約束、は誰のために?
師範をはじめとする雄たちが下がっていく。
不安に感じられた時間は終わって、内心ほっとしたような、新たな気鬱が増えたような複雑な気分になったが、それはさておき――《風》神はほんとうにおぶってもらいたいのか、抱きついたまま離れない。
――俺の頭頂は、あご置きじゃないんですけど……。
「なぁ、《地》神」
「はい?」
「俺たち、ずいぶんと格好が悪かったよな?」
「……ええ」
ほんとうは師範に言ってもらいたかったことを、《風》神が口にする。
それは素直に同意できる事柄だったので、《地》神もうなずくと、
「お前、俺が格好悪いところを見せるのが嫌いだって知っているよな?」
「……ええ」
――むしろ、あなたの格好いいところを見たためしもありませんがね。
さすがにこれは言葉にはしない。
けれども《風》神がそういう性格をしているのは、重々承知している。それに関しては、なかなかしつこいのだ。
なので、つぎにつづく言葉はこの時点で何となく予測がついた。
「今度、あいつらに俺がどれだけ格好いいのかをちゃんと見せつけたいから、もう一回手合わせしようぜ?」
「手合わせ、ですか?」
「何も、このあとすぐとかじゃなくていい。お前の気が向いた、今度、でいいからさ」
「……」
今度――。
その言葉を聞いて、《地》神はすこしだけ黙る。
今度――。
たしかにその言葉は近しいうちに場を設けて、挽回できるものなら……と思えるものがあった。師範たちに今度こそ武芸の「型」をきちんと披露して、その上で《風》神を地面に沈めたい。
その言葉はむしろ自分のほうから、いつか、と願おうと思っていたほどだ。
――でも……。
自分にとっての、今度、とは。
たしかに訪れるだろうが、《風》神が考えている感覚とはほど遠い、しばらくは時間も要する先の話になるだろうと自覚するものがあった。
――ここしばらく、《火》神を見ていない。
《火》神はふたりとおなじく「竜の五神」の一席に座し、《地》神とはおなじ大地神。そして《地》神にとってはかけがえのない従神でもあるのだが、その彼はいま、そばにはいない。
幾日か前までは、彼は《地》神の肩に容易く乗れるほどの小さな姿をして、まるで幼い竜のように「きゅう」と鳴いては四六時中甘えていたが、ある朝、目が覚めると炎のような鱗を持つ竜の姿はどこにもなく、それきりだった。
低速ではあるが翼を持ち、空を飛ぶことができる翼竜の《火》族――その族長である《火》神。
彼は「竜の五神」のなかでは唯一、一度も人化を遂げてはおらず、誕生してからは竜化の姿のままで過ごしている。大きさは自在で、山のように大きなときもあれば、《地》神の肩に乗れるよう小さな姿で過ごすこともある。
本性が自然そのものである竜族にとって、人化も、竜化も、半人半竜の姿も、どれも「個」を可視化する姿にすぎないので、《火》神がどのような姿で過ごそうと気にする者はいない。
むしろ、可視化のなかではもっとも彼が竜族らしく、「竜の五神」を体現しているのかもしれない。
その《火》神は、人化である《地》神たちとは異なって居宮を持たない。
かわりに、灼熱の溶岩流がつねに渦巻き噴き出す巨大な溶岩湖をねぐらとしていている。
彼に従う《火》族も、竜化であれば一切合財の面倒を見る必要がないので、雄も雌もほとんどがおなじ竜化をしているか、本来の姿である炎となって片時もそばを離れずにいる。
――標高ある山の斜面には恐ろしくも美しい溶岩が絶えず流れ、まるで滝のよう。
彼らはそんな火焔の絶景ともいえる島に、身を置いているのだ。
――そして、それは。
逃れることのできない《地》神の宿命がはじまる合図でもあった。
大陸創成に必要な莫大なエネルギーは、《火》神が溶岩湖のねぐらで蓄えている。大地の核となるものを一気に噴出させる期を伺っているのだ。
じつをいうと、大陸創成は、大地主神である《地》神が期を計って命じているのではない。
ある日突然、莫大なエネルギーを放出する《火》神の大噴火によって始まる。
これはどちらかというと《火》神の本能で、そのエネルギーを即座に捉えて《地》神が大陸を創成していくのが彼ら大地神の一連の動きだった。
両者の関係は「個」であり、「主従」でもあるのだが、実態はほとんど表裏一体でもある。
――その基盤となるエネルギーを、《火》神が蓄えはじめたということは……。
近いうちに自分も大陸創成に向けて、動かなければならない。
同時にそれは、海洋に突如と巨大な大陸を創成しようとする大地神たちを好ましく思っていない《水》神との衝突が避けられない、戦争へ突入することを意味している。
だがそれは、《地》神が一方的に嬲られるだけ。
《水》神は「竜の五神」最凶の力を持ち、いつだって一撃粉砕の威力を持つ大津波を起こして、《地》神が心血注ぐ大陸を悉く破壊してしまう。
