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おどろいて、吹き飛ばした代償は……

 気がつくと、ずいぶんと集中して《(ふう)(じん)が取り組む武芸のようすを見ていたようだった。

 ふっ、と気がつくと、周囲には《風》神の集中を切らさぬよう、けれどもその動きを丹念に見やっている《()》族の雄たち……竜騎兵や竜騎士が群がりながら、わずかに離れた場所から見物しているのが目につく。


――見たその場で模倣ができるとは。

 ――動きは速いが、体幹がすこしぶれているな。

 ――長身が見せる足さばきは、見事なものだ。

 ――非礼は承知だが、一度は手合わせしてみたいものだ。

 ――いや、若さまと手合わせするところを見てみたい。

 ――たしかに、おもしろそうだ。

 ――気まぐれで終わると思うと、残念だな。


 注視する目的はそれぞれだが、誰もが簡単には目を逸らすことができずにいる。


 ――何せ、目の先にあるのは「(りゅう)五神(ごしん)」だ。


 他の部族の族長が《地》族の雄たちが考案した武芸に興じるのは、あまりにも名誉なこと。

 普段から明朗快活な彼を知るだけに、多くの衆目など露ほども感じずひたすら師範が教える「型」どおりに動くようすは、正直なところ、彼にそのような集中力があったのかと驚愕するが、真剣な表情のなかにも楽しげなようすを見せる《風》神を見ていると、不思議とこちらの表情も綻んでしまう。

 幼いころは「兄さま」と呼んで慕ったこともあったが、いまではすっかり辟易することが多い彼を見ても《()(がみ)がそう思うのだから、雄たちの視線の入れ込みようは相当なものだ。

 傍に侍る女官たちの視線も相当なもので――ただし、彼女たちの熱意は雄たちとはかなり意味合いがちがうようだ――、《地》神は小さく笑ってしまう。

 ふいに、ばさり、と宙に高く放り出される幕のようなものが影を作り、大きく揺らめいた。かなり熱心に武芸に勤しんでいたせいで熱くなったのか、《風》神が上質な羽織を脱いで投げたらしい。

 声を抑えて、《風》神を見やっていた女官たちはついに禁を破ってしまい、黄色い声を上げてしまう。

 普段はたおやかな彼女たちに、そんな浮ついた声が出せるとは。

 何だかなぁ、と思い、《地》神は大きく息を吐く。


 ――さて。


 今日はもともと、武芸に長く時間を取るつもりはなかった。

 すこし身体を動かして心身をすっきりさせて、居宮の周囲に広がる花園の手入れに集中しようと思っていた。

 この調子でいけば、師範たちが彼の興味が尽きるまで相手をしてくれるだろう。腹が減った、湯浴みをしたい、と口にすれば、女官たちが率先して世話をするはずだ。

 花の手入れをしたあと、森の一角に与えた鳥たちの巣を見やって、それから……と、《風》神の武芸を見やる集中力が切れた《地》神は、本来予定していた物事をすすめようとにぎわう中心に背を向ける。

 足を一歩前に、そのつぎの一歩を出そうとしたときだった。


「――おいおい、俺を放ってどこに行くんだよ?」

「!」


 突然、肩をつかまれて《地》神は、びくッ、とした。

 この《地》族ばかりの土地でそれを平然とできる者は、誰もいない。

 族長である《地》神と部族の者たちの距離は近いが、敬意と礼儀、節度は重々心得られている。


 ――それを破るとは、いったい……ッ。


 気安く、無礼な。

 などと矜持の高い意識は持たないが、先ほどまで武芸の鍛錬に励んでいたせいか、滅多にはないくらいに《地》神の反射神経は攻撃的になっていたらしい。

 普段であれば、おどろいた心臓を早鳴らせて、「何ですか!」と少々声を上げて振り返るに留まっただろうが、《地》神はふり返るより先に肩をつかむ手を取って、もう片方の腕、その肘を曲げて、身体を大きく反転させながら水平に振る肘を強調させて当てに出た。

 それは、肘をかるく上げて相手を邪険に払う、……などといった動作ではすまない威力を含んでいた。

 振り向きざまに肘の威力で相手を確実に吹き飛ばそうと思ったので、自分の肩に触れている手を限界まで押さえて、肘打ちが入る瞬間に離す。

 身体が反転し、背後が視界に入った瞬間、《地》神はようやくのことで「ここ」には《風》神がいたことを思い出した。

 何でもかんでも自分に気安いのは、彼しかいないというのに……ッ。


 ――……ッ!


 しまった、と深紅の瞳が驚愕で見開いたが、――遅かった。

《地》族の力業は「竜の五神」のなかでも桁違い。

 しかも速度を伴った肘打ちは、凶器でしかない。

 胸元に《地》神のそれが直截入った《風》神は一瞬、自身の身に何が起こったのかが理解できず、《地》神とはちがった意味で驚愕に片眼を見開かせながら、《地》神と目が合った瞬間には後方はるかに吹き飛んでいた。


「《風》神ッ!」


 ――ああッ、俺は何てことを!

 ――《風》兄さまを吹き飛ばすだなんてッ!



