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たぶん、嫌ではないが

「はッ!」

「やぁッ!」


 晴天の下、広場にひびくのは武芸の鍛錬に勤しむ雄たちの、精悍でキレのある声だった。

 攻撃として素早く伸びる腕。

 防御として素早く護りの型を取る腕。

 動きは機敏に、躍動感にあふれて。

 蹴り上げる脚は力強く、それでいてしなやかで。

 竜族の雄たちは総じて半人半竜の成竜で、背丈はヒトの感覚でいえば200センチを平均とし、いずれも恰幅がよく、爬虫類と擬人を混ぜた容姿は異形にも見えるが、鋭い双眸の色は穏やか、気風に明るく優れている。

 とくに《()》族たちは身体能力に優れ、竜騎兵や竜騎士として族長を護る雄も、その族長の一切合切の面倒を見る雌――雌は完全な人化をしており、女官と呼ばれている――も機敏に恵まれている。


「はッ!」


 そのなかで、彼らよりひと回りほど小柄な若き青年が天に蹴りを突く勢いで脚を振り上げる姿があった。

 若き青年は、見た目の年は一八か、そこら。

 ヒトの感覚でいう「成人」を目前に控えた完全な人化で、髪は黒曜のように黒く、瞳は深紅、すらりとした体形は爽快さに溢れている。容姿は知的に秀麗で、一見して非の打ち所がない。


 ――そんな人化の姿を有するのは、竜族の各部族のなかでは族長のみ。

 ――その族長は、「(りゅう)五神(ごしん)」と呼ばれる一席に座している。


「はぁッ」


《地》族族長である《()(がみ)は、蹴り上げた脚を下ろし、目を閉じてゆっくりと息を吐く。

 額から流れる汗の雫は光の珠のように美しく、女官たちが拭う布を差し出す前に、頓着なく着ている上着の肩もとで拭いあげてしまう。


「――若さま、ずいぶんと英姿颯爽な動きとなってきましたね」


 周囲の半人半竜の雄たちに武芸を教えている師範格の雄が、女官たちに用意された冷たい飲み物を飲み干す《地》神に楽しげに声をかけてくる。

 手でかるく口元を拭い、ようやくのことで息を吐いた《地》神はすこし照れ臭そうに笑い、


「そう言ってもらえると嬉しいです。でも――すいません」


 本来、《地》神が好戦的な性格であったら、武芸に優れた師範ももっと厳しく、だがやりがいを感じながら教授できただろうが、《地》神が動きの教えを乞うたとき、それは「武芸」を達するのではなく、あくまで身体を動かして心中をすっきりさせたいという意味合いが強く、それ以上は求めていない。

 武芸に近く、だがそうではない自分の動きに《地》神は詫びる。


「せっかく型を何度も教えてもらっても、俺が動くと運動のような手足の伸びでしかなくて、……何か、みっともないですよね」


 あはは、と笑いながら頬を掻くと、師範は小さく頭を振り、


「さようなことを申されますな。若さまがそうだと仰るのであれば、それは武芸ではなく、演武……いや、演舞のように大変優雅とお見受けしております」

「演舞、ですか?」

「はい。せっかくの稽古を舞いと例えるのは失礼でしょうが、若さまはひとつひとつの動きに真剣に向き合っておいでです」


 その眼差し、動きに対する心の姿勢、動きに対する身体の姿勢。

 どれをとっても粗雑なところがひとつもなく、迷いのない毅然として表情は、気がつけば見惚れるほど目を逸らせなくなると、師範が言ってくる。

 それからすぐに、おお、と何かを思い浮かべたのか、ぽん、と手のひらを打ち、


「どうです? 今度は演舞として正式に着飾って披露されるのは。若さまは大変美しゅうございますから、見ごたえ、見栄えもございましょう。よろしければ、そちらを集中的に稽古されては?」

「ええッ?」


 純粋に褒められていると思うと《地》神は気恥ずかしくなるが、周囲の雄たちも何事かと話に興味を持ち、楽しそうに寄ってくるので、多勢に口を出されては何だか話も急展開しそうだ。