いつもそうだ。
一方的に、圧倒的に蹂躙されて、大敗北をする。
――そんな勝ち目のない戦争が、また始まる……。
無論、今度こそ《水》神に負けぬよう堅牢な大陸を創りたい。
いつだってそう思って、取り組んでいる。
最初から負け戦をするつもりなど、毛頭ない。
けれども、自分にいったい何が足りないのか、成す術がないのだ。
――そして、その代償はいつも《地》神が負う。
創成する大陸とほとんど同調連鎖をしてしまう《地》神は、大陸を破壊され、沈められるたびに自身の身体に地割れが起きて、ぼろぼろと乾いた土のようにそこから崩れていく。それで死することはないのだが、敗北すれば《地》神はかならず五体満足から遠のいて、しばらく寝込んでしまう。
なので、《風》神と近いうちに武芸の手合わせをするという約束は、できるが果たす日がいつになるのか、想像もつかない。
「《風》神、俺……」
これを前もっての理由にして、今度、の約束を、いつか、にしてもらえるだろうか。
そこまで先延ばしをしたら、《風》神の武芸に対する興味は失せるだろうか。
それとも、いつもどこか尻込みする理由を口にする自分に、また揚げ足でも取るだろうか。
けれども、この場で約束をして、なかなか果たせずに悶々とするよりはきっとましだろう。
そう思えて、《地》神は近く大陸創成に向けて動かなければならない事実を告げることにする。
――結局俺は、いつもこうだ……。
できる、できない、ではなく、いざ何かをするための自信が持てず、感情で予測を結論としてしまって、結局はそれを辿ってしまうのだ。
「……ふぅん」
《風》神の感想は、ただそれだけ。
自分の性格を知り尽くしているだけに、またか、というていどの声音だった。
彼がつくため息が、まるであきれてものも言えぬふうに聞こえたのが辛い。
だが、
「《地》神は、俺とやり合うのが面倒だから、適当な理由をつけているわけじゃないんだよな?」
などと問うてくるので、《地》神はあわてる。
「そ、そんなわけないじゃないですか! 俺だって、今度はちゃんと手合わせしたいですよ!」
「へぇ? それって――、俺のため? それとも師範のため?」
「そ、それは……」
比重でいえば、どちらに対しても期待どおりの動きをすることができなかった。申し訳ない気持ちがあるだけに、両者にはもう一度機会をいただきたい。
だが、どちらか選べと言われたら、どちらにかたむくのだろうか。
――俺は……。
問われてすぐに返答できずにいると、《風》神がまっすぐ答える。
「俺はおまえと楽しみたい。今度はあの格好いい蹴り技で、お前を彼方まで吹き飛ばしたいからな」
――根に持っているなぁ。
「あと、師範が見せてくれた、あの拳も格好いいからな。あれもきめてみたい」
「……夢を語るのはいいですけど、俺に当たるとでもお思いですか?」
「コツはつかんだから」
対する相手にきめ技となる手札を明かすとは。
深くを考えない《風》神に、つい《地》神は小さく笑ってしまう。
だが《風》神は、どこまでも《風》神だった。
「ま、今度までお前の身長が伸びるわけでもないし。そこは大目に見てやるよ」
などと言ってくるものだから、いつまでも自分を背から抱きしている《風》神に、《地》神は一瞬で怒りの沸点に到達する。身体は感情のまま動いた。
「あなたという人は……ッ、何でそこで上から目線なんですかッ!」
「おわッ?」
叫ぶと同時に、《地》神は《風》神の腕を取って背負い投げをしていた。
今度は完全に条件反射だったので、《風》神は配慮も何もなしに地面へ投げ落とされてしまう。
「……いってぇ……ッ」
「ふん」
興奮に気づかいも荒くなった《地》神が、深紅の瞳で地面に倒れた《風》神を睨みつける。
「よぉ~くわかりました。今度、は近々と約束しますよ! たとえ腕一本になったって、あなたなんか簡単にこうしてやりますからね!」
「……はッ、言うじゃないか」
「いま、この場で踏みつけられないだけマシだと思ってください」
「上等じゃねぇか。この、非暴力反対主義者めッ!」
「不当な暴力はあなただけ! たったいま、きめました!」
さすがにこれは予期していなかったので、《風》神は完全に打ちつける場所はすべて地面に打ちつけて、立ち上がろうにも動けなくなってしまった。興奮冷めやらぬ《地》神に、口で返すのが精いっぱいだった。
――いまコイツに放置されたら、俺はいったいどうなるのか……。
などと思いながら、だらり、と両の手足を伸ばして大の字になる。
「……で?」
「で?」
「お前は誰のために、今度、を約束してくれるんだ?」
《風》神はまだ問うてくる。
ほんの先ほどまでそれは浮かばぬものだったが、いまは不思議とこうだと言えるものがあった。
「俺は――」