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 扉を出て前殿へと続く通路に出たら、自然と駆け出していた。

 一秒でも早くウィズのいるところから離れたくて、止まったら涙が溢れ出してきてしまいそうで、無我夢中で走りぬけた。

 耳には私の踏む梢の音と、自分の荒い息遣いしか聞こえてこない。

 なのに頭の中には、何度も何度もウィズの言葉が繰り返される。


 --俺でよかったらいつでも話くらい聞くからな

 --ササのそういう顔が見られたから、いーや


 一緒に思い出すのは笑顔。

 目じりが下がって、いつもより少し子供っぽく見えるときもあるし、まるで何も心配しなくていいんだよって言うような優しい顔で笑うときもある。

 色んな笑顔が浮かんでくる。

 そっか。私、ウィズの笑った顔、好きだったんだ。


 --気になる?

 --つまんねーの。


 意地悪な顔。

 ふてくされたような顔。

 祭宮じゃない、私が村で一番最初に会った時のウィズの顔。

 その辺にいる普通の人みたいな、決してお上品じゃない、どちらかというと傲慢で自信満々の鼻持ちなら無い態度。

 でもそれが嫌だなんて思ったことも無かった。

 むしろ、心のどこかで飾らないウィズの事を好ましく思っていた。

 きっと神官長様にはこんな顔してないんだろうな、なんて考えて一人優越感に浸っていた事もある。


 --俺もお体の事が心配だし……。

 --抱いたら折れてしまいそうな位華奢になられて。


 パリンっとガラスの割れるような音がした。

 何かを踏んだのかと思って足元を見たけれど何も落ちてなくて。

 その音が頭に響いて、手も足も凍りついたように動けなくなってしまった。

 砕けたのはなんだったんだろう。

 もしかしたら私の心だったのかもしれない。


 何を期待していたんだろう。

 どうして楽観していられたんだろう。

 住む世界も育ってきた環境も、何もかもが違う人なのに。

 期間限定。

 今だけの対等な関係だって事、わかっていたのに。

 なのに、甘い夢を見ていた。

 とても幸せな甘い夢を。

 まるで吟遊詩人が語るような、おとぎ話のような子供じみた空想。


 王子様が迎えに来るよ。

 何もない普通の「あたし」のところに、見目麗しい王子様が愛の言葉を囁いて。


 そんなのは現実にはありえないんだってことくらい、私は知っていたじゃない。

 なのに巫女に選ばれて、ウィズに出会って、私は魔法をかけられたみたいに一気に違う世界に連れてこられて。

 舞い上がっていたんだわ。

 自分が特別だって思い込んでいたんだ。

 もうそんな幻想とは、さよならしなきゃいけない。

 現実。

 まるで夢のようだったとしても、私が巫女なのは真実。

 私がしなきゃいけないことは何。

 ここに何をしにきたのよ。

 ふっと周りに目を向けると、前殿が木々のアーチの向こうに見える。



 前殿。

 神殿。

 水竜。

 ご神託。


 私の前にあるのは、責任。

 それを話すのに相応しいようにならなきゃ。



 なりたいのは、誰にも認められるような巫女。

 巫女になった日から、私なりに頑張ってきた。 

 水竜レツは私のことを認めてくれるのに、認めてくれない人たちがいる。

 私には何が足りないのだろう。

 巫女としての威厳、華やかさ、神秘さ。

 そのどれも足りていないからなのかな。

 弱い自分がいるから。

 だから私はいつまでたっても巫女として認めてもらえないのかな。

