1-16 尻尾が生える
尻尾が生える奇病により世界は変わった。特異能力を発現する尻尾。1度切れば強化され、何度も切れば理性を失い暴れ回る異形の化け物と化す。最初の症例からまだ10年も経たない世界。変わりゆく環境に翻弄される少年の物語。
首都近郊、2つある大きな河川の東側の河口付近。男性に1メートル程度の尻尾が生えるという奇病の報告があった。
それは獣の尻尾というよりも両生類の尻尾、いや内部に骨がないので、ナメクジに近い代物だった。
触れると痛い様で、唸り声しかあげられない患者。このままでは日常生活を送れないと切除を願い出る親族。
神経が通っていて何かしらの不具合が出ても責任を持てないというも聞かない。
仕方なく細心の注意を払い切除は行われた。
その時切除された尻尾は1週間近くピクピクと動いていたという。
尻尾がなくなり、その男性はある程度の言語能力を取り戻した。
記憶が曖昧だそうで詳細に聞き取りは出来なかった。生えたのは数日前、伸びたのはその後、それまでは豆粒の様なサイズだったという。
男性を検査し調べていくと、仙骨が伸長していくのが確認出来た。
また足の筋肉が発達していき、入院中に50メートル走のタイムが2秒縮まった。
脳の検査をしても何も出なかったが、脊髄と脊椎に大きな変化が見られた。
脊椎を覆う様に肉が巻きついていたのだ。
その肉が脊髄と結合している事も確認された。
どの程度の結合かも不明なため、再度の切除は半身不随などの危険性が高いと思われ、行われることはなかった。
結局当該男性はまた尻尾を生やした。中に骨の入った尻尾だった。
今度は人語を問題なく解せたため切除には至らなかった。
その後この尻尾が生えるという症状は徐々に件数を増し、薬物治療なども試みられたが成果はなかった。
いや、変質を起こした。
最もよく見られる性質は電気ウナギなどの様に電気を発する能力。尻尾をつかむと痺れる程度の電流が流れるくらい。せいぜいスタンガン程度の能力。
次に見られるのは粘液の放出。粘液は使われた薬品に対抗する様な性質を示しやすい。貴重な試料を量産できるかも? と注目されている。
尻尾を1度切除した患者に見られやすいのは身体能力の超強化。肉質の変異は個体により異なり、またそれまでの能力も強化される傾向がある。
そして異形化。尻尾だけの異形化ならまだマシだが、全身の異形化の場合は理性を失う事もあり最悪処分するしか道がない。
2度目の尻尾の切除は全身の異形化の可能性が半々であり、装甲の発生などの特異構造が生成されやすいため行われなくなった。
「化け物め!」
投げられた石が体にぶつかる。
顔を向けない。鬼の形相の人を見たくない。
できるだけ早くどこかに行きたかった。
行く場所なんてないのだけれど。
生えた尻尾は白い毛に覆われていた。
僕の心と裏腹にピンと立っているけれど。
こんな尻尾なんてなければ良かったのに。
「あれは……2丁目の化け犬か」
尻尾は2度切った。
完全な異形……ではない。
ただ頭は犬に大分近くなっていた。
特に頭から尻尾にかけて犬の様な体になった。
母さんはもう1度切れば元の姿にと言っていたが、政府から2度以上の尻尾の切除を禁止する法律が出て叶わなかった。
全身異形化すると高確率で正気を失い暴れ回るらしい。
「こっち来るんじゃねえ」
全身異形化した人は銃弾もろくに効果がなく、毒物にも強く、そして人間の何倍もの筋力で辺りを壊すのだそうだ。
その時の個体は罠に陥れて何とか処分する事が出来た。
そして周りの人はみんなその映像を何かしらで見た事があるのだろう。
僕も見た。あれは悪魔だ。
「ねぇ」
僕の指先は黒い硬い爪になった。
何もしなくても尖り、手を振れば木の幹に鉤爪を残せる。クマみたいに。
2本足で走るよりも4本足で走った方が速い。
人間だというのを否定されている気分だ。
「ねぇってば」
15歳の僕には辛い現実。
他の人と同じでいたかった。
普通に生きたかった。
「聞けぃっ!」
なんか手を痛めたらしい子がいた。
いや、僕と同い年か。でも尻尾がある子だ。
僕のお腹を殴ったのだろうか?
