1-17 黄泉坂学園で生き返りを目指して
学校でのいじめ、家庭内での不和によって苦しんでいた蛇塚ちろりは、屋上から身を投げてその人生を閉じた――はずだった。
気が付くと、ちろりはとある学園に居た。
そこは黄泉坂学園。若くして死んだ者達が集まる学園だった!
学園で生徒と二人一組のペアを組んで善行を積み、優秀な成績を収めたあかつきには生き返りを叶えるという。
生き返りなど死んでも御免だ、と思うちろりのペアについた少年は、生き返りを本気で目指しているようで……?
ペアの少年との足並みは揃うのか、ちろりは生き返りを阻止できるのか!? 死んだ者達が集まる学園で、ちろりの新しい学園生活が始まる!
ビルの屋上のフェンスの外側に、一人の少女が立っていた。少女の名は蛇塚ちろり。
靴は脱いで綺麗に揃えてある。
どこからどう見ても、自殺志願者であった。
吸い込まれそうな眼下の闇を見つめる瞳は昏い。
はぁ、はぁ、と荒い呼吸を繰り返すちろりのフェンスを掴む手はかすかに震えていた。
――怖い。暗闇のせいで、うんと高く感じる。ここから飛び降りるのね……。
死への恐怖を確かに感じながらも、その一歩を踏み出そうとしている。
「は……はは、これで、終わるんだ――」
ちろりの目じりに溜まった涙が一粒、頬を伝った。それは死への恐怖から来るものか、それとも自らの生が終わるという安堵感から来るものか。
「ようやく……終わる」
すぅ、と小さく息を吸い込んだちろりは、その一歩を踏み出した。
気が付くと、ちろりは門の前に立っていた。
大きな門は、ちろりが意識を取り戻したことに気付いたように、ギィィ、と軋む音を鳴らしながらひとりでに開いた。
自分は死んだのではなかったのか、と困惑するちろりは、戸惑いながらも門の内側へと足を踏み入れた。
門の内側には、たくさんの人がいた。ざっと百人はいるだろう。年齢を見る限り、中高生……と言ったところだろうか。
皆一様に制服を身にまとっていた。ちろりもまた制服を着ていたが、見慣れない制服であった。自身が通っていた学校の制服とも違う。
ちろりの視線の先には、大きな建物があった。どうやら、学校のようだ。
そして、建物の手前に一人の女性が立っていた。
天女と見紛うほどの美しい女性だった。透き通るような白い肌、烏の濡れ羽色の黒髪は長く、腰を覆うほど。ぱっちりと開かれた目に熟れた林檎のように赤い唇。
その唇が、ゆっくりと開かれた。
「若くしてその生を終えた皆々様、お集まりいただき感謝します。私はこの黄泉坂学園の理事長です。皆様には、これからこの黄泉坂学園にて、二人一組のペアを組んで学校生活を送っていただきます」
よく通る声だった。女性――理事長の言葉に、周りの生徒たちも困惑している様子が伝わってくる。
だが、理事長は気にする素振りも見せず、凛とした表情で話し続ける。
「そして、ペアを組んだ相手と共に善行に励み、優秀な成績を収めていただいた二人には――特別に、蘇りのチャンスをさずけましょう」
その言葉に、周囲がザワついた。
蘇り――つまり、生き返るということだ。
真っ直ぐ理事長を見つめたちろりの体は、ぶるりとかすかに震えた。
冗談じゃない。せっかく死んだのに、生き返る? そんなの――絶対に嫌だ。
無意識に握りこんだ手のひらに、爪が刺さる。ぎゅぅ、と拳を握るちろりの様子に周りの生徒は気付かない。
「蘇る――つまり、生き返れる、ということですか?」
手を挙げ理事長に質問をしたのは、十七、八歳の一人の男子生徒だった。鮮やかな赤色の髪が目立つ。
自ずと男子生徒に注目が集まる。
「えぇ。その通りです」
「なぜですか?」
首肯した理事長の言葉に、間髪入れずに男子生徒が切り込む。
周囲からの注目を集めた状態で、さらに質問を重ねるという男子生徒の度胸に、ちろりは震えた。