 ポツン、と手の上に涙が零れ落ちてきた。

 認められないことが悲しい。

 どんなに努力しても届かないのが悔しい。

 あがいても伝わらない気持ちがもどかしい。

 色んな気持ちが交じり合って、涙が止め処なく流れてくる。

 せめて私を認めてもらえるように、心に鎧をつけよう。

 誰にも弱いところを見せないように、踏み込ませないように。

 もう絶対に涙なんか流さないでいられるように。


 走って乱れた服を整えるようにはたくと、斜め後ろに立ち尽くすシレルが視界に入る。

 目が合うと軽く会釈をし、一歩近付いてくる。

 何か言いたそうな様子のシレルの顔を見るのさえ腹立たしい。

 弱いところを見せないようにって思った途端に、こんな情けない顔見られてる。

 それにどうせ言われる言葉は決まってる。

 走るなんて巫女らしくないとか言われるんだわ。

 言われる事がムカつくんじゃなくって、そういうことを言わざるをえない状況を作った自分にイライラする。

 どうしてうまくいかないの。

 なんでなりたい自分になれないの。

 ううん、全部自分で壊しちゃってるんだよ。

 今まで積み上げてきた「巫女」を。

 頑張ってるんだから認めてよ。

 少しくらい走ったっていいじゃない。

 情けないと思う自分と、どこか開き直る自分がいて、本当に私ってどうしようもない。

 色んなモヤモヤを振り切るように頭を数回左右に振る。

 強く瞑った目からは涙が零れ落ちる。

 頭の中に浮かんでは消えるウィズの声を、涙と一緒に追い出してしまいたい。


「どうなさいましたか」

 心配げにシレルが問いかける。

 突然走ったかと思ったら立ち止まって何度も頭を振って、しかも泣いたりしてて、どこかおかしいと思われてもしょうがない。

 そう言いたくなるのも、わかる。

 シレルがすっとハンカチを差し出すので、シレルとハンカチを見比べる。

「どうぞお使い下さい」

 言われてはじめて、沢山の涙が頬を伝っていた事に気付く。

 ありがとうと言いたくても、喉の奥につかえて言葉が出てこない。

 頭を下げてハンカチを受け取ると、頬に流れる涙を押さえる。


 止まって。

 こんなところで泣いていたら、本当に全部台無しになっちゃう。

 シレルに泣いている姿なんて見せたらいけないのに。

「そのようにお泣きになれば、水竜もご心配なさいます。どうかお心をお鎮め下さい」

 シレルに言われた「水竜」という言葉で、ずっとレツと話していなかったことを思い出す。


 レツ。レツ。

 心の中でいつものようにレツを呼ぶ。

 ぐっと引き寄せられるように体を引っ張られる感触があって、奥殿のレツの声が頭の中に響き渡る。


 --なーに。そんな情けないサーシャはボク嫌い。


 これでもかっていうような大きな溜息のおまけつき。

 目には見えないけれど、すごく冷たい視線を感じる。


 --説教は後回し。とっとと帰ってきなよ、おバカさん。


 怒ってるの?


 --怒ってない。呆れてんの。


 ごめんなさい。


 --なんでボクに謝んの。バカじゃないの。いーから早く問題を片付けて戻ってきな。


 問題?


 --あーもうっ。本当にバカだなサーシャは。ボクの神託を伝えなきゃいけない相手がもう一人いるでしょ。


 ……神官長、様。


 --忘れてたわけじゃないよね。で、そのみっともない顔、神殿中に晒すつもり? せいぜい無い知恵絞るんだね。


 嘲笑交じりのレツの声がそこで途絶える。

 怒ってるんじゃなくって、呆れてるって言った。

 私、レツを失望させちゃったの?

