1-14 繰り上げで家督を継いだ三男坊、実父に疎まれた妖術使い令嬢を娶る
辺境伯家の三男ギリアムは、遊学先から戻る途上で貴族の馬車を襲う飛行魔物の群れに遭遇する。
美貌の伯爵令嬢ニルダを助けたギリアムだったが、彼女はひどく失望した様子。というのも、襲撃は彼女自身の仕込んだもの。
後妻の娘ばかりを偏愛するようになった父に疎まれ、どこかへ幽閉される前にと脱出を試みたのだというのだ。
その場では伯爵家へ送り届けるしかなかったが、ギリアムは「困ったときは力になるから」と請け合い、ニルダも彼の言葉に望みをつなぐのだった。
やがて領地へ戻ったギリアムを見舞う、父と兄たちの急死。家督相続と領地運営の重責に立ち向かうギリアムだったが、そんな中で奇しくもニルダ救出のチャンスが巡って来る。彼女を保護して傍に置いたギリアムは、その型破りな思考と規格外の魔法の力に翻弄されつつも、ニルダとの絆をさらに深めていく。
「デレク、まだ道は空かないのか?」
ギリアムは馬車の窓を押し開け、御者台に座る従者へ呼びかけた。
王都であるクロルダに入って、すでに三十分ほどになる。だが馬車はしばらく前から、一向に先へ進む様子がない。
川に沿って緩やかにカーブした大通りを見渡せば、貴族たちが外出に使う豪勢な四輪馬車が切れ目もなくえんえんと並んでいる。
「駄目でございますねぇ。一時間でも抜けられるかどうか……」
「ひどい渋滞だ。ラドヴァではこんなことはなかったぞ」
王国の西に国境を接する、ニステルという文化先進国がある。ギリアムはその中心たる学術都市、ラドヴァでの三年に及ぶ遊学を終えて戻る途上だったが――かの地でもこれほどの数の馬車を、いちどきに見たことはない。もっとも、あそこの住民は馬車などほとんど使わないのだが。
「……まるで、国中の馬車が集まったみたいじゃないか」
「そうですねえ。ギリアム様はいま『国中』と仰いましたが、あながち間違っていないかも知れません。お迎えに上がる途中で小耳にはさんだ話を思い出しましたが……確か今日は王宮で、重臣の方々のご令嬢が何名か、お披露目に臨まれるとか」
「ははん」
ギリアムは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。令嬢の披露目とはつまるところ、年頃になった娘の婚姻市場への参入を貴族社会に告知するものなのだ。
「つまり、これはその席に集まろうというお歴々の車でございましょうね」
「なるほど。うちのような開拓団から成りあがった新興の『辺境伯家』には、まあ関係のない話だな。さっさとこの通りを抜けて、東クロルダの別邸で休みたいもんだが……」
そう言いながら憮然として窓の外を眺めていたギリアムだったが、急に視界の中に起きた変化に、はっとして目を見開いた。車列の前方、二つ先の位置を占めた馬車のドアがぱくりと開き、そこから一人のうら若い少女が車外へ出てきたのだ。
色白で、癖のない黒髪を肩のあたりで切りそろえた姿。もう少し肉付きが欲しい感じの痩身を、深藍色の簡素なドレスに包み、決して華やかではないが――不思議と目を惹かれる。
(……用でも足しに出たんだろうが、ずいぶん無造作というか、不用心だな――)
そんな印象を抱いた次の瞬間、うつむき加減だった少女が顔を上げ、周囲を確認するように見まわした。その視線がギリアムの視線とぶつかる。
この距離からでもそれとわかる長いまつ毛の奥に、焼いた鉄のようなやや暗い青の瞳。一瞬、彼はその瞳に吸い込まれるような錯覚を覚えた。
(なんだ……っ!?)
ドクン、と心臓が跳ねる。我知らず固まったギリアムをよそに、微妙に貴婦人らしからぬ速足で少女は馬車から離れていく。
(おい、君――)
頭が言葉を形作り、呼ばわろうと息を吸い込んだその刹那。
ズドン、と重く爆ぜる音が響き、件の馬車が炎をあげながら拉潰れた。
――何事だッ!?
周囲の馬車から一斉にどよめきが起こり、乗客たちが窓を開いて周囲を目探しした。
「上だ!」
ギリアムはいち早く異変の正体を掴んでいた。なにか翼の生えたもの――人間より一回り大きく、まばらな鱗と体毛に覆われた怪物が虚空に羽ばたいていた。ギリアムは知っている。これは「カルキドリ」の名で知られる下級の悪魔だ。
――まま、魔物だあー!
貴族たちの車列から上がっていた声が、悲鳴に塗り替わる。
「ギリアム様、ここはお逃げを……!」
「いや、それじゃここの貴族たちがひどいことになりかねん」
ばたん、とドアを開けて馬車の外に飛び出すと、ギリアムは腰のベルトに意識を集中した。バックルがほのかに輝くと、軽装の甲冑一式が一瞬のうちに出現して体に装着される。仕上げに右手に現れる、豪壮な造りの長剣。
「ギリアム様!?」
デレクが驚愕の声を上げる。
「何ですか、それ!?」
「俺はラドヴァで学問の傍ら、冒険者をやって稼いでいてな。これはあそこの魔術師ギルドが管理してる迷宮で手に入れた、魔法の武具と、それを瞬時に着脱できる『騎士の護符』だ」
「学問をしに行かれてたんじゃないんですか……?」
デレクが頭を抱えた。
「今からでも聞かなかったことにしたいですよ、お館様への報告に苦しみますので」
「まあ見てろ、ちょっと行ってくる。」
「ギリアム様は本当に、もう!」
デレクはかぶりを振って御者台から飛び降りると、付近の貴族や通行人たちの避難誘導に向かった。
ギリアムは馬車の屋根から屋根へ飛び移りながら走り、飛行悪魔に斬りかかる。最初の一匹を一太刀のもとに斬り捨てて次の標的へ――移動しつつ、はて、と首を傾げた。
(こいつら、何をしに来たんだ?)
