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 最近やっと雪が解け始め、木々に緑が点るようになった。

 まるでそれを待っていたかのように、祭宮のウィズが神殿にやってくるらしい。

 シレルに訪問の理由を聞いてみたけれど、特に聞いていないとのことだった。

 面倒くさい。

 無意識に溜息が出てしまう。

 ウィズの顔を思い出しただけで、憂鬱になる。

 それに、やっと奥殿へ頻繁に行けるようになって、レツと過ごす時間が増えたのに邪魔された気分。

 どうせ神官長様に会いに来るついでにご挨拶くらいってところなんだろうから、余計に腹立たしい。

 でも形ばかりとはいえ巫女なんだから、王宮からの使者である祭宮に会わないというわけにはいかない。

 巫女の正装をして、女官たちに髪や化粧を整えてもらって、沢山の宝飾物を付けてもらう。

 ただ会うだけで、どれだけの時間と労力が掛かるか。

 その分、レツに会えなくなる。

 本っ当に大した用事じゃなかったら、むかつくどころの話じゃない。

 どうしてくれようか?

 裾を翻しながら神官長様の執務室へ行く間に、だんだん腹が立ってきた。

 さっさと挨拶して退室しよう。

 本当は会いたくないくらいなんだから。


 いつものように神官長様の執務室の前まで来ると、つい足が止まってしまう。

 中の二人の様子に耳をそばだててしまうから。

 聞こえてくる笑い声はいつもと変わらない。

 そしていつもどおり、ノックをすると笑い声は止まるんだろう。

 ノックをすると、思った通り笑い声が止まった。

 ほらね。

 ふっと、思わず口元が歪む。あまりにも予定通りであからさまで。わかりやすすぎて。

 頭をふり、巫女の仮面を被りなおして扉をゆっくり開く。


 一歩部屋に足を踏み入れると、神官長様の表情から笑みが消えていき、視線が逸らされた。

 あの雪の日以来、ずっとこうやって目を逸らされてしまう。

 毎日のことだからもう慣れてしまった。

 だから、気付かないフリをして、神官長様から目をウィズに移す。

 対照的に微笑みを湛えながらウィズが立ち上がる。


 --嘘くさい笑顔。


 レツの声が頭の中に響いて思わず笑いそうになったけれど、平静を保って「巫女の笑顔」を作り直す。


「お久しぶりでございます、巫女様」

「こんにちは、祭宮様。おかわりなく元気そうで何よりです」

 神官長様とウィズの座っていたソファの前まで来て、決められたとおりの、より優雅に見えるように挨拶する。

 それも、いつもどおり。

「どうぞお掛け下さい」

 ウィズの手が、すっと空いているソファを指し示す。

「失礼致します。祭宮様もどうぞお掛けくださいませ」

「ありがとうございます。失礼致します」

 ちょうど、三角形の三つの角に三人が座るような形になる。

 ウィズは相変わらずニコニコしている。

「巫女様はその後おかわりありませんでしたか?」

「はい。お気に掛けて下さってありがとうございます」


 続きを遮るように、神官長様が立ち上がる。

 今までこんな事無かったのに。

 神官長様の顔を仰ぎ見るけれど、横顔からは何を考えているのか全くわからない。

 決して視線を合わせようとはせず、まっすぐウィズの方を見ているから。


「わたくし、ちょっと失礼致しますわね」

「ええ、わかりました。お戻りになるのでしょうか」

 口では快諾しているような返事だけれど、ウィズは戸惑うような顔をしている。

「ええ。先程の件を調べて参りますわ」

 ウィズの顔に笑みが戻る。

「お手数をお掛けして申し訳ありません」

「いいえ。では失礼致します」

 そういうと衣を翻し、神官長様は背を向ける。


 結局一言も口を利かずじまい。

 今日のように話さざるをえないような状況ならと思っていたけれど、やっぱり顔を見ることも話すことも拒絶されている。


 私、何かしたのかな。

 あの雪の日以来ずっと避けられている。

 避けられているんだろうなっていうのは感じていたけれど、こうまで徹底されると、嫌われているとしか思えない。

 元々好かれていないことは、わかっていたけれど。


 神官長様の後姿に目を向けるけれど、決して振り返る事はない。


 何がいけないんだろうなあ。

 巫女として信頼するに足りないからかな。

 それにしたって、それが原因ならもっと前からだろうし。

 巫女を交代した時から、そういう態度をとってもおかしくないのに。

 ここ数ヶ月の事だから、さっぱり理由がわからない。

 気にしたってしょうがないって割り切るしか、うまく心の平静は保てなそう。



「巫女様?」