 どうしよう。どうしよう。

 急に不安が襲ってくる。

 一気に全身の血の気が引く。

 足元をすくわれたような、暗闇に放り出されたような。

 考えたくない一言が、心の中ですら形にしたくない言葉が突き刺さってくる。

 サーシャなんてイラナイって言われたら。

 その一文が浮かんだと同時に体中に震えが走る。

 嫌。

 私、そんなの嫌。

 両手で自分の体を抱きしめて、無理やり震えを押さえ込む。

 それでも湧き上がってくる強い恐怖心には勝てそうに無い。

 涙なんてどこかへ吹き飛んでいってしまった。

 私、私にはやらなきゃいけないことがある。

 ちゃんとしなきゃ。

 レツの信用を取り戻さなきゃ。

 ちゃんとやり遂げなきゃ、レツに必要としてもらえなくなる。




 ここにいられなくなるかもしれないという恐怖感が、涙を吹き飛ばしていった。

 ううん。どちらかというと血の気が引いたっていうほうが正しいかも。

 冷静になった頭で考える。

 とにかく情けない私は今は姿を消して、しっかりしなきゃっていう気持ちが前面に出てくる。

 レツに認めてもらえるように。

 レツにこれ以上呆れられたくない。

 そのためにはまず、ご神託を神官長様に伝えないと。

 だけど、そのためには神官長様と対峙しなくてはいけない。

 私をずっと認めてくれない神官長様にも、これ以上見くびられたくない。

 誰にも侮られない巫女を演じきらなくちゃ。

 そのためにはどうしたらいい。

 本来なら一番相談に乗ってくれる存在の「神官長」様が、私にとっては一番気の抜けない人。

 どうしてだかわからないけれど、口を利いてくれないくらいに嫌われているし。

 別に、好かれたいとか思わないけれど、こんな時思う。

 誰も頼れない。誰にも相談できない。

 誰にも心中を明かす事が出来ない事が苦しいって。

 私の経験や知識じゃどうやって取り繕うのか、正直どうしたらいいのかわからない。

 それでも、自分なりに見つけ出さなくちゃ。



 シレルに神官長様の今いる場所を聞き、そこでしばらく待って頂くように伝言を頼み自室に戻る。

 幸い、ほとんどというか全く神官に出くわさなかったので、レツいわく酷い顔を誰にも見られないで済んだ。

 部屋に戻ると大急ぎで顔を洗う。

 鏡の中の私は、本当に酷い顔をしている。

 お化粧が崩れたからっていう事よりも、心の中の人間らしい感情を全部むき出しにしているかのような真っ赤に腫れた瞳。

 これを見てシレルはどう思ったんだろう。

 巫女らしくない、巫女にふさわしくないって思ったんだろうか。

 気になるけど、聞けない。

 聞くのが怖い。

 もっとも、聞いたところでシレルは答えてくれないだろう。

 いつも事務連絡しか口にしないんだから。

 って、私シレルに何を求めているの。

 シレルはきちんと仕事をこなしているだけじゃない。

 それなのに仕事以上の心遣いを求めている。

 そんな風に人に何かを期待しちゃいけない。

 期待するから辛くなる。不満が残る。恨みっぽくなる。

 そういう感情に捕らわれるから、余計に「巫女」から遠ざかっているのかもしれない。

 だから、ここに感情は置いていこう。

 そうすれば、きっとどんな時も強くいられる。


 顔を洗ってもひききらない目の赤みを隠すために、儀式のときにしか着けない顔を隠すベールを着ける。

 これがあれば、至近距離に寄られない限りは表情さえもわからないはず。


 あまり待たせるわけにはいかない。

 待たせた挙句、また祭宮と三人で話すようなことになったら最悪だから。

 あの微妙な空気の中で三人で話をするなんて、絶対嫌。

 今日はもう祭宮の顔なんて見たくも無いし、あの二人の間に割って入って話をするのなんて絶対に頼まれたってしたくない。

 考えただけでもイライラしてきて、お腹のあたりがじわっと熱くなる。

 本当に、それだけは絶対やりたくない。

 鏡の中の自分を振り返らずに、部屋を後にした。



 神官長様は書庫にいらっしゃるという事だったので、部屋からさほど遠くない場所なので、すぐに書庫に辿り着いた。

 扉の前にはシレルが直立不動の姿勢で立っていて、顔がわかるくらいのところにくると、深く頭を下げる。

 扉に近付き、シレルの前までくると頭を上げて扉をノックする。

 トントン、という乾いた音が廊下に響く。

 シレルが扉を手前に開いて「どうぞ」と一礼する。

 その姿に「ありがとう」と短く答えてシレルを見返すけれど、ベールで死角になっているせいか、その表情はわからない。