僕の体はお腹であっても生半可な力では傷つかないくらい硬いのだけど。尻尾のせいで。
「大丈夫?」
黒髪でショートカット。丸い大きな目。
尻尾は両生類みたい。1度も切ってないんだろうな。
黒い艶やかな尻尾は何故か綺麗に見えた。
「……バカみたいに硬いわね」
辺りを見回す。人がコケたり隠れたり。
僕が怖いか。怖いよね。そう怖いよ。僕も。
動画で見た悪魔は僕を黒くした姿で骨みたいな外装を纏っていたし。
「尻尾の切除、2回しちゃったからね」
あの悪魔の動画を思い出すと僕の将来かと思えて震えてしまう。
死にたくなった。でもマンションの屋上から飛び降りても傷つかない体なんてどうすればいいのかな?
「ねぇ、君。私の仲間になりなさい!」
意味が分からない。
「君には居場所がないでしょ。私のところで尻尾のある仲間を守るの!」
……どうしようかな。
家族のいる家? 違う。もうあそこはそんな場所じゃない。
「どこに行けばいいの? 話は聞くよ」
僕はその子に着いて行く事にした。
誰かに誘われる事もこの姿になってからはなかったし。
たぶん僕はきっと寂しいのだろう。
「着いてきて!」
港の廃れた倉庫街。広く黒く荒れた海。
初めて尻尾が生えた人のいた場所の近く。
尻尾の発生数の高さもここが1番多いらしい。
「ここが私達の溜まり場。ここに来ると尻尾が生えるってみんないなくなっちゃったんだよね。私達以外」
倉庫の扉に手をかけると中で遊んでいる子供達の姿が見えた。
みんな幸せそうでいい表情をしている。
連れてきた子も優しい表情で見ていた。
そしてみんな尻尾が生えている。
「すごいね。笑顔だ」
空気がいい。悪意をぶつけられない。
久しぶりに人と会って悪意以外の感情に接触した気がする。
なんだか楽になった様な気がする。
「私達はまだ君程の風当たりがないからね。石を投げつけられているのを見て驚いたよ」
少なくとも尻尾を切除しない限り、急激な異形化の進行はない。
それが尻尾の研究で今のところ判明している。
だから大暴れした前例のある全身異形化以外は脅威に思われていないのだろう。
「いい事だよ。僕みたいになっていい事なんてないから」
足元のコンクリートの欠片を拾って握ると粉々に砕けた。
動画の悪魔は鉄すら噛み砕き、体をコーティングした。
毒も分解し、重金属などは排出した。
「でも私達に向けられる悪意は次第に強まっているの。どうやって増えているかが分からないから」
増え方が分からない。
ウイルスなのか、細菌なのか、寄生虫なのか何も分からない。
同様の症状が現れた事で、増える事を前提に研究された。
「尻尾の発生は最寄りの発症者から10キロ離れた場所でも見られた……んだっけ?」
既に発症していないだけで感染している。
感染していると発症しなくても感染源になる。
感染源はいつかは発症する様になる……かもしれない。
「尻尾の持ち主を殺せば自分は発症しない……なんて言い出すヤツもいるの。私達が何かをしたわけじゃないのに」
人は異常を嫌う。
もっと後の時代、もっと尻尾を持つ人が増えて、人口の8割とかそれ以上だったら、話は違うだろう。
でもまだそんな時代は来ない。
「僕はここまでの異形だから諦めなきゃいけない事が多いって思ってた。君達もそうなんだ……」
小さな異形を受け入れられない。
身近な人はもしかしたら受け入れているかも。
だが世間の無理解は暴走した全身異形化のイメージを押しつける。
タヌキとアライグマを混同する様に。
「まぁ、時が解決するだろうね。この尻尾が全世界に広まるか、それとも断絶するか。どちらか2択になるとは思うけれど」
黒い両生類の様な尻尾は静かに揺れていた。
「心配しないで。自衛は尻尾のおかげでしやすいから」
彼女ははにかみ僕を見た。
「ようこそ。私達の溜まり場へ。ここでなら君も気楽に過ごせると思うわ」
差し伸べられた手は温かくて柔らかかった。