即席、演舞
「ああ、武芸のことですか?」
「ぶ……?」
彼にとっては聞きなれない言葉なのか、はて、と小首をかしげてくる。
ヒトの感覚でいえばすでに二〇代も前半だが、彼はときどき少年期の名残のようなしぐさをしてくる。
だが、と《地》神は思う。
――聞きなれないのはきっと……。
彼は《風》族の雄たちの、……竜騎兵や竜騎士の盾のような護りを必要とはしない存在だからだ。
――族長は、文字どおりその部族にとっての長。
「竜の五神」という絶対的な存在でもあるため、力においては部族でもっとも秀でている。破格に、桁違いに。
そして、部族を護るために存分に力を使うことがあっても、自分を護らせるために雄たちに力を使わせることは、彼にはまず経験もないことだろう。
――本来、部族の族長とは。
それくらいに、圧倒的な力を有しているのだ。
なのに、俺は……と、《地》神は無意識に表情を陰らせてしまい、あわててそれに気がついて頭を振る。
それを《風》神の眼光鋭い片眼で見られているとは気づかずに、
「ひょっとして、やってみたいとか、そういうことですか?」
問うと、
「それって、俺にもできることなのか?」
「え……とぉ」
見覚えの速い《風》神ならば、真似事であればすぐにやってのけるだろう。
だが、ちゃんと「型」の手順に沿ったそれをしたいというのなら、さすがに一朝一夕では無理だと思う。
さて、どちらだろうと思ったが、それは彼の顔を見て確認するまでもなかった。
《風》神の興味は前者だった。
片眼が興味を向けたのは、《地》神ではなく、目の前で膝をついている師範格の雄だった。《風》神はそのまま、ちょいちょい、と《地》神の肩を指先で叩いてくる。
それはちょっかいというよりは、《地》族の師範に直答を許してやってほしいという合図だった。部族の雄たちは自身の族長にはそれができるが、他族の族長には礼儀としてそれができない。
誰かがそれを、「竜の五神」たちがそうと定めたわけではない。
敵わぬ風格や存在感が、自然とそうさせているのだ。
「いちいち《地》神を間に挟んでの会話じゃ、日が暮れる」
「俺にとっては、いちいち腹が立つ言いかたですね」
「だろ?」
と言って、
「だから、お前抜きで話がしたい」
――なるほど。
察するに、今日の彼の暇つぶしの玩具となるのは自分ではなく、師範というわけか。これは大役にもほどがあるな、と思えたが、武芸に興味を持ったのならばたしかに適役だ。自分が説明しては理屈ばかりで、認めるのも腹立たしいが、日も暮れるだろう。
《地》神としては、このまま自分が野放しにされるのは一向にかまわなかったので、
「……すいません、彼の相手を」
と言って、直答の許可を与える。
正確に言うと、《風》神の面倒を彼に押しつけた。
師範はそれに酷く恐縮して震え上がったが、《風》神は礼節をまったく気にしない持ち主だったので、会話がはじまってしまえば必要以上に緊張をつづけることもなかった。
師範は《風》神が望むものに応じて、それだけを的確に話す。
理解しているのか、いないのか。
《風》神は、ふむふむ、とうなずき、そして、
「――御前、失礼いたします」
と言って、師範は実際に簡単な「型」を見せはじめる。
その途端、《風》神の片眼は少年期に戻ったかのようにキラキラとかがやき、「おおッ」とか「すご……」と驚嘆の声を漏らしはじめた。
師範が速度を持って動かす腕さばきや、片足を軸に身体を回転させて、素早く身構え、高く脚を上げるようすを見て、すぐさま真似をしようと隣に立って、身体を動かしはじめる。
《風》神は調子がいいぶん、隔たりなく隣人の懐に入るのが極端にうまい。
一見さえすれば、大抵の物事はおぼえられる。
師範の動きもだいたいは真似事で掴んだようすだが、さすがに動きは雑味が混じっている。これは素人の見解で、真似事の限界だ。
――それでも……。
《風》神が機敏に腕を伸ばし、脚を蹴り上げる姿は奇妙な風雅さがあった。
長衣を着て、飾りの腰帯がつど揺れて、大きく腕を動かし、身体を回転させるたびにゆったりとした羽織も揺れるので、それが動きの味わいとなって見せているだけかもしれないが、彼こそ動けばまるで演舞のようだと、《地》神は思ってしまう。
真剣な表情のとき、彼は不思議な色気を発する。
それに中てられたのか、傍らにいた女官たちが声なき黄色い悲鳴を上げて《風》神に熱いまなざしを送っている。
――女官たちだって、《風》神とはすでに何度も面識があるはずなのに。
身のこなしはすっきりとしているが、竜騎兵や竜騎士たちのような実戦向きの重量感がある腕の振りや、脚の蹴りに威力を感じるようなさばきは《風》神にはない。
速度で挽回しようと動かしてもそれはやっぱりどこか雅で、演舞だ。
ほんとうに彼はそつなくこなしてしまうよなぁ、と思えて、《地》神は目が逸らせなくなってしまう。
――やっぱり、《風》兄さまはすごい。
単なる関心が、幼いころに感じていた尊敬を思い出し、《地》神は知らずあのころ彼を呼んでいた名でつぶやいてしまう。
そんな自分がいた。