悪魔たちは魔法を駆使して空中から爆発性の小さな火球を打ちおろしてくる。だが、被害らしきものといえば先ほどの馬車が一輌のみだ。
貴族たちの何組かは馬車を飛び出して右往左往しているが、火球は一つとして彼らにはあたらず、ただ空しく大通りの敷石を焦がしていた。
(どうやらこいつらは陽動かなにか、か……?)
おそらくどこか、別に本命の目標があるのだ。ギリアムが着地しつつ周囲に視線を走らせると、建物の間に伸びる細い裏通りの方へ降りていく、一体のカルキドリを見つけた。その降りていく先に――先ほどの少女がいる。それが目当てか!
「どういう陰謀なのか知らんが、させるか!!」
鋭く叫びながら悪魔の翼と片腕を切り飛ばし、返す一振りで首をはねて倒した。迷宮で戦いなれたギリアムにとっては、どうということもない相手だ。ギリアムは空いた左手を少女へ差し延ばし、安心させるつもりで微笑みかけた。
「怪我はないか? ここは危険だ、俺について……」
言いかけて、相手の少女が浮かべた表情に気付いた。驚きに呆然とした様子が、次第に落胆へと塗り替わっていく。悪魔に狙われ、あるいは拉致されたであろうところを助けたのに、なんでこんな不本意そうな顔をされるのか?
「……あなた、何者なの?」
「はあ?」
「こちらの都合は知りようもないでしょうけど、おかげで狙いすました機会が台無しです。名前くらいは聞かせていただけるのでしょうね?」
ギリアムは顔をしかめた。どう考えても窮地を救われた相手に対する物言いではない。それにこの口ぶりだと、どうやら今の襲撃は――
「俺はギリアム・ラッセルトン。しがない田舎貴族の三男坊だ――そういう君は?」
「ラッセルトン? たしか東の辺境、ザリア地方の一角を預けられた新興貴族の名が……」
「ああ、一応うちはザリア辺境伯で通ってる」
「私は、ニルダ。ニルダ・ハイベリン」
ギリアムは目を剥いた。ハイベリン家といえば王室とも血縁のある、富裕かつ有力な貴族だ。
「……驚いたな、ウィルスマースの伯爵家じゃないか。そのお嬢さんが一人で馬車を降りて、こんな路地の入口で何をやってるんだ?」
ギリアムは明確な返答を期待したが、あいにくとそれは与えられなかった。深藍ドレスの少女はなにか妙案を得たというような顔でギリアムを見つめ、微笑みながらふうっと息を吐いただけだった。
「……いいわ。この先を考えることにしましょう。ここは確かに危険だし、人目につきますね。うちの別邸まで送ってくださる?」
「構わないが。俺の馬車でいいのかい?」
「むしろ好都合かも」
道路のあちこちからまだ煙がくすぶり、逃げまどっていた人々が呆けたようにたたずむ中。ギリアムとニルダはまるで初めから約束があったかのように、よどみない動きで馬車に乗り込んだ。
「……なるほどな。さっきの馬車、どこかで見た紋章だと思ったんだ」
納得顔でうなずくギリアムに、ニルダはクスクスと笑って返した。
「その紋章から逃げたいの。父が後妻に入れあげて、私を相続から外すと言い出したから……多分、そのうちどこかへ幽閉されると思います」
なるほど。家柄のいい所にはありがちな話だ。
「……もしかして俺、凄く余計なことしたのか?」
仕組まれたものだとするとあの悪魔どもは突発的に襲って来たのではなく、この美しい少女が呼び寄せたのだろうか。
ギルドの体系から外れた「妖術」と呼ばれるものの中に、そういうことが可能なものがあるとは聞いたことがある。
「そうね。でも、そのおかげで別の展望がつかめるかも――ねえ、ザリアってどんなところかしら?」
「……田舎だよ。ふた月に一度は蛮族との小競り合いがあって、畑より開墾地の方がまだ広くて、街道ぞいには野犬や山賊、たまには魔物も出る。おかげで親父は椅子が温まる暇もない」
改めて言葉にすると、父の心労を思ってため息が出る。ギリアムが遊学中に迷宮で鍛えたのも、その辺りの事情が彼に文弱を許さなかったからだった。
「聞く分には楽しそう。身を寄せるとしたらどんな感じかしら?」
「ええ……? うん、まあ案外なじめるかもしれないな……なあニルダ嬢。余計なことをした埋め合わせになるかわからんが、困ったことがあったら頼ってくれ。俺がきっと力になろう」
「ええ、覚えておきます」
そうはいったものの、結局その日ギリアムは、ニルダを伯爵家の別邸へ送り届けるしかなかった。
夜は王宮で、令嬢たちのお披露目が滞りなく行われたようだが――その中にニルダ・ハイベリンの名はなく、同じ姓を持つ別の少女が主役の一人を演じていたことを、ギリアムはあとから人づてに聞いた。