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九話目

「ん、いやいや済まない。待たせたな」

「待たせたも何もあるかボケ。一体なんだってんだよ」


 つい先程まで俺の向かい側に座っていた倉葉(くらは)を、暴君部長勝山(かちやま)がいきなり何の警告も宣告も無く、つむじ風の如く掻っ攫って行ってから10分程経過した。ようやく戻って来たと思いきや、俺の目の前に居るのは連れ去って行った張本人である勝山一人だけであり、本来一番に戻ってくるべきもう一人の姿はどこにも無かった。


「……おいお前、倉葉はどうしたんだよ」

「おいおい、そう剣呑な顔を浮かべるな。もちろんちゃんとそこへ居るぞ」


 そこへてどこにだよ。俺が怪訝な顔を浮かべた途端、勝山はおもむろに俺から視線を外し、その目を部屋と廊下を繋ぐ扉辺りに向けた。


「……倉葉嬢。そう照れることはあるまい。ここは一丁、覚悟を決めてちゃっちゃと出てきてはくれないか?」

 すると意外なことに、中途半端に開かれた扉の陰から、小さくか細い倉葉の声が聞こえた。

「……そうは言っても、その……やっぱり恥ずかしくて……」


 一体どういう事なのか。状況を呑み込めずにいる俺を余所に、勝山は声の聞こえた扉へとずんずんと堂々たる足取りで向かっていき、その奥に隠れたままの倉葉と何やら二人だけでこそこそと話をする。


「何を言っているのだ。とても良く似合っているぞ。節穴でしかない日瀬(ひのせ)の目ですら今の貴女の素晴らしさが大いに感じられるだろうとも」

「……そ……そうでしょう、か……」

(おう)とも。ささ、どうぞこっちへ」


 しばらくして、勝山が扉の陰へと隠れていた倉葉を引っ張りだしたため、俺の目にも倉葉の風貌が明らかにされた。




 非常に唐突な話題転換で申し訳無いが、俺は割とカレーうどんが好きだったりする。

 スパイスのきいたカレーに和の風味香るうどん露、そしてコシのある太い麺。全てが合わさることによって奇跡的な美味しさを醸し出している。

 インド生まれの料理に日本古来の食物であるうどん。まったく縁遠いものであるこれらを合わせてぶち込むなど、一体どこの誰がそのような発想に至ったのか。

 そしてそんな突飛な発想によって生まれたそれは多くの人々に愛され、今では殆どの学校の食堂のメニュー表の片隅に書かれる程のメジャーなものとなった。


 その味は、ただ旨いものと旨いものを適当に掛け合わせれば生まれるというような単純なものではない。カレーのスパイスと香り高いだし汁、喉越しの良いつるっとした麺。全てが奇跡的に合わさったことであの美味しさが生まれる。そう、正に奇跡なのだ。


 ……なので俺が目の前にしているこの光景も、本来出会う筈がない物と物とが偶然によって合わさり、見事なまでのシンクロ率によって成された、正に奇跡の産物と呼ぶべきなのかもしれない。


 さらさらの黒髪の上にちょこんと乗せられた、白いフリルの付いたヘッドドレス。胸元を可憐に飾る大きなピンク色のリボン。これまた白いフリルがふんだんにあしらわれたエプロンとスカートの下から伸びた、すらりとした長い脚は黒いストッキングに包まれており、妙な艶めかしさを演出していたため、正直生足よりもエロく感じる。


 そう。俺の目の前には、可愛らしいメイド服で完全武装を施した生徒会長、倉葉恋花が降臨していた。


「なぁっ……!?」

 突然の展開に動揺が隠せず、愕然とする俺。

 ……いや、この表現は適切ではない。ここは正直に言うべきか。動揺が隠せずに愕然としたのではない。余りにも似合いすぎていた為、愕然としたのだ。


「あっ……あの、その……あまり見つめられると、その……」

 俺が余りにも露骨に凝視していたからだろう。恥ずかしげにもじもじと挙動不審な動きをする倉葉。だがその動作さえも、妙に愛おしく感じてしまう。


 正直……たまらん!!


