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1-08 砂漠のプリンスたち

 門倉昇一かどくらしょういちは、たたき上げの政治家である父に、自身は望まぬ政治家としての道を強いられてきた。だが、父が急死したことをきっかけに、彼がはるかなる異国に置き土産を残していたらしいことを知る。父に対する複雑な感情を消化できていないなか、昇一は、高校以来の親友で開業医の息子の自由人・大石朋希おおいしともきと共に旅立つが、その行き先は長年にわたり首長と武装組織とが対立を続けている情勢不安な中東の小国だった。

 多くのトラブルに巻き込まれながらも見えてきた父の知られざる一面と、彼の息子に対する真意とは。そして、二人の二世プリンスは旅路の果てに何を思い、何を決意するのか——波乱の旅路がいま、幕を開ける。

 運び出す鏡に写った顔を見ながら、そういえば髭を剃り忘れてたな、と思った。

 内定も出て卒論も書き終わり、あとは就職に向けて準備するだけ。そんな門倉昇一かどくらしょういちにかかってきた一本の電話が告げたのは、父・正和まさかずの死だった。支援者との会合をはしごした後、酔って階段を踏み外し転落、急性硬膜下血腫で……先生は最期まで地元と国政の架け橋であろうとしたのです、と電話口の秘書は言ったが、昇一は今すぐ電話を地面に叩きつけたい衝動を、必死に抑えていた。

(今さら勝手に死んでんじゃねえよ)


 突然政治家になると言いだして仕事を辞めた父は、二度の落選を経て政界入りした。選挙戦は苦労の連続で、幼い昇一も、支援者が来るたびに何度も挨拶に引っ張り出されたのを覚えている。当選後も父は東京にいる時間が多く、帰ってきても会合に出るか自室に篭るかのどちらかになった。それまで休日にサッカーボールを蹴り返してくれた父の姿は、いつしかいなくなっていたのだ。母はそんな父に対し愚痴の一つも零さず、ほぼ女手一つで昇一を育てる傍ら、選挙運動の手伝いと資金繰りに奔走していたが、それによる過労が祟ったのか、昇一が中三の時に他界した。だが父はそんな献身的だった母の葬儀ですら、わずか数時間の参列後、すぐに東京へ帰っていったのだ。

 「昇一、お前も政治家になれ」

祖父母の元から地元の進学校に入学し、進路について考えだしていたある日、父は昇一に言った。その頃昇一はロボット部に入ったのをきっかけに、大学でも機械技術を学ぶべく、進路を工学部に定めて本格的に勉強を始めたところだった。母を使い捨てたも同然で、これまで碌に家庭を顧みなかった父が、一丁前に進路に口出ししてきたことに、昇一は心底不快感を覚えた。

「お前のために今からコネを作っておく。大学卒業後は就職して、数年したら俺の秘書になれ」

「お前は賢いから三役くらいならすぐになれる」

「看板も地盤も引き継げば安泰だぞ」

父は昇一の顔を見るたびに執拗に誘導してきたが、それらは昇一の目には一切魅力的に写らなかった。メリットの提示の意味がないと分かると、やがて父は今度は昇一の夢を否定するようになった。

「技術者なんてのは所詮は肉体労働だろう」

「工学部を目指すぐらいなら今からでも工業高校に入り直せ」

 高三の夏に、父と最後の大喧嘩をして、昇一は自身の夢を諦めることにした。政治家になるつもりの進学でなければ学費は出さない、と言われたのが決定打だった。どれだけやりたいこととはいえ、アルバイトで大学とその先の大学院の学費を工面することと天秤にかけると、どうしても無理がある、という苦渋の決断だった。ただ父の言われるままにするのも癪だったのも事実で、現役で難関のW大学経済学部に進学し、一流企業の内定を得たのは父に対するささやかな当てつけのつもりだったし、いっそのこと父より早く政治家になって、父よりも出世することで、自身の諦めと折り合いをつけようと、大学四年間をかけて腹を括ったところだ。

