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この作品には 〔ガールズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

あいぶえでん

作者: 灯村秋夜

 新作……じゃなくて三時間クオリティ。ネタとして考えてはいたんだが……


 ひとまず、どうぞ。

 宿屋に行くならどこがいいか。


 基本的には根無し草である冒険者の間ではよく噂になる、飯屋の次によく挙がる話題である。馬小屋を借りるもの、貸し部屋に住むもの、貴族の邸宅に縛り付けられるものなど、例外も多いが……基本的に、それなりに高い報酬を得てぱっと使うスタイルの彼らは、宿屋の値段にあまり頓着しない。


 ふたつを合わせて、併設された酒場や飯屋のメシが美味いところがいいという意見もある。そうかと思えば、美人の看板娘がいるからと足しげく通うものや、未亡人の女将さんが寂しくないようにと通うものもある。好みはさまざま、理由もさまざま、宿屋の数だけ通う人があった。


 そんな中、仕事終わりの酒場で、周囲の会話に耳を澄ませる女性がひとり。白いブラウスにコルセット、プリーツスカートに厚手のタイツ。どこからどう見ても、冒険者ギルドの職員、受付嬢の制服である。少しくせのある金髪を持ち上げるように、こめかみをぐいぐいと押す。それは、悩みがあるときのクセだった。


(どこなのかしら、「アイブエデン」って……)


 あちこちで聞かれる評判は、とてもよいものだった。曰く、天国にいるような心地で寝ることができる。曰く、切り傷や打ち身程度なら治してくれる。曰く、治療院では治らない痛みが取れる――冒険者ギルドの受付嬢であるエリンが「アイブエデン」を探しているのは、その「治療院では治らない痛み」のせいだった。


 腰が重くてだるく、目の疲れもある。治療院に行けば「治療の術では治りません」と言われ、薬師に相談すれば「相当かかる」と言われた。要するにたらい回しである。ギルドはそれなりに儲かっているが、だからと末端にまで金貨を支払う余裕はない。何よりも不満だったのは――


「説明されなかったのよね……」


 さまざまな力を持つものたちが、一攫千金を求めて冒険者となる。その関係上、アリンも術理についてはある程度知っていた。治療の術理は、肉を埋めてつなぎ、傷をなかったことにするというものである。それゆえに、治したい部位に肉があれば術理が通用しない。なくした部位が大きければ大きいほど魔力を大きく消費するため、腰が痛いからと肉をえぐり取るわけにもいかない。そこまでは、彼女の理解の範疇に収まっていた。


 薬理について、アリンは詳しくない。湿布や飲み薬を薦められたが、少々高額すぎた。年取ったらヤバいわよ、と先輩に言われた通りなら……この金額だけでは治らず、これがまだまだ増えていく、ということであろうか。今の給与が増えたとしても、日々の家計を紙のごとく薄くなるまで圧迫していくことだろう。


 早めに対処しておいた方がいい、と退職した年配の職員に言われていた通り、疲れは日々溜まっていく。目の疲れも腰のだるさも、ただ歩いているときでさえ気になるようになっていた。


 ウェイトレス……というには少々体格が立派すぎるララネルが、すすっと近寄ってきてアリンに訊ねる。


「どうしたのさ、アリンちゃん。あれかい、遠方でドラゴンが出たからかい」

「あれは、討伐されました。犠牲は払いましたけど……」


 王都から遠く離れたある山脈で、ドラゴンの目撃情報があった。空を飛び、口から炎を吐き、固いウロコは剣も徹さないという怪物である。王国軍が幾十人か犠牲になるかと思われた大事件は、しかし、冒険者ギルドが派遣したものたちによって解決した。


 白金等級、壮年の大男ゴルドーや稲妻使いの童女ラティーネを筆頭に、多数の冒険者たちが挑んだ。壮絶な戦いの末に、翼を焼かれたドラゴンは地面に墜落し、捕らえて食らいついたゴルドーに口の中を貫かれ死んだ。全身の骨が砕け、牙や爪で引き裂かれたゴルドーは、治療の甲斐なく命を落とした。たったひとり、絶望的な戦いを前にしたとは思えぬほど少ない犠牲で、戦いは終わった。


