その器ではなかっただけの話
少し後味が悪いです
「アンネローゼ・シリウスとの番を解消する!」
フェリックス・オーリーオーン第一王子殿下の宣言に、神殿に集まった両陛下と貴族はざわついた。そんな彼らとは対照的に、国王の右腕で宰相でもあるイカリオ・プロキオン侯爵とその娘メーラは頰を紅潮させ、なりゆきを見守っていた。
「……わたくしと番を解消して、どうするのですか?」
アンネローゼは周囲の様子には目もくれず、凪のように穏やかな態度を崩さない。
フェリックスは口角を上げ、アンネローゼを見下すかのように声高に告げる。
「メーラ・プロキオン侯爵令嬢を番にする!」
――ああ、やっと終わったわ。
フェリックスの言葉に、アンネローゼは目を閉じ、小さく息をはく。突然の番解消宣言に悲しんでいるようにも呆れているようにも見える。実際は、胸が踊りそうな喜びを努めてそう見えないようにしていただけだけれど。
アンネローゼはシリウス子爵家の末娘である。兄がふたりおり、それぞれ五歳、三歳離れている。両親は健在で、田舎の子爵家らしくのんびりと穏やかな性格で、貴族の仕事よりも畑仕事のほうが性に合っているタイプだ。野心のある貴族ならば、どうにかして中央の政治に入り、王宮に召し上げられ、少しでも権力に近づこうとするものであるが、シリウス子爵夫妻は大変恐れ多いことと考え、自領の民が健やかに暮らせるよう心を砕いていた。
そんな両親のもとで養育された子どもたちも、おっとりとしてみな仲が良く、相手を思いやり喧嘩もほとんどない。誰かを出し抜いて上に行くくらいならば、みんな手をつないでほどほどでいたいと考える子らばかりで、両親の背中を見て育った彼らは、自領の民にも分け隔てなく接するため、シリウス子爵領の民たちは夫妻のことも三人の子どもたちのことも心から敬愛している。
アンネローゼも、いつかは結婚して家を出ることがあっても、周囲を大切にできる相手とであれば平民でも構わないとすら考えていた。アンネローゼが決めた相手であれば、両親やふたりの兄も反対することはないだろう。政略結婚が必要になったとしても、自分が高位貴族に嫁ぐことなど夢にも思っていなかった。
というのに、運命とは数奇なものである。
「殿下の番だ……!」
十三歳のころに神殿で「星詠みのお告げ」を受けた彼女の運命は、あっけなく狂い始めたのだ。
アストロノミア王国は、海に囲まれた小さな島国である。しかしそのおかげで近隣諸国からの侵略に脅かされることなく、独自の文化を築いて独立を守っていた。王国を東西に分断する大きな川からは定期的に砂金がとれ、この輝く鉱物のおかげで、各国ともよい関係を築けていた。
経済的に安定した王国内は平和そのもので、現王朝のオーリーオーン家は建国からの王家である。国として、そして存続する王朝として数百年もの歴史があり、その建国神話は貴族だけでなく国民までもが学ぶ有名な内容だ。
初代オーリーオーン王は、遠い大陸の王子であったけれど、無実の罪を着せられ、まだ国が興る前のアストロノミアの大地に流れ着いた。そのオーリーオーン王を不憫に思った星の女神がオーリーオーン王に膨大な魔力と、運命の番となる乙女を授けたという。オーリーオーン王は女神から賜った力と、運命の番の乙女の支えでアストロノミア王国を建国した。
おおまかにはこのような内容だが、実は、貴族だけが知っている話がある。オーリーオーン王の血を引いたオーリーオーン家には、数十年にいちど「先祖返り」が生まれる。女神が授けた膨大な魔力を内に秘めた御子が。同時に、その御子が生まれた年には、必ず神話のとおり運命の番となる乙女も生まれるのである。
しかし、運命の番となる乙女には、特別な魔力はない。生まれたときは他の乙女と同様である。運命の番かどうかは、神殿で「星詠みのお告げ」を受けたときにわかる――という、なんとも嘘くさい物語だ。
アンネローゼもそう思っていた。自分が、運命の番になるまでは。
あの日、神殿で運命の番だと告げられたアンネローゼは、強制的に親元を離され、王宮に住まいを移して出仕することとなった。
