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 天窓から入る光が淡く薄くなり、奥殿の中を朱色に照らしている。

 夜は奥殿に入ってはダメだよ。

 巫女になった最初の日、レツにそう教えられた。

 一度だけ例外で水竜の大祭の時に入れてもらったけれど。

 入っちゃいけない理由はよくわからなけれど、水竜たるレツが言うんだから、それは絶対。

 背中合わせにして座っているレツのほうを振り返る。

 何をしているんだろうと思って覗き見てみると、熱心に手紙を書いている。

 ここ最近、レツのところに頻繁に手紙が届く。

 その手紙が届くと嬉しそうな顔をしたり、少し難しい顔をしたりして空を見上げる。

 誰を見ているんだろう。

 誰からの手紙なんだろう。

 ずっと気になっているけれど、聞く事が出来ないでいた。聞いちゃいけない気がして。

 ただ何となくわかるのは、昔巫女だった人とやり取りしているんだろうっていうこと。

 私が巫女じゃなくなった後、レツはこんな風に手紙を書いてくれると約束した。

 声が聴こえなくなった後、私たちを繋ぐもの。

 昔巫女だった人と遣り取りしているんだとしても、私にはそれを邪魔する権利は無い気がする。だから、レツがしたいようにしているのを見守るしかない。


「暗くなってきたから、目が悪くなるよ」

「別に、目が悪くなったって何も困らないもん」

 そうですか。

 そうかもしれないけれど。

 そう言われると返す言葉が無い。

 この人でない「モノ」の事を理解しようと思っても、なかなか自分の常識では計れないところがあって、こういう時に困ってしまう。

 かといって、全く別の生き物として扱われるのも厭う。

「ねえ、そろそろ暗くなってきたから帰るよ」

「ふーん。お疲れ様」

 ついさっき熱烈告白をしたかと思えば、このクールさ。

 レツという人……なのか?……は本当につかみどころが無い。

 こういう態度を見ると、さして私に執着しているようでもない気がするんだけれどなあ。

 なんか肩透かしを食らっているみたいじゃないの。

 もしかして、祭宮なんかよりも何倍もタチの悪い男なんじゃないかしら。

 こうやってヤキモキさせられるのは、レツの作戦だったり。

 それに引っかかってるのかしら、私。

 あーもうっ。見た目はチビっ子なのに、中身は真逆って言っていいくらい大人なんだもんなあ。

 それでいて甘えた口調に甘えた態度。

 これが全部計算ずくなら、真の女ったらしになれるわね。

 私の周りにはロクな男がいないわ。


 全くこっちの様子を気にしないレツに、聞こえよがしに溜息をついて立ち上がる。

 深く考えたってしょうがない。

 月が昇る前に奥殿を出なきゃ。

 「じゃあね、また明日」

 今まで幾度となく口にした言葉をレツの背に落とし、振り返りもしないレツに多少の腹立たしさを感じながらも背を向ける。


「本当に帰るの?」

 あと数歩で奥殿を出る。というところまできたところで、背後から声を掛けられる。

 振り返るとレツの姿は、ほとんど闇に溶けてしまっていて、よく見えない。

「帰るよ。だって夜は奥殿にいちゃいけないんでしょ」

 本当に帰るのなんて聞くなんて、白々しい。

 いまさらちょっと冷たくしたかな、なんて後悔したって遅いんだから。

 別に怒ってなんかないもん。

 なのに、ほんのちょっと声が冷たくなる。