「じゃあ何かい、オトコかい?」

「男なら毎日飽きるほど見てますよ。ほんと、飽きるほど」


 冒険者は体力勝負であるため、七割がた男である。むろん、魅力的な男も少なくはなく、受付嬢を口説こうとするものもいた。そういった浮ついた男はさっさと死に、仕事ばかりのいかつい男どもが生き残っていく。厳しさを感じつつ、先輩たちの言っていた「あんな連中から選んではいけない」という異口同音の言葉は正しかったと、何度も確信させられていた。


「あの……ララネルさんは、「アイブエデン」ってご存知ですか?」

「ああ、ここにあるよ。あんた知らなかったのかい」

「えっ」

「そういや看板は出してなかったっけねえ。あっちの、階段と違う道のほう」


 宿屋の一階部分は酒場とカウンター、それに廊下やトイレなどの設備があり、安い部屋もある。客室はほとんどが二階・三階にあるため、これまで一階の空きに何があるか、あまり考えてこなかった。宿屋の設備か倉庫か、何かしらそれらしいものだと考えてはいたが、どうやら違ったようだ。


「それで、その……どういう治療をしているんですか? 魔法でも薬でも治らないのに、痛みが取れるなんて」

「ああ、確かにね。事情を知らない人が聞くと、そうなっちまうよねえ」


 まるで、難解な術理や細かな調合など必要ないのだ、と言わんばかりの口調。


「あたしもやってもらってるけどね、揉み療治だよ。もひとりいる方が、治療の術も使うんだけどね。あの子……「フウリ」は、揉み療治師さ」

「も、揉み……? それで治るんですか?」

「治るさ。あたしがギックリ腰やっちまったときも、歩けるまでにしてくれたからね。うちの部屋を間借りさせてあげてるからってことで、主人が頼んでくれたんだ」

「それは、すごいですね……!」


 腰を傷めて歩けなくなったものは、浮浪者か救貧院入りか、どちらかを選ぶことになる。その後十年も生きることはなく、死病や手足の欠損よりも恐ろしいものとして、ほとんど死と同義に扱われるほどである。


 それを覆すというのなら、「術でも薬でも治らない痛みが取れる」という看板に偽りはないのだろう。アリンは案内されるまま、夕食を終えてすぐの身でその部屋に入った。小さな治療院のような、ベッドと書の並ぶ簡素なつくりの空間だった。天井に据え付けた魔力灯が照らす中に、揺れる尻尾がひとつ。どうやら、机に向かっているものがあるようだ。


「あら、ララネルさん。お客さまですね?」


 振り向いたのは――


(び、美人! すっご……」

「この街には、長命の種族はあまりいないのでしたね」


 穏やかそうな翠色の垂れ目に、すっと通った鼻すじ、すこし炎に近い色の灯りのもとにあってなお、柔らかそうな陰影を保つ頬。みずみずしい少女のような、あるいは傾城の美姫のそれのような、不安定な蠱惑を宿したくちびる。同じ女であってさえ、嫉妬や羨望よりも先に澄み渡る感嘆に圧されるほどの、妖艶な美貌だった。


「狐族のフウリです。いらっしゃいませ、お客さま」


 しっとりした朽金色の髪と、ぴょこりと動く耳。東風の――サムライと言っていた荒くれではなく、クロコと名乗って顔を見せようともしなかった下男のような、やや粗末な服装。動きやすそうではあるが、狂おしい動悸をかき立てる曲線には似合わぬものである。見惚れているうちにララネルは部屋を出てしまい、フウリは背からさらりと音を出した。言葉を待つうちに、しぜんに尻尾が揺れたのだろう。


「あっ、えっと……私は、アリンです」

「アリンさま、ですね。ここにいらしたということは、どこか痛むところが?」

「あの! 治療院でも薬師のところでも、治らないって……」

「それでしたら、わたくしにも治せませんが」


 へっ、と間の抜けた声を出したアリンに「時間とお金がかかる、ではありませんでしたか」と微笑みかける。


「薬が効くにも、術が効くにも、理がございます。薬理も術理も、その場でご理解いただいて帰ることは難しいのです。ですから、ひとまず誰にでも分かる言葉だけ、その場で申し上げて……受けていただけるなら施す、そうでないならお帰りいただくのです」