 その矢先だった。父が死んだのは——。


 「へえ、親父さん良いスーツ着てんだな」

 遺品整理を手伝っている大石朋希おおいしともきが箪笥を開けながら感嘆した。昇一は改めて、手伝いを頼んだのがこいつで良かったな、と思った。父の支援者や知人から薄っぺらい労いの言葉をかけられるのも、それに対して悲しそうに振る舞うのも、そろそろ嫌気がさしていた頃だった。

「ああ、政治家は客商売だからってよく言ってたな。欲しけりゃやるよ」

「やだよ、なんか呪われそうだし」

「間違いねえ。てかお前でもそんなの気にするんだ」

「医者とか科学者ほど信心深くなるってよく言うだろ。あんな複雑な科学現象が成り立っているのは、やはり全知全能なる神様の思し召しがあるとしか思えないってね」

 朋希は昇一の高校の同級生だった。受験勉強を共に乗り越え、大学が離れた今も仲良くしていた。今日も、バイト代は出すから遺品整理を手伝ってくれないか、と連絡したところ、バイト代は要らないから代わりに好きなものを持って帰らせろ、とすぐに了承してきたのだ。彼は地元の開業医の息子で、自ら天命だからと医学部に進学していて、普段はそう思える朋希を羨ましく思うことも多かったが、今は彼の流れに身を任せるような性格が却ってありがたかった。

「いやでも勿体ないなあ、生地レベルまでバラせば再利用できるか?」

朋希はジャケットを見比べながら呟く。

「そんなの捨てちまえよ。テセウスの船かよ」

「構成要素まで分解して他の生地で薄めれば呪いも半減する。やっぱ貰ってくわ」

そう言って朋希はスーツを適当に箱に詰め、駐車場に停めた彼の愛車(BMW)のトランクに乗せる。

「親父より先に出世してやるって前言ったろ。でも、こうもあっさり死なれると、なんか萎えるよな」

昇一は父の本を手当たり次第にゴミ袋に放り込みながら呟く。

「良いじゃん、自由になれたわけだし。今から工学部受け直せば?——お、ボウモアの18年に響の21年じゃん、これも貰ってくぞ」

「それ俺のこの四年間完璧に無駄だったってことじゃん」

「ほら、今流行りのリスキリングってやつよ」

 

 朋希が部屋と車の三往復目に突入したとき、ふと、乾いたエンジン音が家の前で止まるのが聞こえた。

 門扉の前には、青いナンバーをつけた黒塗りのセダンが停まっていた。運転手が後部座席のドアを開けると、一人の青年が下りてきた。長身で髭を蓄え、深い眼窩の奥の灰色の瞳がこちらを飲み込む。明らかに日本人離れしたその容姿に、昇一は俄に身構えた。

「こんにちは」

男は流暢な日本語で、大きな宝石が光る指輪を付けた手を差し出した。

「セレマン首長国外交部のタヒル・ハーレドです。門倉正和氏がお亡くなりになったと伺って——貴殿にも神の平安がありますよう」

父の知り合いに違いなかった。聞いたことのない国だな、と思いつつ昇一はその手を握り返し、ここ数ヶ月で何度言ったか分からない定型文を返した。

「遠方からお越しのところすみませんが、ご覧の通り遺品を整理していたところで。生憎大したもてなしは出来かねますが、良ければ線香でもあげて行ってください。父も喜びます」

先方に線香をあげる文化などないだろうが、適切な表現を考える余裕はなかった。

 タヒルと名乗ったその男は、慣れた手つきで父の遺影の前に線香を立て、軽く頭を垂れてから昇一に向き直った。奥の部屋から、朋希が物珍しそうにこちらを伺っているのが見える。