「最初にそう言ったのレツじゃない」

 陽が落ちる前にここを出るのはお約束。

「そうだけどさー。もうちょっといなよ、ここに」

 駄々をこねるみたいに語尾を伸ばす。

 そういうところが子供っぽいんだってば。

「やだよ。だってレツはどうせ手紙書いているだけでしょ」

「妬いてるの?」

 嬉しそうに聞かないでよ、もう。

「妬いてないです。事実をありのままに述べただけです」

 なんでニヤニヤ笑うかな。

 別にレツが誰に手紙を書こうと、かつて巫女だった人たちとどんな事を遣り取りしてようとも、私には関係ないし。

 努めて冷静な口調でレツに言い返した。

 加えてなるべく無表情で。

「ちぇっちぇっちぇーーー。つまんないのー」

 パサっと遠くで紙が散るような音がする。

「ねえ、帰んないでよ。ボクの傍にいてよ」

 足音はしないけれど、徐々に大きくなる声が、レツが近付いてくることを表している。

 高鳴るな、心臓。

 冷静よ、冷静さが大事なのよ。

「何で?」

「何でって、一緒にいたいから」

 嬉しそうな顔なんて、しないんだから。でも頬が緩みそう。

「でも夜はここにはいられないよ」

「ボクが良いって言ってるんだから、いいんだよ」

 にっこりとレツが笑って手を差し伸べる。

 その手を取りたいけど、でもあっさりレツの言葉に乗ったら悔しいし。

 どうしようか悩んでいると、背後で扉が閉まる音がして、奥殿の中がよりいっそう暗くなる。

「ほうら、もう帰れない。今日は一晩中ボクに付き合ってもらうよ」

 くすくすという笑い声を上げ、レツは満足そうな顔をする。

 そのレツの笑みに、しょうがないから付き合ってあげるわって顔をして応え、レツの手に手を重ねる。


「さあ、ホントのボクに会わせてあげるよ、サーシャ」

 その声が酷く耳障りで、重たいような低いような、軽いような高いような、どこか薄気味悪くて、レツの声じゃないような気がした。



「おいで」

 決して繋ぐ事の出来ない手に握られている感触がして、ぐいっと奥殿の奥のほうへと引っ張られる。

 カツン、カツンと私の歩く音だけが響いて、他は全て夜の闇に吸い取られていってしまったみたい。

 天窓からは。もうごく僅かな光しか入ってこない。

 入り口の扉も閉められてしまって、奥殿の中を暗闇が支配し始めている。

 怖いとか、寒いとか、何ともいえない負の感情がわきあがってくる。

 それは本能的に感じる恐怖感だと思う。

 夜が怖い。

 暗いところが怖いっていう。

 でもそれだけじゃ無い気がして、何となくレツに対しての恐怖感のような気がして、体の底からくる震えがレツに伝わらないように、と歯を食いしばる。

 何となく、今感じている事がレツに伝わったら傷つけてしまうような気がするから。

 レツに悲しい顔をさせたくない、と震えがくる場所と同じところから湧き上がってくる。

 レツに対する感情は複雑で、多分自分ではどうしようもない部分でレツを畏れ、それと同時にレツに畏敬の念のような、愛情のような感情を抱いている。

 多分それは「水竜」という紙に対するもの。

 それとは別にレツという私の知っている人の姿をしているモノに対しても、複雑な色々な感情がある。

 だけど、それがどこまでが水竜に対するもので、どこからがレツに対してのものなのか、私にはさっぱり区別をつけることが出来なくて、言いようのない感情が胸の中に渦巻いている。