 考えてみれば、治療院でも「ああ、そりゃいかんね」としか言われなかった。そういったものを治せる術師はいない、薬師に相談した方がマシだとだけ言われ、帰るようにと言われた。説明はされなかったが、術理を説いても無駄だと考えたのだろう。


「でも、ここなら良くなるって」

「ええ」


 すこしお話をいたしましょう、と女は話し始めた。


「魔術は……そう、新しい髪の毛をもう一度生やすようなものです。あなたのくせ毛、抜いてもう一度生えてきたら、まっすぐになると思いますか?」

「よくわかんないですけど、くせ毛のままなんじゃ……?」

「そうですね。術理は「先ほどと同じものをもうひとつ」と命じるので、長い時間をかけて傷んだものなら、それをもうひとつ作ってしまいます。痛みもそのままで」

「なるほど。それじゃ、薬の方はどうして」


 よくご存知でしょう、と小首をかしげる。


「毒消しや浄化などなど、さまざまな薬草があります。薬師の皆さまは、手元で栽培できないものを冒険者ギルドにお願いして、取ってきていただきます。高額にいたしませんと、もとは取れません」

「うっ……たしかに」

「薬理に基づきますと……そうですね、湿布に使う薬草もそれなりにお高いものですから。ここで痛みを取っておいて、損はしないと思うのですけれど」

「実家に、仕送りをしていまして」


 そうでしたか、とフウリの表情が揺れた。


「初めてのご来店ですから、すこしお時間をいただいてご説明をさせていただきました。揉み療治なら、魔術とも医薬とも違うかたちで痛みを癒せます。どこにいたしましょうか」

「じゃ、じゃああの、腰と……あと、目が」

「お早めに決断なされたのですね。すぐに済みます、こちらのベッドへ」

「はい……」


 術理や薬理の説明はすらすらと流れるようで、それなり以上の知識はあるようだ。しかし、だからと全幅の信頼を置いてよいものか。


「ああ、そうでした!」


 ぱんと小さく手を合わせたフウリは、小さなタンスから服を出した。


「もしお嫌でなければ、なのですが。施術着を身につけていただきますと、コルセットやボタンが気になりませんよ」

「ありがたいです、ぜひ!」


 ベッドについていたカーテンを閉めて、ゆったりしたパンツと東風の衣を身につけた。ありがたいことに、ひもが付いている……くるりと後ろに回して、腰のあたりでリボン結びに留めた。


「あらあら。どこかでお見かけになったのでしょうか、初めてで着られるなんて」

「そんなに難しくありませんよ?」


 では、と促されるままに寝転ぶ。中心がへこんだ枕にあごを載せて、組んだ腕でベッドを押さえ、胸の前を支える。息苦しくならないように、とのことだった。


「腰ですね……少しずつやってみましょう」


 女性らしい細い指が順々にたんたんと触れて、「そんなに凝ってはいませんが」とぐいぐい押し始める。背骨の横にある筋肉が、ぐっぐっと押すたびにやわらかくなっていく……まるで、ギュッと握りしめた拳を解いて、赤子の頬を撫でるような感覚。無意識に全力を注いでいたのかと思うほど、腰の肉は固くなっていたようだった。


 そのまま手は背中に移って、まっすぐ張ったスジを柔らかな肉に戻していく。少しずつ回すような押し方が心地よく、小さなため息が漏れた。


「このまま肩もほぐしておきましょう。すこし熱いでしょう?」

「お願い、します」


 固さとは違う、微妙な熱。これもどうやら「こっている」に分類されるようで、フウリはまるで板が入ったように固い肩を的確に押し、揉んでほぐしていった。力が入っているわけでもないのに、全力を出しているときと変わらぬ固さになること……これがどうやら「こっている」状態であるようだ。アリンは、ひとつ言葉を知った。


「脚の方はいかがいたしましょうか。お尻も?」

「で、できるんですか?」

「もちろんです」

「なら、そのまま……」


 尻の肉はそこまで固くはなっていなかったが、押されるたびに「ほぐれる」感覚があった。少しだけの痛みや圧迫感、そしてそれに続く心地よさと解放感。座り仕事は腰がね、と先輩たちは言っていたが、脚の方も肉が固くなってしまっていた。握ったり押したりでも心地よいが、静かに揺らすのもまた気持ちがよい。


