壱:剣道場の息子の悩み
「…では、高鐔 対 坂巻 、始め!!」
道場にビシビシと何かと何かを打ち付けるような音がこだます。…竹刀だ。
「…っ!面!!」
「高鐔!一本!」
審判が旗を揚げる。
高鐔と名乗るその少年は、何を隠そう、この道場の師範の息子だった。
高鐔道場。剣道では超の上にさらに超がつく位強い、全国レベルの道場である。
その道場を仕切る、剣道十段の豪傑「高鐔 翡翠」。
その息子の「高鐔 瑪瑙」。
瑪瑙は、十年に一人という逸材で、連盟からも、道場からもちやほやされていた。
しかし、瑪瑙はそれを望ましく思っていなかった。
剣道はたしかに面白い。技が決まった瞬間、竹刀から伝わる痺れるような感覚。
でも剣道は、自分で望んで始めた物ではない。親に強制されて始めた物だ。
(……。俺…剣道辞めてぇなぁ。)
最近、瑪瑙はそんな事を思うようになっていた。
もっとも、そんな事、誰もが許すはずがない。
さっきも述べたように、瑪瑙はいろんな人に期待されている。
剣道を習っている人の中には、努力して努力して、
それでも大会で結果を出せない人がいる。
もし、辞める事ができても、辞めればそんな人たちに失礼だろう。
それに、辞めた所で、他に何か打ち込める物はない。何もない、剣道以外には。
そして、父、翡翠に逆らえるはずがない。逆らってはいけないのだ。
瑪瑙は生まれてこのかた、父に逆らえた事は一度もなかった。
逆らえば、絶対的な恐怖が待っている。そんな直感が何度も瑪瑙をせき止めていた。
これでいい。
生まれてから死ぬまで、ずっと竹刀を握り続ければいい。
そんな籠の中の鳥のような人生でも構わない。
籠の中でも優遇されているのだから。
「……のう…。…めのう…。………瑪瑙!!」
瑪瑙がビクリとする。まるで悪い夢から覚めた時のように。
「さっきから呼んでるだろ?聞いてんのかよ?」
「あ……、ああ…悪い、薙。…何だっけ?」
「やっぱ、聞いてなかったのかよ…。」
ー花鳥学園。東京の片隅にある中高一貫校。
その2年2組に上がったばかりの瑪瑙は、同じクラスで花鳥学園空手部主将の、
「大水 薙」と話をしていた。
薙は瑪瑙が3、4才の頃からの幼なじみで、ずっと親友だった。
そして、薙は剣道ではなく、己が望んで始めた空手を、ずっとやっていた。
瑪瑙は、そういう薙をとてもうらやましく思っていた。
「…ったく。しっかり話を聞いてくれよ!最近ずっとボーッとしてんじゃん。」
「ごめんごめん!ちょっと考え事してて…。」
「あ、また『剣道辞めたい』とか考えてたんだろ!!」
「あ…うん。まぁな。…で?話って?」
「おう!!それがよ、この前の春の新人戦で頑張ってよ…。」
「…頑張って?」
「なんと!この花鳥学園空手部が、ついに都大会で決勝にまで進みましたぁ!」
「おお〜!すげぇじゃん!!」
思わず瑪瑙は手を叩いて感動をあらわにする。
「だろ?だろ?『うちの空手部は人数も少なくて弱っちぃ』とか言ってた野郎の
鼻を明かしてやった気分だぜ!!」
「ははは…。まぁ良かったじゃん。決勝、俺も見に行って良いか?」
「もちろんだ!俺の活躍を見に来いよ?」
「ああ!」
その時、始業のチャイムが鳴って、
薙は軽くアイコンタクトをして、自分の席へ戻って行った。
授業中。瑪瑙はずっと考えていた。
薙の空手をやっている姿を。
そして、自分のやりたい事をできている薙と
押し付けられてやっている自分とを、重ねては気分を落としていっていた…。