 だから、レツが望むように好きになれるかっていうと、やっぱりものすごくハードルが高い気がする。

 本能的な恐怖を乗り越えるのは難しい気がして。

 なかなか大変だなって、目には見えるけれど触れることが出来ない手に掴まれながら思う。

 見下ろせるほど低いところにある華奢な肩が、近くにあるのにものすごく遠い存在のように改めて感じた。


 レツは奥殿の入り口から一番遠いところにある、開かない扉の前で立ち止まる。

 昼間に何度か見ているけれど、誰が通るのか、誰が開けられるのか見当もつかない大きな扉で、上辺は天井まで続いていた。

 取っ手らしき物も、かなり高い位置にあり、遠目から見た感じでは人くらいの大きさはありそうに見えた。


「ここにホントのレツがいるの?」

 この巨大な扉の向こうに「ホントのボク」がいるのかと思って聞くと、無言でレツは振り返りもせず扉の上の方を指差す。

 そこにレツがいるのだろうか。

 昼間に見たときには特別何かがあるようには思えなかったけれど。

 指差す方向を凝視して、必死に姿を探してみるけれど、暗くて扉にどんな装飾がされているのかすら、よくわからない。

 ましてレツの姿なんて見つけられない。

 それに、私は本当に水竜の姿がどんなものなのか知らない。

 漠然と見ればわかるのかなって思っていたけれど。

「暗くてよくわからないよ」

 その言葉にレツが振り返る。

 何故かその瞳が空虚で、まるで魂の入っていない人形みたいに見える。

 ガラス球のような瞳が天窓から入ってくる僅かな光を、キラキラと映して反射している。

 再びレツが顔を扉の方に向け、掴まれている手をぐっと強く握られる。

 掴まれた手に目を移し、レツの手を握り返すようにすると、ゆっくりとその姿が光にまぎれていく。


 何で突然明るくなったんだろうと思って顔を上げると、開かないはずの扉が開いている。

 ううん、正確には無くなっている。

 扉があった場所からは月明かりが入ってきて、湖面と木々の緑が視界に飛び込んでくる。

 奥殿の裏側?

 私の知識の範囲内での推測にしかすぎないけれど、湖の中央に浮かぶ小島に奥殿は立てられているのだから、湖面は小島を取り巻く湖で、その先の木々は奥殿を周囲から覆い隠すようにある深い木立なんだろうと思う。

 夜だから見えないけれど、きっと木立の先には、万年雪を被った険しい山々が連なっているはず。

 小島を一周したりした事が無かったので、初めて見る景色に言葉を失った。

 人間が誰も立ち入る事が出来ない、自然の中の神の領域。

 全ては水竜を守る為に存在する、森、山、湖。

 その中にまるで自分が招かれたようで、心が高鳴る。

 見上げれば月は煌々と灯りをともし、星はまるで降ってくるのではないかと思うほど、空は沢山の輝きで埋め尽くされている。

 こんな美しい風景は見たことが無い。

 どこにでもあるような景色なのに、こんなにも清涼な場所はきっとここにしかない。

 心地よい静寂の中で、その風景に酔いしれていた。


「気に入った?」

 手を握り横に立つレツが静かに問いかける。

「これが本当のレツなの?」

 この風景がレツそのものなのかと思い、聞き返す。

 横にいるレツの瞳は、いつも以上に生気に溢れている気がする。

 すっとレツの手が離れ、レツが目の前を駆けてゆく。

 地面が無くなった後も、当たり前のように湖面の上を走ってゆく。

 ぴたりと止まって振り返り、大きく手を横に広げ満足そうな笑みを浮かべる。

「そうだよ。この全部がボクなんだよ。水も木も空も、みんなボクのものなんだ」

「じゃあ本当のレツは目に見えない、空気みたいな存在なの? 本当はどこにだて自由にいけるの?」

「ううん、違うよ。ボクはね、永遠にこの神殿から出られないんだ」

 笑みが消えたけれど、その声のトーンは変わらず楽しげな感じがする。

 今こうやって外に出ていることが楽しいんだろうか。

 出られないという言葉とは裏腹は明るさに、真意を掴みかねる。


 レツの体が、どこからか湧き上がってきた小さな水の粒に覆われて、月明かりの下、青白く光り輝いている。

 なぜか、彼の存在を喜ぶ沢山の歌うような幻聴が聴こえてくる。

 こんなにも特別なモノなのに。

 こんなにも世界は彼を祝福しているのに。

 なのにどうして、その瞳は哀しげなんだろう。

 月明かりに照らされて湖面に佇む姿はとても神秘的で、今まで見たどんなレツよりも輝いて見えるけれど、瞳だけは深く暗い海の底に落ちてしまったみたいに、物憂げな表情を浮かべている。