 足首までくいくいと揉んでじゅうぶんに柔らかくなったところで、フウリは「それでは」と声をかけた。


「仰向けになっていただけますか? 顔を揉みほぐしますので」

「かっ、顔を!?」

「だいじょうぶ、人の骨を折るような力はございませんから」

「そ、そうですよね! すみません」


 板が入ったような肩もやわらかくなるのなら、顔がどうほぐれるのか。知らぬ身にはどうなるのか、想像もつかなかった。言われてみれば、指の動きは骨に沿っているようには感じるが、どうするのかは分からぬままだ。


 目を瞑ってください、と言われたままに目を閉じて、指を待った。


 たんたん、と優しくこめかみを叩いて、わずかな力で押すように撫で、肌と骨を揺らすように押している。先ほどと比べれば、かかっている力はとても小さかったが、手つきのやさしさのままに心地よさが流れていく。そして指は、目の周りの固いところを優しく押して、そのまま目の周りを一周するようになぞっていった。


「あの、目をほぐさないんですか?」

「目はとても繊細ですから、触ってはいけません。見えなくなりますよ」


 言葉は穏やかだが、彼女が理をわきまえていることはもう充分に分かっている。これもまた、事実なのだろう。質問の無意味さを悟らせるように、目に覚えていた妙なひっかかりが溶けていく。ほう、と思わず息が漏れた。


 髪の毛の上から頭を揉み、あごの横を回すようになで揉みし、あごの下をぐっぐっと押して、指が頬骨に当たった。


「ここから、すこし痛いかもしれません」

「そん――っあ、ちょっと痛い、です」


 頬骨の下に、何か固いスジが入っているように感じる。骨の上にある肉も、押されるたびに痛みを発して、まるでつつかれるたび毒を吐くカエルのようだった。自らの内にある毒ガエルを起こす時間が終わり、指はまた目の周りを優しく押す。頭を押していたときにもあった、何かが「流れていく」ような感覚が、また呼び起こされていた。


「はい、これでおしまいです。いかがでしょう」

「すごい……とっても楽になりました! 目も腰も……!」


 冷えた鉄のように固かった全身が、人の身のやわらかさを取り戻した――大げさな表現ながら、アリンはそのように感じていた。


「ところで、制服を着てらっしゃいましたが……ギルド職員、ということでよろしかったでしょうか?」

「ええ、はい。あっ、料金は」

「その前にひとつ、お伺いしたいのですが」

「なんでしょう、機密に反しなければなんでも!」


 しまった言い過ぎた、と言ってから後悔しているアリンの前で、女は伏し目がちに口を結んで、言うか言うまいか悩んでいる様子だった。ややあって、口を開く。


「……ゴルドーさまは、……帰ってこられましたか? 竜退治から……」

「ゴルドーさんは、殉職しました。ドラゴンが倒せたのは、あの人のおかげです」

「そう、でしたか。ほかの方は」

「亡くなったのはあの人だけです。竜退治で犠牲がひとりだけだなんて、……そうですね、記録上は“異例の快挙”――です」


 ええ、と微笑んだ女は、現実を知る者の顔をしていた。帰ってくるのを待つものは、親しいものを待つ。現実はそれを許さず、愛も絆も食い散らす。ただ一人の死なら、死なずに済んだ三十人以上は「現実」を突き付けられずに済んだのだろう。


「……料金でしたね。六千トルです」

「高く……安く、もない、微妙ですね?」

「揉み療治ならこのくらいです。おうちに帰るのもいいのですが、このまま宿屋に泊まっていっても構いませんよ。少し安くなります」

「そうですね……。すこし眠くなっちゃいましたし」




 感謝を述べて部屋から出ていくアリンに手を振ってから、フウリは灯りを消してカーテンを開け、空に浮かぶ満月を見た。


「また満月の日に来る、なんておっしゃっていたのに。日々変わるものに誓う人なんて、ほんとうに……あのひとみたいに、不実なんですから」


 頬に流れたものがひととき月を帯びて、夜闇に還る。


 それからしばらく、女は影のままであった。

 評判良かったら続ける予定。


 あと、皆さんの「ここがつらい」を教えていただければ幸いです、マッサージで何とかなりそうならネタにしますんで。揉み方もだいたい、文字通りにやっていただけるとけっこう効くと思います。

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