 扉の中に数歩踏み込み、書庫の中を一瞥すると、あちこちに神官がいて所狭しと平伏している。

 その中で一人、安楽椅子に座って膝に本を一冊乗せたままの神官長様が目に入る。

 まるで他の景色から切り取られたように、神官様を取り巻く空気だけが穏やかで落ち着いている。


 何故だろう。

 この人も目の前にして、お腹の底からフツフツとイライラが湧き上がってきて抑えられない。

 さっき感情は全部おいていこうと、感情は表に出さないようにしようと決めたばっかりなのに。

 顔を見たら、思わず奥歯を噛み締めずにはいられないほどの怒りがこみ上げてくる。

 悔しい。

 にくったらしい。

 見返してやりたい。

 私の心は暗いドロドロした渦の中に巻き込まれていって、黒く埋め尽くされていく。

 それでもこの人には負けたくないから、ぐっとこぶしを握り締めるように、体の前で合わせた両手を握りしめる。


「お待たせして申し訳ありません」

 そう告げると、神官たちは一度目を上げ、それからまた床に額をこすりつけるように平伏する。

 一斉に頭を下げるので、視界が髪の色に染まる。

 そんな中でも一人涼しい顔で、神官長様はこちらを見ている。

 けれど、何も言おうとはしない。

 その態度がまた、私の中のちっぽけなプライドを傷つける。

 巫女だって認めてくれないから、頭を下げるのが嫌なんだわ。

 ギリリっと無意識に自分の歯を食いしばる音がする。

 ダメ。ここで感情的になるわけにはいかない。

「どうぞ頭を上げてください。そのように頭を下げず、私の言葉を聞いて下さい」

 ある者は伺うように、ある者は疑わしいものを見るような目で顔を上げる。

 これだけ沢山の神官の前でご神託を告げるなんて、そう思うと全身に緊張が走る。

 「せっかくお調べいただいたのですが、今回祭宮様からご依頼の件に関しまして、水竜様よりご神託を賜りました」

 恐らくその事はシレルから神官長様に伝わっているのだろう。

 眉一つ動かさず、まるで人形のようにこの部屋に入ったときから変わらない。

 対照的に、神官たちの間にざわめきが走る。

 ざわめきが収まるのを待つようにしていると、神官長様の傍に控えている年長の神官がぐるりと視界を回す。

 その視線が無言の圧力のように、ぴたりと神官たちが口を閉じていく。

 薄暗い書庫の中の空気がピンと張り詰める。

 ただ一人を除いて、全員の視線が突き刺さる。


「ご神託を申し上げます」


 自分の吐く息の音さえ聞こえるんじゃないかって言うくらいの静寂が訪れる。

 次の言葉を誰もが待っているのはわかっている。

 けれど、より効果的に聞こえるように、意識的に間をおく。

 一回、二回と息を吸って、二十まで数えたところでもう一度口を開く。

 これだけ間をおけば、誰しも早くご神託を聞きたいと思う気持ちが募るはずだから。


「水竜は一切の『政事』に関与しません」


 一呼吸置いて、神官長様を睨みつける。

 どうせどんな顔をしているかなんて分かりはしない。

 扉から入ってくる光を背に受けているから、逆光になっているしベールで顔を隠しているんだから、口調さえ気をつければ大丈夫。

「おわかりになりますね」

 あなたは巫女だった人なんだから。

「この神殿の者が王家の行事に参加する事は認められません。恐らく前例も無かったのではありませんか」

 神官長様はまるで何も聞こえなかったかのように、表情一つ変えず何も言おうとはしない。

 代わりにその問いに答えたのは、さっき他の神官たちを威圧した神官だった。

「おっしゃるとおりでございます。我々でお調べいたしましたが、そのような記録は残ってはおりませんでした」

 やっぱり。

 ふっと口元に笑みが浮かぶ。

 あのレツの感じだと、前例は無いだろうとは思っていたけれど、もしかしたらあるかもしれないという疑いの気持ちを捨て切れなかったから。

「調べていただいて、ありがとうございます」

 くるりと視界を巡らし、息を潜めている神官たちにお礼をする。

 形としては神官長様が調べた事になっても、実際にはここにいる沢山の神官たちが膨大な書物を一冊ずつ目を通して調べてくれたのだから、きちんとお礼をしたかったから。

 それからまた、微動だにしない神官長様に目を向ける。

 目の前の景色を瞳に映しているはずなのに、その視線はどこか遠くを見ているような表情をしている。


「久しぶりにお里帰りなさりたかったかもしれないですが、残念で……」

「水竜様がそうおっしゃったの!?」