「どうして。レツは何だって出来るのに、どうしてここから出られないの」

 ゆっくりと島の端の方へ、レツの方へと歩みを進めて近付いていくと、レツが両腕を真っ直ぐに掲げる。

「見える?」

「何が?」

「ボクを縛る忌々しいもの」

 腕に何かがついているんだろうけれど見えなくて、湖に落ちるギリギリのところにたって、レツの伸ばした腕を見る。

 別に、いつもと変わらない気がする。

 特段変わった様子もないし、目を凝らしても腕に何かがついているようにも見えない。

 ただ、キラキラと体を覆う水の粒が、レツの全身を覆っているようには見えるけれど。

 多分それは、レツの言っている忌々しいものなんかじゃないんだろう。

 ならば縛り付けているものは何なんだろう。

 瞬きをして、湖に落ちないように気を配りながら、もう一度レツのほうを見やる。


 細い、薄い、金の色。

 その金の糸と銀の糸が複雑に編みこんで模様を作って、月明かりを反射している。

 どこから繋がっているのか判らないけれど、レツの両腕にくるくると巻き付いている。

 禍々しい感じもないし、嫌な感じも受けない。

 むしろ大切に、レツを守るように腕だけじゃなくて体全体に絡み付いている。

 でもこれがレツの自由を奪っているそのものに違いない。

「どうして……」

 きっと悪意や敵意じゃない。むしろ全然それとは逆の想いが篭められているようにすら思えるのに。

 なのにどうしてこんなにレツは哀しげな顔をするの。

 レツは両腕を目の前に持ち上げ、それからだらりとその腕を垂らす。まるでやっと重たい荷物を下ろせた、と言わんばかりに。

 しばらくして大きく溜息をついて、今度は湖面にしゃがみ込んで頭を抱えてしまう。

「サーシャにも、はずせそうにないか」

 湖面に波紋が広がる。

 ポツリ、ポツリと小さな波紋が、あとからあとから浮かび上がってくる。

「ボクはいつになったら自由になれるんだろう」

 嘆き悲しむ声に呼応して、レツのまわりの水滴たちが小さく動き出す。

 小さな粒は大きな塊になって、顔を覆うレツの手の周りに集まり、その手を揺さぶるように動く。

 まるでレツを慰めようとしているみたいに。

 水に意思があるなんておかしいけれど、でもそんな風に見えた。

 レツは顔を覆う手をほんの少し下げ、手の周りを囲む水滴を見て微笑んだ。

 その姿に胸がぎゅっと掴まれて、息苦しさを覚えるほど切なくなった。

 聴こえなかったけれど、その口が何かを呟いて動いたような気がした。


 ゆっくりとした動作でレツが立ち上がった時、その顔には涙の跡なんて無くて、いつものレツだった。

 さっき湖に落とした波紋はなんだったんだろう。

 てっきりレツが泣いていたのかと思ったのに。

 レツは小首を傾げてニコっと笑う。

「中に戻ろうか。夜露に濡れて風邪をひくといけない」

 スタスタと歩いて目の前で止まり、奥殿の中を指差す。

 こことは対照的に、奥殿の中は真っ暗で、中に入るのを躊躇う。

 こっちの方が、居心地がいいのに。

 そう思ってレツを見ても、有無を言わせない笑顔を浮かべている。

 こういうときは何を言ったって引かないのは判っている。

「うん。わかった」

 歩き出したレツの後ろを、遅れないようについていく。

 途中で後ろを振り返りたい気持ちが襲ってきて、立ち止まって振り返ると、何故かさっきまでの美しさは消え去ってしまっているように思えた。

 全く同じ風景なのに、冷たい氷で描かれた絵みたいで生気が無く、青白い月も突き放すような冷たさで佇んでいた。



 奥殿に入り目が慣れるまでの間、目の前のレツの輪郭すら希薄で、一瞬自分がどこにいるのか、どこが上でどこが下なのかわからなくなる。

 背後でカチャリという鍵の閉まるような音がして、心臓が口から出るんじゃないかって位、びっくりする。

 ビクっと体が動いたのをレツが気配で察したのか、クスクスという笑い声が聞こえてくる。

「ボクがいるよ。怖くない」