 それにはあわてて頭を振り、


「いや、そんな。俺はただ、身体を動かせればいいなって、それだけのことでやっているだけで……」


 ――人前で何かをするなんて……。


 それは一端に浮かれているように思えて、自分には不似合いなような気がする。


 ――俺はまだ、一人前でも何でもないのだから……。


《地》神は差し出された布で顔を拭うふりをして、途端に陰る表情を隠す。

 このように誰に対しても物腰が柔らかく、つい丁寧な口調になるのは《地》神の性格で、部族の雄や女官たちはそれをよく心得ている。

 一方で、部族の誰もが族長のことを「若さま」と呼ぶのは、《地》神は誕生のころから人化しており、乳幼児――竜族なので、乳幼竜ともいうべきか――のころから部族たちが愛情をこめて育ててきたため、その名残はいまもつづいている。


 ――同時に。


 一見すれば非の打ち所がない、爽快感溢れる若い青年だが、《地》神は言葉の端々に自身を軽んじる、あるいは卑屈に捉える言動をすることがある。

 部族の者たちはそれも重々に心得ている。


 ――愛しい「若さま」は、いつまで経ってもそこから脱却ができずにいる。


 口にするのはあまりにも不敬だが、《地》族が何より案じているのは、族長の()()だった。

 あまりにも長い幼年期からようやく成長の兆しが見えて、さらに長い年月をかけてようやくいまの姿にまで成したのだが、本来《地》神がすべきは自身の成長ではなく、果たすべき大陸の創成。

 だが、それはいまだに成されていない。

 大陸はいまも満足に創成することができず、形成できたとしてもかならず《(すい)(じん)と衝突してしまい、悉く彼に破壊されて、沈められてしまう。

 そのせいもあって、あとひとつ、成しても成さずともいいから、何かを脱却すれば自信も持てると思うのに、《地》神は青年期に差しかかったいまも気鬱にうつむくことのほうが多い。

 それでも見護るか、それとも恐れながら導くか。

 見かねた師範が、


 ――身体を動かしてみてはどうです?


 と誘ったのが、《地》神が武芸の動作を真似るようになった発端だった。

 幼いころより《地》神がそれを嫌っているのは、誰もが知っている。

 けれども「型」のとおりに動くのには集中力が必要で、これは心の鍛錬にも通じている。学べば何かにつながるかもしれない。

 武芸よりも手ずから園芸に勤しむほうが性に合っている《地》神は、その申し出に何度も頭を振ったが、


「ひとつの動作でも、一連の動作でも、所作ひとつ疎かにすれば何も成さないのが武芸です」


 無理強いはしないが、気息を整えるには最適な運動です。

 そう言って何度とやんわりと誘い、何度も頑なに頭を振って年月が経ち、それでも《地》神も青年期に差しかかったころ、誰もが驚愕するような気まぐれで、これまでけっして近寄らなかった鍛錬の場になっている広場に顔を出したのがはじまりだった。



□ □



 最初はひとり、気恥ずかしそうに師範から武芸の心得や「型」を学んでいた《地》神だが、素直になれない心とは裏腹に呑み込みは早く、上達を実感するたびに表情が綻んできらめき、武芸は変わらず嫌いだが、身体を動かすのは存外嫌いではないかもしれない、――そう思えて、師範を訪ねる頻度が増す。

 それには師範も、日ごろから鍛錬に励んでいた竜騎兵や竜騎士の雄たちも喜び、ともに修練をくり返す。

 女官たちも新たな成長……そう、《地》神の心の成長を感じながら見護り、「型」が上手くできるたびにこれ以上ないくらいの喜びをあらわにした。


 ――そう、《地》族族長の若さまは、これでいい。

 ――無理に、急速に「竜の五神」としての務めを果たさなくてもいいのだ。

 ――我々《地》族はこうやって自身を形成し、そうして大陸を創成していけばいいのだから。


 最初は黙々とひとりだけの動きであったが、いつしか対面が現れ、攻防の動きを学ぶようになって、躊躇って鈍く「型」から外れた拳の動きも、いまではまっすぐ伸びるようになった。

 一度だけ、


 ――楽しい。


 そう口にしたこともあったが、急に態度を変えたような物言いは尻軽かもしれない、と《地》神は自身を戒め、以降はそうと口にしたことがない。


 ――何かを成さなければ、口にすべきではない。


 あれほど嫌っていた物事を楽しいと思うとは。

 だめだ、浮かれてはならない。

 本来これは心身を鍛えて、修練に満足感を得るものではない。

 いまだ役目を果たすこともできない、出来損ないの族長を護るために考案された、盾となるべき動作のひとつにすぎないのだから……。

《地》神はそうやって自らに暗示をかけて、自身に足枷をかけて、逆に心に重みをかけていく。


 ――だが、そういうときにかぎって現れるのだ。


 彼が。


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