とんでもない人だ……! こんなに注目されてるのに、よくあんなこと出来るなぁ……。
「神の気まぐれというものです。あるいは、奇跡とも言います」
理事長の言葉には、これ以上の質問は許さないという圧があった。
度胸のある男子生徒も、理事長の言葉に考え込むように黙りこくる。
「さぁさぁ皆様、黄泉坂学園は全寮制の学校です。一人一人に個室がありますので、学校が始まるまでは各自室でお過ごしください。ペアの紹介は学校が始まってからいたしますので」
理事長が手を叩くと、どこからか教師らしき大人が集まってきて生徒たちの案内を始めた。
ちろりも案内されるままに寮の自室へ向かった。
これからどうしよう……。生き返るなんて御免だけど、そもそもあの人数の中で選ばれるのは二人一組だけ。私みたいな落ちこぼれが選ばれるなんて、ありえないよね。
通っていた学校での出来事が脳裏をかすめ、ちろりはぐっと胸を押さえた。
『出来損ない』
『何で学校に来てるの?』
『消えろよ』
だいじょうぶ、だいじょうぶ。ここはあの学校じゃないし、あの人たちだっていない。
私をいじめる人は、もうここにはいない。
自分に言い聞かせるように、深呼吸をしながらちろりは繰り返した。
『何でこんなことも出来ないの!』
『あんたなんて産むんじゃなかったわ』
だいじょうぶ、だいじょうぶ。ここは家じゃないし、お母さんもお父さんもいない。
私をなじる人は、もうここにはいない。
繰り返し、繰り返し、体に染み込むまで言い聞かせる。
ドクンドクンと激しく脈打っていた鼓動が、少しずつ治まってくる。
「……はぁ」
まさか、死んでも学校に通うことになるなんてね。
思わずため息がこぼれた。
個室があってよかった、とちろりは胸を撫で下ろす。
これから学校が始まる。ペアを組んで、その人と生き返りを目指すための学校生活――憂うつだ。とにかく憂うつだ。
私は生き返りたくなんてない。あの環境に戻るなんて、絶対に嫌だ。
たとえこの先地獄に行くとしても、あの環境よりはマシだと思える。
ペアを組む人も、生き返りに消極的だといいのに。
……そんなに上手くはいかないかな。
ちろりが悶々と悩んでいると、聞き馴染みのある音が流れた。
ピン ポン パン ポーン。
〈生徒の皆様、校舎へお集まりください。繰り返します。生徒の皆様、校舎へお集まりください〉
ぐるぐると思考する重たい頭を抱えながら、ちろりは寮の自室から出て校舎へ向かう。
校舎へ着くと、教師によってクラス分けが行われていた。
この黄泉坂学園は中高一貫校のようで、中等部は別の棟にあるそうだ。
そして、このクラス分けと同時にペアの発表も行うとのことだった。
ちろりは祈った。
どうかどうか、生き返りに消極的な人でありますように――と。
「蛇塚ちろりさんのペアは、蛙津梅雨くんです」
「蛙津梅雨だ」
紹介されたのは、中等部一年の男子生徒だった。
ちろりは高等部二年なので、授業中は少なくともこの怖そうな男の子と会うことはないだろう。
ブスッとした表情がすでに怖い、とちろりは怯えた。
男子生徒と関わることが少なかったために、得体の知れない相手という恐怖もある。
「へ、蛇塚ちろりです……」
「言っとくけど俺、生き返り本気で目指すから。足、引っ張るなよ」
ぎろりと睨まれ、年下相手ということも忘れ、ちろりは大いに怯えた。
こ、こここ怖いよー! 何でよりにもよって生き返りに積極的な人とペア組まされるのー! 私、さすがに生き返りに本気な人に対して「私は生き返りたくないです!」とか言えないよ!? ううぅ、しかも私が足引っ張る側って決めつけられてるのも嫌だし……事実なのが……。
「ペアは基本行動を共にするように。ペアで善行を積み、優秀な成績を納めれば蘇りのチャンスが与えられるでしょう」
にっこりと笑う教師に、ちろりは引きつった笑みを返すので精一杯であった。