 ボっと篝火がつく音がして、奥殿の中が赤い光でほのかに明るくなる。

 レツの姿は無い。

 首を左右に回し、目を凝らしてレツの姿を探すけれど、レツの姿は見つからない。

 そのかわり、目の前に巨大な黒い大きな塊があるのが見える。

 こんなの、さっきまでは無かったのに。

 よくよく周りを見ると、見慣れた奥殿じゃない。

 光を取り入れる為の天窓が無い。

 装飾を施した、白い石壁も無い。

 そびえ立つ、いくつもの太い柱も無い。

 確かに奥殿の中に入ったはずなのに、ここは奥殿じゃない。

 光を取り入れる場所はどこにも無くて、黒っぽい土壁に囲まれていて、まるで洞窟の中に迷い込んだみたい。

 目の前の黒い塊は、よく見ると鎖のようなもので繋がれている。

 けれどあまりに巨大で、それに暗くって、それが何なのかは全然わからない。

 ただの黒い石、ではなさそう。

 でも不思議と怖くは無い。


「ボクはボクを縛り付けたヤツを許さない」

 静かな声が洞窟の中に溶けていく。

 声がするほうを見ると、すぐ右横にレツが立っている。

「ここはどこなの」

「奥殿。本当の奥殿。いつも見ているところのずっとずっと奥のほう」

 顔色も表情も変えず、レツは淡々としている。

 深い闇。

 決して光の届かないところ。

 それこそがレツの心の内そのもののようで、心の中の孤独を表しているような気がする。

「ボクを好きになって、ここから出して」

「レツ」

「ボクの本質を見抜いたサーシャなら、この呪縛を解く力があるかもしれない。だから好きになって」

 言っている意味がわからなくて、レツの顔を何も言わずに見返すと、ふっとレツが苦笑する。

「サーシャがボクを好きになってくれたら、ボクのこと触れるようになるかもしれない。そしたら、この呪縛からも逃れられるようになるかもしれないでしょ」

 好きになることと、レツの呪縛が解けることがどうして繋がるんだろう。

 それとこれとは、全然別の問題のような気がするのに。

 私の知っているどんな物語にも、水竜が意図的に閉じ込められたなんて書いていなかった。

 だから、どうすれば水竜が自由になるかなんて、私は知らない。

 好きになって、触れるようになれば、本当に鎖から解いてあげられるのかな。


 初めて知る事柄に言葉を失っていると、笑みを消し、レツがよく通る静かな声で話し出す。

「目の前に見えるでしょ。これが本当のボクだよ」

 黒い塊を指差す横顔は無表情。

 そのレツの顔と、目の前の巨大な「モノ」を見比べる。

 何故か恐怖は無い。

 怖いとかっていうよりも、心のどこかで納得している。やっぱりレツは人じゃない存在なんだって。

 そんな人知を超越した存在であるレツを縛り付けているのは、闇の中でも光を放つかのように輝いている鎖。

 とても人の出来ることじゃない。

 こんなところに水竜を閉じ込め、鎖で繋ぎとめ幽閉するなんて。

 それに、水竜も鎖も人の手で扱えるような大きさじゃない。

 何でこんな事をしたの。

 どうしてレツを闇に閉じ込めなきゃいけなかったの。

 こんな光も風も届かない場所に。

 体が憤りで震える。

「誰がこんな事を」


「始まりの巫女」


 さらっと、事も無げにレツが応える。

「……どうして」

 信じられない。

 だって、御伽噺や吟遊詩人たちの話の中、それに神殿に残る書物の中でも、二人は互いに惹かれあい慈しみあっていたって描かれていたのに。

 レツの横顔には一点の曇りも無い。

 本当の自分を見据え、その瞳はたじろがない。

 そうなるまで、こうやって言い切れるようになるまでに、一体どれだけの絶望があったのだろう。どれほどの涙を流したのだろう。どれくらいの時があったのだろう。

 でもきっと時間はレツの心を癒していない。

「初代国王と始まりの巫女が二人でボクをここに縛り付けた。目に見える鎖は初代国王のもの。目に見えぬ呪縛は始まりの巫女のもの。彼女よりも力のある巫女じゃなきゃ、この呪縛は解けない」