「突然のご無礼をお詫びします。私が来たのは昇一氏、貴殿に用があるからです」

タヒルは精緻な刺繍の施された衣装の懐から一枚の封筒を取り出した。ざらりとした茶色い紙に、紅色の蝋で封がなされている。手間取りながら封を解くと、封筒と同じ手触りの紙に、見知らぬ文字が踊っていた。

 心当たりのないそれに顔をしかめていると、タヒルがゆっくりと口を開く。

「お父上は度重なる紛争で荒廃した我が国を憂い、私費を投じて工科大学院の建設に参与されていました。我がセレマンの法においては、完全に完成した建物でないと引き渡せないため、まずお父上の名義で建設され、完成した暁に然るべき相手に引き渡される、そんな条件のもと事業が承認されました。これはその権利書です」

見知らぬ文字は疑問符に形を変え、昇一の頭の中で踊りだした。確かに父は視察で海外に渡航することはあったが、大学院を建てるという話はおろか、土産話をされたことすら記憶にない。

 気づくと、朋希が背後から封筒を覗き込んでいる。

 タヒルはこちらの理解度を見るように一呼吸置いて続ける。

「——しかしながら、お父上がお亡くなりになったことで、ご子息である貴殿に、事業の継承権が発生しました。我が国の法では、継承権者に追認を取らねば、いかなる工事も継続できないのです」

「はあ」

「この場で事業を中断し売却するも、お父上の意志を継いで追認されるも、全て貴殿次第です。あるいは事業を完成させたのち経営権を引き取るような方もおられます」

疑問符の舞が一段と激しさを増す。日本の遺産相続ですら四苦八苦したというのに、どこにあるかも分からない異国の法など、到底理解できる筈がない。

 静寂に、昇一が頭を掻く音のみが響いた。タヒルは、静かに、灰色の瞳でこちらを鋭く見つめてくる。

「……まあ、とりま行ってみれば良くね?」

朋希だった。

「……無茶言うなよ」

「だってブツを見ない限り何とも言えんだろ。ちょうど良いや、俺も着いていこかな」

「良いやって——お前マジで言ってんのか?」

「大きい試験も終わって、海外旅行でも行こうかと思ってたとこだしな。お前もどうせ就職まで暇だろうし、保険金も降りたんだろ?なんだったら、俺が代わりに見てきてやっても良いぞ。俺、世界史選択だし」

朋希は昔から興味のままに突き進むタイプだった。こうなった彼はもはや誰にも止められない。

「もしセレマンにお越しになるのであれば、国を挙げて歓迎いたしますよ。もっとも、欧米諸国のように豪華に、とはいきませんが」

「国賓やん!なあ、どうするよ」

 昇一は頭を抱えながら声にならない声を上げた。

 興味がないわけではなかった。どこで父がその国と接点を持ったのか、なぜ父は誰にも言わずそんなことをしていたのか。しかも父が建てていたらしいのが、よりによって、自身が夢としていた時にはあれほどまでに否定した、工業の大学院ときた。

「——ああクソッ、あの親父、死んでも振り回しやがって」

 父が死んだ今、就職も、政治家になることも、もはや割とどうでもよい。昇一は、パスポートはどこにしまっていたっけ、と記憶の引き出しを遡った。

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[一言] 家族を顧みないで自らの思う道を突き進んできた父親が死んだ。 母の苦労も目に入らず、息子昇一のことも自分の思い通りにしようと進路を妨害するなどしていた彼には、昇一の知らない一面があったようだ。…
[一言] 政治家とかに興味ないけど、この物語面白かったです。 友人も能天気な一面もあり、結構好きです。 1話を丸読んだあとあらすじを改で読む。そうか、戦乱な小国だね。何か大冒険になる予感がする。そして…
[良い点] 父親のせいで人生を狂わされたと思っている息子のどこか投げやりな人生観がとてもリアルに感じられ、見返してやろうと思っていた父の死にさらに空虚になってしまう感が、遺品整理の彼の様子でも、とても…
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