 ウィズに声を掛けられて、慌てて笑顔を作りなおす。

「こちらはようやく雪が解けてまいりましたが、王都はもう花が咲き始めているのでしょうか」

 当たり障りのない会話を、少し無理やり持ってくる。

 何を考えていたのか話したくもないし、聞かれたくもなかったから。

 心の隙を見せたら、あっという間に入り込まれてしまう。祭宮カイ・ウィズラールという人はそういう人だから。

 私の中にある弱い部分を知っているから、ウィズはいつまでもずっと私のことを巫女として認めてくれないのかもしれない。

 だから、巫女だって認めさせるためにも、私は絶対ウィズに本心を見せちゃいけない。

 完璧な水竜の巫女でなくてはいけない。

 昔の村娘のサーシャを彷彿とさせるような事があったらいけない。

「王都はもう随分春めいてきております。一度巫女様にもお見せしたいものです。王都の春は花々が咲き乱れ、とても華やいで美しいですから」

 何事もなかったかのように、ウィズが微笑む。

 完璧な笑顔。

 作り物みたいな、決して本心を見せない、それでいて親しみさえ感じるような表情に、心の中でそっと毒づいた。

 相変わらず嘘くさい。

 言っている事も、どうせ本心じゃない。ご挨拶に決まっている。

 どこまで本気なんだかわからない。

 本心を知ろうとは思わない。

 ただ祭宮のウィズがしたように完璧な笑顔をするだけ。

「王都はこちらに比べて暖かいですものね。機会があれば一度は見てみたいですね。華やいだ、春の王都を」

「では、いつかお連れ致しましょう。王都へ」

 にっこりと微笑んだウィズに同じような笑みを返す。

「そうですね。機会があればぜひ」


 決してそんな時はこない。

 私が巫女じゃなければ、こうやって話すこともない人なのだから。

 巫女でなくなった瞬間から「祭宮」にとって、私は全く価値のない人間になる。

 巫女でいる間、私はこの神殿から出ることはない。

 だから、決して果たされる事のない約束ってこと。

 所詮は上辺だけの会話。

 そう思ったら、心の中から寂しさが湧き上がってくる。

 どれだけの会話を交わそうとも、私とウィズの間には決して埋まる事のない大きな溝がある。

 立場という名の境界線。

 それは生まれたときから決められていて、一生覆る事はない。

 当たり前のことなのに、何で胸が痛むんだろう。

 考えたらいけない。

 考えたらきっとまたうまく巫女を演じられなくなってしまう。


 自然と手に力が入り、気付いたら服の裾を握っている。

 こんなこと、巫女がするようなことじゃない。

 うまく表情を作れなくてウィズから目を逸らし、テーブルの上に置かれたカップに目を移すと、カップの中のお茶は冷め切っているように見える。

「お茶を入れ直しますね」

 部屋の隅に控えているシレルに目配せすると、心得た様子で一礼し執務室を出る。


 パタンとドアが閉まる音がしてシレルの気配が消えると、部屋の中の空気が重苦しくて息苦しい感じがしてくる。

 何かを話さなきゃいけないと思っても、何を話せばいいのかわからない。

 神官長様みたいに、上手に綺麗に丁寧に話したりなんて出来ないし、気の利いた季節の挨拶なんていうのもわからない。

 だからといって、ずっと黙っているっていうわけにもいかない。


 あ、そういえば神官長様に何か調べ物を頼んでいたんだよね。

 その事を聞いたら失礼になるのかな。

 でも他に話すようなことも、何も浮かばないし。

 直接的に聞くのはダメだろうから、遠まわしに聞こうかな。

 そうすれば他に何かウィズが話を振ってくれるかもしれないし。

 ……ってなんて聞くの。遠まわしにって。

 私の知識の引き出し、少なすぎて浮かばないよ。

 えっと……。

「今日は神官長様にお願い事でいらっしゃったんですか」

 結局これしか浮かばなかった。

「ええ、そうですね。お願いといえばお願いですね」


 さっきまでの整った笑顔はどこへやら。

 ふっと笑って、ウィズが意地悪そうな顔をする。

 上品さの欠片もない、祭宮の仮面の下の顔。

 足を組み、両手を組み、まるで値踏みをするかのような目をする。

「気になる?」

 しまった。

 お茶なんてどうでも良かった。

 ウィズと二人きりになるのは避けるべきだった。

 と、思っても後悔先に立たず。

 絶っ対にウィズのペースに乗せられちゃいけないわ。

 ウィズのペースに乗ったら、主導権をとられてまた巫女らしくない振る舞いをしてしまう。

 ただでなくても巫女として認められていないのに、さらに侮られるような事になったら困る。


 隙を見せない。

 気圧されたらいけない。

 表情を崩さない。


 負けるもんか!