 一呼吸置いて、レツがゆっくりと私を見る。

「ボクの本質を見抜いたサーシャなら、始まりの巫女みたいにボクを具現化させることが出来るかもしれない。キミに出会った時よりキミが名前を付けてくれた時、ボクの輪郭は色濃くなった。サーシャがボクに愛情をくれるごとに、きっとボクは少しずつはっきりとした存在に近付いていく。だから、ボクを好きになって。ボクを助けて」

 本当は、涙なんて遥か昔に枯れ果ててしまったのかもしれない。

 言葉には昼間のような激しい感情は無い。

 レツの言葉には絶望と、そして切実なまでの願いが混在している。

 私がその手を取れたら。

 レツの望むように具現化してレツに触れられるようになれれば。

 横に立つレツの、決して握ることの出来ない手を、私はずっと探し続ける。

 言葉じゃなくて、体温を伝えたかったから。

 たった一人、その温もりが欲しかったから。

 温もりさえ感じられれば、きっと何もかも上手くいくような気がしたから。

 本当は、永遠に手に入れることは出来ないと知っていたのに。


 この巨大な鎖と、目に見えない金と銀の糸。

 それを紡ぎだした始まりの巫女の「巫女としての能力」はとても私には超えられない。

 わかってしまった。

 レツの全てを諦めたような表情で。

 さっき湖面を揺らした波紋で。

 あの時レツには判ったんだろう。私には到底無理だという事が。

 それでも、もしかしたらという願いを捨てきれないレツの気持ちが痛いほどにわかる。

 奇跡に縋りつきたいほどの思い。

 信じていた人に裏切られ、光の届かない場所に閉じ込められ、ずっとずっと巫女を探し続けているレツ。

 こんな風に追い詰めた始まりの巫女と初代国王を、私は許せない。

 それなのに、今なお水竜を利用しようとし続ける王族たちが腹立たしい。

 なのに、真綿で首を絞めるようにレツの全身を覆っている気配は、誰にも触れさせないという始まりの巫女の強い執着のよう。

 そんなに好きだったのに、どうして。

 レツもあなたを大好きだったから信じていたのに、何でこんな事を。

 私は、今はもう存在しない人に問いかける。答えは返ってくるはずも無いのに。

 ただ、さっき見た金と銀の糸が脳裏によぎる。

 光輝くレツにまとわりつき、決して離れない偏愛。

 そこに至るまでには色々な何かがあったのかもしれないけれど、私には到底理解する事は出来ない。

 許す事も出来ない。


 手に触れることが出来ない「本質」のレツを離れ、一歩一歩黒い塊に近付く。

 本当のレツ。

 手を伸ばしてみると、暖かな温もりが伝わってくる。

 触れないはずのレツに触れる。

 どういうこと?

 振り返りレツの顔を見ると、泣き笑いのような顔をする。

「それ、は触れるんだ。誰にでも。でも気持ち悪がって誰も触ろうとはしない。怖くない?」

「怖くないよ」

 跪き、両手で触れ、ゆっくりと頬を寄せる。

「はじめまして。ずっと寂しかったんだね。私が傍にいるよ。レツ」

 切なくて、涙が嗚咽になる。

 こんなにも暖かいのに。こうやって触れることが出来るのに。

 私はレツの願いをかなえてあげる事は出来ない。

 上手く言葉にならないけれど、でも伝えたかった、人ならざるものに。


 どうか、少しでもレツの心が癒されますように。

 どうかレツの永遠に続く孤独が少しでも軽くなりますように。

 奇跡が起きて、私がレツの呪縛を解ける日がきますように。


 祈りの言葉を心で唱え、本当のレツにもたれかかり、その温もりを感じながらゆっくりと目を閉じた。

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