《地》神はあわてて叫び、《風》神めがけて走る。

 つぎの瞬間には激しく尻を地面に打ちつけるか、あるいは背面を激しく打つかのどちらかだろうと思われたが、《風》神は倒れる刹那に片足のつま先でかるく大地を蹴って、その身を大きく宙に上げて一回転させる。

 ふわり、とふたたび地面に足をつけたとき、長衣姿だった彼は動きにくさを体感したようで、脱ごうと腰帯に手をかけていた。

 一方で、まさかの宙返りに周囲の雄たちは驚嘆の声を上げていたが、ふたりの「竜の五神」の耳にはさほど届いていなかった。

 刹那に驚愕したようすを見せていたそれは、目の前に上等な獲物を見つけた猛禽のように鋭い眼光を帯び、《地》神を()だと確定させて凝視している。


「す、すいませんッ! その、びっくりして、つい!」


 怪我はしていないだろうか?

 あの肘打ちの威力に直截当たったというのに、何て軽い身のこなしなのだろう。

 感心する一方、だが謝罪を優先に声をかけたが、《風》神はわざとらしくため息をついてくる。


「やっと俺におどろいてくれたのはけっこうだが……お前、俺の行動パターンはお見通しじゃなかったのかよ?」


 長衣も前開き部分に指をかけながら、《風》神が嫌なふうに口端をつりあげてくる。


 ――そう。


 それは先ほど自分が彼に向けて放った言葉だ。さっそく、揚げ足を取るのが上手い《風》神の先手に使われてしまうとは……。

《地》神は、油断がこんなにも気恥ずかしい餌になるとは思っていなかっただけに、どこか悔しげな表情を浮かべる。


「そ、それは……時と場合ですよッ」

「へぇ? 時と場合で、お前は、おどろけば誰かまわず吹き飛ばすのか」

「いや、だから、そういうつもりはなかったんです!」

「お前もやればできるじゃないか、――ええ? 《()(チビ)


 これは誉め言葉ではなかった。


「くッ」


 卑屈に自分を責めることはあっても、言い逃れなど、《地》神はほとんど口にしたことがない。後者を簡単に口にしたことを、《風》神は揶揄しているのだ。

 ははッ、と面白そうに自分を見下ろしてくる《風》神の眼光は、もうこれではすまない色を浮かべている。


 ――く……っそおぉッ。


 彼はすでに長衣まで脱ぎ捨てていた。

 何てことはない脱衣なのに、目の当たりにした女官たちの黄色い声は、ある種衝撃波のように歓喜を上げる。

 簡単に被るだけのシャツに、長い脚が際立つスラックス姿。

 できるかぎりの軽装になった彼を見て直感するのは、ただひとつ。


 ――《風》神……まさか、調子に乗って手合わせしようだなんて思っているんじゃ……。


 その直感はすぐさま現実のものとなった。

 ちらり、と《風》神ではなく、先ほどまで彼に武芸の「型」を教えていた師範を見やると、半人半竜の彼は爬虫類のそれによく似た眼を悪戯っぽく光らせている。

 それが何を意味するのか。《地》神は瞬時に悟った。


 ――はぁ?


 彼から目を離した隙に、たぶん《風》神から口を開いたのだろう。ひとりで武芸の「型」をひたすら動くより、対面で動いてみたい、と。

 そして、以前から《地》神の性格……気質に何か風穴を開けて、自身を軽んじる癖をどうにか治したいと思っていた師範と、思惑が一致したらしい。

 その申し出を、師範が許可しないわけがない。

 きっと二つ返事だったのだろう。


 ――それは大変、おもしろいことでございますな、と。


 そしてさっそく《地》神を誘おうと、この場から立ち去ろうとしていた足を引き止めようとして、吹き飛ばされて――これは《風》神にとっても想定外だったはず――、結果として彼に有利な状況になった。

 この推測は、ほとんど正しい。

 師範の瞳の色からは、「楽しんでください」と応援のような、冷やかしのようなものが含まれている。


「えッ? ちょ……ッ、待ってください! 俺、そんな!」


《地》神はあわてて、拒否、の手ぶりを向ける。

 たしかにここ最近は、武芸にもそれなりの真剣さで取り組んできた。

 だがそれは、あくまで身体を動かす運動の一環で、それ以上の意味を持って勤しんではいない。

 習う動きはほとんどひとりのそれで、対面はほとんど経験したことがない。


「俺! 力加減とか、そういうのがよくできないんです!」


 相手の身体に向けて、手も足も躊躇せずまっすぐ伸びるようになったが、当たってしまったらどうしよう、怪我をさせたらどうしよう、と、どうしても配慮が優先して、気迫が衰え、竜騎兵や竜騎士の雄たちが真剣に対面でやり合っているような威力も技も満足には会得していない。

 対面はどうしても暴力ごとのように思われて、何事も怯んでしまうのだ。

 だが《風》神にとってそれは、おかまいなしの事情で、一朝一夕を短縮させて覚えた技を相手に向けるのに都合のいい事柄だった。


「安心しろ、《()(チビ)。さっき習ったばかりの俺が、以前から修練しているお前に勝てるわけがないだろ? 俺はただ、やってみたいだ、け」


 奇妙な区切りの語尾を聞くかぎり、これは嘘だ、とすぐに見抜けた。

《風》神は《地》神の性格をよく知っている。

 いまでこそ口だけは達者に言い返すようにもなったが、それは口だけ。

 幼いころからどうしても自分に自信が持てない《地》神が、武芸であろうと他人に手を上げることは絶対にできないと、すでに核心をついている。

 それなら、いま、武芸を知った素人にも勝算は充分にあると見込んでいるのだ。《風》神は。


 ――この人の、こういうところに腹が立つんですよね……ッ。


 ぐっと拳をにぎった瞬間、《地》神はここぞとばかりに本気で地面に叩きつけてやろうかと、魔が差す。

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