おやすみ、人気作家の僕。
2x00年――
朝起きたら、人気“なろう作家”になっていた。
枕元のスマホには通知が100件以上。
PV:102,341/ブクマ:2,184/感想:99。
「なにこれ、……バグ?」
寝ぼけ眼でアプリを開くと、僕のアイコン。
僕のペンネーム。僕の――知らない代表作。
タイトルは、
『転生先が退職代行だったので、異世界の社畜を全部救います』。
なんだその社会派タイトルは。僕そんなの書いた覚え、ない。
リビングに行くと、テーブルに原稿メモ。
「毎日21時更新」
「第42話:魔王、年次有給の意味を知る」
「あと2,000字」
付箋の文字は完全に僕の癖字。逃げようがない事実。
ほどなくDMが飛んでくる。
〈編集〉「今日も21時――いけそう?」
〈読者A〉「物語の続きが、人生の楽しみです」
〈読者B〉「体調は大丈夫ですか? 無理しないで」
〈読者C〉「完結はよ」
〈神様〉「そろそろ異世界行く?」
未来のなろうには、AI編集がついていた。
そして最後の誰。神様まで参戦するな。
キッチンでインスタントコーヒーを淹れながら、
スマホの感想欄をスクロールする。
「作者さんの会社ネタ、刺さりました!」
「極悪魔王軍に労基入るの笑った」
「誤字:労働“監督署”→“基準監督署”。直して!」
笑いと温度と優しさがいっぺんに押し寄せて、胸の奥がくすぐったい。
でも、同時に胃がキュッとなる。
現実の僕はブラック企業の総務だ。
昨日まで、帰宅したら寝落ちするだけの毎日だった。
そんな僕が、いつのまにか“人気作家”の朝を生きている。
幸福? それとも――?
今日の仕事が終わった。
白い蛍光灯の下、キーボードの音だけが響くオフィス。
壁の時計の針が、定時を過ぎても止まる気配を見せない。
疲れた目で帰宅し、PCを開く。
最新話の下書きは途中まで。
魔王が“有休届の書き方”を学び、勇者が魔王を説得するシーン。
コメディの形をしているのに、どこか真面目で、やさしい。
(やっぱりこれ、本当に僕が書いたの?)
でも、タイピングを始めると指は驚くほど滑らかに動いた。
勇者が言う。
「休暇は罪じゃない」
魔王が大剣を地面に突き刺して、笑った。
聖女が言う。
「お昼はちゃんと食べて」
――昼休みを死守する聖女ってなんだ。
でも、そのバカ真面目さが、なぜか心に沁みた。
行間に笑いを置き、オチまでのリズムを整える。
スマホのバイブが鳴るたび、心拍が上がる。
〈編集〉「あとどれくらい?」
僕:〈あと800字。たぶん間に合います〉
〈読者D〉「作者さん、休んでください!」
〈読者E〉「休むな(やさしい圧)」
圧が優しくても圧は圧なのだ。
「……21時、更新完了」
翌日。
昼の休憩、公園のベンチでサンドイッチを齧る。
通知をオフにして、空を見上げた。
ため息をひとつ。
木漏れ日が揺れ、パンの欠片が膝に落ちる。
静けさが、耳に痛い。
――PVがゼロでも、楽しかった時期。
初投稿の夜。ブクマ“1”の嬉しさ。
そして初めての“感想“”で震えた。
会社では誰にも褒められなくて、
画面の向こうだけが少しだけ温かかった。
「……なんで、書いてたんだろう」
驚くほどすぐに答えが浮かんだ。
楽しかったから。逃げたかったから。
夜。19時。
座卓にノートPC、湯気の立つマグ、チョコ一片。
BGMは打鍵の音だけ。
話数タイトルを決める。
『第43話:魔王、申請ボタンを押す』
小見出しを刻む。
――そもそも有給って何ですか?
――魔王、休むことは勇気と知る
――勇者、休暇は罪ではないと諭す
――魔王、面白くなってきたなと笑う
台詞が勝手に立ち上がる。
魔王「休むのが……怖いのだ」
勇者「俺だって怖い。戻った時、戻れる場所があるかどうか」
魔王「ではなぜ、休める?」
勇者「それは――パーティが教えてくれた。勇気の使い方を」
変化のリアクションで説明を押し、笑いで緩め、最後にちょっとだけ真剣にする。
いつか“伸びる共通項”をメモした僕が、今の僕に手を貸してくれている気がした。
20時30分。本文がまとまる。
推敲。誤字を潰す。余計な一文を削る。
行間を開けて、スマホ読みのリズムに合わせる。
あと100字、余韻の段落を足す。
――魔王が、はじめての有休届を提出した。
書けた。
20時55分。予約投稿。
21時ちょうど。掲載。
1
2
3
右上で数字が増えていく。
PVが跳ね、ハートが灯る。
「更新ありがとう!」
「今日も笑った」「泣いた」「勇者が勇者すぎる」
「魔王さま、よくやった」「有給は勝利!」
たった数行の文字列が、見えない誰かと僕の間に線を引く。
温度が画面越しに伝わる瞬間、眼の奥がじんとした。
そこへ、ひとつだけ長い感想が届いた。
〈読者F〉
「最近、仕事でつらくて、何もかも手放したくなっていました。
でも“休む勇気もパーティで学ぶ”って言葉、笑いながら泣きました。
そのまま、10分くらい泣いてました。
明日、上司に相談します。ありがとうございました。」
長文の最後に“!”はない。静かな句点だけ。
それが、逆に効いた。
僕は返信欄を開く。
何を書けばいいんだろう。
作家として正しい言葉。
人間として正直な言葉。
迷って、短く返した。
〈作者〉
「こちらこそ、読んでくれてありがとう。
休むのも、戦うのも、どっちも勇気ですね。
どうか、あなたの明日が少しだけ楽になりますように。」
送信。
胸の奥で、何かが小さくほどける。
しばらくして、DMがまた一件。
〈神様〉「そろそろ異世界行く?」
僕:「DMの使い方、お前ずっと雑だな」
〈神様〉「じゃあ質問。
“人気作家の朝”、楽しかった?
苦しかった? それでも、まだ書きたい?」
画面の向こうで、誰かが微笑んでいるような気がした。
僕は机の上の付箋を見つめる。
「毎日21時更新」――今は「投稿済み」に二重線。
その下に、書き足す。
「次回:第43話 休み方を忘れた賢者たち」
楽しかった。
苦しかった。
それでも――。
僕はゆっくりタイピングする。
「書きたかったんだ。……僕は。
たぶん、PVがゼロでも」
神様からの既読は、つかない。
けれど、もう大丈夫だと思えた。
リビングの静けさが、少しだけやさしくなった。
深夜。
画面を閉じる前に、作品ページの最下部に短い作者近況を書いた。
――ありがとうございます。
――更新は無理せず、でも止まりません。
――あなたの“読む”が、僕の“朝”になりました。
送信。
光がふっと弱くなる。
窓の外、遠くで新聞配達のバイクの音。
新しい一日が近づいてくる。
ベッドに潜り込みながら、もう一度だけスマホを見た。
PVの数字はさっきより少し増えていて、
でも、それは――――さっきよりどうでもよく見えた。
目を閉じる直前、頭の中に浮かぶのは、初投稿の夜の自分。
ブクマ“1”で小躍りした、あの無防備な笑顔。
「おやすみ、人気作家の僕」
「おはよう、ゼロからの僕」
――朝起きたら、また書こう。
――そう、その先の夢に向かって!
(了)