オーリーオーン王家は、ふたりの男児の御子がおり、長子である第一王子のフェリックスが「先祖返り」である。謁見の間で生まれてはじめて両陛下と拝謁したアンネローゼは、言葉を失った。両陛下が涙を流してアンネローゼをあたたかく迎えてくれたからである。第一王子であるフェリックスは体調を崩していたらしく、その場にはいなかった。
「アンネローゼ、突然両親から引き離されて不安なことだろう」
陛下の声音は優しく、アンネローゼは今はいない父を思い出す。
「あなたに寂しい思いをさせてしまうこと、本当に心苦しく思っているわ。不自由のないように言いつけているし、何かあればわたくしも力になるから、フェリックスのことを支えてあげて」
王妃陛下の手は母のようにあたたかく、また、甘くて落ち着くにおいがした。アンネローゼは母を思い出し、小さく頷く。
両陛下が言うように、アンネローゼは王宮で大切に慈しまれた。アンネローゼ付きの侍女は少し年上のネリネという伯爵家の三女になり、アンネローゼは彼女を実の姉のように慕ったし、ネリネもアンネローゼを本当の妹のように、そして次期王太子妃として大切に世話した。
シリウス子爵家には王家から王都にゲストハウスが拝領され、家族とも定期的に王宮で会えるようになった。アンネローゼがさびしくないようにという両陛下の気遣いである。運命の番のことはよくわからなかったが、アンネローゼは王宮で何不自由なく過ごしていた。
そうは言っても、いずれオーリーオーン王家の一員になるので、時として教育は厳しいものである。外国語、歴史、帝王学、護身術など、子爵令嬢では決して学ぶことのない分野を、アンネローゼは一流の家庭教師たちから学んでいた。王宮と両陛下のことがすっかり大好きになっていたアンネローゼは、泣き言ひとつ言わず真摯に勉学に取り組み、その姿を見た両陛下だけでなく貴族たちまでもが「殿下を支える運命の番の乙女にふさわしい」とアンネローゼを評した。
そんなアンネローゼにも、唯一苦手なことがあった。それは、第一王子のフェリックスとの面会である。アンネローゼはフェリックスの運命の番だ。必然的に彼とは婚約関係になる。婚約者どうしの交流として、月に数度面会の機会があったが、フェリックスはなぜかアンネローゼに対して冷たかった。
アンネローゼは心優しく、賢い女性だったが、フェリックスの好みとは違っていたようだ。しかも、勉学が遅れがちなフェリックスは、自分よりも評判の高いアンネローゼに勝手にコンプレックスを抱いていた。もちろんアンネローゼはそんなフェリックスの内心など、知るよしもない。
「殿下、このお菓子おいしいですわ。よろしければ」
「俺はそれが嫌いだ」
「……最近、大陸の歴史第二十章を学び始めたのですけれど、覚えることが多くて」
「それはまだ第十三章を学んでいる俺へのあてつけか?」
「申し訳ございません、そんなつもりは……。そういえば、殿下は、剣術がとてもお上手でいらっしゃるんですよね」
「だから何だ」
「わたくしいちど見てみたいですわ」
「俺は嫌だ」
このように、アンネローゼがどんな話題を振ってもフェリックスはとりつく島もない。 このような態度であることが両陛下の耳に入ると、フェリックスはきつく叱責された。アンネローゼがくるまで両親から叱責など受けたことのないフェリックスは、ますますアンネローゼへの悪感情を強めていく。このくり返しである。
「今日も殿下と仲良くなれなかったわ……」
最初のころは、アンネローゼもひどく落ち込んだ。両陛下までもが心配し、フェリックスの好きそうなものや話題をアンネローゼに伝えても、フェリックスは一切心を開こうとしない。
アンネローゼが運命の番であることは間違いがない。そうは言っても、運命の番だからいきなり愛せるものでもない。困った両陛下に手を差し伸べたのは、宰相のイカリオ・プロキオン侯爵である。