 クスクスっとレツの笑い声が聴こえてくる。

 レツ!笑わないっ。

 --はいはい。まぁ頑張ってねー。サーシャ。

 そう言うと、あははっと弾けるような笑い声が耳の奥に響く。

 もうっ。レツまで……。

 絶対に私は無敵の巫女になってやるんだから。


 崩した表情のウィズに一度微笑んで、小首を傾げる。

 親しみはあるけれど、決して一歩も踏み込ませないように礼儀正しさは残したまま。

「気になるというのは、どういう意味でしょうか」

 もう一度微笑む。

 内心の動揺を隠すために。さも余裕があるかのように。

 でも敵もひるまない。

「別に、意味なんてないよ。言葉通り」

 そうきたか。

「気になるかと聞かれたら気にならないわけではないです」

 それは事実。

 何しにきたのか気になるのは当たり前じゃない。

 それを何でこの人ってば、踏ん反り返って面白そうに聞くわけ。

 えらそうにして。

「ふーん。それで?」

 なんか嫌な言い方。

 それでって何よ。


 はっ。

 ここでイライラしてペースに乗ったら、いつもの通りになっちゃうんだわ。

 いけない、いけない。


「水竜の巫女ですから。祭宮様がどんな御用でいらっしゃったのか気になるのは当たり前です」

 どうだ。

「つまんねえの。模範解答をどーも」

 ふんっと聴こえるようにウィズが溜息をつく。

 感じ悪っ。

 この人、こうやってたら王族っていうのが嘘か冗談みたい。

 その辺のタチの悪い兄ちゃんにしか見えないわ。

「もうちょっと違う答えが欲しかったけどね。今日はご報告に来たんだよ。あと依頼ね」

 ウィズが奥殿のほうを見ながら、そう言う。


 報告?

 依頼?