 突然瞳に生気が宿り、激しい口調で今にも立ち上がろうかという様子で神官長様が言葉を遮る。

 何をそんなに、とあまりの勢いに圧倒される。

 それは神官たちも同じようで、驚きのまなざしを神官長様に向けている。

「答えなさい。それは水竜様のお言葉なの?」


 詰問するような口調に、抑えていたイライラが少しあふれ出してくる。

 何でそんな風に言われなきゃいけないわけ。

 そうやって、いつも私の言葉を疑っているんでしょう。

 なんなのよ。

 何でいつもそうやって頭ごなしに言うわけ。

 あなたが王族で前の巫女で今は神官長でこの神殿のトップでも、今は私が巫女なのよ。

 いい加減信じてくれたっていいじゃない。

「ええ。水竜は戴冠式に神官長様が出席する事は認められないと、この件に関しては曲げられないとおっしゃいました」

 丁寧な口調は心がけても、言葉尻がどうしても強くなる。

 私は嘘なんてついていないわ。

 レツは言ったもの。

 絶対にイヤだって。王家の都合じゃ動かないって。

 それを疑っているわけ?

 あなたは自分の耳で聴いた水竜の言葉しか信じないの?

 私っていう巫女の言う事なんて、嘘ばっかりだっていいたいの。

 あなたがご神託を聴いて、私が巫女になったんでしょう。

 他の誰も巫女だって認めないなら、どうしてあなたは神官長なのよ。

 本当に腹が立つ。

 ムカつく。ムカつく。ムカつく。


「そのことじゃないわ。わたくしが里帰りをしたいって、水竜様がおっしゃったのかしら」

 返ってくるのは、神官長様らしからぬ強い口調と射抜くような視線。

「いいえ。そうはおっしゃいませんでしたけれ……」

「でしたら余計な事は口を慎んだ方が良いんではなくて? 水竜様のご神託ではないのでしょう」

 また遮るように、嘲笑混じりに言う。

 何なのよ。

 ちょっと気遣ってみただけじゃない。

 帰れなくて残念ですねって言おうとしただけなのに、そんな言い方しなくたっていいじゃない。

 こんなに大勢の神官がいる前で。

 恥をかかせたいってことなの。

 それとも神官たちに私は巫女にふさわしくないって印象付けようとしているわけ。

 うまく言い返せないのが悔しい。

 ご神託じゃないのは事実だから。  握る手に更に力が入って、伸ばした爪が掌に突き刺さる。


「わたくしは王都に行きたいなんて思っていませんわ。水竜様にもそうお伝え頂けるかしら」

 余裕の笑みがまた腹立たしい。

 そうやっていつも私を馬鹿にする。

 私が至らないのはわかってる。

 だけどそんな言い方すれば、誰だって嫌な気持ちになるって事、あなたにはわからないのかしら。

 悔しい。

 何とかして言い負かしたい。


「そうやってムキになって否定なさると、余計疑わしく思えてしまいます」

 ごくり、とつばを飲み込む音が喉に響く。

 こんなことしか、今の私には言い返すことが出来ない。

 鼓動の音が耳に痛いくらい、大きな音で聞こえてくる。

「祭宮様が大変ご熱心に神官長様をぜひ王都へとおっしゃいましたから、てっきり神官長様からお頼みしたのかと思っていました」

 ぴくり、と神官長様の眉が動くけど、畳み掛けるように言葉を続ける。

 神官長様がしたのと同じように、嘲笑を交えながら。

「本当にご熱心で、私が何度もご神託ですからと申し上げたのですけれど、なかなかご理解いただけない程でしたから、神官長様からも祭宮様に無理だとお伝え下さいね」

「わたくしがお頼みしたわけではないわっ」

 真っ赤な顔で否定する。

 その怒りに満ちた神官長様の顔を見て、私の心はどこかすーっと晴れていった。

「興奮なさいますと、お体に障りますよ」

 いたって冷静に言うと、神官長様がぐっと言葉に詰まる。

「祭宮様をあまりお待たせするのは失礼ですから、私はこれで失礼致します。神官長様、祭宮様によろしくお伝え下さい」

 極力穏やかに、諭すような口調で言い、書庫に背を向ける。


 初めて神官長様の雰囲気に気圧されないで、ちゃんと言いたいことが言えた。

 それにちゃんと伝えるべきご神託も、沢山の神官がいる前でもきちんと伝える事が出来た。



 ねえ、レツ。

 私きちんと巫女の仕事が出来たよ。

 だから、今私から巫女を取り上げないでね。

 私まだここにいたいから。

 巫女じゃなくなったら、ここにいられない。

 レツとまだたくさん話だってしたいよ。

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