プロキオン侯爵は、長年国交を断絶していた国との国交を回復した立役者で、その功績から宰相に指名された傑物である。彼にはひとり娘のメーラがいて、フェリックス、アンネローゼと同い年であった。メーラはすでに若い令嬢たちを取りまとめるほどの実力があり、宰相はメーラにフェリックスとアンネローゼの間を取り持たせようと提案したのである。
若い令嬢たちを取りまとめる手腕は両陛下も知るところであり、ふたりは喜んで宰相の提案を受け入れた。
「メーラ・プロキオンと申します。第一王子殿下、アンネローゼ様、どうぞよろしくお願いいたします」
こうして、メーラは、フェリックスとアンネローゼの面会に同席するようになったのである。メーラが同席するようになってから、アンネローゼはフェリックスと少しずつ会話らしいことができるようになった。
「このお菓子、殿下がお好きと聞いたので」
「本当にとってもおいしいですわ。殿下もお召し上がりください」
「……うん、たしかにおいしい」
「ありがとうございます。他にお好きなものはございますか?」
「殿下は、甘さが控えめのものがお好きだったような」
「そうだな。そのほうが食べやすい」
まともに会話ができている、と無邪気に喜んでいられたのは、数か月だった。
気づけば、アンネローゼを放置して、フェリックスとメーラはふたりだけの世界を築いていたのである。そもそも会話らしいことができるようになったと喜んでいたが、よくよく思い返すと、メーラはアンネローゼにはほとんど話題を振らず、アンネローゼの話題をかっさらってフェリックスと話していただけだ。
フェリックスは、見た目が華やかで若い令嬢たちにも人気だというメーラを好ましく感じていた。少なくとも、アンネローゼよりはメーラのほうが運命の番らしいとすら考えていた。もちろんそんなことをうっかり口に出せば、また両親から厳しく叱責されることがわかっていたので心に秘めていたけれど。
こうして婚約者どうしの面会で、アンネローゼはまざまざとフェリックスとメーラが心を通わせる姿を見せつけられていった。
ネリネは憤慨して、両陛下に進言すべきだと言ったが、アンネローゼは笑ってごまかすだけだった。仮に両陛下に進言したとして、フェリックスに冷たくにらまれ、ますます嫌われるだけである。それならば、表面上はうまくいっているように見せるほうがよいと考えた。これ以上、お優しい両陛下のお心をわずらわせたくなかった。
だからこそ。
フェリックスが、アンネローゼとの番解消を望んでいるらしいと耳にしても、「やっぱりそうか」くらいにしか思わなかったのである。
婚約者になって四年。フェリックスとメーラが心を通わせるようになって三年。アンネローゼとフェリックスは十七になった。王国では、十八を成人と定めており、ふたりが成人を迎えたときに結婚の儀を行うことになっている。
ふたりの婚約にむけて徐々に忙しくなっていく王宮では、フェリックスはよくメーラを伴って歩く姿が目撃されていた。フェリックスはメーラのことをよき相談相手だと言っていたし、まさか運命の番を裏切ることはないだろうと、周囲の人々もたかをくくっていた。王妃陛下だけはアンネローゼを心配していたが、アンネローゼがいつも笑顔で「問題ない」と言うので、何も言えずにいた。
「最近、第一王子殿下はよく大神殿に行っているそうですわ」
ネリネに言われたとき、アンネローゼは思わず身構えた。王宮に上がってから一番近くにいて同じ時間を共有してきたのはネリネだ。その声音だけで、彼女の体調すらわかってしまうくらいになったからこそ、アンネローゼにとってよい話ではないことはすぐにわかった。
ネリネの生家は大司祭を担う伯爵家であり、大神殿の情報は表のことから裏のことまですべて把握している。
「第一王子殿下は、番の解消について調べているそうです」
「それは、両陛下には伝わっているのかしら」
悲しそうな顔をする両陛下の姿が浮かび、アンネローゼの胸が痛む。自分の未来のことは、正直、どうでもよかった。自分を大切に思ってくれている人たちが傷つくのは見たくない。
「お父様にお願いして、まだ奏上しておりません。どうしてもまずはアンネローゼ様にお話ししたくて……」