 何の事だろう。

 奥殿から目を戻したウィズは笑っていない。

 穏やかさの欠片もない、鋭い瞳で突然射抜かれる。


「皇太子殿下が無事即位することになった」

「そうですか。おめでとうございます」

 ウィズの瞳に負けないように、とびっきりの笑顔を返し、深く頭を下げる。

 真正面から向かい合ったら、多分、敵わない。

 だから笑う。

 何か思うところがあるからそういう目を、挑むような強い目をしているんだろうけれど、まともに受け止める必要はない。

 それをこちらから聞いたら、駆け引きに負ける。

 揺らがない事が一番大切。

 必ずどこかに逃げ道があるから、それを見逃さない。

 完璧な策など、ありはしない。

 確か書庫にあった本の中に書いてあったわ。

 何でそんな本があったのかわからないけれど、寄贈の判が押してあったから、誰かの寄付だろう。

 誰だかわからないけれど、ありがたい。

 何となく暇つぶしに読んだのが役に立ったわ。

「今年は国中が祝賀で盛り上がりますね。子供の頃、現王陛下の即位の時、村中お祭り騒ぎでしたもの」

  一旦間をおいてウィズの方から、意図的に奥殿のほうへ目を向ける。

 自然とウィズの視線も奥殿のほうへ向くように。

「先の大祭で水竜様が今年は穏やかな一年になるとおっしゃっていましたし、民にとってはよい年になりますね」

 まるでレツに語りかけるように、でもウィズのも話しかけるようにする。

 それからゆっくりと目線を目の前のウィズに戻す。


「そうだな。浮かれ騒いで、楽しい年になるんだろうな」

「あまり祭宮様が浮かれている姿って、想像がつかないですね」

 浮かれて飲みすぎて道端で寝ていたり、陽気に笑いまくって踊ったりするんだろうか。

 あんまり見たくないような。

「そう? そんなことはないと思うけどね。ササはどうなの」

「え?」

「いや、何か真面目を絵に描いたような感じだから、羽目はずしたりしなそうだなと思って」

 ウィズからはそんな風に見えていたのか。

 意外。

「そんなことはないですよ。お酒を飲んで陽気になったりもしますよ」

「ふーん。全然想像つかないな。大体お前、酒飲めるんだ」

「失礼な。飲めますよ」

「あっそ。でも淡々と飲んでいるタイプだろ?」

 ぐっ。

 そういわれてみればそうかも。

 大体周りの方が先に酔っ払って、笑い出したり泣き出したりしているかも。

「まあ、そう言われてみればそうかもしれないですね」

 図星だとは何となく悔しくて言いたくない。

「やっぱりな。お前って結構損するタイプだよな」

「何がですか?」

 ウィズが何を言いたいのかわからない。

「周りに気を使って、羽目外せないんだろ」

「え?」

「何となく、そんな気がしただけ」

 勝手に一人で納得して、うんうんと頷いている。

 一体なんなの。何が言いたいの、この人。

 さっぱり思考回路が読めないわ。

「まあいいんじゃないの。俺はそういうの悪くないと思うし」

 だから、別に同意して欲しいなんて言ってないじゃないのよ。

 話振ってきて、勝手に盛り上がって納得して、変な人。


「たださ、もうちょっと肩の力抜いてもいいと思うよ、俺は」

 さらっと何の気もなしに言う。

 でもその言葉が痛い。

 どうしてだろう。

 そんなに片意地張っているわけでもないのに。

 私はただ巫女として精一杯頑張っているだけだよ。

 それなのに、どこか見透かされたような気がする。

「抜くとこ抜かないと、しんどくなるぞ。俺でよかったらいつでも話くらい聞くからな」

 柔らかな目。

 ちょっと前の鋭さはまるで感じない。

 そうやって優しくしたり、甘いことを言うから、心が曲がって挫けそうになる。

 無理はしてないけど、でも本当の自分が出せなくて窮屈な気持ち。

 どうしてウィズにはわかっちゃうんだろう。

 何でいつも、気付くのはウィズなんだろう。

 自分さえも誤魔化しているのに。

 でもきっとまた、祭宮のお役目だから、とか言われるんだ。

 それで弱音を吐いたら、きっとちゃんと巫女として見てもらえなくなる。

 私はウィズにちゃんと巫女として見て欲しい。接して欲しい。

 だから、愚痴なんて絶対に言わない。


「大丈夫です。ありがとうございます」

 声が自然と震えてしまう。


 涙声になりそう。

 だめだめ。

 瞬きをして、瞳の奥の熱い塊を追い出す。


「あんまり私のペースを乱さないで下さい」

 ついつい恨み言の一つも言いたくなる。

「そんなつもりは無いんだけどな」

 くすり、とウィズが笑う。

「ササのそういう顔が見られたから、いーや」

「そういう顔って?」

「変顔」


 もしかして、涙目になって変な顔になってたとか。

 うわー。

 やだな、どんな顔をしたらいいんだろう。

 ウィズの顔、まともに見られないよ。

 まず深呼吸をしよう。

 落ち着かない。

 もう一回しておこう。

 ふー。

 えっと、まず巫女の笑顔の基本はなんだっけ。

 咄嗟に出てこない。

 イヤー! 顔が作れない。


「おい、冗談だから」

 さらっと言ってから、噴き出す様にウィズが大笑いする。

「あははははは」

 部屋に響くウィズの笑い声。

 からかわれた? もしかして。

 いい人かと思ったら絶対しっぺ返しにあうんだから。

 もう、むかつく。

「何、笑ってるんですか。すっごく感じ悪いんですけれど」

「悪い、悪い。ははははは」

「全然悪いって思ってないじゃないですかっ」

 目に涙を浮かべて、ウィズがバカ笑いしてる。

 もうっ。本当に腹立つんだから。

 頭にきてウィズの事を睨みつけるけれど、そんなことはお構いなしで笑い続けている。

 巫女らしくしなきゃいけないから我慢しているけれど、ものすごく文句言いまくりたいわ。

 ウィズめー。

 上品に文句言うなんて芸当、私に出来るわけが無い。

 あー、もうむかつく、むかつく、むかつくっ。

「目が怖いから。あー。ごめんごめん」

 くくっと笑いながら、片手を顔の前に持ってきて、謝罪のポーズをする。

「そんなことより、報告と依頼のうちの、依頼の方、聞いてません」

 語尾が強くなったけれど、気にしない。

 全部我慢できるほど、上手に感情をコントロールなんて出来ないもの。

 いい加減笑うのやめてよって思いながら、ウィズを思いっきり睨む。

「ごめんな」

 苛立ちに気が付いたのか、もう一回そういうと、ぴたりと笑いが止まり、ウィズが真顔に戻る。

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