夢の中
まただ、まただわ……またあの夢を見た…。
とあるアパート。そこに暮らす女は、ベッドから体を起こして額に手をやった。
彼女は数ヶ月前からある夢を見るようになった。それは目覚めたときに思わず「すごくリアルだった……」と、呟いてしまうほど内容も感覚も現実に近しいものだった。
それを毎日のように見るものだから、彼女はこれが何かの予兆、つまり予知夢なのだと確信を抱いた。
しかし、最近ではそれに対する自信がなくなってきた。と、いうのも夢で見たことが現実でまったく起こらないのだ。もっとも、彼女は普通の会社員で、これまで生きてきて事件めいたことに遭遇したことがない。彼女が見ている夢の内容も平々凡々であり、同じ毎日が繰り返されているようだった。当人も最初こそは現実に起こる事件を夢で予知し、未然に防ぐなどといったドラマチックな展開を期待していたものの、今はすっかりその気は失せていた。
それでも、現実とよく似た夢の中だからこそ、できることがある。普段は頭が上がらない上司への反抗や犯罪行為など大胆なことだ。しかし、やるぞと意気込んで眠りにつくものの、陽射しのぬくもりや風が肌を撫でる感触、人の匂い、それらがあまりにも現実的すぎて、彼女が夢の中であったことに気付くのは目覚めた後だった。
そのうち、今これは現実と思い込んでいるだけで、実は夢の中なのではないかと思うことがあり、ゾッとした彼女は、ますます大胆なことをする気が起きなくなってしまった。
それでも一応、予知夢の類だと考え、新聞やニュースを見たり、競馬の結果を調べてはみるものの、目覚めたときには忘れてしまっている。こうも都合よく行かないのも、ある意味現実的だと感じ、肩を落とした。この現象を有効活用する術も思い浮かばず、ただただ翻弄される毎日が続いた。
一人で悩んでいては駄目だと思った彼女はある時、高校時代からの友人に会って、この件を相談することにした。ちょうど向こうから久々に会わないかと連絡があったのも背中を押されている気分になった。
「久しぶりー!」
「久しぶり! 元気してたぁー?」
仕事の都合で予定が合わず、久々の再会となったが、友人の以前と変わらぬ態度に彼女はほっとした。
友人に誘われ、彼女が普段なら入ろうと思わない洒落たレストランで料理に舌鼓を打ち、思い出話と現在の愚痴に花を咲かせる。楽しい時間だった。悩みなど忘れてしまうほどに。
……と、それではいけないと思い、彼女はタイミングを見計らい、話を切り出そうとした。だが、友人が少し困ったような顔をしていたので、彼女はグッと言葉を呑み込み、「何か悩みがあるの?」と訊ねた。自分より相手のことを優先してしまう性格だ。しかし、まず相手の悩みから先に聞いた方が自分も話しやすいと考えた。
「んー……」
「遠慮しないでよ。ほら、話してみて?」
「でもなぁ……」
「ほーら、何でも聞くから」
「悩みというかさ、いや、その……ちょっとその、疲れてない?」
「え、あたし? 今? いや、楽しいけど……」
「ああ、今というか」
「ああ、最近ね。まあ、そうね。いやー、ちょっとねぇ」
「その……」
「ん?」
「いや、ちょっと、ちょっとだけね、その……老け込んだというか、ちょっとよちょっとね」
「え、あたしが……? あは、あはは、まあそうね、悩みがあるからそのせいかな」
彼女は取り繕おうとしたが、動揺を抑えきれなかった。それに怒りも感じた。しかし、よく考えたら、面と向かって老け込んだなどと失礼なことを言う友人ではない。つまり、よほどそう見えたのだろう。
その後、どこか気まずい空気になりつつも、お互いにそれをごまかすように楽しい話を続けた。だから結局、彼女は夢の話はできずに友人と別れた。しかし、彼女はそれでいいと思った。
もう気にしない。そう、気にしていてもしょうがない、と。
「えっ……」
部屋のベッドの上で目を覚ました彼女は思わずそう声を漏らした。
あれは夢だったの……? とてもリアルな……。でも約束は確かに今日、いや昨日だったはず……。
そう考えた彼女はスマートフォンを手に取り、友人と待ち合わせ時間などのやり取りを捜した。しかし、なかった。
じゃあ、あれも夢……。会った時だけでなく、約束した時も。とてもリアルな……。
そう思い、唖然とした彼女。その視線は部屋の姿見鏡へと移り、そして彼女はまた人よりも一日分老け込んだ自分の顔を見つめた。