「ありがとう、ネリネ。でも、いつまでも黙っているわけにはいかないわね」
「どうなさいますか」
王妃教育の一貫で、アンネローゼは「番」についても学んでいた。番がどういう存在であるのか、番の解消を行えばどうなるのかも、すべて。
「どうもしないわ」
アンネローゼはにっこりほほ笑む。
「よろしいのですか」
「きっと、ただでは済まないでしょうね。でも、どうしようもないわ。わたくしにはどうにもできないもの……」
フェリックスは、相変わらず勉学をサボりがちで、番についての意味も歴史もほとんど学んでいないらしい。番が、自分にとってどういう存在なのか、彼は未だに知らないのだろう。
背筋を伸ばし、遠くを見つめるアンネローゼの瞳を見て、ネリネは心のなかでため息をつく。アンネローゼがネリネについてわかるように、ネリネもアンネローゼのことは言葉を聞かなくてもわかるようになっていた。アンネローゼは、最初に会ったときとは見違えて強く賢くなった。彼女はこの先に待ち受ける残酷な運命をすべて受け入れる覚悟でいるのだ。
それは、両陛下も同じだったようだ。大司祭である伯爵からフェリックスの話を聞いた両陛下は、すぐに息子を呼び出し、彼にただ一言「自分の器の大きさを見誤るな」とだけ告げた。フェリックスは、それをいつもの小言だと無視し、まじめに取り合わなかった。
建国の祖であるオーリーオーン王は、不遇な運命にあっても折れない心を持っていた。その心の強さを見た星の女神は、彼に力と番を授けた。はたして今のフェリックスに、星の女神の賜物を受け止める器があるだろうか。両陛下は去っていくフェリックスを見て、親として不出来な自分たちを恥じ、せめて為政者としてできることしようと覚悟を決めたのである。
フェリックスの十七の誕生日、あと結婚まであと一年という節目に大神殿に集められた面々は、フェリックスの宣言を固唾を飲んで見守っていた。
「アンネローゼと番を解消し、メーラ・プロキオン侯爵令嬢を番にする!」
両陛下は何も言わない。そばには第二王子が控えているが、まだ十五の第二王子も静かに成り行きを見守っている。
「番を解消するとはどういうことか、おわかりなのですか」
アンネローゼはまるで子どもに諭すように優しく声をかける。
「わかっている。番を変更する儀式を行えばいいのだろう」
フェリックスはメーラの肩を抱き寄せ、勝ち誇ったように返した。
実は、運命の番の乙女はいちどだけ変更が可能なのである。それは数代前の「先祖返り」が誕生したときのことだ。運命の番の乙女の発見が遅れ、すでに番となる乙女が別の男性と婚姻をしていたことがあったアストロノミア王国では、純潔の乙女が尊ばれる。そのときの大神殿が発明したのが、運命の番の乙女を変更する儀式である。
「その儀式を行えば、どうなるかもおわかりですか」
「見苦しいな。番の立場が奪われるのがそんなに嫌なのか」
そう言って馬鹿にしたように笑うフェリックスとメーラのほうが見苦しく思えたが、アンネローゼは笑みを崩さない。
「わたくしの立場など、もともとに取るに足りないものです。ただ、おふたりの覚悟を確かめたいだけですわ」
「覚悟ならある!俺たちは真実の愛で結ばれているのだから」
うっとりと見つめ合うフェリックスとメーラを見て、アンネローゼはほっと胸をなでおろす。これから起こることに対する自分の覚悟も無事決まったようだ。
「かしこまりました。おふたりの『真実の愛』、ぜひ見届けさせていただきますわ」
アンネローゼが臣下の礼をとると、フェリックスはふんと鼻を鳴らした。
「最後まで厭味ったらしい女だ。どうしてこんな女が番だったんだか。――おい、はじめてくれ」
神官たちは戸惑ったように顔を見合わせる。何も言わない両陛下の代わりに、第二王子が口を開いた。
「兄上、本当によろしいのですね」
「くどい!俺とメーラで、どんな試練でも乗り越えてみせる」
第二王子がちらりと両陛下を見ると、国王陛下が片手を上げた。それを合図として、集められた神官たちが儀式を始める。