「ふふふ、どうだ日瀬よ。私の見立てに間違いはなかろう」

 倉葉の側に控えた勝山が、最早完全に倉葉に見惚れている俺に向かって、どうだと言わんばかりにふんぞり返りながらそう言った。

「何故このような真似をしたかとお前は思うだろう。その答えはいたって単純だ。……倉葉嬢にはぜひ、この新聞部主催メイド喫茶の宣伝の為に、この恰好で校内を練り歩いて欲しいのだ」


 ふむ。なるほど確かに、今の倉葉ならば宣伝効果としては申し分無いだろう。メロメロ状態からようやく復帰した頭で俺はそう思った。

 ……だが、当の倉葉本人はどう思っているのだろうか……。


「え、ええっ!?その、この格好で、人がたくさんいる校内を歩き回るんですか!?」

 倉葉は困ったように眉根を寄せながら、半ば悲鳴に近い声の調子でそう言った。

 ……まあ無理もない。俺一人の視線にすら恥ずかしがっていたような有様だったのだ。多くの人の視線に晒されながら校内を闊歩するというのは相当抵抗があるだろう。


「ダ……ダメです。無理ですよ……やっぱり恥ずかしいです……」

 案の定、倉葉は顔を真っ赤にさせながら、まるで貝が殻を閉じるように沈鬱な様子で俯いてしまった。

 その様子がちょっぴり痛々しく感じてしまった為、俺は慌てて彼女に声を掛けた。

「……は、恥ずかしいことなんて何も無いぞ。むしろ似合ってる。すごく似合ってるぞー、倉葉」

 後半、半ば投げやりな感じで口に出していたのだが、


「ほ、……本当ですか?」


 倉葉は俺の言葉を聞いた途端、ガバッと効果音が付きそうな勢いで顔を上げた。その瞳は、……俺の気のせいだろうか。心なしかキラキラと期待と希望が入り混じったような、そんな輝きが見える。

 その瞳の輝かしさに負けて、つい慌てて口走ってしまった。

「あ、ああ。本当だ。もっと自信を持っても良いと思うぞ」


 すると、

「じっ、じゃあ……やってみようかな、と……思います……」

 そう呟いた顔は、言葉を紡ぐ度にじんわりと柔らかな笑みが広がっていった。


「ああ大丈夫ですよ倉葉さん。僕も一緒に回りますから」

「!……あれ澪岸(みおきし)……ってお前ぇえ!?」


 いつの間にか、姿を消していた澪岸が廊下の向こうから現れた。

 ……なぜか倉葉同様、ひらひらのメイド服を着込んで。


 ちなみに一応言っておくが、澪岸は男である。れっきとした男子生徒である。

 なのだが、くりっとした瞳が印象的な中性的な顔立ちに、可愛らしいメイド服が絶妙にマッチしており、これまた妙に似合っている。もう女で良いよお前。

 おそらくこれも勝山の思いつきであろうが、男の身でメイド服をけろりとした顔で着込んだり、しかもその恰好のまま人でごった返す校内を回るつもりだというのだから恐れ入る。恥というものが無いのか、あるいは今の自分の姿に自信があるのか、はたまた単なる変態なのか……なかなかに悩みどころである。


「い……一緒に回ってくれるんですか!?ありがとうございます!やっぱり一人で回るのは少し勇気がいるので……」

「いえいえ、気にする必要はありませんよー」


 そこへ、パンパンと乾いた音が響いた。何かと思い見てみれば、勝山が注目を集めるために手を叩いたようである。皆の注目を集めたことを確認した勝山は、ぐるりと一同を見渡し、朗々とした声を響かせた。


「さて諸君。おしゃべりはそのくらいにして、そうと決まればさっさと校内を回るぞ。

 さあ立て!日瀬よ!」

「ちょっと待て!!俺も行くのかよ!?」

「?、何を言っている。そうに決まっているだろう」

 勝山はさも当たり前だとでも言いたげに、さらりと言い放った。

 俺は一応、客だったはずなのだが。何を言っていると言いたいのはむしろこっちの方なのだが、


「一緒に行きましょう。日瀬くん!」


 ……メイド服を着た女神に、満面の笑みで微笑まれた為、仕方ないなと思いながらも俺は結局腰を上げることにした。


 そして俺達は、そうして宣伝行為の為の練り歩きと称し、いろんな店を回り、様々なゲームや食べ歩きに興じていった。

 案の定、あの完全無敵の生徒会長様のメイド服姿は大変な話題となり、あっちこっちから大量にバシバシ写真を撮られ、ついでに新聞部のメイド喫茶は大層繁盛したとか何とか。


 この話題性が、校内だけに留まらなかったおかげで、後に面倒な事態を引き起こすことになるのだが……

 そんなことは露ほどにも感じ取れなかった俺たちは、とりあえず今日という日を目一杯楽しみ尽くしたのであった。

次回はいつもより、少し遅めになるかもしれません。


※追記8/23:諸事情により2週間程遅れます。ちょっとどころではありませんでした。本当にすみません。

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