなにも詳しい事情を知っているのかとかな」

「ふむ。何、簡単な事だ。倉葉家は今も昔も多く使用人を抱えていたのでな。その方達からお話を聞かせてもらっただけの話だ。家政婦というのは古今東西お喋りなものだからな。案外簡単に事は済んだ」

「なんともまあ……」

 何とも言いようがなく、俺は閉口するしかない。本当に大したものだ。こいつなら将来何にでもなれるだろう。


「……倉葉の事情については大体分かった。……分かったが……」

「ああ分かっている。……この際ハッキリ言っておこう。倉葉嬢を取り巻くしがらみは、お前如きがどうこうできる問題を超えている」

 勝山がきっぱりと言い放った。

 ……お前に言われなくとも、そんなことは俺にだって分かっている。俺はそこまで身の程知らずではない。



「……だがな勝山。俺はあいつに約束しちまっているんだよ。あいつの本当にしたいことを見つけるまで、俺が世話を焼いてやるって」

「……?」

 俺の言葉の意味を計り兼ねたのか、勝山が首を傾げた。


「俺みたいな庶民が金持ちの家に文句つけるのはどうかと思うが……それでも、何て言えば良いんだろうな……、その、周りの奴らの都合であいつ自身の可能性やら自由やらを奪うのって、……なんか違うと思うんだよな」

「ほう、それで?」


「俺が一番初めに倉葉に合った時、あの時のあいつ、八方ふさがりでどうにもならないっていうような感じだったな。あいつ成績も何もかも完璧なのに、何であんなに辛そうなんだろうって思ってたよ。……ようやく分かったよ。あいつなりにいろいろと大変だったんだな。

 ……だからさ、俺はあいつを放っておくことはやっぱできないんだよな。できることなら、何とかしたい」


「……ふん、日瀬(ひのせ)如きが一丁前な口を叩くようになりおって」

 そう言いつつも勝山の顔には、笑みがにんまりと張り付いていた。


「日瀬よ。具体的には何か考えているのか?」

「いいや、何も……。もしかして協力してくれるのか?」

「ふっ。甘く見られたものだな。お前には私が、友が苦しんでいるというのに見捨てるような馬鹿に見えるのか」

 勝山はそう言うと立ち上がり、俺の肩にポンと手を置いた。


「日瀬よ。今こそお前の真価を発揮する時だ。お前の本気をあのおっかないご婦人や倉葉嬢に見せてやれ」


 言われるまでもない。俺はゆっくりと頷いた。

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