床に聖水で五芒星をふたつ描き、それぞれの星の真ん中にフェリックスとメーラが立った。あとは、番を変更する儀式の祝詞をとなえる。神官数十名が祝詞をとなえはじめると、五芒星から青白い光が立ち上った。
――これで終わるんだわ。
アンネローゼは軽くなっていく体に、ふうと息を漏らす。
「……え」
フェリックスの戸惑う声に目を向けると、彼の頭から豊かな金髪が一房落ちている。
「いや、なに……これ……」
メーラは膝から崩れ落ちていた。彼女の自慢の白磁器のような肌が、どんどんと薄灰色に変わっていく。絹のような銀髪もどんどんと色が抜け、老婆のように白くなっていた。
「うっ……うえ、げほっごほっ……ぐあ……」
フェリックスが吐血し、白いタイが真っ赤に染まった。フェリックスもメーラも、どんどん苦しみ出した。
「やめて、おねがい、やめて……やめてよお……!」
メーラが救いを求めるように手を伸ばす。ところが、実父であるプロキオン侯爵も言葉を失って立ち尽くすばかりだ。
「なんで、こんな、こんな……」
神官たちの祝詞が終わり、光が止まったが、フェリックスとメーラは息も絶え絶えで、お互いを見ようともしない。フェリックスは虚ろな目をアンネローゼに向ける。
「アンネローゼ……おまえ、何を……」
倒れ込み止まらない吐血にあえぎながら、フェリックスはこの事態をアンネローゼのせいにすることを忘れない。
アンネローゼは軽くなった足でフェリックスに近づき、そのそばに膝をついた。
「わたくしは何もしておりません。これは、殿下が望んだことです」
フェリックスは苦しいのか、返す言葉も出せないようで口だけがはくはくと動いている。
「星の女神が授けた魔力は、強大なものでした。それこそ、人の器では受け止めきれないほどの。だからこそ女神は、運命の番の乙女を初代オーリーオーン王に授けたのです」
魔力とは、神の力に等しい。しかしながら、その力は人間のやわな肉体程度では受け止めきれない。だからこそ、その魔力を分担できる「番」が必要だった。番とは、強大な魔力をオーリーオーン王とともに受け取る器である。――この話を聞いたとき、アンネローゼはなぜ自分が両陛下からあたたかく迎え入れられたのかを理解した。アンネローゼがいなければ、「先祖返り」で膨大な魔力をその身に宿したフェリックスは死んでしまう。
運命の番の乙女を変更するということは、器を入れ替えるということだ。その器が強固なものであれば何も問題はないし、やわな器であれば、受け止めきれずふたりとも自滅してしまう。
「どうやら、その器ではなかったようですね」
フェリックスは虚空を見つめていたが、やがて静かに目を閉じる。死んではいないようだが、これから彼が目を覚ます可能性はないだろう。
アンネローゼが王宮に出仕する前に戻るだけだ。謁見の間に第一王子がいなかったのもなんということはない。その強大すぎる力で、目を覚ますことができなかったのだ。アンネローゼが王宮に出仕した翌日に、フェリックスはこれまでのことが嘘のように起き上がってふつうに生活を始めたという。
メーラも、おそらく二度と目を覚ますことはないだろう。 「先祖返り」をした第一王子の運命の番になれば、強大な権力が得られる。――その器もないくせに、願ってしまった代償をこれから払っていくことになる。いちおう王子妃にはなれるだろうから、メーラには名誉なことなのかもしれないが。
第一王子の番を解消したアンネローゼは、両陛下から第二王子の婚約者として望まれたが、「その器ではない」と固辞して王宮をあとにした。第一王子とメーラの婚姻ならびに第二王子の立太子が発表され、貴族たちはざわついたが、アンネローゼのこれまでの献身を両陛下が正式な文書として発布したため、アンネローゼとシリウス子爵家の名誉は保たれた。
シリウス子爵家に戻ったアンネローゼは、元第一王子の婚約者とは思えないほどのんびりと穏やかに暮らし、やがてとある商会の跡継ぎと恋に落ち、最後は平民として幸せに暮らしたそうである。




